終幕
長年、一人の女性を想い続けていた王子は、妻となった愛する女性への強い想いを色褪せさせることなく、存分に愛を注ぎ続けた。
愛を注がれ続けた妻はより一層輝きを放ち、自身もまた、夫への愛を注ぎ続けた。
二人の間には、二人の息子と一人の娘が生まれ、いつも穏やかで、時折騒々しいほどの笑い声が響く、貴族家としては非常に珍しい家庭が築かれた。
二人は晩年になるまで外交に力を注ぎ、時には家族全員で色々な国を訪れた。
それぞれの国でいろんな人に出会い、いろんな話をした。時には困難に見舞われたが、それすらも二人で楽しそうに乗り切った。
あの幼い頃、大好きだった絵本の物語のように。
憧れた少女と少年のように、いつまでも二人で、時には他の人も交えて。
いつまでもあちこちを巡った。
妻の幼い頃の夢を叶えた夫はいつも満足そうに、楽しげな妻を見つめた。
重苦しい鎖から解き放たれ、豊かな愛に包まれて自由になった令嬢は、どこまでも続く空の下、広い大地を、そして時には海を越えた先で、夫とともに楽しんでダンスを踊り続けた。
いつも穏やかで楽しげなその夫婦の周りにはいつも人が集まっていて、笑顔が溢れていた。
そうして穏やかな日々を送るうちに、祖父母を見送り、子が結婚し、父母が旅立ち、孫が生まれ、兄弟までもが旅立ち、孫が結婚して…。
自分のために仕返しに付き合ってくれた侍女たちもそれぞれの人生を送りつつ、体力の続く限り、共に過ごしてくれた。先に逝ってしまった者がいれば、今でも健在の者もいる。長生きして欲しいと、そう願う。
そうしてある日、自分の旅立ちが近づいていることに気が付いた。
晩年を過ごした邸の庭に置いたお気に入りの籐のゆり椅子に腰掛け、温かい日差しに微睡む。
眠い目をなんとか開いて、あの日からずっと共に生きた最愛の人の姿を探す。
――ああ…あの人は先に逝ってしまったのだったわ…まったくずるい人。私を置いて逝ってしまうのだもの。
最愛の夫は半年前に旅立ってしまった。最後まで大きな愛で包み込んでくれたあの人。
私の夢を叶えてくれた大事な人。
ふと光が強くなったように感じたと同時に、あの人の大きな手に撫でられた気がした。気配のする方向に首を傾ければ、老いたあの人が、深いシワを目尻に刻んだ懐かしい笑顔で立っていた。
――ああ。お迎えに来てくださったのね。待ってたのよ。遅いわ。
――ごめんね。
本当はね?もっと生きて欲しくて、まだ来ないつもりだったんだ。でも君に触れられなくて寂しかったから、早く来ちゃった。
いつもの様に軽い口調で言うあの人の声が聞こえて、手を取られた。
――馬鹿ね。私はずっと貴方のそばに居たいのだからさっさと来てくれたら良かったのよ。
しっかりと手を握り合って、最期の時を過ごした邸を二人で振り返る。
息子に跡を任せてから住み始めた、領地の片隅に建つこの別邸ではとても穏やかな時間が流れた。たまに訪れる子ども達と孫達は、この穏やかな邸にひと時の騒々しい時間を齎してくれた。
転んだり、泣いたり、笑ったり、喧嘩したり。
本当に煩いと思うこともあったけれど、どれも大切な思い出だ。
ふたりでにっこりと顔を合わせて笑い、大きな彼に抱きつけば、共に空に溶けていく気がした。
その時、邸に聞き覚えのある元気な声が響いた。
「おばぁーーさまーーーーー!!
…あらら?寝てますの??ねぇー、起きてくださいぃ!聞いて欲しいことがあるのーーーー!!」
まるで眠っているかのように、穏やかな顔で瞳を閉じているクリスティーナの顔を見た孫が叫ぶ声がした。きっと話を聞いて欲しすぎて、起こそうと揺さぶっているのだろうと想像がついて笑いが込み上げる。
もう少し淑女らしくなって欲しいものだけど、と同時に呆れもする。
どこか祖母ミシェルに似たこの孫は、祖母のように周囲に笑顔を与え、そして彼女以上に周囲を振り回すのが得意だ。きっとこれからも、それは変わらないのだろう。
そんな光景を思い浮かべて思わず二人して吹き出してしまった。
「あれ?おばあさま??ねえ…!」
――さようなら。楽しかったわ。元気でね。
『ねえねえ、テオ兄ちゃま!ティナ、この女の子みたいに旅をいっぱいしていろんな人に会ってみたいわ!』
『ティナがいなくなると寂しいから、僕も一緒に連れてってくれるかい?』
『もちろんよ!いっしょならきっと楽しいわ。』
『良かった。僕はティナが大好きだからずっと一緒にいられるのは嬉しいな。』
『わたしもテオ兄ちゃま大好きっ!約束よっ!
あのね…テオ兄ちゃまと結婚もできるかしら…?』
『もちろん!ずっと一緒に居ようね。』
『ええ!結婚するなら、テオ兄ちゃまと私はずっと…ーー』
――遠い日の約束は果たされた。その子供たちもさらにその子供たちも、自分たちの道を歩み続けていく。
『ずっと一緒にダンスできるわね!わたし、ダンスも大好きなのっ!』
――このふたりのように、大切な人たちと面白おかしく生きていくのだ。
こちらでおしまいです。
お付き合い頂き、ありがとうございました。
(気が向いたら誰かのあの頃を書いてみたい気もしますが…。)




