第6話「記録されない来店」
その夜、店は“少しだけ違っていた”。
看板は同じ。
光も同じ。
けれど――
入口のガラスに、うっすらと文字が浮かんでいた。
「記録対象外」
気づかない人は、気づかない。
けれど、その夜の客は、それをはっきりと見た。
女は、立ち止まった。
二十代後半。
手にはスマートフォン。
何度も同じ画面を見ている。
通知履歴。
そこにあるはずの“メッセージ”が、消えていた。
確かに届いたはずの言葉。
確かに読んだはずのやり取り。
それが、跡形もなく消えている。
スクリーンショットもない。
ログもない。
まるで――
“最初から存在しなかった”みたいに。
女は、ゆっくりとコンビニに入った。
自動ドアは、いつも通り静かに開く。
だが、足を踏み入れた瞬間、
わずかな違和感が走る。
“軽い”。
体が、ではない。
“存在が”。
店内は、変わらず整っている。
だが、棚の一角に、これまで見たことのない表示があった。
小さなカード。
そこには書かれている。
「記録されない来店」
商品は、ない。
ただ、その言葉だけが置かれている。
女は、それを見つめる。
意味は、分からない。
でも――
分かってしまう。
“ここにいる間、何も残らない”
履歴も。
記憶も。
痕跡も。
外の世界に対して。
指でカードに触れる。
その瞬間、店内の音が一段、遠くなる。
試しに、スマートフォンを取り出す。
カメラを起動。
シャッターを押す。
写らない。
正確には、“何も記録されていない”。
真っ黒な画面。
動画も同じだった。
女は、ゆっくりと息を吐く。
理解する。
これは――
“消える場所”だ。
棚を見渡す。
これまでの話に出てきた商品が、静かに並んでいる。
未来メモ。
選択ログ。
感情転送パッチ。
すべてが、ここにある。
だが、それらにはもう目がいかない。
“記録されない”
その意味だけが、強く残る。
女は、スマートフォンを握りしめる。
消えたメッセージ。
あの言葉。
「もう終わりにしよう」
たしかに、そう書いてあった。
でも今は――
どこにも残っていない。
だったら。
“なかったこと”にできるのか。
その考えが、静かに浮かぶ。
店の奥へ進む。
レジの前に立つ。
誰もいない。
そのとき。
レジ横に、例の“あの商品”があるのが見える。
いつもそこにある。
触れたことはない。
でも――
今日は、少しだけ気になる。
手を伸ばしかけて、止める。
違う。
今日は、それじゃない。
女は、目を閉じる。
“ここでなら、消える”
言葉にしなかった想いも。
伝えられなかった後悔も。
全部。
目を開ける。
そして――
ゆっくりと、口を開いた。
「……分かった」
誰もいない店内で、
たった一言だけを残す。
「終わりでいい」
その声は、空気に溶けていく。
記録されない。
残らない。
でも――
“自分の中”には、確かに残る。
女は、スマートフォンを見る。
何も変わっていない。
ログは、空白のまま。
けれど。
さっきまでとは違う。
“決まった”。
それだけが、はっきりしている。
店を出る。
外の空気が、わずかに重い。
振り返る。
ガラスの向こう。
子どもが立っている。
今日は――
中に入っていた。
棚の前に立ち、
何かをじっと見ている。
その視線の先。
レジ横の、あの商品。
初めて。
子どもが、それに“手を伸ばしていた”。
女は、何も言わずに歩き出す。
ポケットの中。
レシートは、ない。
その代わりに。
何もないはずの手の中に、
確かな感覚だけが残っていた。
“ここにいた”
それだけが、消えずに残る。
夜は、少しだけ静かだった。




