04.原告・エステレイア
弾劾裁判イベント後の後日談です。
※すこーし、修正しました。ご指摘ありがとうございます
「エスト。俺のものになれ」
壁に押し付けられた背中。顔を背けることすらできないほど近くにかかる吐息。
ハイッ、壁ドンいただきましたーーーっ!
乙女ゲーのスチルだったら大興奮間違いなしのこの状況、素直に喜べないのは……
――私が壁ドンされてるからだよ!!!
ここはエステレイア女伯爵領の領主館。
元は王族の別荘だったものだが、王領地の割譲と共に下賜された。そして今まさに壁ドンイベントが発生しているのは私、風間早織改めエステレイアの執務室である。
ロイデベルク王太子殿下はその碧い瞳を細めると、壁についた手とは逆の左手で私の耳に触れ、巻かれた金の髪を掬い取った。
「もう一度言う。俺のものになれ」
過日のパーティーで私との婚約破棄を宣言した(そして地方の一領主になってしまった)クリスティアノ元第二王子殿下の実の兄、ロイデベルク王太子殿下。
私が女伯爵として封じられてから、やれ引き継ぎだの領地経営のアドバイスだのと理由をつけては頻繁にこの地を訪れていた。
殿下は見識深く、勤勉で、教えるのも上手い。慣れない領地経営で孤軍奮闘する私を常に気にかけ、労ってくれた。
しかしいつからか、その眼差しに熱を感じ、髪や頬に触れてきたりスキンシップが過剰になってきて――。
「そ、そのようにおっしゃいましても……私にも抗弁する権利がございます」
私が身を捩ろうとすると、ロイデベルク殿下は壁についた腕を曲げますますその距離を縮めてきた。
「ほう? なら述べてみろ。貴女が真に俺を拒むのなら、蹴り上げてでもここから逃れるはずだ。貴女はただ男の後ろで震えているだけの女ではない――。そうだろう?」
図星だった。つかさりげなくリーリアたんをディスってる。
確かに、もし本当にロイデベルク殿下のことが嫌だったら、こんな状況になった瞬間手持ちのろっぽーぜんしょの角で殴り付けている。
でも、それができない。
日に透かせば溶けてしまいそうな淡い金髪に、切れ長の碧眼。弟のクリスティアノに比べて少し大人びて涼やかなその顔は、さすがメインヒーローの実の兄だけあって溜め息レベルに美しい。
こんな顔面チート男にぐいぐい迫られて、絆されない女なんているわけない。もちろん前世で机に齧りついていた私に、耐性などあるはずもなく。
――わかってる。わかってるよ、こういうの、ハニートラップっていうんでしょ!?
エステレイア女伯爵領は元々は王領地である。もしも私がロイデベルク殿下と結婚すれば、あげた土地は丸々王家に戻るってスンポーよね!? そうよね!?
「まさか、俺が貴女を懐柔して領地を取り返そうとしている……などと思っているのか?」
どきぃっ!
「え、ええ。そうでないという証拠はございませんわ!」
私が精一杯の虚勢でツンと突き放してみせると、殿下は整った眉をせつなげに歪めた。
「…………。俺の貴女への想いがどれほどのものか、胸を割いて見せられたならどんなにいいか……」
あーあーーもう! 憂いの表情差分までいちいち顔がいいな!
本家「カレキス」では、クリスティアノENDの中に後ろ姿で登場しただけの超チョイ役なのに……!
ベ●ータみたいな捨て台詞ひとつしか出番なかったのに……!
ときめきく本心を悟られまいとなおも強気に睨み付ける私。するとロイデベルク殿下は曇らせていた表情を一変させ、それはそれは美しく不敵に笑った。
「ああ。その瞳、やはりいいな。――ますます欲しい」
うわーーっ! 煽ってんじゃないぞ私ぃーーっ!!
「で、殿下は女性の趣味に少々問題があるんじゃありませんこと?」
「そんなことはない、エスト。貴女は美しい。俺は貴女に恋をしたんだ。……あの夜に」
あの夜とは、例の弾劾裁判イベントが起こったパーティーのことだろう。
「でででででも、あの日は殿方を相手に詭弁を弄して大声で立ち回り、とてもそんな、淑女とは……美しい女とは言えなかったと思いますが」
「いや、俺は美しいと思ったんだ。貶められ、屈辱にまみれてもなお、気高くあろうと立つ――貴女の涙を」
“笑顔を見せてくれないか、エステレイア”
あの日、泣いていた私を包んでくれたのは他ならぬロイデベルク殿下だった。
零れた涙を優しく拭い、私の両頬に触れた殿下の両手。あの時の感覚を思い出すと、じわじわと顔の真ん中に熱が集まってきてしまう。
「残念ですけど私、そう何度も人様に涙を見せたり致しませんわっ」
生前の風間早織の意地っ張りのせいか、はたまたエステレイアの生来の悪役気質のせいか、素直になれない私はぷい、と視線を反らす。
しかしロイデベルク殿下は、くつくつと楽しげに喉を鳴らすのだった。
「そうか? ならば試してみよう」
「何を――――っ んっ……!」
金の髪を弄んでいた殿下の左手が素早く私の顎を掴み、壁に押し付けたかと思うと唇が重ねられた。
驚きのあまり声にならない悲鳴をあげたその口に、殿下の舌がするりと割って入り。
突然奪われたファーストキスは、初心者には刺激が強すぎるレベルで激しく、淫らで、情熱的だった。
や、やめろぉお! こんなのわいせつキッス陳列罪でしょうが!!
舌が溶ける! 犯罪! 起訴ぉおおおお!!
ドコドコとドラミングで威嚇する頭の中の私とは裏腹に、現実の私はただ、彼のもたらす口付けの嵐に翻弄されるしかなかった。
息苦しさと混乱と羞恥で一杯になり、思わず瞳を潤ませてしまった私を、ロイデベルク殿下は心の底から楽しげに――そして、いとおしげに見つめていた。
「わたくしはぜーーーったい、反対です!!!!」
ロイデベルク殿下――ロイド様に熱烈なアプローチを受け続けて半年近く。
――ハイ、無理でした。
恋愛経験値ゼロの干物女の私がリアと充の申し子みたいなガン攻め王太子の猛攻をかわしきれるはずがありませんでしたチョロくて申し訳ありませんでした。
いやでも、半年粘ったの我ながらすごくない??
最早観念して彼の愛を受け入れ、ロイド様に惹かれる自分自身の気持ちも認めた私。
このたび国王陛下に婚姻の承諾を得るべくおよそ10ヶ月ぶりに王都に戻ってきていた。もうまもなくあの弾劾裁判イベントから1年が経とうとしている。
クリスティアノ殿下との婚約破棄に加え、王領地をぶん盗った前歴のある私のことを、陛下が簡単に認めないであろうことは覚悟していた。
だが……なんと、驚くほどあっさり許可された。
「そなたのような聡明で胆力のある女性こそ、王太子妃にふさわしい!」
――との、ありがたいお言葉までいただき。
しかし、さすがに満場一致とはいかなかったらしい。
それがこの、ロイド様とクリスティアノの妹君ナターリエ王女殿下である。
ナターリエ殿下は両腕を組むと、フンッとふんぞり返ってソファーに腰かけた。
「クリスお兄様と婚約しておきながらこの王都から追い出すような仕打ちをして、更に今度はロイドお兄様と結婚なんて! うらやまけしからんですわ! きぃーーっ!」
……王女も中に日本人入ってるのでは?
向かいに座った2つ年下のこのお姫様を、私は冷ややかな目で眺めた。
ブラコン妹の嫉妬と思えば可愛いものだが、「カレキス」の世界では16歳で成人。この姫もいつ輿入れしてもおかしくない年齢である。
目の前でこき下ろされている私よりも、隣に座ったロイド様の方が不機嫌そうだ。
「ナターリエ、俺の婚約者を侮辱するのはやめてもらおう。エスト、すまない。ナターリエにはゆっくり説明しようと思う。内々の顔見せや手続きなど早速やるべきことが多くあるから、しばらくはこの王城に滞在しなさい。ナターリエも……その間、仲睦まじい我々の姿を見れば承服せざるを得なくなるさ」
そう言ってロイド様が私の横顔にこれ見よがしにキスするのを見て、ナターリエ姫は持っていた紅茶のカップにヒビを入れた。
あーあ。これは一筋縄ではいかない予感……。
案の定、ナターリエ姫は大人しく引き下がりはしなかった。
王宮滞在2日目。
応接間に呼び出されて扉を開けたら、上からインク瓶が降ってきた。当然ドレスは台無しである。
王宮滞在7日目。
姫の案内で中庭を歩いていたら、落とし穴に落とされた。城の庭に穴掘っていいんかい。
王宮滞在10日目。
国王陛下も同席される晩餐で、姫の侍女に案内されるまま席に着いたら……尻でカエルを潰した。
あの時ドレスの尻の下から聞こえた哀れなカエルの悲鳴を私は一生忘れまい。
「ナターリエ殿下! いい加減にして下さらないと私…………訴えますわよ!!」
王宮滞在12日目、王族揃い踏みの茶会にて。
ついに堪忍袋の緒が切れた私は、国王や王妃の御前にあるにもかかわらず、思いっきりそう叫んでいた。
王宮にやってきてからのこの2週間弱、私は姫から先に述べた他にも有象無象の嫌がらせを受けていた。
大事にしたくないからと、周囲に口止めして黙っていた私の対応も良くなかった。
結果、私は何着かのドレスをダメにし、他にも身の回りの物をいくつか失くされている。その上落とし穴に落ちた際には足首を捻挫してしまった。
パラメータがオール700オーバーでも、中の人がポンコツだとあっさり怪我をするという見本です。
流石に捻挫は隠しきれず、ロイド様が大激怒した。
妹を簀巻きにする勢いだった彼を「これは私自身の問題なので、もう少しだけ黙って見守っていてほしい」とどうにかなだめ、矛を収めさせたのだ。
ええ。今となってはこれが悪手だったとわかります。
「おーっほっほっほっほ! やれるもんならやってみなさいこの法律ブス!!」
悪役令嬢も真っ青な悪役っぷりで高笑いをするナターリエ姫。その手には「ぽんぽんぺいんの薬」とかかれた小瓶が握られている。
それ、下剤とちゃうんかい。
私の紅茶に盛る気だったんかい。
どうやら私の中に1ミリくらい存在していた「義理の家族になる人に嫌われたくない……」という極めて日本人的な事なかれ主義が、彼女をここまで増長させてしまったらしい。
「ナターリエ。流石にお前の遣り様は少々目に余る」
ほら、陛下も苦言を呈しているじゃないか。
しかしナターリエ姫はめげない。
「わたくしは、この身の程知らずの女に教育的指導をして差し上げてるだけですわ!」
教育で人を下痢にするつもりか。
まったく反省の色を見せない姫に、国王陛下は額を抑えてふー、と息をついた。
「すまないエステレイア。末に生まれた姫だからと、少々甘やかしすぎたかもしれぬ。こうなったら修道院にでも放り込んで性根を叩き直してもらうしか――」
「アッ、いえ別にそこまでは望んでいませんので」
「――良い。エステレイアよ、こやつを訴えてやれ」
「えっ??」
国王陛下のまさかの発言に、私はたじろいだ。
訴える、と言ったのは勢いというか言葉のあやで、本気ではなかったからだ。
私は別に誰彼構わず訴訟をふっかける法律ヤクザじゃないのよ! ええ、決して!
私が困った顔で隣のロイド様を見ると、彼は平然と――見る者が見れば凍りつくような冷たい目で紅茶を飲んでいる。
「いいじゃないか、エスト。いい加減俺も腹に据えかねているし、貴女がやらないなら俺が訴えてやろう。わが婚約者の神聖な尻でカエルを潰させた罪で」
「あの時のカエルさん、『ぎにゃあ°!!』って怨霊みたいな声を出してたわよねぇ……」
神聖な尻ってなんぞ。
王妃様も思い出すのはやめてください。
「ええ……でも……」
「ほーっほっほっほ! ほら見なさい、やはり口だけなのよ! 法律がどーのこーの、そんなの王族のわたくしにはちっとも怖くなんてないわ!」
カチン。
私の中で何かが凍りつく音がした。
「フフフ……。いいでしょう、姫様。私、貴女に損害賠償請求の訴えを起こしますわ」
「ふんっ! やれるもんならやってみなさい!」
よーし、言ったな?
女に二言はないからな?
ファレノの法が万民に平等であることを、とくと思い知らせてやるわ!
怒りとよくわからない意地に燃える私はその日の内に、ナターリエ姫に対する損害賠償請求の訴状を書き上げた。
請求内容は、破損したドレスや身の回りの品の賠償、足首の捻挫に対する治療費、そしてそれらを含めた数々の精神的苦痛に対する慰謝料――ちょっとふっかけて総額金貨5000枚だ。
カエルくん、お前のカタキ(死んではいない)は私が取る。
そうして証拠を完璧に揃え、相手方の反論を想定し、準備万端で望んだ初回の期日。
ナターリエ姫は――――
来なかった。
「ほーっほっほっほ! あんな下らない裁判、わたくしが出るまでもないわ! ざまあみろよ!」
「あの……姫。欠席判決って言葉、ご存知ですか?」
「へっ?」
そう。ナターリエ姫は私の訴えに対し、完全無視を貫いた。
代理人も立てず、答弁書も出さず、期日もバックレた。
――これをするとどうなるか。
被告であるナターリエ姫は原告である私の訴えを全面的に認めたことになり、100%私の主張通りの判決が出る。
はいっ、金貨5000枚の判決いだきましたーあざーす!!
「まあ、ナターリエ。しばらく新しいドレスは我慢しないといけないわね」
「お前の所有する資産から払うのだぞ」
両陛下にすげない言葉で突き放されて。
ナターリエ姫は青ざめた顔で項垂れた。
陛下からは後できっちりお灸が据えられるだろう。
「あっはっはっは! 王族を訴えてあっさり全面勝訴とは、歴史に残りそうだな!」
いつもニヤリ、くらいしか笑わないロイド様が腹を抱えて笑っている。そんな歴史の残り方はイヤだ。
「もうっ……。なんだかムキになってた私が馬鹿みたいです」
「いや、エスト。貴女は賢い女さ。――賢くて、可愛い女だ」
そういうと、ロイド様が私の頬にキスを送る。
「へ、陛下の御前で……!」
「結婚式では、もっと熱烈なものを出席者全員に見せつけてやるさ」
そうだ。私は結婚するんだ。
この美しく聡明で、少し強引だけど男らしいロイド様と。
――結婚式に列席する義妹には、私のポケットマネーで素敵なドレスを用意してあげよう。
私はそう決めると、首を少し傾けて隣に立つロイド様に身体を預けた。
◇
後日、ナターリエ姫が泣きながら謝罪にきた。
「大好きなお兄様が急に二人とも結婚することになって、寂しかったのだ」と。
寂しいからって落とし穴を掘るのはどうかと思うんですが。
謝罪を受け入れた私に、「実は貴女に感謝しなければならないことがあるの」と姫は赤い鼻をかわいらしくすすりつつ、はにかんだ。
私との訴訟騒動で、ナターリエ姫は未婚王族としてその資質にケチがついてしまった。つまり、他国にとつがせるには相応しくないと。
そして今、彼女はとある臣下への降嫁が検討されている。その相手が、ナターリエ姫の初恋の近衛騎士さんらしいのだ。
あらあらあら。これが俗に言う、雨降って地固まるってやつ?
そういえば最近、田舎領主になったクリスティアノから手紙がきた。
「土いじりは楽しいぞ! お前の結婚式にはわが畑自慢の人参を献上するから楽しみにしておけ」だそうで。
田舎生活が板につきすぎです。
ノルンは隣国に留学したとか、オズワルドは騎士の道を極めるために日夜修行に精を出しているとか、ヨシュアはうっかりタンスの角に頭をぶつけて瞳に封じられている魔王が目覚めそうになったとか、色々な話も漏れ聞こえてきて。
何はともあれ、めでたしめでたし。