第93話 ユキナの記録
「………ん?」
都とユキナ以外には誰もいないこじんまりとした事務室で。
またしても猫吉にのりうつった初代結びの巫女、ユキナは、ぴくりと耳を動かすと唐突に顔をあげた。
「え? どうしたの?」
自分用の缶コーヒーと、ついでにユキナ用の猫缶をバッグから取り出しながら、都は聞いた。
(響太はん、元気かな)
「いや………」
ユキナはそんなことを考えながらも、なんでもないという風に首を横に振る。
「……ていうか」
そして都を見ながら、じと目で言った。
「それ本当にウチが食べると思ってはるの?」
「あなた猫でしょ? てかこれ300円もしたんだから、贅沢言わずに食べなさい」
最近のペットフードって高くて困るのよねー、と呟きながら、ぺりっと猫缶のアルミの蓋を開ける都。
「い、いや………けどな? ウチはのりうつっとるから身体は猫やけど、心は人間どすえ。せやから………」
と、わりと必死で都を止めようとするユキナ。
「あはは、冗談冗談」
「……ほっ」
都は笑いながら猫缶を机の上に置くと、今度はバッグから菓子袋を取り出した。
「本命はこっち。はい、チョコレート」
「……今度は猫の身体が危険信号をあげてるんやけど」
犬猫に玉ねぎやチョコレートは禁物である。
「む。注文の多い人ね」
「いや、そういう問題やなくて……」
………てな感じでなんやかんやあった後。
結局、都が持ってきたから揚げ(冷めてるけど)で、手を打つことになった。
「それでさ〜」
都はちびちびとコーヒーを飲み、片手でチョコレートを1つずつ食べていた。
「これが一応、昨日までに私たちがまとめた、今わかるアンタの軌跡の全てなんだけど………」
ぱさり、とコンクリートの床に資料を置く。
「へー………」
ユキナは長い舌で口の周りをぺろりと舐めまわした後、毛繕いをしながら資料を見た。
「『雪』って書いてあるのは、生きていた頃のユキナの呼び名、ってことでいいのよね?」
「ええ………」
返事を返しながらもぱぱっと目を通すと、小さく嘆息した。
「………よく調べてあるえ。どこからわかったんどすか? これ」
「旅篭屋の若旦那、山成響兵衛。知ってるでしょ?」
「ええ」
「彼と、あと彼の奥さんの山成千鶴ね。その2人の日記からわかったのよ」
歴史上、彼ら2人はユキナが中学生ぐらいになるまで、自分の家に匿っている。
ユキナのその間ことは、旅篭屋に残された彼らの日記を読むことで、大抵の予想はつくのだ。
「あとはアンタら結神社の信者が書いた、えーと………『傾聴記』、だっけ? あれにアンタのその後のことは書いてあったから」
「へー………」
ぺらぺらと前足で器用に資料を見ながら、ユキナは自分の半生が書かれた資料に次々と目を通していく。
8歳の時、生まれ育った村を追い出され、偶然江戸老舗の旅館として有名な『山成手旅篭屋』の若旦那、山成響兵衛に拾われ、外国人とのハーフであることを隠しながらも5年の時を一緒に過ごす。
しかし13の時に寛永の大飢饉が起こり、ついに旅篭屋を追い出された後、その間1年ほど放流。そして14の時に、偶然、当時の社寺復興の対象となっていた京都の叶神社の住職に拾われ………云々。
「間違っているところはないかしら? 特にあなたが住職に拾われる前のこと」
日記が残っているとはいえ、しょせんそれは個人の日記だ。間違っていることが書かれていても、不思議ではない。
「大丈夫どすえ」
旅館で起こった事件や、つらかったこと、楽しかったこと。様々なことを思い出しユキナは懐かしそうに言った。
「せやけど……」
「ん?」
13の時、大飢饉が起こって旅籠屋を追い出された時の自分。
そのことについて書かれたところを見ながら、ユキナは口を尖らせた。
「『不屈の精神で大飢饉を1人で生き残った』って………」
「違うの? だって飢饉を1人で切り抜けるなんて、並大抵のことじゃできないでしょ?」
「苦労したのは確かどす。せやけど、『不屈の精神』なんてものであの飢饉が乗り越えられるなら、餓死者なんて出ませんえ」
「へ? だったらどうやって………」
不思議そうな都の視線をいなしながら、ユキナは笑って答えた。
「あの時の1年を、ウチは一人で乗り切ったわけではないんどすえ」
………すみません。また投稿が遅れました。
明日こそは! 明日こそはどうにか今日中に投稿します!! ……たぶん。