碧玉宮の侍従長 ヴィルトの独り言2
「アダモス家に入ったのは、二十二の時です。当時はまだ大旦那様……、マイラ様からするとひいお祖父様に当たるお方も生きておいででした」
「髪はあったの?」
すさかずマイラ様から質問が飛ぶ。
「ございました。ふさふさとした、それは見事な金髪をしておいででした」
「そうなんだ……」
マイラ様は不満そうに口を尖らせ、そこは残念がるところなのかとヴィルトはちょっと首を傾げた。
「それから数年後に、マイラ様のお祖母様にあたるリティーナ様がお祖父様のところに嫁いで来られました。
大層お美しい方で、セクトゥール様はこの方の面影を良く引いておられます」
因みにリティーナ様は後妻であり、故アダモス卿は最初の妻との間にバルトという跡取りをもうけていた。
セクトゥール様の異母兄で、現在のアダモス家の当主である。
ただヴィルトは、バルト・アダモスの存在をマイラ様に告げる気はなかった。
セクトゥール様が皇帝の寵を失い、更に皇女殿下を産んだ事で後見人であった皇族妃からも見捨てられた時、バルト・アダモスは妹君を労わるどころか、存在自体が迷惑だと妹君を突き放したからだ。
「今後一切、我が家には関わらないでくれ。お前は好きで皇帝陛下の閨に侍ったんだ。飽きられても自業自得だろう。これ以上大切な私の家族を、お前の下らん事情に巻き込みたくない」
途方に暮れて庇護を求めた妹に対し、それは余りに残酷な仕打ちだった。
そもそもセクトゥール様は皇帝の寵を受けたいなどとは夢にも思っておられなかったのだ。
そうなるようにお膳立てをしたのは、セクトゥール様が侍女としてお仕えしていたゾフィー妃殿下だ。
パレシス帝に粛清されずに生き残った皇帝の従兄弟君の一人、ウィリス殿下。その妃であるゾフィー様は見目いい貴族令嬢を侍女として集め、自分の周囲に侍らせていた。
おそらくは女好きであった皇帝の関心を引くのが目的であったのだろう。
ゾフィー妃の野心は暫くの間、満たされる事はなかった。当時パレシス帝にはツィティーという絶対的な寵妃がおり、皇帝はどんな美姫にも見向きもしなかったからだ。
だが、セクトゥールが十五になった年、このツィティー妃が亡くなられた。
それにより、セクトゥールは大きく運命を狂わせていく事になるのである。
哀しみの余り、政務が取れなくなるほどに憔悴したパレシス帝は寝所に女性を呼ぶ元気もなくなり、鬱々と日々を過ごされていた。
が、一年が過ぎた頃に神秘的な緑色の瞳をした美しい貴族女性を見初めたのである。
その女性はパレシス好みの美しい金髪をしており、体つきはほっそりとして、どこか陰りのある儚げな様子が亡きツィティーを思わせた。
その女性がゾフィー妃の侍女であると知ったパレシスは、その侍女を差し出すようゾフィーにもちかけ、ゾフィーはいそいそとこれに応じた。
何も知らぬセクトゥールは、女主人であるゾフィー妃の命じるまま皇帝の寝所に夜酒を運び、そこで花を散らされた。
十六のセクトゥールは怯えて抵抗したが、その反応までが初々しいとパレシス帝は却って喜び、そして皇帝に本気で逆らう事などセクトゥールには思いもつかない事だった。
セクトゥールは皇族妃の侍女も務められるほど格の高い貴族の出であったため、皇帝の手がついてすぐに立妃となった。
アダモス家は皇宮への出入りが許されていたものの、家はすでに斜陽の一途を辿っており、後見には主であったゾフィー妃が名乗り出られた。
側妃の誕生はツィティー妃以来で、ゾフィー妃は華やかな祝賀をセクトゥールのために開き、しばらくは社交の中心に君臨していたが、その後セクトゥールは皇帝の寵を失い、その後に生まれたのは皇位継承権を持たない皇女だった。
この事により、セクトゥール妃は完全にゾフィー妃から見捨てられた。
当時の事を思い出すだけで、ヴィルトは今でも臓腑が焼けるような怒りと口惜しさに襲われる。
そもそもセクトゥール様の人生を歪めたのはゾフィー妃であったのに、「これまで目をかけてやったのにお前には失望した」など、一体どの口でそんな事が言えたのか……。
我知らず、暗い表情をしてしまっていたのだろう。
気付けば、椅子に座っていたマイラ様がとことことヴィルトの方へやって来て、「頭でも痛いの?」と顔を覗き込んでおられた。
ヴィルトは慌てて表情を明るくした。
「いえ、何ともありません」
そう微笑みかけたものの、マイラ様の憂いは晴れず、ヴィルトはとっておきの情報をマイラ様に教えて差し上げる事にした。
「実はリティーナ様の実のお父君は、見事な禿げ頭をされておいででした」
「そうなの!?」
「はい」
ひい祖父君はこんな情報を暴露されたくないかもしれないが、マイラ様が笑顔になるためである。
ここは許して頂こう。
「という事は、おハゲが二人とふさふさ一人……」
マイラ様は指を折りながら、頭の中で情報を整理しておられる。
まだ三つなのに、情報処理能力が半端ないなとヴィルトは心の中で秘かに感心した。
その会話の数日後、マイラ様の父君であるパレシス帝が急死された。
生前には会う事もなかったお父上とご遺体での対面となった訳だが、マイラ様にはピンとこなかったようで、悲しまれている素振りは全くない。
皇帝の代替わりにより、いよいよセクトゥール様たちの影が薄くなってしまうかもしれないとヴィルトは案じたが、事態は思わぬ方向に転がっていった。
とある事情で、アレク皇子殿下の側妃であられたヴィア妃と同じ城塞で暮らすようになり、このヴィア妃がお二人の行く末を真摯に案じて下さったためだ。
その後アレク殿下が新皇帝として即位すると、ヴィア妃はマイラ様を新皇帝や皇弟のセルティス殿下と引き合わせて下さり、政権の中枢にいるお二人が妹君であるマイラ様を気にかけて下さるようになった。
時を置かずに皇太后陛下が亡くなられた事もセクトゥール様に幸いした。
セクトゥール様を敵視していた皇太后がいなくなった事で碧玉宮に人が集まり始め、やがてマイラ皇女を可愛がっておられたヴィア妃がアンシェーゼの皇后になられた事で、セクトゥール様は再び社交の中心に迎え入れられた。
ゾフィー妃は皇帝の代替わりと同時に皇宮の居室を返上し、夫君と共に領地の城に引き籠っていたが、セクトゥール様が宮廷に返り咲いたと聞き、慌てて擦り寄って来た。
恥知らずにも、自分には恩がある筈だとセクトゥール様に文を寄越してきたが、セクトゥール様は妃殿下に会う事を拒否された。
諦めきれなかったゾフィー妃は、もう一度皇宮に部屋を賜りたいと直接アレク帝に願い出たが、アレク帝はそれを許さなかった。
セクトゥール様がアレク帝に直訴したとは思えないので、セクトゥール様から事情を聞いた皇后陛下がおそらく動かれたのだろう。
さて、七つになられたマイラ様は、日々賢しく、日々美しく成長あそばされている。
家族仲も殊の外よく、今は先日生まれたばかりの兄皇帝の皇子殿下に夢中になっておられるようだ。
ある日の事、母君の姿をテラスに見つけたマイラ様が嬉しそうに駆け寄って行かれた。
ちょうど侍女達と恋バナをしていたらしく、頬を薔薇色に染めて高らかに言い放たれる。
「マイラね、大きくなったらヴィルトみたいにおでこから禿げあがった人と結婚するの!」
セクトゥール様に紅茶セットを運んでいたヴィルトは、危うくお盆を取り落とすところだった。
ヴィルトみたいな人と結婚したい。
それは大層光栄な事である。
ヴィルトだってマイラ様の事を目の中に入れても痛くないほど可愛く思っているし、そのマイラ様からそんな風に言われて嬉しくない筈がない。
が、おでこから禿げあがったという形容はいただけなかった。
よりによってそこ? と物申したい気分である。
マイラ様はご存じないだろうが、ヴィルトは昔、大層モテていたのだ。
あちこちの女性から秋波を送られていて、結構ブイブイ言わせていた過去があるのに、マイラ様にとって大事なのはそこではないらしい。
何となく、釈然としないものを感じるヴィルトだった。
お読み下さってありがとうございました。また、感想や活動報告へのコメントをありがとうございます。とても嬉しかったです。このシリーズの別のお話で、またお会いできますように。