第六話 命がけの結婚
「いいかい?
この結婚にはメリットしかない」
「なんだねいきなり。私は郵便局の襲撃で怪我をした足を手当してくれると聞いて君の屋敷に来たのだがね」
あのあと、モリアーティは強盗の銃弾がかすめた足を手当するため、モリアーティ邸よりは近くにあるホームズ子爵邸を訪れていた。
手当の終わった足をそのままに、ホームズは椅子に腰掛けたモリアーティに切々と訴える。
「この機会を逃す手はない。私との結婚にはメリットしかないのだ。
まず君は女性だ。だが元は男性だ。
そんな君が男性との性交渉をしたいか?」
「したくないね」
「そこで第一のメリットだ。
私は君と一切性交渉をしないことを誓おう。
なにしろ私は男性にも女性にも興味がないからね」
「笑顔で言うことかなあそれ」
「そして第二に、うるさく結婚しろと騒ぐ周囲を黙らせられる。
幸い君と私は身分差のロマンスと貴族社会で話題になっているようだ」
「親や親族が認めるかどうかはまた別だがね」
「そこは追々考えよう」
やや気圧されたモリアーティにウインクして、ホームズは続ける。
「そして第三、私は君の頭脳を高く評価している。
この男社会で、君はその頭脳を隠さなくてはならなかっただろう。
君の優れた頭脳が話題になったのは王太子の婚約者になってから。
つまり王太子の婚約者としての箔付けとしての部分が大きい。
君自身はあまり評価されていないというわけだ」
「悔しいことにね」
「だが私は違う。君の頭脳を最大限評価しよう。
君のしたいことも許そう。
私と結婚すれば、君は誰にはばかることなくその頭脳を発揮出来るわけだ」
「私が悪の組織を作ろうとすれば止めるんだろう?」
足を高く汲んで悪どく笑ったモリアーティに、ホームズはにっこり笑顔で、
「それはもちろん。
だが、私とのそういった駆け引きを、君は楽しんでいなかったかい?」
と否定出来ないことを言うのだ。
「私は楽しかった。君の頭脳を愛する理由さ。
どうだい?」
「…まあ、メリットが多いのは認めよう」
だから、結局ため息を吐いてそう返すしかないモリアーティに、トドメとばかりにホームズは告げる。
「そして最後のメリットだ」
ホームズは切り札とばかりに口にした。
その日、ホームズとモリアーティは国王からの王宮への招待を受けた。
四阿で国王とテーブルを共にした二人を前に、国王は告げる。
「君たちの婚姻を認めよう」
モリアーティには寝耳に水の内容だった。
「実はカイルから頼まれたのだ。
モリアーティ嬢。優れた君に本当に相応しいのはホームズ子爵令息だと。
ホームズ子爵令息はカイルの命も救ってくれた。
侯爵令嬢の婚約者として不足はない」
「しかし、陛下」
往生際悪くあがこうとしたモリアーティに、国王は穏やかに微笑んで言う。
「モリアーティ嬢。
君は彼を愛しているのだろう?」
(いいえ、全く愛していないけど。なんなら殺したいけど!)
とはこの場では言いづらい。
「君の意に添わぬカイルとの婚約を進めてすまなかった。
だからこそ君の願いに添う婚約を認めよう。
ホームズ子爵令息」
「は」
「必ずモリアーティ嬢を守ると誓えるな」
「はい、必ず」
(我が愛しの頭脳ですから)
って思っているのが透けて見える。
そんなわけで、二人の婚約はとんとん拍子に決まってしまったわけで。
モリアーティ邸のサロン。
ソファに寝そべってぐったりしているのはモリアーティだ。
無理もない。この数日、ホームズとの身分差のロマンスに憧れた令嬢たちに祝福され、両親にも認められ、疲労しているのだ。
「いいんですか? モリアーティ教授」
そう尋ねたのはモランだ。
「ホームズと婚約することになって」
「君も止めなかったくせによく言うよ」
「義理として殺そうとはしましたよ。
でも彼、とても死にそうになかったので。
個人的な恨みはありますがね」
前世ではしてやられたしあなたを殺されたし、とモランは笑顔で話す。
「私は認めているかな~。
たとえ教授の頭脳目当てでもね☆」
「君はそう言うと思ったよ。ヘルダー。
フレッド君は?」
「ぼくは、モリアーティ教授が助けるほどの相手ならと」
給仕をしていたフレッドの言葉に、モリアーティは寝そべったまま胡乱な目を向ける。
「やはりあの強盗、仕向けたのは君か」
「すみません」
「いや、いいよ」
そうさっぱりした口調で言って起き上がったモリアーティに、フレッドはやや意外そうに「はあ」と漏らした。
「腹をくくるか」
モリアーティがそうため息を吐いた矢先、使用人が「お嬢様、お客人です」と報せに来た。
「ホームズ子爵令息様が」
「というわけだ。仕方ない」
そう、据わった目でモリアーティは言って立ち上がった。
「待っていたよ。マイディアブレイン」
「もう隠さず頭脳目当てって言うようになったね君」
モリアーティ邸の客室。モリアーティを待っていたホームズはいい笑顔だ。
「君が隠さなくなったからね」
「その前から隠してなかったくせに。
私は君の言う通りにするよ。いいんだね?」
「もちろん。君との駆け引きが私の生きがいだ」
『最後のメリットだ。
君は一番近くで私の命を狙うことが出来る。
私を殺し、今度こそ勝ち鬨をあげると良い。
どうだね?』
そう言われたら、頷くしか道はない。
だって私はどうしても、この男を殺したいのだから!
「ちなみに君を殺そうとして返り討ちに遭ったらどうするんだい?」
「そのときは、君の脳味噌を取り出して魔法で保管しようかな。
この世界では魔法で生きたまま保管することも可能らしい」
素敵な笑顔で不穏な内容を口にするホームズの顔は生き生きしている。
その顔を見てしまっては、モリアーティも否定出来ない。
彼との駆け引きを楽しんでいたのは、自分もなのだと。
「なるほど。お互い命がけか。腕が鳴るね」
「全くだ」
据わった目で笑ったモリアーティに、ホームズが満面の笑みで答える。
──さて、命がけの結婚を始めようか。




