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Level.157 穏やかな時の中で


 近衛一鉄が姿を消した後も祭は続いた。


 しかしながら、橘蓮は極度の緊張からグロッキー状態になって別室で休憩していて、鹿謳院と近衛もまた、何処までいっても運頼みの綱渡りの勝利を掴んだ事で珍しく疲れたのか。祭には参加せずに、統苑会執務室のいつもの席に静かに座っていた。


「──確かに、例年通りであれば聖桜祭は十八時で終わる。だが、今年は二十一時までを『後夜祭』の時間として確保していたと言うのに。全く、何が会長権限だかな」


「あら? 副会長としてこれを承認する、などと白々しい演技をされていたのは何処のどなたでしたか。記憶力が悪くて申し訳ござません」


 舞台上では格好良く祭の延長を口にしていたが、無論ここまで全て予定通り。


 後夜祭で飲食を無料開放する事も全て計画通りで、元より後夜祭用のメニューやドリンクも飲食店に準備させていた為、鹿謳院や近衛、統苑会のメンバーが動き回って調整する必要も皆無。


「全く、兄上にも困ったものだ。このようなギリギリの勝負は避けたい」


「完全に同意致しましょう。出来る事なら二度と敵に回したくない手合いです」


「来年以降の一般来場はチケット制を導入すべきであろうな。民を扇動しおって。一般開放の初年度から十六万人も来場者を集めるなと言いたい。あの男、他人事だと思って好き勝手に暴れおってからに」


「今年はテーマがテーマでしたので、それも相まって来場者が膨れ上がったと思いますが、聖桜祭が広く世間に知れ渡ってしまいましたからね。今後はチケット制を採用するのが無難でしょう」


 どうやら本当に疲れているのか。珍しく軽い愚痴を溢すような二人の会話は、どこか『楽園の庭(エデンズガーデン)』でセレナとマンダリナが交わしている会話に似ていて。


 窓を開いた統苑会の執務室には夜風と一緒に流れ込んで来る後夜祭の喧騒が届いて、いつもの張りつめた空気ではなく、とても穏やかな空気が流れていた。


「──……鹿謳院」


「はい? 如何なさいましたか」


「いいや、まあ、なんだ……今回ばかりは助かったと思ってな。俺一人では絶対に勝てなかったと断言できる。結局手も足も出なかったが、兄上のあの顔を見れただけで悔いはない」


 そして、普段であれば決して口にしないような感謝の言葉が近衛の口からポロリと零れると、鹿謳院もまた何を言い返す事もなく静かに口を開く。


「それは何よりです。ですが、一人では勝てなかったのは私とて同じです。私が一鉄様との勝負に立った所で、手も足も出なかった事は疑いようの余地もありません。それでも、私達の勝ちです」


「ああ。その通りだ」


 力強い瞳で自分を見つめて、いつも通りに自信満々の笑みを湛える鹿謳院を見て、近衛もいつも通りの不敵な笑みを浮かべて見返す。


「(統苑会の会長として戦って、副会長であるこの俺に負けると言う屈辱を味わった直後に、よくもまあ十全に動けたものだ。この女が死ぬほどに負けず嫌いなのは知っているが、それでも個ではなく全としての勝利を追い求めた事は称賛に値する。覚えておけ、鹿謳院。それこそが王たる器だ)」


 自分に敗北した直後、大衆の面前で涙を流さんばかりに悔しがっていた鹿謳院。


 だけど、そんな悔しさを全て飲み込んで統苑会の勝利の為に最大限のパフォーマンスを発揮した彼女に、近衛は心の底から賛辞を送っていた。


「(近衛君と一鉄様との戦い。二十回以上も連続でコインの表裏を的中させるなど、何も知らぬ者からすれば神にも等しい偉業に見えましょう。私も似たような事は出来ますが、同じ事は出来ません。……ですが、そんな事は関係ありません。来年こそは、この手で貴方を倒します)」


 その一方で、近衛鋼鉄に対する執着にも似た強烈な勝利欲求を胸に抱く鹿謳院は、早くも来年の聖桜祭に向けて気合を充填させ始める。


「いずれにせよ、最後に勝ったのは橘だ。あいつは自分が何をやったのかもわかっていないのだろうが、全くもって面白い男だ」


「そのようですね。それにしましても、流石の一鉄様もジャンケンは本当に運頼みなのですね」


「正確には運も必要になると言った所か。鈴木のように相手の手の動きを見てから反射神経だけで勝ちの手を出せるわけではないからな」


「あの子もまた他人とは少々違った特異体質ですからね。それでも、万全な状態であればある程度の予測を立てる事も出来るのですよね」


「無論可能だ。兄上は五つの共感覚を統合する事で、人の纏うオーラのようなモノを感じ取る事が出来るようでな。そのオーラを見る事で相手の思考をある程度は読み取れる」


「……本当に常識離れされた方です」


「全くだ。だが、オーラを読み取るにも条件はある」


「言っておりましたね。相手の声色、目の動き、口の動き、身体の動き、様々な情報を合わせる事で対峙する人間の力量を測ると」


「うむ。故に、兄上にはあの時の橘の思考は完全には読み取れなかったはずだ。なんせ、声はボイスチェンジャーで話す乾や俺のもので、その言葉とてリョウちゃんが考えたものが大半。口許は扇子で覆っていたからな。あの時、兄上の共感覚には複数の人間の情報が流れ込んでいたはずだ。さぞ気持ち悪かった事だろうよ」


「その結果、眼前に居る橘君のオーラを完全に読み取る事が出来なかったと」


「そう言う事だ。だが、それでも勝率は33%。グーを出すと決めたのも、実際にあの男を上回ったのも、どちらも橘の力だ。やはりあいつは大物になるぞ」


「ふふ。確かに、そうかもしれませんね」


 近衛が軽く笑みを溢せば、鹿謳院も同じように笑みを溢す。


 今日ばかりは下らない言い合いをする気はないのか。


 ゆったりとした言葉を交わしながら、パソコンに向かった鹿謳院と近衛が聖桜祭の後処理をしていると、ふと窓の外から音楽が入り込んで来た。


「もうそんな時間か」


「ダンスが始まったようですね」


 聞こえて来たのはその昔舞踏会の為に作られた曲、フランツ・レハールの『金と銀』。


 交響楽団シンフォニー・オーケストラによって奏でられる美しい生演奏が風に乗って聞こえて来た事で、一時作業の手を止めた鹿謳院と近衛は静かに耳を傾ける。


 学園の敷地内にいくつかあるホールで後夜祭を締める為のダンスが始まった事に気が付いた二人は、たった五日間の長かった祭がようやく終わる事に安堵して、小さく息を漏らした。


「後の事は俺に任せて、鹿謳院も後夜祭に向かえ。会長として皆の前に立つがよい」


「私は最後の挨拶の時にでも顔を出させて頂きます。副会長こそ、私の代わりに皆の前に立ってきて下さると助かります」


「断る。此度の主役は俺ではなく生徒だ。これ以上目立つつもりはない」


「では、私もそのように」


 お互いに何か言いたい事があるようだけど、それ以上の言葉が口から出て来る事はなくて。


 二十一時過ぎに一般来場者が聖桜の地より姿を消すと、大カジノホールに生徒を集めて閉会式を開始。


 最優秀クラスの発表や、優秀生徒の発表。


 直に一学期が終了すると言う事でその辺についての報告。


 初の一般開放に対する統苑会の所感や生徒の奮闘を称える演説等々。


 盛り上げる為の開会式とは違って、閉会式は生徒全員の心を鎮める為の静かな空気の中で恙無く終了した。


 最後に統苑会執務室に集まった九人で軽く言葉を交わせば、統苑会の面々も帰宅。


「ではな、橘。柳沢、頼んだぞ」


「はいはーい。レンレンいくよー? だいじょぶー?」


 放心状態の橘を柳沢が送り届けたり。


「打ち上げは! カラオケが良いと思います! 会長!」


「あら、それは素敵ですね、愛理」


「では! 行きま──」


「ええ。私抜きで行ってきてくださいませ」


「……………はい!」


 鹿謳院にカラオケを断られた乾が、プクっと頬を膨らませたり。


 白川と越智と一条で集まってなにやら話をしていたり。


 鈴木が立ったまま目を開いて寝ていたり。


 最後に一瞬だけ騒がしくなった執務室も、全員退室すれば消灯。


「ではな、鹿謳院」


「はい。副会長もお気をつけて」


 そうして、二十二時前。


 鹿謳院を駐車場まで見送れば、そそくさと方向転換をした近衛も徒歩で帰宅する。


 こうして、聖桜学園から全ての生徒がいなくなった所で聖桜祭は終わりを告げた。


 全ての生徒が寄り道をする事なく無事に家に到着したのは二十三時過ぎ。


 早寝早起きをモットーにしている鹿謳院と近衛は激しい睡魔に襲われていて、一秒でも早く寝たいと考えていた。


 しかし、それ以上に話したい人が居た二人は、珍しく夜遅くに楽園の庭にログインしていた。

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