ミヤとシノとスズと桔梗屋
一つも灯りのついた窓がない集合住宅が左右に並ぶ路上で自転車を停めさせた。
数米先で大通りに出る、走り抜けてきた居住区と違い自動車が絶えず行き交う。
人通りも少なからずある。
藤はパーカーのフードを被った。
薄墨色の髪をすっかり隠してしまう。
大通りのある界隈では派手な髪色をした者は珍しくはないが、それでもやはりこの色は目立つ。
色というよりその色が意味するところが注目を浴びる原因だ、煩わしい視線に晒されたくはない。
楓が何故か寂しそうな顔をしていることに気付く。
(毎回毎回そんな顔をするなよ)
拳で楓の肩を押し藤は歩きだした。
からからと車輪が回る音が後ろから聞こえる。
藤は立ち止まり振り向き追いついた楓と歩調を合わせて再び歩いた。
大通りを二人は進む。
十雪市を縦断する主要道路の一つではあるが、数年前に整備された別の道路によって車の流れが変わり交通量はやや減ってはいるものの、見送る赤いテールランプは途切れることがない。
通りに面する住宅はどの家屋も古びているがその殆どに灯りが点る。
反対側は居住区ではなく比較的新しい工業区でこの辺りは倉庫が多い。
やがて幾人か軒先で待つ店舗の前に来た。
紺に桔梗屋と白抜きされている暖簾がめくられ一人が白い電灯の光が満ちる店内へ入っていく。
客の多くは工業区で働く労働者たちだが、近くにライブハウスがありそこからも流れてくる。
店舗裏の駐車場に自転車を停めて戻ると藤が誰かに話しかけられている。
険しい表情で駆け寄った楓だったが、二人の親しげな様子に気がつき安堵したのも一瞬で相手が分かると驚きの声をあげた。
「ミヤさん」
藤とミヤが驚いたように楓を見る。
「楓、ミヤと知り合いか」
藤の言葉に頷き「お久しぶりです」と言ってミヤ
前に立った。
「あれ、お前遠野か」
「はい、こんな所で会うなんて思いませんでしたよ」
「おお、元気そうだな、良かった」
「良かった?」
何かひっかかりを感じる、どういう事だろうか。
意味を計りかねていると肩を掴まれた。
「いやな、この前たまたま遠野の話が出て笹倉が行方不明になっていると言うものだから」
「その噂、僕も聞いた」
横からひょっこり現れた眼鏡をかけた青年が話に加わった。
「シノさん」
楓はまたしても驚きの声をあげた。
シノが軽く手を上げて応える。
楓、ミヤ、シノが話を続け藤はおいてけぼりを食らった。
悪い気分ではなく聞こえてくる話は自分の知らない楓の様子を伝え興味深い。
察するに楓とミヤ、あと藤はその名前だけは知っていたシノという青年は同じ高校の先輩と後輩という立場らしい。
楓たちの輪に突然少年が「いい加減、紹介してもらえませんか」と飛び込んできた。
ミヤ達は三人組だったようだ。
いつの間にか前の客はおらず店員に足されて五人は店内へ入った。
塗装が薄くなった合板の卓と破れ目からウレタンが覗く丸いすの席につく。
何人もの客が一斉に出ていき店の混み具合は一段落ついていた。
六人掛けの卓を五人で囲む。
くすんだ壁に品書きが一列につらつらと張り巡らされている。
外では暗い色に見えたミヤの短い髪は店内の蛍光灯の下では見慣れた明るい鳶色のままだった。
藤とミヤの繋がりが不思議でならない。
藤は積極的に友人を作ったりはしないからだ。
ひとまず注文を終えると全員を知るただ一人のミヤが「俺が仕切ろう」と言った。
「これがシノ。俺と同級生」
藤に向かって眼鏡をかけた青年を紹介する。
「こっちがスズ」
スズは楓と藤に「うっす」と軽く頭を下げた。
「スズは俺の三個下で、藤と同じであの店で知り合った」
「僕と藤君は会ったことあるよ」
シノが水の入ったコップを引き寄せながらそう言った。
「いつ」
眉間に皺寄せ記憶を探りながら問うとシノが真っ直ぐに藤を見てくる。
「一年くらい前かな。グググの新譜が出た時で、あの店に買いに行ったら、君とミヤが話をしていた。
君はすぐに帰ってしまったから、正確には会ったというより、すれ違った、かな」
そういえばミヤが誰かに「シノ」と呼び掛けたことがあった。
以前からその名前を口にしているのを聞いていたので、あれがシノか、とその時は何も思わず通り過ぎたのだった。
「よく覚えていたな」
関心するミヤに特に何も言わずシノは水を飲んでいる。
あの店とは何か、と尋ねる楓に他の四人はすぐには即答せず顔を見合わせた。
「簡単に言えば音楽系の店だ」
藤が答えるとあとの三人が口々にあの店について説明を始める。
「ライブの企画をしたり、雑誌も出している」シノが腕を組み天井を仰ぐ。
「ナポリタンとハンバーグが旨いです」スズが断言する。
「いや、いちおしはおでんだろう」ミヤが譲れないとばかりに身を乗り出す。
「僕の姉がミキサーを買ってた」シノがふと思い出した。
「ミキサー?」
「ジュースを作る方のね」
「まあ、とにかく色々やっている」ミヤが腕を組む。
「一つ大きな謎があってな」
「何ですか」
「新譜が発売日に店頭に置いてあるんだ」
「他の都市のね」
シノがミヤの言葉に付け加える。
「それのどこが謎ですか」
楓とスズだけが何が謎なのか分からない。
シノは周りを窺うように視線を走らせると声を潜めて分かりやすく説明してくれた。
他の都市で発売された新譜や書籍は通常の店舗ならば早くて二日遅れで店頭に並ぶ。
これは十雪市が他都市と交わした締結に因るものらしい。
検閲が入っているのではとの市民からの質問に市は否定をしている。
「ところがあの店は発売日当日の午後には置いてある」
「何で?」
二人が同時に発した疑問に「分からない」とシノは返した。
「俺、新譜すぐに買わないから知りませんでした」
「でももう前の話だ。今は他の店舗と変わらなくなってしまった」
「いつからだった?」
ミヤが頸を傾げた。
「ヨンカの新譜を買いに行ったら並んでいなかったから二月。一月に出た分は並んでたみたいだから」
二月という響きに藤と楓は瞬間身を強張らせた。
脳内で再生される記憶は止めようがなく重く透明な塊がみるみる喉と肺に流れ込み圧迫した。
(ここは都市の中だ)
記憶から意識を引き剥がす。
卓上の下で爪が食い込むほどに強く手を握り締めた。
楓を見るとぼんやりしている。
軽く足を蹴る。
前の三人は話に夢中になっていて二人の様子に気付いてはいないようだ。
安堵してもう一度隣を見ると楓も自分を取り戻していた。
食事が運ばれてきた。
食べながら話を続けていると藤とスズの音楽の趣味が合う事が分かった。
今度アルバムを貸す約束をする。
「嬉しいです。あれ高くて手が出せなかったんですよ」
目を輝かせてスズは言う。
「さすが独立帰還者の人は金持ちですね」
その途端にこやかだったミヤの顔が固まった。
「いいな、俺も帰還者になりたい」
嫌みなどではない、素直に思った事を言ったまでだろう。
側を通り過ぎようとした男が咎めるような視線を送った。
「スズ」
咎めようとしたのだろう、ミヤが口を開いた時いつの間にかシノがスズの横に立っていた。
その腕が持ち上がり次の瞬間に降り下ろされていた。
奇妙に良い音が鳴った。
側頭部に打撃を受けたスズは驚きと困惑の表情でシノを見た。
「ちょっと黙れ」
その場にいた全員が呆気にとられていた。
「悪かった」
シノは藤と楓に向けそう謝る。
ああ、うんと藤が曖昧な返事をしていると横から楓がひどく低い声を出す。
「シノさんは分かっているみたいだから後でちゃんと言い聞かせて下さいよ」
不機嫌この上ない。
(仕方がない奴だ)
藤はその頭を掴んで前後に揺らしてやった。
楓は逃れようとしたがぐしゃぐしゃに髪を乱してからようやく手を引っ込めた。
訳がわからず泣きそうなスズと怒りが静まらない楓だったがミヤが上手く執り成し場を収めた。
店の前で三人とは別れた。
「よくあることだから構わない」
シノに囁く。
それに対して何を思ったのかシノは藤を見つめたが結局頷いただけで背を向けた。
「まだ怒っているのか」
二人の間にからからと自転車の車輪が回る音が流れる。
「あいつに対してはもう怒っていないよ」
小さく呟いたその顔は晴れない。
「そうか?」
「本当だよ」
藤は立ち止まり自転車の荷台を掴んで止めた。
振り返った楓はひどく辛そうだった。
「自分の力の無さに腹が立っているんだ」
それっきり楓は口をつぐみ二人は長い夜道を沈黙のまま歩き続けた。
ほんの少しようやくお話が動きはじめる事ができたかなと思います。
次も呼んで下さると嬉しいです。




