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色吉捕物帖  作者: 真蛸
閑話
44/59

謎の踊りの謎

 ある日の夕方、色吉が八丁堀の羽生邸をたずねると、前庭で理縫と留緒が向かいあっていつもの不思議な踊りを踊っていた。

「あ、色吉さん」と、留緒が言った。

「あ、いろきったん」と、理縫が言った。

「よう、こんにちは」

 色吉はあいさつをしながら、そのまますたすたと邸宅に近づいていった。

「ご隠居ならいないよ。肥手こえてのじいちゃんとこに碁を打ちにいった」

 留緒が言った。

「おう」

 色吉はちょっと考え、「そうか、じゃあ出直すかな」

 空は曇って、すぐに暗くなりそうだ。どこか遠くでごろごろという音も聞こえる。

「あがって待ってたら」

「まてたら」

「いや、肥手さんのとこじゃあ、いつになるかわからねえ。出直すことにするぜ」

「そうかい、お茶でもいれてしんぜましたのに、残念ね、っと」

「だんねんねんと」

 しかし色吉が門まで引き返すまえに、ぽつぽつと落ちはじめたと思ったら、あっというまに本降りになった。遠くで稲光も光っている。

 子供たちふたりは、きゃあきゃあ言いながら家に戻った。

「色吉さんもほら、おうちに入んなよ」

 色吉は門のひさしのしたで雨をよけていた。

「はいんなよ」

「こいつぁそうだな、お言葉に甘えるとするか」

 色吉も玄関まで小走りに戻った。

 簡単に雨をぬぐうと、色吉は以前に自分の使っていた小さい座敷に入った。いまでもここは色吉の控えの間のようになっている。そこに理縫が茶を運んできた。

「そちゃだよござます」

「おう、お嬢さんにこんなことやらしちまっちゃもったいねえ」

 襖の陰から留緒が出てきた。

「理縫ちゃんがお茶を出すのやりたがってたもんだから、色吉さんが来てちょうどよかったんだ」

「そうかいじゃあ遠慮なしに」

 色吉はひとくち飲んだ。「ずいぶんぬるいな」

「そりゃ、熱くちゃ理縫ちゃん持てないからね」

「そりゃそうか、そりゃそうだな」

 色吉はぬるい茶を飲みほした。

「ほら、帰るよ理縫ちゃん」

 しかし理縫は、色吉を見てにやりと笑った。

「おんまさん」

「うへえ、お馬さんは勘弁してくれ。それより茶のお代わりをくれよ」

「ああ、あたしがいれてくるよ」

 留緒は色吉から湯呑みを受け取ると、理縫の手を引いた。「ほら、理縫ちゃん行くよ」

 留緒が熱い茶を持って戻ってきたとき、理縫が色吉の馬にまたがっていた。留緒が火を見ているあいだにひとりで来たのだ。

「おう、助かった。もう部屋んなかを十周はしたぜ」

 留緒が色吉の背から抱きあげると、理縫は満足したのか素直に従った。

「むこういって寝ようか」

「いい。それよりけんする」

「そうか、じゃああっちいってやろう」

 色吉はあちあちつぶやきながら茶を飲んでいたが、それを聞きとがめた。

「けん、てなあなんでえ」

「おっ、色吉さん、見るかい」

 留緒は理縫をおろすと、ふたりは向かいあってくねくねと踊りはじめた。

「おう、そいつはいつも踊ってる変な踊りじゃあねえか」

 留緒は「あはは」と笑った。「変な踊りって、ひどいね」

「すまねえ。でもその蛸踊りがけん・・なのか」

「うん」と、また踊りはじめ、「しょのしょっ」でぴたりと静止した。理縫も同様だ。

「ああー負けた」

「かたー」

「なにぃ? どういうことだ」

「つまり、あたしがヘビで理縫ちゃんがナメクジだから、理縫ちゃんの勝ちなんだ」

「ああ、虫拳か」

 色吉は納得した。虫拳とは、ヘビがカエルに勝ち、カエルがナメクジに勝ち、ナメクジが蛇に勝つ、という三竦さんすくみ拳のひとつである。ただし、ふつうは人差し指をヘビ、カエルを親指、ナメクジを小指と見立てて、手を使って争う。

「虎拳みたく、体を使ってやるように工夫したんだ」

 虎拳とは、虎、和藤内、老母の三竦み拳で、四つん這いになったり、強そうに胸を張ったり、腰を曲げたりして、それぞれを表現しながら屏風の陰から出てきて勝ち負けを競う。お座敷遊びの一種だが、江戸でも流行していた。

 体を使う三竦み拳としては他にも、狐、庄屋、猟師の『狐拳』がある。狐拳を三回続けて勝ってはじめて勝利としたのが『籐八拳』である。

 つまり留緒は、虫拳を指だけでやるのではなく、虎拳のように身体全体を使ってやるように改良した、と言っているのだ。

「屏風がないところでも遊べるように、『一緒のしょ』、で出す形に固まるようにしたのさ。それまではヘビやカエルやナメクジの踊りを踊るんだ」

 色吉は感心した。だからくねくねと踊っていたのか。

「あたしと理縫ちゃんが工夫したから、『るり拳』て呼んでるんだ。でもふつうはただ『拳』とだけ呼んでるんだけど」

「へえ、そうか」

「じゃあ色吉さんもやろう。理縫ちゃんと勝負してみて」

「こうか?」

 色吉は両手のひらを頭上で合わせて、体をくねくねと揺さぶってみた。

「ああ、うまいうまい。じゃあ、しょのしょ」

 留緒のかけ声に合わせて色吉は体を止めた。理縫はしゃがんで、しゃがんで両腕を足のあいだに垂らす、カエルのような体勢をとった。

「色吉さんがナメクジで、理縫ちゃんがカエルだから、理縫ちゃんの勝ち」

「やたー」

「おいちょっと待て、これはヘビのつもりだぜ。おれの勝ちだろう」

「えぇー? なに言ってんのさ、それはナメクジの形だよ」

「ちっ、ヘビとナメクジ、どう違うってんだ。よしもういっぺんやろう」

 留緒の合図で理縫と色吉が踊り、「しょのしょ」で静止する。

「色吉さんがヘビで、理縫ちゃんがナメクジだから、理縫ちゃんの勝ち」

「おいっ、こりゃナメクジじゃなかったのかよ!」

「それはヘビだよ」

「くそっ、もういっぺんだ」

 留緒の合図で理縫と色吉が踊り、「しょのしょ」で静止する。今度は色吉はカエルの形をした。

「色吉さんがカエルで、理縫ちゃんがヘビだから、理縫ちゃんの勝ち」

「おいっ、理縫ちゃんさっきはナメクジだったじゃねえか!」

「これはヘビなの」

「へびなの」

「どう違うってんだこんちくしょう」

「だからヘビはこう、にょろにょろ」

 留緒は両手のひらを合わせて頭のうえで組んで、身をくねらせた。

「んで、ナメクジはこう。ぬるぬる」

 留緒は両手のひらを合わせて頭のうえで組んで、身をくねらせた。

「同じじゃねえか!」

「全然違うよ」

「でんでんちがうよ」

 その後、なんど勝負しても色吉は理縫に勝てなかった。留緒に替わっても勝てなかった。

「いかさまだ!」

「いかさまじゃないよ」

 留緒が言った。

「いさかまじゃないよ」

 理縫も言った。

「くっそおめえらこの餓鬼ども、いかさまのかどで御用にしてやる」

 色吉は懐に手を入れた。「神妙にお縄につきやがれ」

「きゃー」

 留緒がばたばたと逃げていった。

「きゃー」

 理縫もそのあとをばたばたと逃げていった。

〈了〉


参考文献:石川英輔『大江戸庶民いろいろ事情』講談社文庫 二〇〇五

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