第25話 義両親の愛情と胸のざわめき
その夜、寝室でセリーヌが明るく言った「明日も頑張りましょう」の言葉が、レオンハルトの胸に重く響いていた。
彼女にとって、この結婚はあくまで“契約”。芝居を演じ切るために微笑んだにすぎない。そう頭では理解しているのに、どうしても寂しさが拭えなかった。
翌朝、レオンハルトは執務室で書類を見つめていた。だが、視線は文字を追っているのに、内容は頭に入ってこない。机に置いた手を握りしめる。
(俺は……何を期待している? セリーヌが本気で俺を想ってくれるとでも? そんなはずはない……)
不意に、窓の外から笑い声が聞こえた。
レオンハルトは眉をひそめて窓辺に歩み寄る。そこには、庭園でクラリッサと楽しそうに話すセリーヌの姿があった。クラリッサは自分の腕にセリーヌを絡め、母娘のように親しげに歩いている。
レオンハルトの胸に、言葉にできないざらついた感情が広がった。
その日、クラリッサはセリーヌをお茶に誘った。ギルベルトも一緒に同席し、庭のガゼボにて三人でテーブルを囲む。
「セリーヌさん、この紅茶は我が家の領地で栽培した茶葉なの。どうかしら?」
クラリッサはにこやかにポットを傾ける。
「まあ……とても香りがよくて、すごく飲みやすいです!」
セリーヌは目を輝かせてカップを持ち上げた。その反応に、クラリッサは満足げに頷く。
「ふふ、やっぱりね。やっと“娘”に味わってもらえたわ」
「娘、だなんて……!」
セリーヌは頬を赤らめて視線を落とすが、その顔がまた愛らしくて、クラリッサは思わず手を取った。
「いいのよ。貴女のような子が私たちの家族になってくれて、本当に嬉しいのだから」
その言葉にセリーヌの胸もじんわりと温かくなる。突然嫁いできた自分を、ここまで真っ直ぐに受け入れてくれる人がいる――それが信じられず、嬉しくてたまらなかった。
「はっはっは! 妻ばかりずるいな」
ギルベルトが豪快に笑い、セリーヌに視線を向ける。
「セリーヌ、今度街に行こうじゃないか。娘を連れて歩いてみたいのだ」
「えっ……わ、わたしなんかが……」
「“なんか”ではない。お前はもう私たちの大切な家族だ」
ギルベルトの大きな手が、父のようにセリーヌの肩を叩く。
セリーヌは胸が熱くなり、こみ上げる涙を必死に堪えた。
数日後。
ギルベルトとクラリッサは本当にセリーヌを連れ、街へ出かけた。豪華な馬車の中で、クラリッサは少女のように楽しそうにしていた。
「さあセリーヌ、今日は遠慮せず好きなものを見て回りましょう」
「……でも、そんな……」
「いいから、いいから」
クラリッサに促され、セリーヌは半ば引っ張られるようにブティックへ。
美しい靴が並ぶ棚の前で足を止めると、クラリッサがすぐに気づいた。
「これ、気になるのね?」
「いえっ! ただ……素敵だなって思っただけで……」
「それなら決まりね」
クラリッサはためらいなく店員に声をかけた。
「この靴、彼女のサイズで包んでちょうだい」
「ま、待ってください!」
セリーヌは慌てて止めようとするが、ギルベルトが横から笑い飛ばす。
「若い娘には新しい靴が似合う。遠慮するな」
クラリッサは母のように優しく微笑んだ。
「いいのよ。貴女には、もっと輝いてほしいの」
セリーヌは堪えきれず、涙をにじませて頭を下げた。
「……ありがとうございます」
店を出るとき、クラリッサはセリーヌの手を握りしめ、ギルベルトは誇らしげに彼女を庇うように歩いた。まるで本当の娘を迎え入れた両親のように。
一方、屋敷に残ったレオンハルトは、執務机の前で仕事の手を止めていた。
玄関前でセリーヌと両親が出かけていくのを、窓から見送ってしまったからだ。
母クラリッサが嬉しそうにセリーヌの腕を取り、父ギルベルトが笑いながら護衛のように横を歩く。その姿は、どう見ても家族の団欒そのものだった。
(……なぜ、俺があの輪に入れないような気がするんだ)
胸の奥がきゅうっと痛む。
自分が彼女を妻に迎えたはずなのに。自分が守るべき存在のはずなのに。
それなのに――彼女はすでに両親の愛情に包まれ、笑顔を見せている。
レオンハルトは机に肘をつき、深いため息をついた。
「……俺は、いったい……」
抑えようとしても抑えきれない感情が胸を満たしていく。
それが嫉妬なのか寂しさなのか、彼自身にもまだ答えは分からなかった。




