第7話「冷たい指先」
母の悲鳴に似た声が家の中に響いた。
窓の光が傾き始めた頃、布団に寝かされたラクスの体が異様に冷たいことに気づいたのだ。顔は青ざめ、手足はぶらりと力が入っていない。
(ラクス? ちょっと、どうしたの……?)
普段なら、ぬくもりのある肌が布の中に生き生きと息づいているはずだった。だが今、まるで何かを失ったように冷たい。母、ルーネは抱きしめたまま震え、声を荒げて叫んだ。
「リオンっ!!来てっ!!ラクスがっ……!」
居間の方から急ぎ足で駆けてくる音がした。父、リオンが鋤を投げ出して家に飛び込んでくる。目に映ったラクスの様子に、一瞬眉がひそまり、息を飲んだ。
「……息はしてるな。だが、冷えている。ルーネ、落ち着け。大丈夫だ」
「大丈夫って……!」
「ラクスは強い子だ。すぐ戻る。村長に相談してくるから、頼む、見ててくれ」
それだけ言うと、リオンは外套を掴んで家を飛び出した。
走っていく後ろ姿に、ルーネは布団の隣で膝をつきながらかすれた声を絞る。
「お願い……リオン。ラクス……あなた……」
ラクスの冷たい手を両手で包み、さすり続ける。温かさが戻るように、何度も背や足に手のひらを滑らせた。震える体に、焦りと祈りが混ざったような涙が一粒だけ頬に落ちた。
リオンは村の坂道を駆け上がりながら(たのむ、無事であってくれ!……)と祈り焦っていた。大丈夫と言ったのはルーネを落ち着かせるためで、根拠はない。そのまま息を切らすことなく村長宅の扉を叩いた。
「村長、急ぎの相談だ。息子の様子がおかしい。体が冷えていて、意識を失ってる」
急に入ってきたリオンに特に驚くこともなく、落ち着いた様子で話しかける。
「ふむ……ラクスか」
白髪交じりの髭を撫でながら、村長はゆっくり立ち上がった。
「体が冷えている?まだ赤ん坊じゃろう?いや、まさかとは思うが……」
書棚の隅に置かれた記録帳を手に取って、リオンの顔をじっと見つめる。
「考えにくいが……魔力枯渇を起こしている可能性がある。昔な……まだわしが若かった頃だ、こんな話があった。魔力の芽吹きが早すぎて、制御できず、枯渇状態のまま回復できずに……亡くなった赤子がいたと聞いたことがある」
リオンの眉がわずかに動いた。拳を握る。
「そんな……!まだ魔法の教育もしていない、そんな段階で……」
「まあ、じゃがそこまで心配せんでよいじゃろう。普通、魔力制御とは息をするようなもんだ。一度感覚を覚えれば、そう簡単に忘れはせん。生まれてすぐなら危険な状態かもしれぬが……これは意識の回復を待つしかない。今はまず温めてやることじゃ。火を使いすぎず、布と体温でな……」
リオンは一度、静かにうなずいた。
その目には、父としての動揺と、揺るぎない信頼が混ざっていた。
「ありがとう、村長。家に戻る」
戸を開けて再び走り出す。夕陽が村の屋根に差しかかり、家々の影が長く伸び始めていた。
家の中では、ルーネがずっとラクスの体を布で包み、頬に自分の額を寄せながら、耳元でささやいていた。
(戻ってきて……ラクス。あなたは強い子よ……)
魔力とはなにか。
命とはなにか。
知らずに越えてしまった境界線の向こうで、ラクスは眠っていた。
静かに、深く――けれど、その胸はかすかに上下していた。
次の目覚めは、きっと何かを教えてくれるはずだ。