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水の亡国  作者:
第六項: 魔女の図書館
31/46

水の城、腹ごしらえ

――水の城 ユスティーファ


 透明な檻の中に吹く風が、戦いにほてった体を冷やしていく。


 ユスティーファは心地よさそうに目を瞑る。すっと意識が鮮明になるような清冽さが、この城にはあった。

 城の中央に座すは水色の娘。灰色の髪を風にそよがせ、曖昧な微笑みで噴水の水を眺めている。

 これまでは奇妙な存在としか思えなかった娘。しかしあの日記を読んで、彼女も実在した人間なのだと知り、何とも言えない感情が胸の内で巡っていた。

 それと同時に、あの存在は真相を全て知っているはずだという思いも湧き上がる。あの娘は意図して不鮮明な言い方をしていたようだが、それは彼女が千年近くこの亡国に縛りつけられていたことと関係しているのか。

 主の姿を仰ぎ見、その淡々とした表情に目を伏せる。だがこちらのアンドラステの方が素に近いのだろう。ユスティーファは何も知らなかった。与えられたものだけを自分の世界とした。それがアンドラステにどう見えていたのか、考えるのが恐ろしい程恥ずかしい。

 ユスティーファの主はアンドラステだけだ。幼き頃交わした誓い。単に聖法のみを信奉しているのではない。彼女は、自分の信じたものを守り抜くことを誇りとしているのだ。

「アンドラステ様」

 従者の呼び掛けに、主人ははっとしたような顔で振り向く。

「だんまりはお仕舞いです。貴方様のお話をお聞かせ下さいませ」

 常と変わらぬ真摯なその問い掛けに、アンドラステはほんの少し、呆れと安堵を含む笑みを見せたのだった。



――水の守人 ヴィヴィー


 自分の後を遠慮がちについて来る少女を見、ヴィヴィーは隠しきれない笑みに体を震わせた。


 まるで親鳥の後を追う雛鳥のようだ。実際はそんなに年の差はないだろうが、愛らしい少女が一心に自分を慕うのを見て気分が悪いはずがない。ましてや彼女は自分と同族だ。迫害される魔法使いとして、ヴィヴィーは同族への情を強く持っていた。

「それで。この子の話を聞くに、貴女は色々知ってそうね」

 細長い杖を抱え、にこにこと微笑む守人に向かって告げる。噴水の近くには、いつの間にか聖職者ら、クレスランス、騎士、狩人らが集まって来ていた。


 旅人の姿は城の中になく、また傭兵はこちらに興味がなさそうに昼寝を続けている。結果的にその二人を除く七人が守人の周囲に集まった。

 守人は揃ったか確認するように全員の顔を見渡し、ひとつ頷く。そうして噴水の縁に腰掛け、小さな唇を開いた。

『まずは皆さまの苦労に(ねぎら)いを。あなた方が相対してきたものは、千年続く妄執の欠片です。わたしが真正にお仕えしているのはクレトス王その御方。瓦解を続けたアクリアルは、女王の最後の一手によって完全に滅びへの道を歩み始めました。その崩壊をとどめたのが王。その王のため身を捧げたのが、わたしです』

「捧げた?」

 顔を顰めて口を挟むのは若い狩人。困惑と微かな怒りを含んだ色がその顔には浮かんでいた。

『はい。わたしは夜明けを告げるもの。なれば、この王国の完全な夜明けを告げるため、この身を捧げるのも道理でしょう。クレトス王はアクリアルの存続を望みました。そして、復興を望んだ。その為に、この国は甦り続けています』

「何故失敗しているの?」

 苛々とヴィヴィーは言う。はた迷惑な話に溜息が洩れるのを防げそうになかった。

 守人は透明な目でヴィヴィーを見つめ返す。

『王の真の望みが叶わないから』

「は?」

『彼の真の望みのため、詳しくは話せません。ですが、この国は真実クレトス王の妄執のために甦っています。彼の望みが叶ったその時、王は亡霊としての身から解き放たれることが出来るでしょう』

 「むっちゃ迷惑な王ね」 ついに口に出して言ったヴィヴィーに全員注目するが、誰も非難はしなかった。みな同じようなことを考えているのだろう。隣のリースは微かに震えている。多分笑いを堪えている。

「女王の思惑と王の望みは違うもの……か?」

 流石に埒が明かないと思ったのか、騎士が律儀に手を上げて言った。その隣のクレスランスは珍しく真顔で腕組みをしている。

『はい、もちろん』

「では女王の行った儀式とは? これは予想だが、その儀式の結果により、今の俺たちの世界は作られていると?」

 聖職者らとリースが各々微かな反応を示す。分かり易く顔を上げたリース、聖職者らは小さく眉を顰めるだけ。しかしそれには構わず、守人は騎士へ話を続ける。

『女王の儀式は不完全な所でメリルルゥに止められました。そのため、歪みがあちこちに残った。生き延びた者たちの嘘により認識も変わったでしょうが、女王の儀式により実際に変わった箇所もたくさんあります。それは儀式場へ行った後に、また』

 他に質問はありますか、という問いに、集った一同は思わず顔を見合わせる。

『ないならば”水”の処理をしましょうか。”水”を得た者はこちらへ。配分しましょう』

 やや強制的に話をたたみに来たように思えるが、全員が大人しく頷いた。図書館組みは疲れていたし、騎士らは何やら考えをまとめているところのようだった。


 リースを振り向き、「魔女の”水”を持っていって良いかしら」と聞こうとした時、密かに守人へ近付く狩人の姿が見えた。

 好奇心が湧く。聖職者らと騎士や戦士は何事か話し合っている。ヴィヴィーはこっそりと風を操り、守人らの声をこちらに流した。リースが驚いたようにヴィヴィーを見るが、特に咎めるようなことはしない。

「なぁ」

『なんでしょうか』

「あんたさ、俺にやって欲しいことがあるって言ってたよね」

『はい。……王の望みに関すること、です』

「やっぱり。……けどあんたさ……」

 そこで青年は言い淀む。数秒の逡巡の後、その特徴的な翡翠の目を上げ、真っ直ぐに水色の目を見つめた。


「早く、終わらせたいんだよな?」


『…………』

 守人は曖昧な微笑みのまま答えない。それは予期していたように、狩人は更に続けた。

「ずっと笑ってるけど……本当は、辛いんじゃないか?」

『何故そのようなことをおっしゃるのでしょう。わたしは人に非ざるもの。気にして頂く必要はありません』

「いや……そうなのかもしれないけどさぁ」

 何故そこで引く。もっと押せよ。ヴィヴィーは無言で狩人に怒りをぶつけるが、狩人の引き腰は治らないようだ。

『……いえ、咎めるのもおかしな話ですね。あなたは翡翠を継ぐ者。その性質を持つのも道理です』

「性質?」

『はい。人は自分の性質を持ちます。そして、外に対する性質も持ちます。あなたが自ら持つ性質は”同情”。外に対する性質は”多彩”。あなたがわたしに憐憫を抱くのも、それがあなたの性質だからです』

「そんなので性格決めないで欲しいんだけど……」

『性質はいつでも変わり得るものです。不変ではありません。ですがあなたのそれは容易には変え得ないものでしょうね』

 ふうん、良く分からん。狩人はそう言い、息を吐いて首を振った。

 



――腹ごしらえを ユスティーファ


 その集団に参加する気になったのは、ひとえに焚き火に燻かれる魚が美味そうだったからだ。


 ユスティーファたちも食糧は持ってきている。だがその全てが味気ない保存食で、ユスティーファも口には出さないものの不満を感じていたのだ。そこにきて魔女の所有する新鮮な魚。『停滞』の性質により劣化を防いでいるらしく、流石に聖職者には真似の出来ない保存方法だった。

「一緒に、食べよう」

 魔女の少女は魔法使いにそう声をかけていた。その二人に紅の戦士が分けてくれないかと頼みに行き、紅の戦士が狩人と騎士を誘い、良い香りに目を見開いたユスティーファを見たアンドラステが魔女に参加を申し出た。

 その行動を咎める気にならなかったのは、ひとえに腹が空いていたからだ。決して彼らの雰囲気が楽しそうだと思ったからではない。

 『収納』や『空間』などを応用して保管されていたらしい大量の魚は、保存食に慣れてきた舌には暴力的なほどに美味であった。

はふはふと息を吹きかけながら魚を食すユスティーファを、魔法使いや狩人らは目を丸くして見ていた。

「あと鎖はひとつ。……儀式場へは、誰が行くつもりだろうか」

「この流れからすると全員じゃない? 最後の最後にここに残るとか嫌でしょ」

「え。俺、ここでのんびりしたいんだけど……」

「何を言っているトータ殿! はりきって行こうではないか!」

「わたしも、行くよ。武術の心得はないけど、後方支援なら」

「じゃあ僕は後ろで眺めてよっかな」

「尊き御身がそんなことをおっしゃるのはお止め下さいませ……」

 多少の口を挟みつつ、ほくほくと魚を食べ続ける。串に刺し、騎士の熾した火で燻された魚は塩気が効き、疲れた体にじんわりと沁み渡る味であった。

 ふと視線を魚から外し、おやと首を傾げる。先程の集合にもいなかった傭兵は、まだ城の隅で昼寝を続けていた。

 ユスティーファたちが護衛を頼み、この水の亡国まで同行してもらった傭兵。簡素な鎖帷子の上にシャツを羽織っており、簡単にベルトで留められた剣を携えている。

「貴公はいらないのか? 無くなってしまうぞ?」

 いらぬ気を利かせた紅の戦士がそう声をかけた。横で「取り分が減る、余計なことを言うな阿呆」と魔法使いが毒づき、「ま、まだあるよ。大丈夫」と魔女が慌てて言い添えている。この場面に限りユスティーファは魔法使いに全面同意だった。だが傭兵はちらとこちらへ視線を寄越すと、

「いらん」

 とだけ返すのだった。

「わたくしたちの護衛を頼んでいた時から思っておりましたが……無愛想なやつですね。何かをする様子もないですし、本当に何をしにきたのでしょう」

 純粋な疑問を溢すと、アンドラステは喰えぬ笑みで答える。

「さぁ。きっと深淵に用事があるんだよ」

 いつも通り良く分からない返事は、良く分からないなりに主の調子が戻ってきているように感じられ、ユスティーファは怒る気力もなくして頷くのだった。




――“水” リース


 結局“水”の配分はクレスランスを除く全員にだった。


 リースがメリルルゥと白の剣士のものを。

 騎士が赤の魔犬のものを。

 過去に得た“水”はそれぞれ王の影をヴィヴィーが、黒騎士を聖職者が、王女を聖者が、盲目の王子を狩人が。

 全く“水”を得ていないのはクレスランスだけだが、彼にはウンディーネがあるから無用だという。

『そう多く得て良いものでもないですから。儀式場で得る“水”はあまり偏らないよう配分した方が良いでしょう』

 確かに、とリースは白い手を胸に当てる。“水”を得た気分は、お世辞にも良いものではなかった。元が悲劇的な最期を遂げた魔女だから余計に明るい気分になるはずがない。だが新たな何かを得そうな気になるのも事実で、リースはひたすら取り込んだ“水”を探っていた。

 不透明に揺らぐ空を見上げる。

 一本だけの鎖で縛られる王城が見える。

 あそこが終着点だ。


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