日差し
高架鉄道には対応所へ行く時に乗っているが、それ以外ではまず使わない。
いつもとは反対方向へ進行する車体は知らない景色の中を走る。
幾つかの建物でようやくよく通る場所だと気付いた。
この路線の面白い所は高層建築の内部を通り抜けることだ。
先程まで強ばった顔をしていた楓が目を輝かせて窓に張り付いている。
隧道のある高層建築は永遠に開かれない蕾や飛び立つことのない鳥などで砂色の壁面を飾っていた。
この古い様式からしておそらく高架鉄道とほぼ同時に建てられたのだろう。
高架鉄道もその構成は鋼鉄だがあちらこちらに繊細な細工が施してある。
鉄道ながら受ける印象は重厚さよりも軽やかで優雅だ。
建物に開いた隧道に車体が滑り込むと一瞬車内は真っ暗になる。
直ぐに車内灯がつき車内の様子が窓に映った。
この車両の乗客はたった二人しかいない。
座席に座る藤の姿はごく普通の青年だった。
栗色を帯びた黒髪にやや色白の肌は平凡で人波のなかでは容易く溶け込めるに違いない。
何度見ても慣れはしない。
不意にこうして硝子などに映るとつい驚いてしまう。
長椅子が並ぶ広い駅舎内に人の姿は疎らだった。
更に人目を避ける為、柱で周囲から隠れる場所へ楓は藤の手を引いた。
椅子に腰掛けるなり鞄の中から次々と小さなものを取り出す。
「絵の具?」
不思議そうに藤はチューブを一つ掌に乗せ眺める。
「化粧品だよ。そのままだと目立つから」
答えた楓の両手が藤の頬を挟んだ。
伝わる体温は高い。
黒い目に灯る光が真っ直ぐに藤へ向かう。
冷たく柔らかな何かが鼻筋に触れる。
「肌の色をこれで変える。鬘も準備してあるから」
淡い橙色の絵の具のようなファンデーションをスポンジへ絞り出す。
濃い色だが藤の肌に乗せると丁度良い色みになった。
前髪を掻き上げて押さえ額も塗られる。
自分でやる、と藤は言いかけたがしてもらう方が楽かと思い直しされるがままになる。
「何でだろう、妙にどきどきする」
楓がそうぽつりと呟くと返答の代わりに淡い琥珀色の目に冷たい視線を投げられた。
雪のような白い肌を薄橙で染め上げていく。
他人ならばこの感情を何と呼ぶのか。
楓は言い表す言葉を知らない。
スポンジが頬から離れると藤は小さな溜め息をついた。
素直過ぎる楓の言動には最近ちょくちょく困惑している。
(深い意味なんて無いだろうに)
過敏に反応してしまったと心密かに反省をする。
手が止まったので終わりだと思った。
「あ、ちょっと待って」
身動ぎをした藤の肩を捉える。
反対の手で再び藤の頬へ触れる。
輪郭の鋭い骨を包む夏の名残を残した皮膚は一瞬日向のような薫りがした。
指先は頬の上をざらついた感触を与えて横に走った。
ふと遠い日の記憶が蘇る。
幼い少年が両手を差し出し母親にクリームを刷り込まれている光景だ。
「また荒れているのか」
「えっ」
「何でもない」
散らばった化粧品の中に手鏡を見つけ覗いてみた。
「へえ、上手いものだな」
ムラもなくごく自然だ。
「管理棟で研修があったから」
化粧の研修とは、不思議そうな面もちの藤に楓は言葉少なく説明をする。
「管理棟の判断で帰還者を移動させる時に変装させるんだ」
とても小さなブラシを取り上げた手が震えていた。
「目的は違えど、今、役には立った。そう怒るな」
真っ黒な頭を撫でる。
特に柔らかな毛質ではないが頭の形が良いので撫で心地は良い。
直ぐに手を振り払うかと思ったが大人しく撫でられている。
「そうだね、役には立った」
笑顔を見せる。
小さなブラシは睫と眉を染めるものらしい。
頭髪と同じ灰色だから仕方がない。
(帰りもこの作業繰り返すのか)
藤は内心うんざりした。
再び化粧品へ視線を落とす。
このような物と縁遠そうな楓が案外器用に扱う。
笑っては気の毒かと我慢していたが結局堪えきれなかった。
小さなブラシを握りしめて困った顔をされてはいよいよおかしい。
笑いながらも藤は何故か胸の奥で小さな痛みが走り抜けていくのを感じた。
痛みの理由を探ろうとして直ぐに止めた。
きっと大した理由ではない。
「いつかさ」
隧道を抜け出し車窓から光が差し込む。
「いつか何年後か、堂々と好きなだけ自由に、どこかへ行けるとしたら、どこがいい」
尋ねてくる楓は蜂蜜色の光の中で穏やかに笑う。
口調も表情も何一つ変わらないように見えた。
しかし確固たる信念を体躯の芯に潜めている。
そう感じられて以前と同じ一蹴するなどできなかった。
「決めきれない、多過ぎて」
思わず本音が出てしまった。
「ゆっくりでいいからさ、考えておいてよ」
藤は小さく頷いた。
(堂々と自由に、か)
一人の女性が頭に浮かぶ。
(森崎さんの影響か?)
日の光に照らされた自分の手を眺めた。
変装などしなくても誰に咎められることなくどこでも行ける、その時はいつ来るのだろう。
目映い日差しはほんのひとときだった。
西から厚く重たい雲が太陽を覆った。
次の項でもうちょっと詳しい状況説明をしようと思っています。
次も読んでもらえると、とても嬉しいです。
天気予報で明日は雨のはずが、お天気良くしてしまったのでちょっと訂正しました。




