02.父と俺
僕が寝かされていたのは仮眠室ではなく治療監視室だった。
異世界から帰還したときに不調が起きていた場合、経過観察で医務預かりになるのは先輩たちを介助してきたから知っているものの、自分が任務終了後にその措置になるのは初めて。
起きて少ししたら微妙に嘔吐感があり、洗面所に行こうとしたタイミングで医務職員が部屋にきてくれた。僕と顔馴染みの中年女性の清水さんと初老男性の富田さん。二人ともお医者さん。
治療監視室のすぐ横の洗面所には富田さんが付き添ってくれた。胃からせり上がってくる不快感に汚い声を出したけれど、中身は出てこず、何回かげぇげぇと格闘していたら、徐々に気持ち悪さは引いた。
「うーん。薬の影響なのか空腹なのかストレスなのか全部なのか」
富田さんがぬるま湯を差し出してくれたので、口を濯いで一口とも言えない量を喉の奥に流し込む。不快感は起きなかったのでゆっくりと三口分くらいを飲んだ。
起きたのは小便がしたい感覚があったからだったので、洗面所の次にトイレを済ませた。
慣れない肌感覚でわかっていたけど、履かされていたのはオムツ。お漏らしなし。
「富田さん、僕の下着ってありますか?」
「おう、パンツな。あるある」
富田さんは僕がトイレで倒れたりしないか見守ってくれたので、着替えのパンツを持ってきてもらった。下着を着替えた僕を見て、大丈夫そうだなと先に部屋に戻ってくれたので、洗面所にあった使い捨て歯ブラシセットで歯を磨く。あの異世界では布で拭うような歯磨きで、いまいちスッキリしなかったんだ。口の中が粘ついていた感覚がなくなってスッキリ。
顔も洗って、髪の寝癖を適当に直す。うん、直らないな。もういい。
鏡の中の僕。
ああ、僕だ。
およそ一日半ぶりの僕だ。
『変装』していた異能の術は日本に戻った途端に解けていたけど、こうして自分の姿を見たら任務が終わったんだとあらためて思う。
治療監視室に戻ったら清水さんと富田さんによる診察。
食べて吐きそうかと問われるとそういう感じはしない。どちらかというと食べたい。
食事の匂いでだめそうなら無理しなければいいとなり、食事の手配をしてくれた。
「勇人が『変装』していたのはあっちで勇者と持ち上げられていた少年でしょう? そんな人物に使う薬だから後遺症の残るようなものは使ってないと思うんだけど、今日一日は安静にしてね」
清水さんからトイレに行く回数が多くなっても多めに水分を摂ることと言われ、でも水だけの摂り過ぎも禁止と矛盾したことを言われて神妙に頷いた。数年前から水を飲んでデトックスなんてものが流行っているらしいんだけど、適切な量を超えて一気に水を飲んで水中毒になる患者が急増しているんだって。何でも適量だなって思う。
向こうでは口に入れるものには気をつけていたけど、『鑑定』の術を思いっきり行使するわけにもいかず、薄く使いながら匂いや味で確認。でも無臭で苦みなどもないよくないものは正直わからない。薬への耐性も一朝一夕で身につくものでもないし、現代社会で薬、というか毒に体を慣らすなんて必要なことではない。今後のためにも異能の『鑑定』レベルを上げられるように訓練を頑張らなくちゃ。
「それにしても、あれ、僕じゃなく本当に勇者だったらどうなっていたんだろう?」
厨二病全開の彼も自分のことを勇者と持て囃してくる異世界の人たちに犯されるなんて思っていなかったはず。
「猿のマウンティングわかる? あの世界じゃ『これから仲良くしようぜ』ってコトみたいよ。あたしらの感覚じゃわかんないし、薬を盛ってまでやるなんて強引に思うけどね」
理解したくない。
清水さんも富田さんもなんとも言えない顔で肩を落として慰められた。
「酒を浴びせられたって聞いたが?」
「なんとか抵抗して、被ったけどほとんど飲んでないです」
「無理やり飲まされていたらどうなっていたか。急性アルコール中毒で死ぬこともあるんだぞ? 次はやばいの百歩手前で全力で逃げるんだぞ?」
強めの口調で富田さんにそう言われて腹の奥が冷えた。貞操どころか命の危険もあったんだ。
百歩手前の表現に笑ったけれど、やばそうな気配がないかを探って様子見している状況なら、やばいんだ。そんなことしてないで逃げろってことだろう。
二人による診察とあわせて、温かく説教を受けていたら気持ち悪さも落ち着いた。
どれくらい寝たのかと思えば、帰還して十時間も寝ていた。そりゃ小便に行きたくて起きもする。
深夜と早朝のどっちと言えばいいのかわからない三時過ぎ。他の職員さんの気配もあるけれど、清水さんと富田さんは僕のことを心配して隣の監視ルームで仮眠してくれていたのは丸わかり。申し訳ないけれどすごくありがたい。
「勇人!」
「父さん!」
駆け足の足音が近づいてきたと思ったら父だった。
「気持ち悪さは? めまいとか、大丈夫か?」
「だ、大丈夫」
僕のところに駆け寄ってきて、僕に触れていいのかと医師二人に確認。二人が頷いたら両手で僕の顔を優しく包んで、「よかった」と小さい声が父から溢れた。心配かけてごめん。
起きたときの嘔吐感はよくわからないけれど、清水さんと富田さんが慌てていないからきっと大丈夫。
富田さんが、僕が起きたときに嘔吐感があったのはおそらく疲れからだと説明してくれて、今日一日様子見とも言ってくれた。
清水さんと富田さんが僕がいる治療監視室に入ってきてから扉は開けっ放し。廊下から聞こえてくる音や声が少し慌ただしい。僕と先輩の帰還が遅れた理由を思い出して、治療中の他チームの先輩たちが結構な数でいるのだと悟った。
僕の心配と現在状況もあって、父はほとんど徹夜で対応しているだろう。
父は特殊部隊を統括するけっこう偉い立場。ときに冷徹な判断をくださないとならない。
僕と先輩の帰還を遅らせてでも他の任務先に行ったチームの救出を優先とすると最終判断したのはきっと父。
今こうして見舞いに来てくれたのは、父に近い直属の部下の皆さんや父より上の人たちが、僕と一緒にいられるように調整してくれたんだと察することができるくらい、この職場のことはわかってきたつもり。
「父さんこそ、ちゃんと食べた? 寝てる?」
「ははっ! お前のこと心配してきてやったのに逆に心配されちまったな。大丈夫だ。あらかた落ち着いた」
「そうだ。先輩は? 怪我とかしてない?」
自分が大丈夫だとなったら先輩のことをハッと思い出した。
廊下の向こうから聞こえてくる音や声は落ち着いているから、今日までの経験で物凄く酷い怪我をした人はいないってことは何となくわかる。わかるけれど、逃げ回って帰還までの時間稼ぎしていた先輩は、八時間も未知の世界で逃げ回っていた。
「ん? ああ、夏木か? 怪我もないし、お前が無事に帰還したのを確認したあと帰らせた」
よかった。夏木先輩が体力オバケなのは知っているけれど、今はゆっくり寝ているかな。
「はいはい、お待たせ。参事官も食べてないならありますよ?」
いつの間にかワゴンが部屋の入り口まで来ていて、清水さんと富田さんが手配してくれた食事が届いた。
手の込んだ食事ではなく、電子レンジであたためるだけのカップ麺のきつねうどん。ほかほかの湯気を吸い込めば、ああ、日本の匂いだ。
腹が小さくクゥ〜と鳴ったので胃は元気な様子。起きたときの気持ち悪さも戻ってこないので大丈夫そう。
父もうどんの匂いに空腹を思い出したと言って、同じものを追加で願い、一緒に食べた。
僕はベッドテーブルだったけれど、父はベッドの横の棚をテーブル代わりで食べにくそうだったが、久しぶりの親子の食事。
僕と先輩の帰還が遅らせることになったのは、別の異世界に出動していたチームがモンスター被害に遭い、緊急救助要請が入ったからだった。
そっちの任務では救出対象者のまわりに常に異世界の者たちがいて接触が困難で、『変装』や『偽装』などの異能を使える者たちを多く投入して、向こうの人になりすまして救出する機会を作る根回しをしていて、それで人員不足になっていた。
そこまでして助ける必要があるのかと思ってしまうけれど、本人は聖女と持ち上げられて知らされていない役目は人柱的な役割の生贄。そう知ってしまえば助けるしかない。
モンスターが襲来して大混乱となった中、救出対象者が無謀にもモンスターの前に躍り出て、我に従えなんておとぎ話のシチュエーションを実行したもんだから、さらに混沌が加速。とにかく黙らせて強制帰還させることにしたけど、そうなるとモンスターのいる場に残らないとならない者の命がやばい。なぜならモンスターは一匹じゃなかったっていう最悪さ。
「ドラゴンを従えれば自分は最強になれるとふわふわ言っていた」
「死ぬような場面でふわふわって……?」
「驚くほど危機感がなくてな。医務職員が話しているのを監視室から聞いたが、……疲れた」
それはなんとも慰めにくい。
「それにしてもモンスターというかドラゴン? 知能高いの? てなずけるって」
「まったく。目の前で動くものはみんな餌と認識する生き物だよ」
女性さん、どうやっててなずける気だったのかな。うどんをすすりながら遠い目になっちゃった。
モンスターは大きいし、倒すのは大変だし、一匹じゃないという絶望な状況で、全員の帰還となるまで自転車操業的な状況だったらしい。
大きな怪我人はいないが全員ヘトヘト。行って帰ってまた行ってを繰り返した人もいると聞いて、あっちの世界で部屋に閉じ籠もって帰るのを待っていた僕だったから非常に申し訳ない。
父も出動する用意をしていたけど、その何歩か手前でケリがついた。
結果、救出者も連れ戻し、僕たちチームもモンスター対応したチームもヘルプに入ったメンバー全員が無事帰還。
僕が帰ってくるまでに起きたことを教えてもらったら、廊下の外から聞こえてくる音や気配の多さにも納得しかない。
うどんの汁も半分まで飲んで、ごちそうさま。お腹の中もぽかぽか。
父が器を片付けに部屋を出ようとしたら、医務職員さんが僕がいる治療監視室の利用時間について言いにきてくれた。
「八時か、遅くても九時には仮眠室が空くそうだ。連絡が来たら移動してくれ」
「うん」
「それで、夕方に帰っていいとなったら一緒に帰ろうか」
「本当に? 父さん無理してない?」
「ああ、さっき言ったろ。あらかた終わって一段落だ」
ここ最近、父とはほとんど家で会わなかった。帰ってきても僕が寝ている時間で、着替えなどを取り換えてすぐに出勤。起きて洗濯籠に洗濯物があることで帰ってきたとわかっても会話のない日々だったんだ。
特殊部隊の仕事場は何カ所かあるし、今の僕はアルバイトみたいな下っ端も下っ端だから、霞ケ関の警察庁に行かないとならないときだって父と会うことなんてない。
こうしてレトルトのうどんを一緒に食べられただけでも嬉しいのに、一緒に帰れる──つまり、帰ったら家で団欒できるとわかると嬉しい。
「じゃあさ、母さんと姉さんにも連絡してネット繋いで夕食しよう!」
「美亜は忙しくしてるんじゃないのか?」
「ちょっと前に姉さんも父さんの忙しさを心配してたし、外にいてもネット繋いでくると思う!」
「まあ、二人のことは任せる」
父と僕は東京、母と姉は大阪と離れて暮らしていて、たまにスマホかパソコンで画面越しの家族団欒をする。姉は外にいたとしても十数秒でもアクセスしてきて、父の元気な姿を確認すると思う。それくらい心配してるんだ。
四人で大阪で暮らしていたけれど、離れて暮らすことになったきっかけは僕のせい。表向きは父の栄転だけど。
僕が事件を起こしたわけではないから、僕のせいとは言いたくない。
けれど、あの事件が今の僕に至るきっかけだったと思うこともある。
そして、まさか父がこんな仕事に就いているとは思わなかったし、僕も就くことになるとは思わなかった。




