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色吉捕物帖  作者: 真蛸
岡っ引与太助
23/59

 境内は奥で拡がっていて、本堂もかなり向こうにある。下から見たよりもずっと広く、その代わりうら寂しい印象だった。

 階段を駆けあがるように登ってきたのは、卒太と根吉だった。境内のなかをきょろきょろと見回す。ふたりともいい中年だから息が切れている。

 根吉の喉に、背後から匕首が突きつけられた。ひっ、と声をあげ、それを聞いた卒太が振り返る。

「動くなよ。卒太もだ。おれだってこんな野暮なもんを持ち出したかぁなかったんだが、二人がかりじゃあつれえもんがあるから、勘弁してくんな」

 色吉が言った。まずは根吉を捕り縄で縛りはじめる。匕首は油断なく喉に当てられている。

「いや色吉の、ちょっと待て」

 卒太が言った。

「黙ってな。話はあとで聞いてやる。あんたら二人ともふん縛っちまってからだ、このままじゃどうも剣呑でいけねえ」

 なおもしゃべろうとする卒太に匕首をかざして見せるとおとなしくなった。根吉に続いて卒太も海老縛りにして、ふたりとも地べたに転がした。

「よっし釈明してみろ。なぜおれを襲った」

 色吉は目についた大きな丸石に腰かけ、転がっている二人を見下ろした。

「ばっかおめぇ見当違いだ、おれたちゃおめえが襲われねえように気ぃつけてたんだぜ」

 あらためて卒太が言った。

「そうだよおめ、とんだ見当違いだ。おれたちゃおめえが襲われねえように気いつけてたんだぜ」

 根吉も言った。

「ふたりしておんなじこと言ってねえで、どっちがひとりがしゃべれ」

「だからおめえが襲われた、っつうから、おれたちがおめえが襲われねえように気ぃつけてたんじゃねえか」

 根吉が言った。

「なに言ってやがんだ。おめさんはもういい、卒太さんつったな、あんたが話してくれ」

「つまりよ、おれたちゃおめえが襲われた、っつうから襲われねえように気いつけてた、つうことだよ」

「なるほど。まあ当然、親分の言いつけだろうが、つうこたあ与太郎はじゃあ、まだおれが襲われると思ってるんだな」

「そういうことよ、与太郎じゃなく与太助だがな」

 この声は色吉の背後から耳元で囁かれた。同時に喉元に匕首が突きつけられた。「おめえさんのをよこしな」

 色吉は逆らわず従った。背後の男はそれをどこかにほうったらしく遠くでぼそりと地面に落ちる音がした。

「おめえ、与太助か。……いや、声が年寄りだな、簾蔵さんかえ、それとも竹五郎さんかな」

 わざと声を変えているのだろう、くぐもっていて聞いただけではよくわからなかったのだ。

「知りてえかい。教えてやってもよいが、そしたら色の字、あんた死んでもらわなくちゃならくなるよ」

「ああ、いや、知りたくねえです、教えてくれなくていい」

「竹五郎だよ」

 竹五郎は普通の声で言った。

「いや教えてくんなくていい、つってんのに、なんで教えてくれねえでくんなさいよ」

「おめえさんもなんだか言ってることが変だぜ、根吉のことはいえねえな」

「くそ、あんた、おれをつけてたのかい。全然気がつかなかったぜ。そっちの二人は羽生の旦那の家を出たときに、ついてくるのに気づいたんだが」

 それじゃあはなっから気づいてやがったのか、と声には出さなかったが、卒太と根吉は顔を見合わせた。

「おめえをじかにつけたんじゃあなく、そこの下っ引のふたりをつけたのがみそよ。あいだも離れるし、まずもとのやつに気づかれるこたあねえ」

「なるほど、年の功だな」

 色吉が感心して見せると、背後で「ふふん」竹五郎の鼻息が荒くなった。

「そんで、石を投げたのもおれを大川に突き落としたのもあんたなのかい」

 色吉は身動きが取れない。ちょっとでも動いたらぶすりとやられそうだ。

「ああ」

 頼みの綱は卒太と根吉だが、ふたりとも地面でみみずみたいにのたくっているだけだ。畜生、頼りにならねえやつらだ。

「なんでそんなことしたんでい」

「話しゃあ長くなるが、冥途の土産に聞かせてやるか。しかしおめえさんも、おとなしく怪我でもして、羽生の旦那のお供をあきらめてりゃあ命まで落とさずとも済んだのになあ。まあいまさら遅えが」

 竹五郎は本当に自分を殺す気らしい。色吉は顔から血の気が引いていくのを感じた。

「もともと簾蔵親分が羽生の旦那――こいつぁもちろんあのなんとかいう生っちろい野郎じゃなくて歩兵衛の旦那のほうだが――のお供についているときぁ、好きにやれてよかったってことよ。引き合いは抜きほうでえ、袖の下なんてのもおれんとこに集まったもんよ。ところがどうでえ、あのじいさんども、たまたまなんだか相談ずくなんだか知らねえが、ふたりして隠居を決め込んで、ってんで先行きどうなるか案じてたら、簾蔵の親分のほうはあのぼんくらに十手を譲るってからこちとら安心してたら、旦那のお供のほうはどっかの若造にとられちまったてえじゃねえか。とたんに御威光も目減りしちまったんだかなんだか、引き合いは減る、にらみは効かなくなるで、実入りもあっという間にお粗末なことになっちまった」

「だから色吉のが死にゃあ、おいらがまたお供について、八丁堀の旦那のお供の子分に戻れるもんだから、廻り回っていろいろ稼げる、っつう魂胆だったんだな」

 太助がぶらぶらと境内に現れた。

「おうよ、だいぶ血の巡りが良くなったじゃねえか。まあ死なねえまでも、怪我でもしてお供につけなくなりゃあそれでよか……いや待て、おめえいつからそこにいやがった」

 色吉には太助の背中に後光がさして見えた。これがほんとの「助け」だな、などと、嬉しさのあまりくだらない駄洒落まで考えた。

「始めっからももいいところよ。色吉のあとをつける卒太と根吉のあとをつけるおめさんのあとをおいらはつけてたってわけさ。おめさんは卒太と根吉をつけるのに気ぃ取られて、おいらにはまったく気づかなかったろう」

 馬鹿なんていって悪かったぜ太助、見直したぜ。

「おめえおれを疑ってやがったのか」

「そら、おいらが羽生の旦那のお供につけねえのは得心がゆかねえ、色吉の、てやつとナシつけたほうがいいんじゃねえかなんておいらをたきつけたくせに、いざそうすると分別づらして仲裁に入るなんざ、怪しい真似すりゃ疑いたくもなるだろう」

「おめえをあおったのは根吉じゃあねえか」

「なぜおめさんがそれを知ってんだ。やっぱり根吉に吹き込んだのはおめさんなんだろう」

「ちっ、あんな馬鹿正直に正面からいって派手にやらかすとは思ってなかったのよ。それに色吉の様子を見るに、脅して引っ込むようなやつじゃあねえ。だから怪我してもらうことにしたのよ」

 いやそりゃ買いかぶりだよ竹五郎さん、あんたみてえなおっかねえのが最初っから出てきてたらあっさり譲ったかもしれねえ。

「だがな、おれのおかげでおめえのうちもかなりいい思いしたはずだぜ。知りもしねえはずの大店から盆暮の付け届けがたくさん届いただろう」

「おやじは自分の人徳だ、って喜んでたが」

「けっ、幸せな一家だぜ。おれがおめえの親父の名を出してやったからじゃねえか」

「恩着せがましいこと言うんじゃねえ、おめさん、虎の威を借りただけだろうが」

「おめえの親父が虎とも思えねえけどな」

「なんだと」

 太助は竹五郎に向けて一歩踏み出した。

「おっと、動くんじゃねえ、こいつがどうなってもいいのか」

 竹五郎は匕首を色吉の喉に食い込ませた。

「ふええ」

 色吉の口から力なく情けない声が出てしまう。顔からさらに血の気が引く。ぶっ倒れそうだ。

「別にそいつがどうなっても、おいら別に構わねえぜ」

 太助はその言葉通りずんずん近づいてくる。「むしろ八丁堀旦那のお供になれるわ、人殺しを召し捕ったりぃ、で手柄が大きくなるわで、いいことづくめだわな」

 なんてこと言いやがるこの野郎こんな与太野郎をいっときでも見直したおれが馬鹿だったぜ、と思ったがしかし背後で竹五郎が「ぬう」と歯がみをしたらしいのを聞いて、おっ、迷ってるぜひょっとしてこいつは良い手なんじゃないか、いや馬鹿とか思って悪かった太助さん、冴えねえように見せかけて実はひょっとして頭が良いんじゃねえかと思い直したとき、太助の姿がふっとかき消えた。まさか、身を低くして突っ込んでこようというのか。やめろ失敗したらひでえことになるだろが、なんかのはずみで匕首が刺さったら、うう考えたくもねえやっぱりこいつは馬鹿だった見直したなんて思っちまったおれが馬鹿だったぜ、と色吉は短い間にめまぐるしく考えたのだが、実際には太助は、そこでのたくっていた卒太につまづいたのだった。そのまま根吉のうえに倒れこみ、「ごん」と鈍い、嫌な音がした。根吉の頭に、太助の頭がぶつかった音だった。

「おい、太助、……親分」

 竹五郎が声をかけたが、太助も根吉もぴくりとも動かない。打ちどころが悪かったのだろう。

「どうしたもんかの。いっそのこと全員やっちまうか」

「物騒なこと言わねえでくれよ、竹五郎さん。あんた、人を殺めるなんざ、なかなかできるこっちゃねえぜ」

「うるせえ、ここまでばれちまったんじゃあ、こうなりゃおれぁあもうやけなんだよ」

「あんた、もうやめとくんなさい」

 竹五郎が声のほうを振り返る気配がした。色吉も横目を向ける。三人立っていた。

「おめえ、どうしてここに。それに親分……と旦那まで」

「ちいと気になったんでな」

 簾蔵が言った。「色吉親分をつける卒太と根吉をつけるおめえのあとをつける太助のあとをつけたのよ」

「そしてわしは」

 と、これは歩兵衛だった。「色吉殿をつける卒太と――」

「つまりご隠居は簾蔵さんのあとをつけた、つうことですね」

 色吉が言った。

「まあそうじゃ」

 歩兵衛は不満そうだった。全部言いたかったに違いない。「ただし、途中でお尽さんを誘ってな。駕籠に乗ってはもらったが、無理をさせてすまないことをした」

「いえ旦那……ではなくてご隠居さん、あたしのほうからお願いしたんですから」

 竹五郎の女房、お尽は小さな老婆だったが、背筋を伸ばして立った姿はどうして凛々しいものだった。病気で寝ていたということだが、まったくそうは見えなかった。ただ、全身がかすかに震えているのを色吉は見て取った。

「さっき訪ねたときは風邪だと言っておったが、もともとお尽さんが病弱で、寝込みがちだということは、おぬしは隠しておるつもりだったらしいが、わしも、この簾蔵も承知しておったことだよ」

 歩兵衛はお尽を手頃な岩に腰掛けさせながら言った。あとを受けて簾蔵が言う。

「おめえがなにやら怪しげな稼ぎに精出してんのは、旦那もおれもとっくり承知のうえだったぜ。ただそれがお尽さんのお医者代、薬代のためってこともわかってたからな、見逃してたってことよ。まあおれんとこにも余禄が回ってきてたしな。もちろんあんまりあくでえことになるようなら考えにゃあならんと、目は光らしてたことだぜ」

 色吉は、首にあたっていた匕首がはずれるのを感じた。

「おそれいりやした」

 竹五郎は膝に両手をついて、頭を深々とさげた。

 色吉は膝から力が抜け、へたりこんだ。

 竹五郎は頭をさげたまま、じりじりとうしろ足にさがっていったが、背後だったので色吉は気がつかなかった。

 と、身を起こしたとみるや、まだ手に持っていた匕首をおのれの喉に突き立てようとする。

 歩兵衛と簾蔵の驚いた表情を見て振り返った色吉はとっさに立ちあがり竹五郎に跳びかかろうとしたが、いつのまにか竹五郎が離れていたので手前でこけた。

「ひいっ」とお尽が悲鳴をあげた。

 匕首が竹五郎の首を突く、と見えた瞬間、竹五郎の手から匕首が消えた。不思議な手妻のように、色吉の手がいつのまにか匕首を握っていた。

 竹五郎は茫然として、自分の手を見つめている。

 色吉は匕首を懐に隠しながら、竹五郎に飛びついた。

「色吉殿、でかした、見事に止めましたな」歩兵衛が言った。

 いや、そうじゃねえんで、とちらっと思ったが、いまはそれどころではない。

「竹五郎さん、死ぬようなこともねえだろう」

 色吉は竹五郎がこれ以上剣呑な動きをしないよう、羽交い絞めにした。

「おうそうだ、おめえが死んだらお尽さんがてえへんだろうよ」と簾蔵が言った。

「そうじゃ、まだなにも悪いことはしとらんのだから」と歩兵衛も言った。

 まあおれは二、三べん死にかけやしたがね……。

 しかしそうは思いつつも、色吉も、

「竹五郎さん、あんたあっしを橋のうえから突き落とそうとしたけど、やっぱり助けようとしてくんなすったろう。悪いことはできねえおひとなんだよ。お内儀さんのためにも生きとくんな」

 と言った。あのとき、つかまれ、と声をかけてくれたのが竹五郎だったといま気づいたのだ。

「色吉の……」

「あんた、あたしももう大丈夫ですから、無理せんとやれば、なんとかなるくらい、あんたがこれまで頑張ったおかげで、いい蓄えがあるんですよ」

 お尽が立ちあがり、近づいてきた。色吉はそっと竹五郎から離れる。お尽は竹五郎の手を取った。

 竹五郎が色吉を見た。色吉はうなずいた。竹五郎とお尽はそろって頭をさげ、境内を出ていった。

「わしらも帰るかの」

「どうです、旦那、うちに寄ってっては。お京のやつが料理の腕を振るいたがってるんでさ。色吉親分もどうぞ、おいでになってくださいやし。どうやらはりきってるのは、親分がいい男だかららしいんで、そこがちいと気になるとこでやすがね」

「ふむ、そうじゃな、呼ばれるかの」と、歩兵衛は色吉を見た。

「へえ、お供しやす」

 歩兵衛、簾蔵、色吉と階段を降りていく。下ではお尽が、龍と樽に導かれて歩兵衛の駕籠に乗っていた。

「おや」

 道の向こうはちょっとした雑木林だったが、一本の木の陰に、色吉は羽生の旦那を見た……と思ったのだが、一度通り過ぎた目を戻すと、もうそこには誰もいなかった。

「どうした」

 歩兵衛が訊いてきたが、色吉は、

「いや、なんでもねえです」

 と答えた。

「そうか」

 三人は簾蔵の隠居宅に向かって歩きはじめた。

 境内では、太助と根吉が気絶したまま転がっていたが、意識のある卒太も雁字搦めだったので動けず転がっていた。目のまえで起こったことにあっけにとられて、声をかける時機を逸したのだ。

「ええ、おうい、旦那、色吉の親分……大親分、ご隠居……どなたか縄をほどいてくんなまし……おい、この野郎、ジジイども、ほどきやがれコン畜生、戻ってきやがれ」

 彼らの姿はとっくに見えなかった。――のだが。

「ひいっ」

 卒太は悲鳴をあげた。いきなり目のまえに異形のものが立っていたからだ。「だ、旦那、すいやせん、旦那のことじゃあねえんで、どど、どうかその、い、いの、命だきゃあお助け……」

 羽生の旦那が、刀を抜いたところは見えなかった。それどころか、ただ突っ立っているだけで少しでも動いたようには見えなかった。それなのに、卒太を縛っていた縄は緩んで、垂れて、へなへなと地面に力なく落ちた。ただまとめて一刀両断された切り口は怖ろしく鋭かった。それでいて卒太の体にも、着物にも、傷ひとつ残されてはいなかった。

 根吉はあいかわらず気絶したままだったが、見ると、同じように縄が切れていた。

「旦那……え? 旦那?」

 卒太は羽生の旦那のほうを振り返ったが、しかしそこにはもう旦那の姿はないのだった。

〈了〉


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