じゅういち いちなん去ってまたいちなん
今週から本編に戻ります。
「ん……」
目を開くと、白いシーツが目に入った。慌てて顔を上げると、布団にくるまっている廣山さんがいた。
ここは病院。大急ぎでカラオケ店ボワール・サクスから出てくると、そのまま病院に直行した。尾川くんが寝てしまったので、カナくんはボワール・サクスに残っている。
そして私は、廣山さんのお見舞いにきたはずがベッドのはしに腕を組んで頭を乗せ、そのまま寝てしまったらしい。すっかり空は夕焼けに染まっていた。
「佐野さん」
「は、はい!?」
私は廣山さんが寝ていると思い込んでいたので、突然声をかけられとても驚いてしまった。
「ひ、廣山さん、起きてるんだったら起きてるってわかるような感じでいてよ」
私は文句を口にした。だって心臓に悪い。しかし、廣山さんは私の言葉をまるっきり無視して勝手に話し始めた。
「佐野さん、あたしのこと嫌いになったでしょ」
彼女らしくない、自信なさげな言い方だった。熱のせいか、声も小さい。
心配になったけど、その前に廣山さんが口にした質問の内容を思い出してカチンときた。彼女は私をバカにして楽しいのだろうか。
「廣山さんは、ずるいね」
すると廣山さんは驚いたように目を見開き、そして笑った。
「佐野さんって、案外面白いこと言うのね。もっと頭硬いヤツかと思ってた」
こっちを向きながら、彼女は言った。
別に私は廣山さんを面白がらせたかったわけじゃない。それと、私の頭は硬くない。
廣山さんは、これまで一度も見たことのないような穏やかな笑みを見せていた。いつもこうだったらいいのに。
「私、廣山さんのこと嫌いだって思ったことないよ」
目線を合わせてはっきり言う。彼女はくすりともせず真面目な顔をして言い返してきた。
「嘘つかなくていいのよ」
さらにカチンときた。この人はさっきからなにを言っているのだろう。私のことなんてたいして知りもしないくせに、知ったかぶりしてすべてを悟ってますみたいな顔して。
いやだ。私はこういう廣山さんは好きじゃない。いつもの彼女じゃない。今の廣山さんより、私は勝気で自信満々で自己チューな廣山さんの方が好きだ。
「嘘じゃないもん。私、今の廣山さんは好きじゃない」
「ほら、やっぱりあたしのこと嫌いなんじゃない」
廣山さんは口角を上げた。でも、顔色が良くない。私はここにいてはいけないのだと、直感で思った。
「私、帰るね。お大事に」
さっさと帰ってしまおうと考える私を、廣山さんは引き止めた。手のかかる子だなと思いながら立ち止まる。
「なに?」
振り向かないままそう聞くと、廣山さんの小さな声が聞こえた。その言葉に、私は思わず笑ってしまう。
「今さら、もう遅いよ」
私は病室のドアを開けて部屋を出た。
「カナは渡さないから、か」
本当に、今さらな台詞だった。
まだ五時を過ぎたあたりだった。けど、一度ボワール・サクスに寄ってカナくんたちを呼んでこないといけない。そしてなにより、一人で帰るのよりみんなで帰る方がいいと思った。
私は自転車で来ればよかったと思いながら走ってボワール・サクスに向かった。
ボワール・サクスに着くと、急いで九号室のドアを開けた。中にはカナくんたち……ではなく、まったく知らない女性が三人いた。あれ……?
「す、すみません間違えました!」
私は顔を真っ赤にして部屋のドアを閉めた。どうやら、八号室のドアを間違えて開けてしまったらしい。部屋の中から笑い声が聞こえてきて、余計に虚しくなった。
改めて九号室のドアを開ける。その中には、ちゃんと見知った顔があった。
「カナくん!」
「うわっ、ゆ、佐野さんやめっ……」
「え、お前らって……」
こういう惨状を、カオスって言うのかな。いろんな人がいろいろしゃべって、誰がなに話してるかわからなくなってくる。とりあえず、カナくんの言いたいことは大体わかった。
私が尾川くんの前で「カナくん」って呼んだから焦ってるんだと思う。そして尾川くんは、ちらちら私とカナくんを見てにやにやしていた。なんとなくだけど、すると思ってたよ尾川くん。
「佐野さん、廣山どうだった?」
「廣山さんなら少し顔色が悪かったけど大丈夫そうだったよ、桧原くん」
私たちは目だけで会話を成立させ、まるで示し合わせていたかのような会話をした。かなりわざとらしく。
さっきの私の失敗はもうなかったことになっている。これから、尾川くんに私たちは最初から苗字で呼び合うくらいの浅めな関係でしたよっていうことを認識させなければならない。
私とカナくんの必死の演技により、尾川くんは苦笑いしながら「聞かなかったことにしておくよ」と言った。私たちの策略など、彼にはお見通しだったらしい。
私たち二人は顔を少し赤くしてにやにやと笑った。もちろん、尾川くんからは「キモい」という評価をいただいた。別に評価なんてまったく望んでないんだけどね。
にやにやする私たちをよそに、尾川くんは実に楽しそうだった。さっきの苦笑いはどこへやら、本当にすごく楽しそうにしている。
「隆夜楽しそうだな」
「私も思ったよ、それ」
こそこそと二人で会話していると、尾川くんがすっと目を細めた。あれ、尾川くんってこんなキャラだったっけ。
「お前ら、俺を甘く見るなよ?」
まるでアニメに出てくるS系男子のような台詞をかました尾川くんのオーラは、人一倍ドス黒かった。
とにかく、私たちは謝り続けた。あまりにも私たちがプライドをすべて捨てて謝りまくるものだから、尾川くんは終始ひいていた。でも、そんなのを気にするほど私たちはヤワではない。
超笑顔でひたすら謝り続けた。尾川くんが「もういい」と嘆いても謝り続けた。
「ごめんね! 遠慮なんてしなくていいんだよ! さあ今すぐに私を踏んづけて!」
「佐野さんMに目覚めてんじゃねえか!」
冗談で言ったつもりが、尾川くんはめちゃくちゃ信じていた。私が冗談を言わなさそうなタイプだったからっていうこともあったのかもしれないけど、200%尾川くんが原因だと思う。彼は信じやすいタイプなのかもしれない。
尾川くんは意外にもいじりがいがあったので、二人で散々いじってみた。楽しかった。
自分の新たな一面を見つけてしまった気がした。
「隆夜ごめんな! 俺も踏んづけていいよ!」
「じゃあお望み通り踏んづけてやるよ」
「え」
カナくんは本気で踏んづけられていた。
前言撤回。尾川くんは女子に優しい紳士であるとともに、男子には本気でやる正義のヒーロー……いや、ただのサディストだった。
「痛えよ隆夜!」
「いやー、まさかカナくんがMに目覚めちゃうとは思わなかったなー」
「棒読みで言うな!」
とにかくこの二人を見ていると、飽きるということがない。どんな時でも、私はこの二人の会話を聞いていると笑ってしまう。それぐらい、彼らは意気投合しているのだと思う。
いいなあ、そんな友達がいて。私も、こういう友達がほしい。できたらいいなあ……。
「ちょっ、佐野さん助けてくれてもよくない!? これ、まったく微笑ましい光景じゃないから! 俺、暴力受けてんだよ!!」
カナくんが叫ぶ。でも、これを見てる方が楽しいので助けない。
カナくんにはひどいと言われたけど、私はにこにこしたまま動かない。「佐野さんのバカ」とか「ひどい」とか「裏切り者」だとかいろいろ言われたけれど、この二人の会話を聞けるなら、私はなにを言われたって平気だ。
「ほら、佐野さんはカナなんてどうでもいいんだってよ」
「そ、そういうんじゃないよ!」
尾川くんの言葉を私は慌てて否定した。どうでもいいなんて、そんなわけない。そんなんじゃない。ただ、止めるにはもったいなさすぎるだけなのです。
「だったら止めてよ」と泣きそうになりながら言うカナくんに同情しながらも、私はやんわりと首を振って断った。
あ、あれ? 今、最低っていう言葉が聞こえてきた気がしたんだけど、気のせい? 空耳? 怖いんだけど。
尾川くんはにやにや。カナくんはご立腹。ご、ごめんなさい。私、そういうつもりじゃないんだけどさ。
「佐野さんひどい」
「ごめんなさい」
謝る。私は謝る! でも助けない。いじられてるカナくんかわいいもん。悪気はないよ。
あ、いや、悪気があった方がマシなんだっけ? でも、まあ結論を言うとカナくんはかわいい。うん。
「佐野さんってこんなキャラだったっけ?」
尾川くんは私を見ながらぼそぼそつぶやいた。キャラとかって、よくわからない。私のキャラってなんなんだろう? 私は尾川くんやカナくんからどう思われてるのかな?
「つーか、もう帰らねー? 俺飽きた」
そう言ったのは尾川くんだった。たしかに、そろそろ帰らないと暗くなってしまう。
ほとんど歌えなくて残念だったけど、そのおかげか店長さんの同情を買い、カラオケ代を半額にしてもらった。廣山さんにいたってはゼロである。ここの店長さん、サービスいいなあ。優しい人だ。
尾川くんはきちんと払おうとしていたけど、店長さんに「高校生なんだから」と謎の理屈で諭され、半分の額を払っていた。
私、お小遣い制度ないから助かった。あんまりお金持たせてもらえないんだよね。今日のカラオケ代は出してもらえたけど。
「さー帰るか! 廣山、大丈夫かな?」
カナくんはそう言いながら歩き始めた。後ろから私もついていく。
そのとき、自転車で横を通って行く男の子が目に入った。心臓が凍りついたような気がする。思わず立ち止まった。息が、できない。
「佐野さん?」
振り向いたカナくんの声は、耳をすり抜けていった。耳の奥で、心臓が鳴っている。どうしよう。なんで。
「なん、で……?」
「佐野さん?」
目を見開いてつぶやく私を見て、カナくんが顔をしかめた。尾川くんも振り向く。でも、大丈夫だよ、とか言えるはずがなかった。全然大丈夫じゃない。
走馬灯のように頭を駆け巡って行くのは、あの日の出来事。
『優樹菜、ちょっとモテるからって調子乗ってるよね〜』
『マジうざーい』
あの日から、私はいじめられるようになった。なにもしてなかったのに。あの人が、私に告白なんかするから。
「佐野さん、大丈夫?」
尾川くんも私の顔を覗き込んで声をかけてくる。私はごく小さな声で「大丈夫」とささやいた。
「いや、大丈夫じゃないだろ」
カナくんはそう言って私の腕を掴み、歩道の端に寄った。
すると、こつんとおでこどうしがあたった。……え?
「熱、はなさそうだけど……」
「はっ、ちょ、カナお前!」
なぜか尾川くんが一番テンパっていた。落ち着いてほしい。私の方が恥ずかしいんだけど。
「カナ、く」
もう、桧原くんって呼ばなくちゃいけないってことも忘れてつぶやいた。
「なんかあったの?」
カナくんの優しげな声に、私はうつむきながらぽつぽつと話し始めた。
「さっきすれちがった男の子が、中学の時の同級生で。私、あの人に告白されて、それでいじめられたことがあったんだ。だから、そのこと思い出しちゃって」
あの人の名前は高田志侑。中学の時かなりモテていた。そんな彼が、なぜか私に告白してきたんだ。結局あれはいわゆるウソコクというやつだったんだけど、そうとは知らない女子たちが私をいじめてきた。もちろん、私もウソコクだとは知らなかったから、告白された時はびっくりして思わず「考えさせて」と口走ってしまったんだけど。
でも、あれでオッケーとかしなくてよかった。だって、恥ずかしいもん。自惚てるみたいじゃん。
そのことを話すと、カナくんたちは「ひどいな」と言った。同情されたくて言ったわけじゃなかったけれど、そういう風に言ってもらえて少しだけ嬉しかった。
「ま、とりあえず帰ろーぜ」
尾川くんがそう言ったので、私たちは歩き始めた。
私、佐野優樹菜。少しだけ不安になった春の日でした。
そういえば関係ないですが、今日は私の友だちの誕生日です。




