第19小節
空シリーズを通してやった。
Ⅰ~Ⅴ。
演奏時間トータルで約2時間半。
休憩を入れながら、ぜんぶ彼は弾いた。
やってることはスパルタだったが、疲れは感じなかった。
譜めくりは昨日よりもスムーズにできたと思う。
それに、曲を感じる瞬間もあった。
曲の感情に流されそうになったのを、彼の視線を少しこちらに向けた仕草でひきもどされた。
譜めくりの仕方に彼はそのことを察したのだろう。
室内は自動照明らしく雲で太陽がかげると点灯した。
そんなことに気づけるほど、少し余裕はできていた。
「少し弾いていくかい?」
と彼がいった。
「いいですか?」
「もちろん」
「じゃあ、少し」
「今年のコンクールの演奏を聴いたよ」
「えっ」
「素晴らしかった」
「2位ですけど」
「なぜ2位なのかわかるかい?」
わたしはドキンとした。
「……いえ」
「彼女ときみのハードルが違うからだよ」
「ハードル、ですか」
「うん。技術は文句ない。彼女に劣ってるとも思わない。おそらく幼い頃はその歳でその技術っていう驚きがあったんだと思う。つまりいまのきみに求められているものは彼女とは違うってことだよ。きみにふさわしい優勝があるってこと」
「ふさわしい優勝」
「そう。誰もがもうきみの素晴らしさを知っている。だからそこに新たな驚きがないと、あえておなじレベルなら、彼女の優勝という結果はこれからもつづくよ」
「それはやっぱり、精神的なものですか?」
「あくまで人間が弾くものだからね。きみのからだを通して、何が想いとなって伝ってくるかだよ」
「……はい」
「彼女に負けてるわけじゃない」
わたしの目を見た彼に、わたしは微笑んで、そしてうなずいた。
彼も微笑えむと立ちあがって、じゃあまた明日ね、といって楽譜を持って去っていった。
彼がホールを出ていくの見届けたわたしは、バッグから空シリーズの楽譜を取りだして、ピアノに置いた。