上 孤独な人気者
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キーン、コーン、カーン、コーン…。カーン…。カーン…。
学園中に響き渡る鐘の音がデジュネの訪れを告げた。
デジュネ。ガイア帝国随一の名門校で学びに励む令息令嬢達にとって、この時間は唯一の憩いの時である。厳格な規律に支配された彼らも今はそれを忘れ、解き放った華やかな喧噪の中にその身を置いていた。
「…フルール・デスポワールですか?デジュネになるや否や、すぐにお部屋を飛び出して行かれました…。」
「はぁ…。一足遅かったか…。」
「それで、フルールはどこに行かれたのだ?」
「…ええと…申し訳ありません。どちらに向かわれたかまでは存じ上げません。」
詰め寄られている女子生徒は伏し目がちに頭を下げた。
「やれやれ、どこに行かれたかくらいは把握しておいてほしいものだね。」
「…チッ、使えないな。もういいよ、下がれ。」
「これ以上ここに居ても仕方がない、次だ、急げ。」
ここに目当ての人物が居ないことを知ったの男子生徒達は、傍で控える女子生徒には目もくれずそそくさと喧騒の中に消えていった。
男子生徒の姿が消えるや否や数名の女子生徒が頭を下げる女子生徒の元に歩み寄る。
「……また、フルール様目当ての上級生?…感じわる。」
「まったく!上級生は私達を何だと思っているのかしら!楽しい気分が台無しだわ!」
「まぁ、まぁ、いつもの事でしょ。でも、いくら上級生だからってあれじゃあねぇ、さすがの私でもお断りかな~。」
「あら、意外だわ。貴女の事だから名のある家の嫡子であれば、誰でもいいのだとばかり思ってた。」
「あははっ。あんなの嫌だよー。」
口々に悪口を吐く女子生徒達に頭を下げていた女子生徒が制止をかけた。
「それくらいにしておきなさいよ。どこに耳があるかわからないのだから、あんなのでも伝わったら面倒よ。今はそんなことよりフルール様だわ。お可哀そうに…少しでもお力になって差し上げたいと思うのだけど…。」
「それわかる!フルール様って下級生の私達にとても丁寧に接してくださるものね。他と違って!」
「とはいえ、私達からお誘いしても、やんわりとお断りされるし…。」
「そうね、入学してしばらく経つけれど、いつもお一人なのよね。同じクラスの者ですらフルール様と懇意にしているところを見たことがないわ。…最近じゃ、そろそろ学園をー。」
その後に続けようとした言葉は別の女子生徒の苛立った声によって遮られた。
「ねぇ!早くレストランに行こうよ。今日は有名の五つ星店のシェフが来る日だよ?ぐずぐずしてたら席がなくなっちゃうよ!」
「そうだった!私、今日のスペシャルデセール!とても楽しみにしてたの!」
「でしょ!それにフルール様ならきっと今頃、私達の食べたこともないような美味しいもの食べてるよ。早くみんなで食べに行こうよ。」
女子生徒たちの考えはたちまち花の心配から団子の心配へと切り替わった。
「ふふっ。貴女の言う通りね。美味しいものを食べて嫌なことなんてさっさと忘れましょう!」
下級貴族の女子生徒達は楽しそうな声を響かせながら、華やかな喧騒の中に紛れて行った。
その頃、マーリンの姿はそんな彼女達とは対照的な場所にあった。
マーリンの居る場所に楽しそうな声や女子生徒達が食べたこともないような美味しい食事はない。
ここにあるのは忘れ去られたかのような静けさと、マーリンのため息だけである。
マーリンが居るのは使われなくなって随分経つガゼボだった。
雑草と木々に埋もれるようにひっそりと佇むそれは、満足な手入れがされることなく風雨にさらされ続けた結果、全体的に黒ずみ、苔むしていた。
「はぁ…。」
熱狂的な信派から逃れ、居心地の良いラウンジでデジュネを過ごしていたはずのマーリンがなぜこのような所に居るのか。
それはフェアチャイルド公爵家の令嬢、アンネリーゼがあの日以来毎日のように姿を見せるようになったからである。
ラウンジを気に入ったアンネリーゼは、あの後も取り巻き達を使ってマーリン以外の人を人払いして続けていた。
それを見て見ぬ振りできないマーリンは、意を決して『ここはみんなで使う場所である』と止めるように注意をした。
意外なことにアンネリーゼはすんなりとそれを聞き入れたのだ。
しかし、その日を境にラウンジの利用者の顔ぶれが変わることになった。ラウンジの利用者はアンネリーゼに近しい令息令嬢がほとんどを占めるようになったのである。
その結果、アンネリーゼ達を除く他の利用者がラウンジを使うことができなくなった。
マーリンはラウンジを追い出されてしまったのだ。
以来、マーリンは静かな中庭や湖のほとりなど学内を転々とすることになったが、そんなマーリンを彼らが放っておくはずがない。行く先々で彼らは現れマーリンの事をフルール・デスポワールと呼んだ。
思うところがあって、彼らを素直に受け入れることができないマーリンが少し前にたどり着いたのが、この放置された場所だったのである。
この場所に来るようになってから、マーリンが誰かから名前で呼ばれることはなくなった。
古びたベンチに腰かけていたマーリンは、もう何度目かの深いため息をついた。
「はぁ…。どうしたらいいのかしら…。やっぱり…いつも話しかけてくれるクラスメイトの彼女達を、傍に置けばいいのかしら。」
マーリン達にとってそうしたほうがずっと普通であることは理解している。例えば、誰かに相談したところで同じ答えが返ってくるのはわかっていた。
しかし、マーリンがその答えを選ぶことはなかった、それは彼らと違いマーリン自身が求めている関係ではないからだ。
仕方なく逃げるという選択をしたが、それは決してマーリンのしたいことではない。
とはいえ、ここに至るまでに彼ら、もしくは彼女達とどう接するのが正解だったのか。また、これからどうすればいいのか、その答えはいまだにマーリンには分からなかった。
答えの見いだせないマーリンは結果として、孤独な人気者になってしまったのである。
「はぁ…。それにしても、静かね…。静かなのはいいけれど。さすがに、ここは気分が沈むわね…。」
鬱蒼とした風景にマーリンのため息と独り言、それに加えて。
ぎゅるるる〜…
腹の虫の訴えが響く。マーリンはしょんぼりと肩を落とすとお腹に手を立てた。
「はふ…お腹がすいたわね…。」
鐘の音が鳴るや否や講義室を飛び出したマーリンが昼食など食べているはずがない。
マーリンがなだめるようにお腹をさすりながら何度目かになるため息をついていた、ちょうどそんな時だった。
「…やっぱり、ここにいたのか。」
「えっ!?」
思いもよらない声色に驚いたマーリンは弾かれたように振り返った。そこに居たのは・・・。
「…ミーシャ!どうしてこんなところに!?」
そこに居たのは幼馴染のミハイル=ルフトハンザだった。
ミハイルは上手に雑草を踏み分けながら静かにガゼボまで歩み寄るとマーリンの問いに答えた。
「ここには一人で過ごしたい時によく来るんだ。…静かで、人は滅多に来ない。だから、もしかしてと思思ったんだ。そうしたら案の定ね。…座ってもいいか?」
「あ…えぇ、どうぞ。」
全体的に薄汚れてはいるが他にもベンチはある。ところがマーリンは迷うそぶりもなく自分の隣に一人分のスペースを空けた。ミハイルは一瞬考えたが、勧められたと解釈して隣に座ることにした。
「それじゃぁ、隣、失礼するよ。それから、はい。これ。」
ミハイルは座るなり持っていた茶色い紙袋の片方を差し出した。マーリンは目の前の紙袋とミハイルの顔を見比べながら尋ねた。
「…これは?」
「昼食。マーリンの事だからきっとお腹を空かせてるじゃないかと思ってね。俺の分と一緒に買っておいた。君の食べ物の好みが昔と変わっていないといいが…。」
「うん…ありがとう…。」
差し出された紙袋を受け取ったマーリンは折られた袋の口を開けて中を覗き込んだ。
「わぁ、これ!」
袋の中を見たマーリンは表情を綻ばせるとキラキラとした瞳をミハイルに向けた。
嬉しそうなマーリンの様子にミハイルは、はにかむように微笑んだ。
「……よかった。その様子だと、いちごジャムのサンドイッチが好物なのは、あの頃と変わっていないみたいだな。」
ミハイルの言葉を聞いたマーリンの表情はさらに輝いた。
「覚えててくれたのね!」
「…まぁ、一応な。」
「ふふふっ!ありがとう、ミーシャ!遠慮なくいただくわ!」
元気を取り戻したマーリンは大事そうに紙袋をキュッと胸元に抱くと口早に祈りを捧げ始めた。
食前の祈りもそこそこに終わらせたマーリンは、紙袋からサンドイッチと一緒に入っていた飲み物を取り出すと、ウエットティッシュで手を拭いてから、飲み物にストローを挿し、もどかしそうにサンドイッチの透明な包装を取り払った。
「いただきます。はむ!」
そうして待っていましたとばかりに、いちごジャムのたっぷりと詰まったサンドイッチにかぶりつくと、頬に手を当てて満面の笑みを浮かべた。
「んんー!これよ、この味なの!甘酸っぱい苺の香り!はむ!」
その様子を見守っていたミハイルは楽しそうに笑いながら軽い口調で言った。
「ははっ、相変わらずだな。今の君ならそんなものはすぐに食べられるだろうに。」
「むぐ?むぐむぐ…。んく。ちゅーちゅー。んく…。」
マーリンは紙パックのフルーツジュースで喉を潤すと、やれやれといった様子でミハイルを見る。
「…ミーシャ、いくら学園に通える歳になったからって、いつでも、なんでも、好きな物が食べられるわけじゃないのよ?今だって食べる場所も、時間も、量も、ぜーんぶ決められてるんだから…。あなたがうちの屋敷に居た頃とちっとも変っていないわ。」
その言葉を聞いてミハイルはほんの少しだけ笑顔を曇らせた。
「そうか。そんなところも相変わらずなのか…。なら、ゆっくり味わって食べてくれ。ここにはそんな縛りはないからね。」
「ええ、言われなくてもそうさせてもらうつもりよ。ふふふっ!はむっ!…。」
マーリンはとても嬉しそうにいちごジャムのサンドイッチをほおばった。
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長くなりましたので、話を分割しております。
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