神獣襲撃 一撃・接吻・細断
「舐めるな、遅すぎだ」
剣を振りかざし襲い掛かって来た黒騎士の首をハルは片手で掴んだ。そして、そのまま、足元に広がる黒龍たちで編み込まれた地面に向かって力の限り投げつけた。その威力はもはや砲撃であった。ハルが投げたその黒騎士は黒点の下部を貫き、地上へと真っ逆さまに落ちていった。
おかしなことに、一部の黒龍たちの身体を貫き穴を空けたのにも関わらず、黒点を構成していた黒龍たちは怒ることもなく、この黒点の中にできた歪なドーム状の空間を維持し続け静寂を保っていた。まるで誰かに『動くな』と命令されているかのように、生き物としての意思がそこにはないように思える異常さがあった。
『とっとと終わらせる…』
ハルが再び刀を構える。この黒点の黒龍たちをすべて斬り刻めばレイドに現れた神獣の襲撃は終わる。あとはすぐに城にもどってザイード卿に報告をして、ホーテン家に帰って…。そんなことを考えている時だった。
「やっぱり、彼でも手も足も出ないんですね…」
気が付くとハルの横には、銀色の舞踏会などで用いられる仮面で顔を隠した全身を真っ赤なドレスで着飾った女性が立っていた。真っ赤な絹のような長髪がさらに、この黒龍ばかりの黒点の中ではよく映えていた。
今度は驚きもせずハルは彼女を冷静に睨みつけた。
こんなところに人がいるということはもうそれは敵で間違いなかった。
「あんた、何者だ?」
その問いに彼女はおかしそうに笑った。
「フフッ、それは私がお聞きしたいくらいです。ハル様、あなたの方こそ一体何者なのですか?」
彼女はハルのすぐ傍に立って顔を覗き込むように言った。そして答えを待たずに彼女は続けた。
「それとあなたは一体何をなさったんですか?この世界に」
「…何?」
唐突な質問の意味が分からず尋ね返す。
「どうしてみんなあなたのことを知らないんですか?ということです」
その質問にハルは押し黙り、思考を重ねることになった。
得体の知れない彼女は続ける。
「一部の人たちを除いてみんなあなたのことを忘れている。これっておかしいことじゃないですか?それにこの世界にあなたの記録が何一つ形として残っていない。まるで最初から存在しなかったかのように、あなたはあの黒龍討伐を境に、レイドの元剣聖ハル・シアード・レイは、この世から忘れ去られてしまった…」
彼女の澄んだ優しい声が響く。
「ご本人であるハル様なら何かご存知かと思いまして、お尋ねした次第です」
「それを知ってあんたはどうする?」
すると彼女は突然ハルの頬に片手で触れてきた。油断していたわけではなかった。しかし、いつの間にか彼女に優しく頬を片手で触れられていた。
「いえ、ただ、可哀そうだなと思いました。あなたは人類の為に必死に戦ってくださったのに、それを誰も覚えていないなんて、あんまりだと思いました…」
ハルはすぐに彼女の手を振り払った。
「余計なお世話だ、そんなことあんたに心配してもらう必要はない。それにみんなが覚えていなくもいい、俺は誰かから称賛されるために、神獣討伐を始めたわけじゃない…」
「じゃあ、なんのために神獣討伐なんて始めたんですか?」
黒龍たちの視線が集中する。自分たちはなぜ殺されたのか、その理由を問いただすように、ハルに逃げ場はなかった。
「それは…」
今に思えば、あの女の子を救えなかったことが始まりだったのかもしれない。二度目のレイドへの神獣襲撃で失った彼女と交わした最後の約束。そう、そして、それは救えなかった彼女への贖罪でもあった。
神獣という脅威が蔓延るこの世界では幸せとは簡単に崩れ去ってしまう。それを止めるためにハルは立ちあがった。神獣からみんなを守るため、約束を果たすため。
「それは【ステラ・ハーピネス】との約束ではありませんでしたか?」
ただ、彼女から放たれたその言葉は、ハルの心臓を掴みハルの顔を青ざめさせた。
「お前なんで彼女の名前を…」
「フフッ、それはここではまだお話できないことです」
彼女が一歩歩み寄ると、ハルとの距離はゼロになった。彼女はハルの胸に額をつけた。
「ねえ、ハル様、突然なんですが、私と一緒に来ませんか?」
「はあ?」
「もしも一緒に来てくれたら、ステラにも会わせてあげますよ」
「何言ってんだ…おまえ…」
「ステラもあなたに会いたいと言っていましたよ」
「………」
「彼女、ずっとあなたのことが好きだったみたいですから」
ステラは死んだ。
あの時、ハルが駆けつけるのが遅かったから、彼女は死んだ。それは今でも鮮明に覚えていた。死にゆく彼女の最後を看取ったのはハルだった。腕の中で、彼女は自分の死に目にハルが来てくれたことで、死の間際まで幸せそうに笑っていた。神獣たちによって破壊されていく街で、彼女の死にハルは確かに触れ、そして、約束をした。平和な時代を築くと、みんなが恐怖に怯えなくてすむ世界を創ると、剣聖を辞め、王都スタルシアを飛び出したからこの神獣討伐の旅は始まった。あの日、目の前でステラが息絶えたあの時にハルの心を動かしたのは確かに彼女だった。
ステラという女の子は、ハルにとって進むべき指針でもあった。悪く言えば言い訳、綺麗に言えば彼女との約束の為、その約束を果たすためなら、世界が少しでも平和になるなら何でもするつもりだった。ステラ・ハーピネスが、ハルの人生の中でも大切な人だったことは、今でも変わりはなかった。
だから、彼女を知ったような口で侮辱する彼女の発言をハルは到底許すことができなかった。
「ふざけるのも大概にしろ…これ以上、お前がステラのことを語るな」
「ハル様はやっぱりお優しい方ですね。彼女の為に怒ってくださっているんですから…」
「喋るな」
ハルが彼女の首を掴んで持ち上げた。
「私、あなたが欲しいです」
彼女は笑顔だった。
「死ね」
ハルが彼女の首をへし折る。
彼女の身体の力がぬけてだらりと手足が垂れ下がる。ハルはそんな彼女の死体を黒龍たちで編み込まれた地面に放り投げると、首がおれた女性の死体が転がった。
そして、死んだ彼女のことなどもう忘れたかのようにハルが刀を握り直し、この巨大な黒点の黒龍たちを片付けようと刀を構えた。
「ハル…」
聞き覚えのある声が耳元でした。もうすっかり忘れかけていたが、その声がかつての小さな友人の声であることを再確認しようと振り向いたその時だった。
「ステラ………んグッ!?」
振り向いたハルの唇にさっき殺したはずの仮面の女が唇を重ねていた。顔を両手で掴まれ無理やりキスされたと思ったら、何かが彼女からハルの口の中に直接押し込まれる。ただの口付けであるはずなのに、まるで彼女の口のなかに手があるかのように、無理やりキスで口をこじ開けられたハルの口の中には何か得体の知れないものを送り込まれ強制的に吞み込まされていた。
ハルが彼女を突き飛ばして、その無理やり飲みこまされた物体を吐き出そうと喉の奥に指を突っ込んでえずいた。しかし、吐き出そうにもその吞み込んだものが出て来ることはなかった。腹の中にたまりへばりついているような、とにかく、吐き出すことができなかった。
「おえええ………」
突き飛ばされ地面に触れ伏した彼女が恍惚に吐き出そうとするハルを見て微笑んでいた。
「あぁ、いい味です。やっぱり、あなたとするキスは最高です!」
「お前、俺に何を呑ませた?」
「私なりの愛です」
ハルが倒れていた彼女の胸倉を掴んで、凄まじい怒気を放ちながら再度問いただす。
「答えろ、何を吞ませた?」
「そんなに怒らないでください、ただ、私の身体の一部を今あなたに吞ませただけですよ」
彼女が口元に上品な笑みを浮かべる。
「身体の一部……」
ハルは意味の分からなさに、彼女の胸倉をスルスルと放し、信じられないようなものを見る目で彼女を見た。
彼女はそんな驚くハルを見て楽しそうに語った。
「私の身体は人には猛毒で、今、ハル様が吞み込んだ量は致死量を軽く超えています。おそらく一分もあれば死にます。ですが安心してください。私はその肉片から毒を出すか出さないか、さらにはどれくらいその肉片から出す毒を強めるか、弱めるか、決めることができるんです。つまりは、私はその肉片を飲み込んだ者の死の時間を自由に操ることができるというわけです」
「天性魔法か…」
一通りの説明を聞いて思い至ったのが、天性魔法だった。自身の身体の一部のように扱えるマナやエーテルなどの必要としない魔法。己の体力を消耗するだけで扱える個人の固有の魔法。人によってさまざまな種類の天性魔法が存在するため、まさに無限の可能性を秘めているともいえる魔法だった。
「まあ、そんなところです。ちなみに、症状が発症すると身体の肉が腐っていく、嫌な死に方をします。それと結構痛いみたいなので、最後は悲鳴とかあげて死でいきますね」
ハルは死の宣告をされてもただひたすら冷静に彼女と向き合っていた。
「お前、何が目的だ?」
「さっきもいいましたよね?私、あなたが欲しいんです」
彼女がこちらに歩みを寄せて来ると、ぎゅっと恥ずかしそうにハルの手を握った。
「あなたは私の想像を超えていました。それが嬉しいんです。あなたがこうして存在してくれたことが、私にはたまらなく嬉しいのです」
彼女が上目遣いにハルを見上げ仮面の下の口元がとても嬉しそうに口角を上げていた。
「ハル様、どうかこのまま抵抗せず私と共に来てはいただけないでしょうか?」
「何のために?」
「それは一緒に来てくださったらお話します」
ハルはしばらく考えたのちに尋ねた。
「もしも来ないといったら?」
「残念ですが、あなたにはここで死体になってもらいます。だけど、本当にそれは嫌なので頑張って説得したいのですが…どうですか?私と一緒に来てくださいませんか?」
仮面の彼女が恐る恐る聞くが、ハルはそんな彼女に即答した。
「断る」
「どうして、私の説明聞いていなかったのですか?」
「交渉になってない」
「そんな、だって、あなた私のお肉を食べたんですから、私が殺そうと思えば死んじゃうんですよ…」
「じゃあ、殺せばいい、どうぞご自由に」
「後悔しますよ?」
「しないね」
ハルが彼女を挑発するように仕向けると、彼女は嫌々仕方ないといった感じでハルを見つめた。
「腐敗せよ」
彼女がそう唱えたが、特にハルの身体に説明を受けた通りの症状が現れることはなかった。
「あ、あれ?どうして?身体にあざもできない…」
「お前、キャミルの母親殺した奴だろ?」
ハルの周りから次第にヒリヒリひりつく空気が放たれ始める。
「…………」
「レイドに二度にわたって神獣を仕向けたのもお前の仕業だ」
「ハル様、それは…」
「俺はお前を許さない。ステラを殺したこと、償ってもらう」
ハルはそういうと大きく口をあけて、体内から大量の触手を吐き出した。もはや人間の姿からはかけ離れていたが、よく見るとハルの吐き出した触手たちが、先ほど彼女から無理やり呑まされた、彼女の肉片を摘出して体外に出していた。
「嘘…」
「覚悟しろ、クズ野郎」
気が付くと、彼女の視点から見たハルの姿に違和感があった。それはハルの刀を持っていた位置がわずかにだがいつのまにか少しばかり見ていた位置とずれていた。ずっと彼の姿は見ていたはずなのに、刀の握り方も持っていた位置も知らぬ間にずれていた。それだけじゃない。瞬きもしない間に、彼の立っている場所もわずかにずれていることが、彼の踏んでいた黒龍からも分かった。
だが、その僅かな異変に気付いたときにはすでに何もかもが遅かった。
ハル・シアード・レイから目を逸らすことは愚か、普通の時間軸で彼を見ていては、何をされたか気づくことすらできない。それは、まさに彼女が望む最強の存在だったに違いなかった。しかし、だからこそ想像を超えることでしか応えてくれないハルに彼女はもう最後までご執心だった。
「ハル様…」
「お前、もう死んでるからな」
指摘された瞬間、彼女とハルを覆っていた黒龍たちでできた最後の大型の黒点が一瞬にして、ハルを中心とした全方位全く同じタイミングで斬り刻まれ、細切れになった。そして、それはハルの目の前に立っていた彼女もまた同じだった。
時間を超越したハルの斬撃が、大空に無数の肉片が飛び散らせた。
空中に放り出されたハルは、ただ、ただ開けた視界の先にあった深い深い青空を眺めていた。




