その引き金は4
黒塗りの箱に閉じ込められること、およそ一時間。
ようやく屋敷についた途端、ティアフィールに着替えることも許されず当主の部屋へと通された。
「……失礼します」
踏み込んだのは、意外にも狭い一室。俺の部屋と違って、用途ごとに部屋が分かれている為無駄に広くなるようなことが無いようなっている。
まず、俺を包んだのは、形容し難い威圧の空気だった。二階堂の屋敷で感じたそれと、比にならない意志の重み。張り詰めた緊張の中、俺は天蓋の下へと歩を進めた。
「お久しぶりです、かず───」
「……御託はいい。これを受け取れ」
腹にまで響く低い声音。
短い呟きだけなのに、大気全てが震える錯覚を得る。
巨大なベッドの上。数枚のシーツと毛布をかけたその人は、およそ老人とは呼べない外見をしていた。
齢にして96歳。
その筈なのに、半身を起こしている人物は50代にも40代にも見える。……俗に言う、寿命長期間手術の賜物だろう。まるで衰えを感じない。
肉付きの良い腕が伸び、俺は 手のひらを広げて何かを受け取った。
硬い感触。
見れば、それは対外圧塗装が施された軍用の補助記憶装置。物理接続用にmicro USB 8.0の突出口が付いているそれは、ネットの再現データでしか普通は見られない代物だ。
噂によれば1.5エクサの容量を持つこれに、一体どんな情報が入っているのだろうか。そう思うと、突然手の中に重りを入れられたかのような感覚になる。
「一体、この中に何が……?」
「お前はバカか。そんなこと、ここで言うわけがないだろ。どちらにしろ、お前はすぐにそれを見ることになる。肌身離さず保管しておけ。それは水だろうが熱だろうが放射能だろうが情報を守り続ける記憶媒体だ」
「わかりました」
俺は口答えもせずに素直に頷いた。
「……礼様。どうされますか? 首掛けにすることも出来ますが」
「うーん、医療用の生体バンドで足首に巻こうかな」
「わかりました」
俺はその場で足首を晒すと、ティアフィールに半透明のバンドで受け取ったESUを巻いてもらう。下手に俺がやるより、この手のものに精通している使用人たちにしてもらった方がいいことを俺は最近知った。
これで汗に蒸れることもなければ、老廃物が貯まることもないだろう。
「……身に付けたな。なら、すぐにティアフィールを連れてこの屋敷から離れろ。明日の朝までは帰ってくるなよ。潜伏先と逃げる経路は既に伝えてある」
「……、は?」
「おいおい、持ち前の適応能力と理解力はどうした。俺は言ったぞ、ここから逃げろ、と。はやく行った、行った。早く行かないと死ぬぞ、お前」
いやいやいや。
無理だって、流石に無理だって。
は? 逃げろ? 死ぬ? 何言ってんだこのフェイクじじい。マルチタスク過ぎて現実が分からなくなったのか?
つーか、なんであんたはそんなに落ち着いてんだよ。あんたこそ呑気に寝てないで真っ先に逃げるべきだろうが。
だから現実感沸かないんだっつーの。
「礼様ッ───!」
「早く行けバカ野郎っ!!」
突然、体がぐらりと傾く。腕に感じる温もりで、ようやくティアフィールに手を引かれているのだと知覚した。
直後。
目の前に、光が咲いた。
広がるのはホロの輝き。一騎を中心に、一瞬で蒼の色彩が宙へと走る。それは数刻の間に球となり、次に瞼を開いた時には皮膜状の障壁として実体化していた。
同時、閃光が一騎に向かって突き刺さった。不快な軋みと共に屋敷の物理セキュリティが破れ、大音響を立てて超強化硝子が砕け散る。そして、そのまま光は蒼の球体へと肉薄し───爆炎と共に天蓋を突き破って天井部分が上へと突き抜けた。
すると、残った天井や壁から突出して来たマグカップ大のセキュリティー・ボッドが開いた穴へと泡を放射し、瓦礫と炎を一瞬で閉じ込める。
それは一瞬の出来事。
片腕で頭を抱えながら、ティアフィールの頭を自分の体の下に置いて飛び込むように床へと伏せる。沈まぬ轟音に恐怖しながらも、俺は必死に現状を理解しようとした。
刺さった光が失せ、突然天井に穴が空いたのを見て思い浮かべたのは、跳弾。
そして、一騎の周囲に展開した蒼の皮膜は……信じたくはないが亜律障壁だろう。
───亜律障壁。熱源や光源、赤外線などを駆使して標的を追尾する追尾型ミサイルを躱すための、架空の電子障壁。どうやらこの完成形は、一部物理的な障壁も展開するらしい。蒼井家の本当の姿を、今この目で見ているような気がする。
「……つぅ。大、丈夫かティアフィール?」
「───っ、何をしているんですかあなたは! 私を庇ってあなたが死んでしまっては意味が無いでしょう!」
その声に、肩が跳ね上がった。
思えば、ティアフィールが感情を出したのは初めてかもしれない。しかし、俺はその事に嬉しさを感じる前に、それがなにを意味するのかを理解した。
彼女は今、怒りの感情を出している。
顔を下げると、そこには怯えと怒りが映る深い蒼の瞳と真一文字に引き結んだ唇があった。
飛び上がるようにティアフィールから身を離すと、突然生まれた何十何百もの鉄の唸り声が全身を震わした。
煙すらない空間の先、割れた硝子の向こうでは、目が潰れるかと思うほどの光の瞬きで満たされていた。
戦場。
なんの実感もないままに、その二文字が俺の頭に降って湧いた。
───あぁ、広域防音が効いているから、これだけ騒いでも問題ないのか。
どうでもいい思考が、脳を一人で歩く。
「早く行けって言ってんだろうが礼!! ティアフィール、とっととそのアホを連れていけ!!」
爆音の中を、一騎の怒鳴り声が四方に響いた。そこでようやく、俺の中に焦りが生まれ始める。
「失礼します礼様っ!」
すると、腕を強く背後へ引かれた。俺は数歩よろけて体勢を整えると、腕を引いている相手──ティアフィールの方を振り返り、扉に向かって走り始める。
……どうかしている。
混乱が、思考を蝕むように俺の頭を埋め尽くしていた。
まともに働かない頭で、扉を潜る。
外から響く、絶え間無い銃撃音。
あちらこちらから聞こえてくる、崩落と瓦解の振動。
窓から吹き付けてくる、埃と硝煙の臭い。
それらに混じって、一つの乾いた音が反響した。