59『眼鏡のその人』
「ごめんなさい、首相は今忙しいのです」
政府棟のエントランスホールで、私達はそんな無慈悲な言葉を掛けられてしまった。
その理由は明確。
「ごめぇん。寝坊しちゃって……。これ、絶対私のせいだよね?」
私が朝寝坊したことによる。
聞くところによると、いつまで経っても起きない私を直人が起こそうとして蹴飛ばされて1回、ラリアンが起こそうとして殴られて1回、最後にルイが起こそうとして抱きしめられて1回……。
「ってこれ、完璧に私のせいじゃん!」
今は3人全員に冷ややかな目で見られている。
「ごーめーんー」
「はあ」
と、ため息をついたのは一体誰だったのか。
ラリアンが切り出す。
「まあ、仕方ないさ。あいつも忙しいんだ。また交渉するよ」
ラリアンが身を翻し、建物内を出て行こうとする。
直人も続き、私が遅れを取っていると、
「ほら、早く行こ、なの」
とルイのお声が掛かった。
今は抱きしめられずにルイの手に引かれて建物内を出る、その時。
「あっ!」
横を、見知った顔が通り過ぎて行った。かなり遠かったが、あの人に違いない。
ルイに手を引かれているのを無視して、その姿を追おうとする。
「如月先輩!」
かなりの大声を出したため、周囲の全員がこちらを振り返ったが、当の本人には届かなかったらしい。
「き……」
「お姉ちゃん、何してるの。早く行かないと置いてかれちゃうの」
「でも……」
あの人がここに……。
「早く、なの!」
「あ……」
ルイの真剣な表情に反論することができず、半ば強制的に連れて行かれる。
あれは完全に、あの人だった。忘れるはずのない、あの人……。
「どうしたの、明日香。そんな顔して。何かあったの?」
先に出ていて何が起こったか分かっていない直人が不思議そうにこちらを見てくる。
直人に気付かれるってことはよっぽどの顔してるんだ、私──。
「お姉ちゃんがね……」
「いいの。言わないで。気にしないで。忘れて、お願いだから……」
そう言って私はその場でしゃがみ込み、思いつめてしまった。
何であの人がここに……。死んだんじゃ……。
「ナツメ。とにかく帰ろう。ここにいては邪魔だ」
「ごめん……」
「聞いたぞ」
ベッドの端で膝を抱え込んでいると、ラリアンが私の前に立った。
その言葉に返すことなく、私は黙ったままでいる。
「知ってる人に会ったんだよな……?」
「……」
「それは、キサラギ……」
「誰が言ったの!」
「ルイが……」
「そう、ルイが……」
出来れば、言って欲しくなかった。
でも、私のあの行動を見れば、聞かれたら答えざるを得まい。
本当に私を心配するのならば。
「ラリアンは、如月先輩のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、この世界を創る前からの幼馴染だ。こっちに来た時に改名してその名前になったはずだ」
「幼馴染!?それって何歳からの?」
てっきり、先輩は私や直人と同じようにこの世界に転移してきたのかと思っていた。
そうではないとすると、時間軸がズレてしまう。
何故なら、先輩が死んだのは……。
「小等部からだから、5歳ぐらいかな」
「え……」
もう意味が分からない。
そうなると、先輩はこの世界が出来る前から転生していて、この世界が出来てからも何百年も生きていたことになる。
ということは、時間軸は完全にずれている。これを解明するには、女神を呼び出すしかない。
「とにかく、明日また会えるか聞いてみよう。ナツメは……」
「行くよ。もちろん。言わなきゃいけないことが……謝らなくちゃいけないことが、あるから」
「やあ、久し振りだね」
「お前は……ワン?」
いや、違う。白い格好をしているから、また別の人物だ。あれは確か……。
「ワン?誰だい、それは。僕はカオスだよ。覚えてないかい?」
ああ、そうだ。白髪の方はカオスだった。
でも、何故ここに。
「君の気配がしたから、探しにきたんだよ。そしたら、案の定この街の中にいるじゃないか。あれ?でも、君、前より弱くなってないかい?ナツメ……アスカ?」
何故?彼は私の名前を知らないはず……。
それに、肩が揺さぶられている様な……。
「明日香!明日香!」
あれ、直人の声がする。さっきまでカオスがそこにいたはずなのに。
閉じられていた目を開けると、必死な表情で私を揺さぶる直人がそこにいた。
「ああ、なんだ。夢か」
「そんなことより!明日香、もう朝!早く行かないとまた昨日みたいになるぞ!」
なんだ、もう朝か。早いな。昨日はあんまり眠れなかったから……。
「え!?今何時?」
「分かんないけど、ヤバいのは確実」
「ひいっ」
あまりの事態の深刻さに急激に目が覚め、ベッドから飛び起きる。
直人の目もはばからずに普段着に着替え、ドアノブに手をかける。
「ラリアンは!?」
「先に行った!」
何故か手で顔を覆っていた直人が、そのままの姿勢で答える。
「急ぐよ!」
寝坊したのは私なのだが、棚に上げ直人を急がせる。
ルイもいないので、ラリアンと一緒に行ったと思われた。
オートロックのドアに感謝しつつ、ホテル内の廊下を全力で走る。
「昨日と同じ場所だよねっ?」
「多分!」
途中人とぶつかりそうになりながらも、何とかホテル内を出る事が出来た。
しかし、まだあの建物までの道は長い。
辛いと思ったのがテレパシーで繋がりでもしたのか、直人が
「ワープ魔法とか使えないのかー!?」
と言ってきた。
「はぁ、はぁ……」
やっと着いた。
ラリアンに呆れ顔をされてしまったが、何とかなった。
エレベーターの様な物に乗りながら、息を整える。
流石に、スポーツマン直人も息が上がっていたが、私よりも先に調子を取り戻したらしい。ルイと手遊びをしている。
「あんたに幼女趣味があるとは思ってなかった……」
「なんか言った?」
「いーや、何にも」
それにしても、最上階までえらく時間がかかる。
確かに、見上げても屋上が見えなかったのだから、相当だと思ってはいたが、まさかここまでとは。
全面ガラス張りの箱内にガクブルと震えているラリアンを後目にため息をつく。
いよいよ、面会だ。
期待と緊張に高まる胸を抑え、階数表示を見つめる。
目まぐるしく変わっていたその数値がようやく止まると、体の加速感も無くなった。
俯きながら、開いたドアの向こうへ歩き出す。
ドクンドクンと、より一層激しくなる胸が収まる気配は、一向にない。
数歩歩くと、歩みを止めるように、頭上から声がした。
「……久しぶりだね。いつぶりかな、ラリアン。それに、夏目君、藤谷君も」
顔を上げると、眼鏡をかけたスタイリッシュな、懐かしいその姿が私達の前に立っていた。
私は感動を覚え、口が勝手にその名前を呼ぶ。
「如月、先輩……!」




