表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未来のコンビニ  作者: 臥亜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第1話 「未来メモ」

 そのコンビニには、名前がない。


 看板もなければ、見覚えのあるロゴもない。

 気づいた人間だけが、そこに足を止める。


 深夜二時過ぎ。

 男は、濡れた靴のまま歩いていた。


 スーツの袖口は少しだけ汚れている。

 ついさっき、取引先のビルの前で転んだときについたものだ。


 正確には、“転ばされた”。


「もういいです。今回の話はなかったことにしましょう」


 そう言われたときの、相手の顔が頭から離れない。


 昨日までは、うまくいっていた。

 いや、うまくいっている“はず”だった。


 だが、ほんの一言だった。


 軽く言った冗談。

 場を和ませるつもりの一言。


 それで、空気が変わった。


 取り返そうとすればするほど、言葉は空回りしていった。


 結果は、最悪だった。


 会社に戻れば、上司に詰められるのは目に見えている。

 この一件で、今月の数字は終わる。


 昇進の話も、たぶん消える。


「……最悪だな」


 独り言が、やけに重く落ちた。


 そのときだった。


 視界の端に、明るい光が差し込んだ。


 見覚えのないコンビニが、そこにあった。


 こんな場所に、こんな店があっただろうか。


 考える前に、男は中に入っていた。


 店内は静かだった。


 無音に近い。

 冷蔵庫の音も、BGMもない。


 レジの奥に、店員がひとり立っている。

 表情がない。ただ、こちらを見ている。


 居心地が悪いはずなのに、なぜか出ていこうとは思わなかった。


 男は棚に目を向ける。


 違和感は、すぐに見つかった。


 見たことのない商品が、当たり前のように並んでいる。


 「三秒だけ先が見えるガム」

 「感情保存ボトル」

 「夢共有カード」


 どれも意味がわからない。

 だが、不思議と“嘘”には見えなかった。


「……なんだよ、ここ」


 小さく呟きながら歩いていく。


 その途中、通路の奥に、誰かが立っているのが見えた。


 子どもだった。


 棚の影に半分隠れるようにして、こちらを見ている。


 視線が合った気がした。


 だが、男がもう一歩近づいた瞬間、姿は見えなくなった。


「……?」


 気のせいかと思い、首を振る。


 それよりも、今は別のことが頭を占めていた。


 ――もし、やり直せたら。


 そんな考えが、ふと浮かぶ。


 ありえない。

 わかっている。


 それでも、浮かんでしまう。


 男は、文房具の棚の前で足を止めた。


 そこに、一冊のメモ帳があった。


 白い表紙。

 何の変哲もない。


 ただ、小さく書かれている。


 「未来メモ」


「……未来、ね」


 思わず、苦笑が漏れる。


 未来なんて、今の延長でしかない。

 そう思ってきた。


 だからこそ、ここまでやってきた。


 それなのに。


 たった一言で、全部が崩れた。


 男は、メモを手に取った。


 軽い。

 ただの紙の束。


 けれど、指先に残る感触が、妙に現実的だった。


 気づけば、会計を済ませていた。


 レシートを受け取り、ポケットに入れる。


 店員は何も言わなかった。


 男も、何も聞かなかった。


 外に出る。


 夜の空気が、少しだけ冷たい。


 男は、メモを開いた。


 ペンを取り出す。


 しばらく、何も書けなかった。


 頭の中には、さっきの失敗が何度もよぎる。


 あの一言。

 あの空気。

 あの沈黙。


 そして、言われた言葉。


 ――なかったことにしましょう。


「……なかったことに、か」


 小さく呟く。


 消せない。

 やり直せない。


 それが現実だ。


 だから――


 男は、書いた。


 「明日、同じ相手と、もう一度話す機会がある」


 “結果”ではなく、“機会”を書いた。


 ほんのわずかな、逃げだった。


 書き終えた瞬間、紙がわずかにざらつく。


 男は息を止める。


 だが、それ以上は何も起きない。


 翌日。


 その“機会”は、本当に訪れた。


 偶然だった。


 相手と、同じエレベーターに乗り合わせたのだ。


 沈黙が流れる。


 逃げ場はない。


 男は、喉の奥で言葉を探す。


「昨日は、すみませんでした」


 まず、それを言った。


 飾らずに。


 取り繕わずに。


 相手は、少しだけ驚いた顔をした。


 そして、わずかに息を吐く。


「……いえ。こちらこそ、少し過剰でした」


 空気が、変わる。


 完全ではない。

 だが、昨日とは違う。


 男は、その小さな変化を逃さなかった。


 その日の帰り道。


 男は、またあのコンビニの前に立っていた。


 吸い寄せられるように。


 ガラス越しに店内を見る。


 同じ光。

 同じ店員。


 そして――


 入口の横に、あの子どもがいた。


 今度は、はっきりとこちらを見ている。


「……あのさ」


 男が声をかけるより先に、子どもが口を開いた。


「ちゃんと書いたね」


「……何が」


「“機会”ってやつ」


 男の背中に、ぞくりとしたものが走る。


「でも、それだけだよ」


 子どもは続ける。


「結果は、書いてない」


 静かな声だった。


 責めるでもなく、教えるでもなく。


 ただ、“事実”を言っている。


 男は、言葉を失った。


 次の瞬間、子どもの姿は消えていた。


 男は、ポケットからレシートを取り出す。


 ゆっくりと開く。


 『購入商品:未来メモ』

 『記述内容:機会の生成』

 『結果:未確定』


 男は、しばらくそれを見つめていた。


 やり直したわけじゃない。


 未来を“変えた”わけでもない。


 ただ、ひとつ選択肢が増えただけだ。


 それでも――


 昨日とは、違う場所に立っている。


 男は顔を上げる。


 コンビニの光は、相変わらず均一で、どこか現実から浮いている。


 その中に、答えはない。


 ただ、“書く余白”だけがある。


 男は、ゆっくりと息を吐いた。


 そして、ポケットの中のメモに、もう一度触れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ