↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空色唐辛子荘  作者: 空色唐辛子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/73

序章 帰還

 人間領と魔族領を分かつ荒野に、巨大な光の壁が立ち上がっていた。


 大地の果てまで続く境界結界。


 人間と魔族、どちらか一方を閉じ込めるためのものではない。


 強い敵意を持つ者や軍勢の侵入を阻み、長く続いた争いを終わらせるために、四ノ宮和真が築いた結界だった。


「これで終わりだ」


 和真が両手を下ろすと、足元に広がっていた魔法陣が静かに消えていく。


 身体の中から力が抜け、僅かによろめいた。


 それでも倒れることなく踏みとどまり、目の前に完成した結界を見上げる。


「まさか、本当にやり遂げるとはな」


 背後から聞こえた声に、和真は振り返った。


 そこには、かつて倒すべき敵として教えられていた魔王が立っていた。


「言っただろ。俺は本気だって」


「人間と魔族の争いを、どちらかが滅びるまで続けるのではなく、境界を作ることで終わらせる。ずいぶんと強引な方法だ」


「他にいい方法が思いつかなかったんだよ」


「勇者らしからぬ答えだな」


「俺は最初から、立派な勇者じゃない」


 和真は肩を竦めた。


 十五歳で突然この世界へ召喚され、勇者として戦い続けて六年。


 人間たちからは、魔王を倒せと教えられた。


 魔族は人間の敵であり、言葉を交わす必要などないのだと。


 だが、実際に魔王と向き合い、互いの話を聞けば、すべてが教えられたとおりではないことが分かった。


 人間には人間の事情があり、魔族には魔族の事情がある。


 どちらか一方だけが正しく、もう一方がすべて悪いわけではなかった。


 だから和真は、魔王を倒さなかった。


 何度も剣を交え、その後は何度も言葉を交わした。


 そうして二人は、長い争いを終わらせるために和解した。


「この結界がある限り、大きな争いは起こせない」


 和真は光の壁を見つめながら言った。


「小さな問題まで全部なくせるわけじゃない。互いを嫌っている奴もいるし、結界を壊そうとする奴だって出てくるかもしれない」


「永遠の平和など存在しない、か」


「ああ。あとは、この世界に残る人たちが考えることだ」


「無責任だとは思わないのか?」


「俺一人が全部決め続けるほうが、よっぽど無責任だろ」


 魔王は一瞬黙り、やがて小さく笑った。


「お前は最後まで、妙な勇者だったな」


「そっちこそ、妙に話の分かる魔王だったよ」


 二人の間に、もう敵意はなかった。


 友と呼ぶには、あまりにも多くのものを背負っている。


 それでも、互いに背中を任せられる程度には相手を信じていた。


 荒野を吹き抜ける風が、和真の外套を揺らした。


 やがて魔王が、静かな声で尋ねる。


「本当に帰るのか?」


「ああ」


 和真は迷わず答えた。


 この世界には、多くの思い出がある。


 ともに旅をした仲間。


 助けてくれた人たち。


 守れなかった人たち。


 命を懸けて戦った場所も、二度と訪れたくない場所もあった。


 六年間は、決して短い時間ではない。


 それでも、和真には帰りたい場所があった。


「向こうで、お前を待っている者がいるのか?」


「じいちゃんがいる」


 和真の両親は、彼がまだ幼い頃に亡くなっている。


 妻を亡くして一人になっていた祖父に引き取られ、それからは二人きりで暮らしてきた。


 突然いなくなった自分を、祖父はきっと今も探している。


「俺がいなくなって、どれくらい経っているかは分からないけどな」


「こちらと同じだけ時間が流れているとは限らない」


「分かってる」


 帰った瞬間に、召喚された日の続きが始まるかもしれない。


 反対に、何十年、何百年もの時間が過ぎている可能性もある。


 元の世界がどうなっているのか。


 祖父が無事なのか。


 和真には確かめる方法がなかった。


 だからこそ、帰らなければならない。


「ここに残る道もあるぞ」


 魔王の言葉に、和真は僅かに目を伏せた。


 何度も考えた。


 この世界で生きていくこともできる。


 勇者としてではなく、一人の人間として受け入れてくれる者もいる。


 だが、それでも和真の答えは変わらなかった。


「帰るよ」


「そうか」


 魔王は引き留めなかった。


 和真も、それ以上の言葉を口にしなかった。


 二人は並んで荒野を歩き、元の世界へつながる転移魔法陣の前まで来た。


 白い光を放つ魔法陣を見下ろし、和真は腰の剣に触れる。


 この剣を手にした日から、長い旅が始まった。


 嬉しいことより、苦しいことのほうが多かったかもしれない。


 それでも、無駄な六年間だったとは思わない。


「四ノ宮和真」


 魔王に本名を呼ばれ、和真は振り返る。


「お前が作ったこの平和を、私も守ると約束しよう」


 その言葉に、和真は安心したように笑った。


「任せた」


「随分と軽い返事だな」


「今さら堅苦しい挨拶なんていらないだろ」


「それもそうだ」


 和真は転移魔法陣の中央へ進んだ。


 足元から白い光が立ち上がり、その身体を包んでいく。


 魔王の姿も、境界結界も、異世界の空も、少しずつ光の向こうへ霞んでいった。


「世話になったな、魔王」


「こちらの台詞だ、勇者」


 和真は一度だけ、異世界の景色を目に焼きつけた。


「じゃあな」


 魔法陣の光が弾けた。


     ◇


 最初に聞こえたのは、車の走る音だった。


 続いて、遠くから踏切の警報音が聞こえてくる。


 和真は閉じていた目をゆっくりと開いた。


 石造りの城も、荒野を駆ける魔物もない。


 頭上には電線が伸び、その向こうに夜空が広がっていた。


 道路脇では、自動販売機が白い光を放っている。


 湿気を含んだ空気。


 アスファルトの匂い。


 走り去っていく車のエンジン音。


 どれも六年間、何度も思い出したものだった。


 和真は呆然とその場に立ち尽くす。


 通りを歩いていた男性が、異世界の装備を身につけた和真を見て、驚いたように足を速めた。


 その反応さえ、今は懐かしく感じる。


 和真は自分の両手を見下ろした。


 夢ではない。


 幻でもない。


 本当に、元の世界へ戻ってきたのだ。


「……帰ってきた」


 口にした途端、胸の奥から様々な感情が込み上げてきた。


 喜び。


 安堵。


 そして、これから何が待っているのか分からない不安。


 和真は顔を上げ、懐かしい街並みを見渡した。


 記憶にある景色とは、少しだけ違っている。


 だが、確かにここは日本だった。


「じいちゃん……」


 十五歳でいなくなった孫が、二十一歳になって戻ってきた。


 どんな顔をされるだろう。


 怒鳴られるかもしれない。


 それとも、何も言わずに迎えてくれるだろうか。


 和真は六年ぶりの我が家を目指し、静かな夜道を歩き始めた。


 異世界での勇者の物語は、これで終わった。


 だが、四ノ宮和真の新しい物語は――まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。