第24小節
ホールにもどった。
今日は午後の使用許可を支配人にもらっていた。
海シリーズの、のこりのⅣとⅤとⅥを弾いておきたかった。
わたしが彼のかわりに演奏するなんて本気で思ってはいなかった。
チャンスをくれるなら挑戦してみたい、という心構え。
これはその準備だった。
海シリーズ。
最初から順を追って弾いてみると、新たに気づくことがあった。
それは全体に流れる主メロディーには、波を思わせるようなハーモニーがいつも寄り添っているということ。
地球のいとなみとしての波が、まるで何かを洗い流そうとしているみたいに。
もしかしたら、空シリーズでは雨がそうで、風シリーズではコリオリの力がそうなのかもしれないと思った。
コンクールなどの課題曲からは何も想いといった感情的なものを感じないようになってしまっていたわたし。
しかしけっして音楽に対してまったくの不感症になってしまっていたわけではない。
アイドルポップスの途方もなく美しいメロディーにうっとりとすることもいっぱいあるし、演歌のエモーショナルなフレーズに涙することだって多々ある。
海シリーズの主メロディーは、わたしの感情に確かに響く。
そのメロディーは、渦のようにそれぞれの章でテンポを変え、色調を変えながら、移ろってゆく。
Ⅴ。
バラード調の第1楽章。
つづく第2楽章は、鼓動がはやくなったように激しく展開してゆく。
そして希望を見いだしたたような最終章は、アンダンテであるべきところへと、着地する。
と、わたしがその最終章を弾いているときだった。
ホール内に誰かがいるような、そんな気配を感じた。
わたしはそこで演奏をとめて、ホール内を見渡した。
しかし誰もいなかった。
外からの音も聞こえない。
そこには少し息のあがったわたしの呼吸音があるだけだった。
彼の曲がわたしの感覚を鋭敏にしていたのかもしれない。
わたしはしばらく耳をすましていたが、やはり何も聞こえなかった。
わたしは落ち着くために深呼吸して、それからのこりの部分を弾きはじめた。




