ごにんめ
崖を登り切ると待ち構えていたのは、救助された人たちを見ていたブレイド部隊の兵士たちだった。
全員があっけに取られていた。朝の輝かしい陽光を背に、助かった砦の者たちに影が伸びる。
そんな絶望を浮かべた人々のことなど気にも留めず、ハルは構わず体を前へ進めた。首なしの化け物の状態では、歩くたびに太い足が地面を揺らしていた。
ハルは見渡してまだ砦の者たちが数多く残っていることを確認すると、体中の触手を伸ばす準備を始めた。
自分の天性魔法に異変が生じてからというものハルは常にこの自分から溢れる闇という存在について探求していた。以前の天性魔法の光のようなものよりも感覚的には遥かに重く生物的な要素を含んでいた。生物的というのは何かを形づくりそれが仮初の命を持って動くことであり、ハルはこの闇をどう有効活用するか考えなくてはならなかった。そして、その結果あろうことか、タコやイカのような触手がベストだという結論に辿り着いていた。もし無数の手を手に入れられたのならばもっと誰かの危機に手を指し伸ばせる機会がずっと増えるんじゃないか?と思い立ってのことだった。
だが、最初の頃。触手の扱いは非常に困難なものだと知った。手がいくつもあるような感覚で操ろうとするとどうしても操られる数に限りが出て来てしまったり、同時に大量の触手を手足のように扱おうとすると頭が混乱することなどたびたびあり、あまり実践では実用的ではないと諦めてしまいそうな時だった。
ハルは前に一度、その目で無数の鱗を操る巨人の姿になった女性の姿を思い出していた。
そこから考え方を変えて生まれたのがこの首なしの化け物だった。
あくまで触手を人間の手足のように扱おうとするから限界があるのであって、それなら最初から自分がそういう生物だと思って触手を操って見たらどうだろうかと、イメージから入ることにした。
化け物だから人よりずっと大きく、イメージはあの鱗の巨人のようにすべてを支配するような強くそれでもどこかやはり生物の外見からは程遠い姿。例えば腕や頭がなかったり、それらのイメージを強く持ち触手を操っている内に、ハルの身体はみるみる自分が生成した闇に覆われ、気が付けばハルは首なしの巨人として自由自在に触手を操れるようになっていた。
さらに、ある程度このスモーク砦の襲撃の中で数をこなすことができたことも大きな成功への近道で、よい特訓ができたハルは完全に触手というものの扱いを自分のものにすることができていた。
あの時、龍舞う国の緑の巨人のイメージが、ハルの無数の触手を自在に操ることへの成功に起因していた。
そのおかげでこうして砦にいたブレイド部隊の救出もなんなくやってのけることができたのだから、やっぱり、感謝したかった。
あの子にも。
ハルが触手を広げ始めると、炎魔法の火球がひと弾飛んで来た。
その炎の球は首なしの身体に着弾する。
それは合図だった。
「全員を逃げろ!!!」
勇気ある兵士がひとりそこには怯えることなく立っていた。
それはハルも見覚えのある青年だった。
『ジュニアスか…』
当然、現れた化け物に対して与えられた選択肢は二つ。
戦うか、逃げる、のどちらか。
ジュニアスが選んだ選択が人々を逃がすための命を懸けた時間稼ぎであることに違いはなかった。
みんな砦と共に落ちて死んでいったと思っている彼も、この状況で絶望していることは確かなはずなのに、ジュニアスは確かにハルの目の前に臆せず、自分に気を引かせるために次の魔法を放とうとしていた。
朝焼けの光を反射した金色の瞳は決して希望を失っていなかった。
ハルはそこでみんなを連れてきたことを彼に示すために、身体の中で保護していたブレイド部隊の者たちを、首の根元の大口の中から触手を伸ばして取り出して彼に見せた。
巨人の頭上には触手に掴まった。ブレイド部隊の隊員たちが現れたことで、目の色を変えた。
「人質のつもりか…」
ハルはそこで自分は選択を誤ったと思った。この姿でみんなを助けておいたよなどアホ以外の何者でもなかった。
「このクソ野郎がぁあああああ!!!!」
ジュニアスの顔に凄まじい怒気が帯びると腰の剣を引き抜いて我を忘れて襲い掛かって来た。そして、彼だけじゃなく、そこにいたブレイド部隊全員がそのハルが掲げたブレイド部隊の隊員の姿を見て、目の色を変えて襲い掛かって来た。
立ち向かってくるブレイド部隊、そして、その後ろでは化け物から怯えて逃げ出す盗賊たちがいた。
「立派だよ、ジュニアス。君もアストルと一緒でどこにいても決して自分を見失わないんだね…」
襲い掛かって来た十一名のブレイドの剣となった兵士たち。
全員が目の前のハルを討ち倒すことに必死だった。
けれど、ハルにはやらなければならないことがあった。それは彼等の背後で逃げ惑う者たちの命を刈り取ることだった。
「神威」
そう呟くと次の瞬間には、ハルの周りに羽虫のように飛び掛かってきた、残りのブレイド部隊の隊員たちは、ひとり残らず地に伏せ倒れ込んでしまった。
勇敢に立ち向かって来た彼らの気絶を確認したハルは首なしの内側から肉を切り裂いて外に飛び出した。
ハルが抜けて抜け殻となった首なしの巨体は朝日に溶けるように消え始める。その中から保護していたブレイド部隊の隊員たちが、溶けた肉袋から流れ出るように出て来る。
ハルがそんな化け物の抜け殻とブレイド部隊を残して、逃げ出した盗賊たちを追った。
***
そう遠くまで逃げていないモス盗賊団の盗賊たちに即座に距離を詰め、ハルはその後ろを走っている者から順に、背中から生えた口と牙を持った触手を突っ込ませては、はらわたを食い破らせ殺していく。
逃げ惑う者たちが、ハルの存在に気付くと、さらなる悲鳴を上げて一本道の山道を下り始める。
そのおかげでハルからすれば、散らばって逃げられるより遥かに、手に掛けやすかった。
「た、たすけっ…」
「殺さないで……」
「神様!……」
「嫌だぁあああああああああああ……」
悲鳴をあげて逃げる者たちをハルは血祭りにあげていく。そこに一切の容赦はない。触手で喰らい、あるいはハル自ら拳で頭を握りつぶすか、蹴りで胴体を真っ二つにするか、とにかく、手際よくものの数秒でハルが通った道は鮮血に染まっていた。
悲鳴が山脈にこだまする。
そんな不快な音を聞いている内に気が付けば、山には静寂が訪れていた。
そして、ハルの目の前には最後となった女が地面にしりもちをついてあとずさりしていた。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫する彼女にも触手を這わせようとかとも思ったが、最後は自分の手でしっかり決めようと思ったハルが彼女に近づく。
「来るな!来るな!!来るな!!!」
その最後の彼女が腰から短剣を取り出すと両手で頼りなく握りハルに向けて震えていた。
「もう、あなたも死ぬんだから、抵抗しなくていいですよ…」
ハルが彼女に歩み寄るとより一層発狂した彼女が叫ぶ。
「近寄るなぁ!!この化け物!!!」
ハルがそこで足を止めた。
恐怖で震える彼女の目は血走り、涙で目元は真っ赤に腫れ、必死に生にしがみついているその姿は、まさに死を目前にした小動物のように哀れで可哀そうな同情を誘う存在だった。ヒーローがこの世にいればすぐにでも助けに来てくれそうなそんな状況だ。
「化け物ね…」
そう言われてしまえばハルは自分が化け物であることを認めないわけにはいかなかった。それにこうして、虐殺をした後のハルの姿は他人の返り血で真っ赤に染まっていたし、同情を誘うような今の彼女のような可哀そうな人間と比較すれば、ハルは正真正銘ただの化け物、人殺しの化け物だった。
「あんた、名前は?」
名前を聞かれても彼女は短剣を握り締めて、震えるばかりで名を名乗ろうとしなかった。どちらかというと、この状況で名前を聞かれることへの理解の追い付かなさに、答えられないといった様子だったが、その混乱をハルの怒声が吹き飛ばす。
「名前はって聞いたんだ、すぐに答えろ!!!」
「ジェイミー!」
恐怖で反射的に彼女が名乗る。
「そうか、ジェイミーか、なるほど」
ハルは真っ黒な黒衣の内側から二、三枚の紙を取り出した。
彼女は短剣を向けたままハルの一挙一動に肩を震わせていた。
「モス盗賊団。それがお前のいた盗賊団の名前だな?」
「………」
彼女は何も答えずにただハルの言葉に耳を傾けていた。
「南部では随分と暴れまわったみたいだな…えっと、窃盗団と名乗っているようだが、お前ら窃盗だけやってたわけじゃないわけだな…ここに書いてる記録によれば強盗以外にも殺人、放火、強姦、誘拐、それに違法薬の密売まで、幅広く手を出してるみたいだな」
目を見開き荒い呼吸でハルが淡々と述べる事実に固まっていた。
「金のためか?」
ハルが彼女を一瞥するが彼女は何も答えなかった。
「モス盗賊団は南部でもとっても有名な盗賊団だったみたいだな。俺も最近そこらへんの勉強をし始めたから知らなかったんだ。許して欲しいが、それでさ、その盗賊団の指名手配の幹部にジェイミーって、名前が上がってるんだが、お前さんが本人で間違いないか?これは帝国が発行している懸賞金リストで見つけた名前なんだが、似顔絵が無かったんでね。ジェイミーってお前のほかに誰かいたりする?」
そう尋ねたハルの顔はにっこりと笑っていた。その笑顔はとても人を落ち着かせるような笑顔だった。
ただ彼女は唾を飲みこみ続けるだけで何も答えなかった。
質問に彼女は何も答えない。だから、その資料の続きをハルは続けて読み解いていく。
「モス盗賊団の犯罪行為で犠牲になった人たちは大人から子供まで男女問わず、誰彼構わずやりたい放題だったみたいだな。ちょっと待てよ、お前ら子供にまで手を出してるのか?」
その時のハルの目は一切笑っていなかった。
彼女は震えていた。しかし、その震えはどこか先ほどまでの震えとは種類が違っているように見えた。
構わずハルは続ける。
「なになに、モス盗賊団は逃走の際、複数の街に火を放って行方をくらますことが多く、そのせいで街が火の海となり、捕まえることが困難か、いったい何人の人がお前らが逃げるために放った炎で焼け死んだんだろうな…」
「…………」
「誘拐した貴族の子供を使って身代金の要求。その後、要求通りの金を受け渡したが、子供は無残な遺体で発見される。相手は約束を守ったのにお前らは裏切ったのか、そうか…」
「…………」
「まだあるな、貴族の邸宅を襲撃、金品を奪って家族全員皆ごろ……」
「黙れ!!」
彼女がようやく口を開いてくれたことで、ハルも安心した。もしかして急に喋れなくなってしまったのかと思い心配していたところだった。
「そうだよ、全部私たちがやったんだ!!金のため、全部金のために私たちは何でもやった。逃げるために街に火を放ったし、見せしめのために子供だって殺した。貴族たちも金の持っている奴らを大勢殺した。殺して奪った。知ってるかぁ?子供はよく泣き叫ぶが殴るともっと泣きわめく、だがそれでも殴り続けるとな、次第に泣き叫ばなくなるんだよ。私はそうした絶望を目にした人間の目を見るのが好きだった。だから、最後には絶対に殺した。男も女も大人も子供も関係なく、そうやって恐怖に染まった目をした奴はみんな殺した。これはある種の救済なんだよ!私がやっていたことは、救済、分かるか?だから、私がお前に裁かれるつもりもないんだよ!!!」
そこまで言うと彼女は手に握っていた短剣を突き出した。
彼女の短剣がハルのはらわたへと深々と突き刺さる。
そして、彼女は何度も何度もハルの腹へ短剣を突き刺すのを繰り返し、大量のハルの血が飛び散った。
「お前だってな、何の罪の無い人間を殺して来たのが分からねえのかぁ?あぁ?わかるか?この砦に中にいた人の中にはな、罪ひとつ犯していない綺麗な奴もたくさんいたんだよ、それなのに、お前は神にでもなったつもりでみんなひとり残らず殺した。そんな不平等な裁きがお前の正義か?ならブレてるんだよ!そんな歪んだ正義じゃ、一生私たちのような存在はなくならない。お前がやってることは全部無駄な自己満足なんだよ、この偽善者がぁ!!ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
彼女は笑い狂いながら短剣を突き刺し続けた。
「お前も私と何も変わらない人殺しだ。その罪の重さを忘れず死んでいけっ………ん?」
身体に異変を感じた彼女が視線を自分の下に目を向ける。
「あ?」
そこには腕があった。
「俺は善人も殺すよ」
ハルの腕がジェイミーの胸を貫いていた。
そして、その腕は彼女の心臓の一歩手前で止まっていた。
胸の穴から血が滴り始めた。
「それに俺は正義なんてものはもう掲げてないんだ。国の為とか平和の為とかそんなのどうでもよくってさ…だから、お前らにも別に怒ってもなければ恨んでもないんだ」
ジェイミーが自分の胸に深々と突き刺さっているハルの腕と顔を交互に何度も見返していた。
ジェイミーは自分が死ぬことを知る。
「だけど、俺は俺の理想の為にこの手を汚すっていうのはもう決めた。そこで俺に関係のない国が滅びようが、善人が死のうが、どうでもいい。ただ、俺はその理想を叶えるためならなんだってする。その時必要とあれば、誰でも殺す。赤の他人でも人が死ぬのは悲しいけど必要なら、そうする」
「……てぇめ………ハァ…ハァ…………」
ジェイミーの身体はハルの刺突にいまだに上手く反応できていなかった。そのため、痛みも無くただ彼女の胸から大量の血が垂れ流されていく。それでも次第に痛みが彼女に伝わり始め絶望が彼女の意識に、そして、目に宿り始めていた。
ただ、ハルはそんな彼女の蒼白した顔を気にすることなく、まるで乙女が秘密を打ち明けるように恥ずかしそうに語り始めた。
「実はその理想っていうのが、俺のその好きな人たちだけを集めた楽園ってやつでさ、誰も立ち入らないように完全に人の行き来を断ち切ってさ、そこでずっとみんな、死ぬまで幸せに暮らすんだ。愛する人以外、他に誰もいない、静かな森の中なんかがいいね。みんなで協力して建てた木造の一階建ての建物なんかで、ずっと、ずっと愛し合って暮らすんだ。現世のしがらみも一切忘れて、愛する人達とずっと一緒に…」
ジェイミーは死の恐怖よりも、次第に目の前の男がいかに異常な存在であるかを認識し始めると、痛みも忘れてすぐにこの場から立ち去りたくなっていた。それは死んでもいいと思えるほどの未知の恐怖だった。
「その愛する人達なんだけど、四人いて、みんなすごく愛おしくてさ。ルナは最近、ずっと普通の女の子になってきてさ、いつも幸せそうで、このまま楽園入りさせてあげたいんだよね。彼女にはもう危ないことをして欲しくなくて、辛い思いをしてきた彼女だからこそ、俺は彼女に剣の柄よりもフライパンの柄なんかを持っていて欲しくてさ。鎧よりもエプロン姿とか、そっちの方が彼女には似合ってるんだ…」
ひとりめ。
「それとガルナは、あぁ、大丈夫かな?ちゃんとお風呂とか歯磨けてるかな…彼女はね、ちょっと抜けてるところがあって手がかかる子なんだけど、それでもなんだかお世話したくなっちゃうし、とっても優しくて俺の大好きな人なんだ。それでもたまに知的になったりするんだけど、その時の彼女も可愛くって俺はどっちも好きなんだ…」
ふたりめ。
「あと、ビナ。彼女はちょっとまだ楽園に連れて来るか迷ってる子ではあるんだ。なんていうか俺が強引過ぎたというか、彼女には大切な家族もいるし、恋人もいたし、だからそこは彼女に選んでもらうつもりで、でも勘違いしないで欲しいのは俺は彼女のこともとっても大好きで、楽園には来て欲しいと望んでいるってこと。ずっと傍にいて欲しい人のひとりに違いはないってこと、距離を詰めるのが早かったことは後悔してるけど、それでも俺が彼女から受け取っていた好意を無駄にしたくないんだ…」
さんにんめ。
「あと、それと最後のひとりのライキルは、俺の運命と言ってもいい…彼女だけは絶対に手放せない、俺の愛する人。彼女に関しては本当は誰の目にも触れさせないで俺だけが独り占めしておきたいんだけど…俺にとって彼女は絶対だから、そうもいかない。俺は彼女の為なら世界だって敵に回せるくらい、俺はもう、彼女だけに関しては不安定なのかもしれないな…あぁ、ライキル、愛してる、好き…」
よにんめ。
「これが俺の愛する人たち、わかった?」
その時。
ジェイミーは、彼から発せられていた恐怖の質があからさまに変わったことを感じ取ってしまった。
しかし、それは決して人間のような存在が受け取ってはいけないメッセージでもあった。
その空間に満ちた存在すべてが、見てはいけない、関わってはいけない、触れてはいけない、感じ取ってはいけない、知ってはいけない。そこにあった存在の何から何まで、わすれなければもう生きていられないほどの恐怖がそこにはあった。
その未知の感覚に触れてしまったジェイミーは、背後で誰かが呟く声を聞いた。
『ごにんめ』
ハルが腕をさらに奥へと突き出し、ジェイミーの心臓を掴むと勢いよく引き抜いた。ハルの手にはまだ鼓動するジェイミーの心臓が脈打っていた。
彼女にその手の中にある心臓をみせ、そして握りつぶした。
するとその光景を見た彼女は安心したように、そして無垢な子供の様な笑顔で一度ニッコリと笑うと、そのまま、後ろに倒れ込んだ。
未知の恐怖からの解放。
自分がもうその恐怖に晒されなくていいという幸福で彼女は最後その幸せの絶頂を味わって死んでいった。
それはある意味では救いであった。
ハルはそんな幸せそうに死んだ彼女の頭を踏みつぶすと、その一本道を退屈そうに歩いて下山していった。
滴る血がやがて黒く染まっても、前に進み続けた。
愛する人のために、ハルが歩みを止めることはない。
汚れた道を振り返ることもなかった。
すべては彼女たちのため。




