じゅうさん さいのうある人たち
火曜日の二時間目。教科は英語。英語担当の天野川先生の流暢な英語を聞き流しながら、私はぼんやりとしていた。
最近まったく授業に集中できない。というのも、多分クラスの雰囲気のせいであって。
「それじゃあ、この文を和訳してくれる人ー」
先生が問いかけても、誰も返事をしない。そう、高田くんが転校してきてからというものの、このクラスは怖いほど静かになったのである。
一見うるさいよりいいじゃんという言葉が聞こえてきそうな感じだけど、まったくそうではない。むしろ、うるさい方がいいってくらいだ。
なんでこうなったのかと言われても答えられない。でも、一つだけ言えるとしたら、原因は高田くんだと思う。というか、それ以外有り得ない。
「じゃあ、木坂くん」
あ、木坂くんだ。
木坂くんは、昨日の一件以来無言になった。もともと口数が多い方ではなかったけれど、ほんとに何も言わなくなったから、みんなも遠慮しているのか少し距離を置いているように見える。
けれど、それを木坂くんは嫌がっている風ではなかった。むしろ、せいせいしているようにも思える。でも、私はこれでいいとは思えなかった。だってクラスの雰囲気悪いし。
「彼はまだここには来ていません」
「はい、正解」
天野川先生は機嫌よくそう言った。木坂くんは静かに息を吐く。
木坂くんって頭良いんだっけ。私なんて中の中だもんね。平平凡凡だよ。何か才能のある人が羨ましい。
って、私この間カラオケで100点取ったんだったっけ……。で、でもあれはたしか機械の故障だったはず。だから、才能とかじゃなくってただのまぐれであって、決して私が歌上手いってわけでは……!
うん、言い訳っぽいからやめよう。
「それじゃあ佐野さん」
「は、はいっ!」
突然名前を呼ばれ、驚きながら返事をする。声が裏返った。恥ずかしい。
天野川先生は唐突に問題を答えさせてくるから、びっくりすることが多い。私もその餌食となった一人である。
「彼とは誰のこと?」
今は教科書の英文の和訳をしている。正直どうでもいい。
英和ができる人任せたらいいのに、なんで一般高校生がわざわざ和訳なんかしなくちゃいけないんだろう。
「え、えーと……マト?」
「あぁ、それ、マットね」
「ああー……」
Matって、マトじゃなくてマットって読むのか。外国人の名前って読み方分からないなあ。マリーかと思ったらメアリーだし。
てか、やばい、体操で使うマットしか思い浮かばない。マットさんとか、ネタにされること間違いなしだね。
「じゃあ、桧原くん」
カナくんは返事をしない。ちらっと彼の方を見ると、見事に爆睡していた。
か、カナくん! 天野川先生と言えば、寝てる人を見つけたら容赦のない攻撃をしてくるって有名な先生だよ! なんか、私はよく知らなかったんだけど、三年生らしき先輩たちが噂してた!
「ちょっと、カナ!」
小声で後ろからカナくんの背中をつついているのは廣山さん。カラオケの時は大変だったけど、月曜日も普通に学校に来てたんだよね。元気そうでよかった。
……じゃなくて。
「カナ、起きてってば。当てられてるよ!」
「んん~……」
カナくんは顔をさっきと反対に向け、そのまま動かない。寝てる。完全に寝てる。
「桧原奏音」
ちなみに、口調で分かったかもしれないけど、天野川先生は女性。40代らしい。女子にも強い。
もちろん男子にも普通に接していくので、つまり私が言いたいのは、カナくんの身が危険ってこと! カナくん起きようよー!
「よいしょ」
もう一つ付け足そう。天野川先生は怪力である。
カナくんが座っている椅子、机、カナくんまるごと移動させていく。そして、教卓のすぐそばまで運んだ。この時点で既に笑いをこらえている人が数人いる。
「じゃあ、後ろの廣山さん。こことはどこのことでしょう? 本文から抜き出してみてください」
カナくんの代わりに当てられた廣山さんは、余裕で「The park」とすらすら答えた。ひろやまさん、帰国子女っすか? ってくらい、発音が良い。才能ですね。
先生は満足そうにうなずいて、カナくんに視線を移した。起きない。
カナくん、むしろすごいよ。机と椅子ごと移動させられても気付かないで寝ていられるなんて。これも一種の才能なのかな……? いや、ただ爆睡してるだけだ。うん。
「桧原奏音」
天野川先生はもう一度カナくんの名前を呼ぶ。フルネームってとこがさらに怖い。
笑いをこらえて体を震わせている人がさっきよりも増えていた。ホラーだ。怖い。
「桧原ァ!」
「うぉぉ」
先生が叫んだ。だけど、驚いて声を上げているのはカナくんではなくクラスの人たちだった。本人はぴくりともしていない。
……死んでいるんじゃないかと思った。
天野川先生が諦めたころ、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。多分、カナくんの昼休みは天野川先生によるお説教で全部潰れてしまうと思う。
起きてびっくりしているカナくんを見られなかったのが残念だったのか、先生の周りの空気はどんよりと重く暗かった。
「おーい、カナー」
「こいつ、全然起きないな」
寝たままのカナくんは数人のクラスメイトに囲まれていた。もちろん男子です。
ゆさゆさ体を揺さぶられているけど、起きない。昨日ゲームでもして徹夜してたのかな?
しばらくすると、カナくんが目を覚ました。何故か周りの男子爆笑。
「やっと起きた!」
カナくんはポカンとしている。
「え? え、なんで俺こんなとこいるわけ?」
目元を擦りきょろきょろと辺りを見まわしてきょとんとしている。何度も瞬きしてから、首を傾げた。うわああぁ、かわいい……。破壊力、ハンパじゃないです。
「お前、英語で寝てただろ? そんで起きねーから天野っちにそれされたんだよ」
木坂くんと同じく校外学習で同じ班になった小崎くんが笑いながら言う。天野っち……。
「え、起こされてた?」
「めっちゃでかい声で名前呼ばれてたっつーの」
尾川くんが呆れながら言った。たしかに、気持ちは分かる。呆れてもおかしくないと思う。
カナくんは「マジで!? 全然分からなかった!」と叫んだ。「机動かされても起きなかったしな」と苦笑いしながら小崎くんがつぶやく。
何回でも言える、気持ちは分かると。
「カナ、昼休みはお説教だねー」
何の躊躇もなく男子の群れに入って話に加わるのは廣山さん。すごいなあ、廣山さん……。
私、男子と話したりすること日常生活でほとんどないし、そもそも男子という生き物が基本的に苦手だから、会話とかほぼしないんだよね。そう考えると、カナくんたちはレアなのかもしれない。一緒にカラオケも言ったし、普通にしゃべれるし。
私は、にやにやしてしまった。
「ゆっきー、何笑ってるの?」
「わ、瑞樹ちゃん」
にやにやしていたのが見られていたらしい。私は少し恥ずかしくなって頬を赤くした。み、見られていたとは思わなかった……。
「ああ、桧原かあ~」
瑞樹ちゃんは意味ありげに口角を上げて笑った。う、ばれてますか……。
そういえばあたしってくぁかりやすいんだったっけ? でも、私が思ってることを当てられちゃう瑞樹ちゃんも十分すごいと思う。
「瑞樹ちゃん、そんな大声でカナくんの名前言わないでよ~」
「あはは。てか、もうあたしの前では普通に“カナくん”って言ってるんだね」
瑞樹ちゃんは子供を見守る母親のように穏やかに微笑んだ。うぅ、そういえばそうかも……。
たしかに彼女の前では普通に〝カナくん”と言ってしまっているような気がする。まあでも、瑞樹ちゃんだし良いよね。
「それにしても、ゆっきーと桧原、かなり進展してるよね。このままいったら、付き合うのも夢じゃないんじゃない?」
「ちょっと、からかわないでよー!」
瑞樹ちゃんはいたずらっ子みたいににやにやと笑った。からかわれるというのにはちょっと抵抗がある。と言っても、私はからかうのはあまり得意じゃないから、やっぱりからかわれることが多い。そう言う性格なのかもしれないけど。ちなみに、Mじゃない。
散々瑞樹ちゃんにからかわれたあと、三時間目の授業の始まりを知らせるチャイムが鳴った。私は慌てながら次の授業の用意をする。次は確か、数学だっけ? 今、数学って何してたっけな……。
そんなことを考えながら、教科書とルーズリーフを用意した。
「じゃあ、授業始めます」
数学の担当の先生は藤井先生。男性で、やせ気味。頼りなさそうに見えるけど、意外としっかりしているというのが生徒の評価らしい。
私は藤井先生を眺めながらぼんやりしていた。
昼休み。やぱりカナくんは天野川先生に呼び出しをくらっていた。多分、昼休み中はずっとお説教が続くだろう。
彼は天野川先生に引きずられながらどこかへ連れて行かれてしまった。
「あっはっは! 今のカナの顔見た? あれ、傑作だよ!」
廣山さんはカナくんのどんな顔を見たのだろう。おなかを抱えて大笑いしていた。ひ、廣山さんほんと元気だね……。
私は男子に囲まれている彼女を見ながら少しだけ何か遠いものを感じた。廣山さんと私って、ほんと何もかも違うよね。
「さーのっ」
「うわっ」
また出た。
「高田くん、私に付きまとわないでよ。ストーカーだって言って警察に突き出すよ」
私は目の前に現れた笑顔の男子生徒を睨みながらそう言った。彼はにっこりと笑って言う。
「話しかけてるだけじゃん」
「せめて休み時間に毎回話しかけてくるのはやめてくれないかな」
そう、この男高田志侑は、あろうことか休み時間になるとよっぽどのこと(瑞樹ちゃんバリアなど)がなければ私に話しかけてくるのである。それも、内容はかなり薄い。薄い薄い。
さっきの授業の内容がよく分からなかっただとか、今朝学校に行くときに野良猫を見かけただとか、本当にくだらない事ばっかり。なんでそれをいちいち私に話すのか、理解できない。うっとうしいなあ……。
「だって、俺佐野と話したいし」
「う」
上目づかいはやめてほしい。お腹真っ黒のくせに澄んだ瞳とかずるすぎる。
私、男の子のも女の子のもだけど、上目づかいに弱いんだよ! カナくんはもちろんだけど、おなか真っ黒の高田くんに今でちょっとドキッとしちゃうんだよ!
「なー佐野」
「やめてこっち見ないで!」
必死で叫びながら手で目を隠す。これ以上見てたまるものかー!
「それって、俺に恋しちゃうかもしれないから?」
多分、意地悪そうににやにやしながら言っていると思う。私はぶんぶん首を横に振った。ツインテールが揺れる。
「ない! それは絶対ない! 論外!」
すると、両腕をつかまれた。え、え、なになに? 怖いんだけど。
「なら、俺の事見れるよな?」
目を隠していた手を引っ張られて、私はバッチリ高田くんの姿をとらえてしまう。バカ、ドキドキするな私。そして離せ腹黒男~!
「ちょ、高田くん?」
腕強く掴みすぎじゃない? 痛いんですけど。
「俺、あいつの気持ちわかったかも」
「へ?」
私は首を傾げた。なんのことだろう。それと、あいつって誰?
高田くんは私の腕をつかむのをやっとやめてくれた。でも、彼はじっと私の事を見たまま動かない。なな、なんですか。
「大変だな、あいつも」
高田くんは笑いながらそう言うと、自分の席に戻ってしまった。
私、佐野優樹菜。男の子って、よく分かりません。




