その引き金は5
それらに混じって、一つの乾いた音が反響した。
立ち止まらずを得なかった。
振り返らざるを得なかった。
そして、俺は硬直を強いられた。
───スローモーションで世界が流れていく。
花弁のように、飛び散る紅。
ゴム鞠のように、ひしゃげていく頭蓋骨。
張った弓のように、あらぬ方向へと折れ曲がる胴体。
重力に負けたザクロのようなそれは、数刻前まで蒼井一騎の名を持ったヒトだった。
一面が、朱に染まっていた。
「ぇ────」
思考が止まる。
認識できない。……停滞。知覚したものを理解しまいと停止する。
思考が動く。
思い出す。……回想。記憶したものを忘れまいと稼働する。
何か音を発そうとしても、喉の奥が震えるだけで悲鳴にもならない。
最初に養護施設に来た時の情景。最初に俺を連れて夜食会へ参加した時の情景。最初に俺の名前を呼んでくれた時の情景───。
アレはナニでドレでダレだったのか。
停止した理解の中で、感情だけが表に出ようと躍起になって心を揺さぶる。
───死んだ、のか……?
「礼さんっ!」
直後、ぐっと腕から体全体を引かれた気がした。俺はただ転ばぬように何度も足を前に出して、体を支えているだけ。自分が何をしているのかさえ理解しようとしなかった。
「……様、しっかりして下さい礼様!」
「───っ」
気が付けば、車の後部座席に座っていた。丁度ドアが閉じた所のようで、直後に重力に背中を引っ張られる。窓の外を、猛スピードで景色が後ろへと流れていく。
横を見ると、そこにはこちらの顔を覗き込むティアフィールの姿があった。その顔には、何の感情も乗ってはいない。
「礼様、申し上げにくいことですが、一度一騎様のことはお忘れ下さい。今は何より、明日の朝まで生き延びることが先決です」
「……忘れるって、なにを」
「それは……」
脳裏に、紅い景色がこびり付いてしまっている。鮮明に刻まれた記憶は、時間が経てば経つにつれてよく見えてくる。
「死んだ、んだよな……。ははっ、無理だろ。こんなにもハッキリ覚えてる。俺さ、まだ人が死んでるところ見たことなかったんだぜ? まだ現実感が追いついてないけど、そのうちきっと───」
「礼、様……。───失礼します」
直後、頬に鋭い痛みが走った。
揺れる視界。そこで、ティアフィールに頬を張られたのだと気が付いた。
現実に帰ったところで、現実味のない事実に困惑する。
「礼様、お願いします。今は……今だけは生き延びることだけを考えて下さい」
俺は狼狽えた。
ティアフィールの様子が、明らかに普段のそれと違う。いや、つい数分前までと明らかに違う。一度、当主部屋で感じたものと同じ感覚だ。
……なんで、そんな顔するんだよ。
思うべきでもないのだろうが、ティアフィールの顔には、およそ使用人とは思えない表情が浮かんでいた。常に無感情で最適を判断して行動する彼ら。
だから、何と言うか今のティアフィールは、とても人間らしかった。
そこにどんな感情があろうと、一人の少女にしか、見えなかった。
「わかったよ。……教えてくれ、こういうことは日常的なのか?」
ティアフィールの想いに応えよう。たとえそれが義務から来ているものだとしても関係ない。
だから、その足りない頭を動かせ、礼。
「……銃撃戦、のことですか?」
「そうだ」
頷くと、ティアフィールの向こう側、スモークの貼られた窓の外で真一文字に幾筋もの光が車を追い越していった。背後を振り向けば、同時にすぐそこの空間に弾頭が突き刺さる。
爆音。
至近距離で破裂した合成火薬は、容易く防音機構を突き抜けて鼓膜と肌を揺さぶる。
「───申し訳ありません礼様。少し揺れますよ」
すると、運転席に座るもう一人の男の使用人が、思いっきりハンドルを切った。
途方も無いGに、俺はドアに押し付けられた。見れば、ティアフィールは器用にその場で堪えている。
「……っ、それで、どうなんだ?」
「こんなこと普段からあって堪りますか、って話ですよ礼様」
応えたのは、巧みなハンドリングを魅せる黒スーツだった。
ティアフィールを見ると、彼女もまた神妙な顔で首を縦に振る。
「ですから、本音を言えば私どもも緊張しております。ごくたまに小規模な乱闘や銃撃戦を経験せざるを得ない使用人もいますが、それはごく一部です。……こんなものは、地獄です」
「……一体、どこのどいつなんだ、こんなことすんのは」
「心当たりがあり過ぎますね。っと言っても、これだけの武力を揃えることができるとなると限られてきますが」
車は蛇行する山道を抜け、直線のメインストリートに出る。
「……屋敷にいたやつらは、大丈夫なのか?」
「使用人ですか? 勿論です。彼らは訓練を常日頃から受けておりましたのでご安心ください」
「訓練、ね……」
それはいったいどんなものか。
俺はちらりと横に座るティアを一瞥すると、乏しい知識で想像しながら視線を前に戻し───そして、絶句した。
それはバリケード。
軍用の装甲車と機関砲を積んだ車が数台。車と土嚢と人で作られた茨の壁が、数百メートル先にある敷地の門に待ち構えていた。何十もの銃口が、こちらをピタリと捉えている。突き付けられるのは、確かな殺意。
「加賀ッ!!」
「後ろに置いてある!」
すると突然、ティアフィールが座席の背もたれに乗り出して、何かを探る。───本当に俺はどうしようもない。潰れた胸元に目が引き寄せられる。
取り出したのは、楽器ケースにも見える巨大な黒塗りのハードケースだった。手慣れた様子でそれを開くと、中に収まっていたものが見えた。
恐らくは、銃。……それも、見たことのない形の。
それはアサルトライフルほどの大きさを持ちながらも、銃身と言う銃身が無かった。あるのは、SAMを彷彿させる無数の3センチ四方の口。しかし、銃口だけでなく手元も異様だった。素人目に見ても分かる、電子機器類の群衆。だが、計測器類はひとつも見当たらず、演算装置のみ積まれている印象。
ティアフィールはその中からおもむろに、一本の有線を引っ張り出した。
「加賀! 『After Brain』を立ち上げてる暇がないので、車に処理させます!!」
「もう用意出来てる! 繋げっ!」
引っ張ったコードの行く先は、いつの間にか耳に固定・装着していた視覚投映型のウェアラブル・デバイス。ティアフィールは更にもう一本銃の胴体部分からコードを引っ張り出し、車内の一角に突き挿した。
「開けてください!」
叫んだ先、サンルーフ───と呼んでいいのか、天井部分が大口を開ける。突如、風が横で巻いて轟音が舞い込んでくる。
ティアフィールはギリギリ頭が出ない程度まで座席に膝立ちすると、腰ダメに銃口を斜め上へと向けた。
「環境変数全確定! 撃ちます!」
「───ッ、待て、回避するっ!!」
すると、いきなり加賀と呼ばれた使用人が顔を前方に固定したまま、切羽詰った声を張り上げた。
銀の長髪が、宙へ広がる。
慌ててティアフィールがしゃがむと同時、車内が激震した。
咄嗟に、腕の中に飛び込んできた何かを腕で抱える。
「はっ───」
直後、肺から強制的に空気が漏れる。圧迫された肺腑がキリキリと痛み、暴れる心臓に酸素の供給を催促される。
無理矢理空気を吸い込むと、俺は腕の中を見た。そこに居るのは予想通り、コードを繋いだままの銃を抱えたティアフィールだった。どこか痛むのか、僅かに細めた瞳の横を銀の色が流れる。髪留めが取れてしまったのか、絹のような髪が広がっている。
「ティアフィール、早くしろっ!」
「───、了解」
はっと、フロントガラスを見ると、バリケードがおよそ百メートルの所まで迫っていた。そして前方から、狂った重力に引かれるように銃弾の豪雨が車体に降り注ぐ。その全ては塗装の下に隠れていた装甲に弾かれ、空や周囲の森へと光の尾を引いて消えていく。
そんな中、ティアフィールは再びシートに膝を立てると腰の横に漆黒の銃を構える。
そこに、弾頭が接近する。車は緩急をつけて体を振り、フレアを撒いて躱そうと躍起になって───。
「衝撃、構えろ!!」
直撃する。
フロントガラスに閃光が迸る。それはすぐに熱と共に背後へと流れていき、銃弾の連射が再びやってくる。
ティアフィールは堪えたようで、盾のように横にした銃を構え直す。
「やれっ───!!」
そして、引き金が引かれた。
同時、巨大な音塊と共に星の無い空へ向かって幾十もの小弾頭が吐き出される。風を切って打ち上げられた凶弾は重力に引かれて頭を下げ───そして、加速した。
その様子は、空対地ミサイルの落下運動。
直後、目の前が真っ白に塗り潰された。
「突き抜けます!」
サンルーフが閉じ、車が加速する。そのまま車体は瓦礫と残骸を抜けて、敷地の外へと飛び出した。




