四
「ちょっと待った。なんだか一気に物騒になってきやしたね」
色吉が言った。「お民さん、あんたはそのお貞さんを見たことはあるんで?」
「はあ、この、道助さんと話したあとのことになるんですが、一度だけ……。夜、お内儀さんの寝たあと自分の小座敷に帰ろうと襖を開けたとたん、そこに立っていたものですから思わず『きゃっ』と悲鳴をあげてしまいましたが、それがお貞さんで、ケタケタと笑い、わたしが茫然となにも言えないでおりますと、『あんたがお末さんお付きの女中かい、かわいい娘だね、あたしはお貞だ、よろしくね』と言ってケタケタ笑いながら去っていきました。こんなこと言うのもなんですが、お貞さんはどこかオカシいお人のようで、奥のほうにもときどきけたたましい笑い声というのか、ものに憑かれたような声が聞こえてきてちょっと怖かったのです。怖かったし、そのときは驚かされたのですが、にもかかわらずそれほど印象は悪くない、それどころか良かったのです。目がちょっと大きすぎるのですが、お美しいかたでした。八つになる伝吉という名の男の子がいるということなんですが、そちらはまだ見たことがありません。道助さんによると、閉じこもりがちなんだとか」
色吉はひとつうなずき、
「それで、平六が頓死だか殺されたんだかって話を詳しく教えてくんなさい」
道助さんから聞いただけなんですが……と前置いてお民は続けた。
端午の節句の飾りつけを片づけた日のことだ。
冨急は大広間で家族と店のものがいっしょに食事をするのがしきたりなのだが、この日の晩飯には店のものにも残りものの菖蒲酒がふるまわれた。みなが食後にそれを飲み干したあと、平六が喉をかきむしって苦しみ始めた。と思ったらそのまま倒れてしまった。
すぐに医者が呼ばれたが、着いたときには平六はもう事切れていた。
「これは、心の臓の血管がつまったものでしょう。お気の毒でした」
平六は富久屋に丁稚から勤めあげ、冨急に名を変えたころに店の娘を嫁に取った。そのころには手代にまで昇りつめていた。といっても冨急には他にもう一人番頭がいるだけだが。
「道助さんでやすね」
色吉が口をはさむと、お民はうなずいた。
平六は頓死ということになり、葬式もそれなりに盛大におこなわれた。
「あたし、怖いよ」
葬式から二、三日たったころ、お登世が言った。
「なにがだい」
道助が言った。店を抜けて庭で怠けていると、そこにお登世が来たので立ち話になったのだ。
「平六若旦那さ。頓死だなんていってるけど、その前の日……どころか直前までふつうにしていたのに」
平六は番頭ながら、店の娘の亭主ということで平六若旦那と呼ばれていた。
「だからそれを頓死、つうんだよ」
「あれはきっと、こ……されたんだよ」
「おい、めったなことを言うもんじゃないよ」
「ありゃ、一服盛られたんだよ」
「なんでそんなことがわかる」
「そりゃ……なんででもさ」
「菖蒲酒に毒が入ってたとでも言うのかい。なら他の者も死んでるはずだろう」
「だから、お酒じゃなくて、平六若旦那の湯呑みに塗ってあったんだよ」
酒は各人の湯呑み茶碗に注がれたのだ。
「誰がそんなことしたっていうんだい? あれを用意したのはお圭さんだったな。まさかおまえはお圭さんを人殺しだっていうんじゃ――」
「違うよ、誰だかわかるもんか。湯呑みに毒を塗っとくなんて誰にだってできるだろ。誰がやったかわからないから怖いんだ。恐ろしい。あたし、もうこんな店いらんないよ」
そして翌日には、お登世は本当に冨急からいなくなった。
屋敷のなかにも外にも見つからず、道助の証言もあったので逃げだしたのだろうということに落ち着いた。
それからお登世の後釜としてお民がやとわれた。




