第1話「風の記憶」
初書き。書いてて設定が崩れる。うーん、難しい。
ぼくは、死んだのだと思う。
ビルの屋上から身を投じた瞬間、風の感触があった。その冷たさに身体が震え、視界が空へ溶けた。何かが起こるはずだった。魔法が……覚悟さえあれば、手に入ると信じていた。飛べると思った。
でも、何も起こらなかった。
次に目を開けたとき、ぼくは赤ん坊になっていた。見たこともない天井。薄い布に包まれている感覚。顔を近づけて泣いている人がいた。女の人だ。目が腫れていて、声が震えている。
「……ラクス」
何度も何度も、ぼくの顔を見ながら呼びかけている。彼女だけじゃない。まわりにも、見知らぬ人たちがいる。年配の女性、少し若いおばさん、見知らぬ言語で何かを言い合いながら、布を整えたり、湯を沸かしたりしている。
誰も日本語を話していない。でも、ぼくには彼女たちの仕草の意味が分かった。理解というより、雰囲気を受け取っている感覚。生まれて間もないはずなのに、異様に頭が冴えていた。
外の光が気になって、布の隙間から窓を見た。開け放たれた窓の向こうに広がる空は――まるで海のようだった。高く、静かで、眩しくて、どうしようもなく懐かしかった。『空が恋しい』理由なんていらなかった。この空を知っている気がした。生まれてから一度も見たことがないはずなのに、ぼくの中にはこの空に似た何かが残っていた。雲の流れ、光の粒、風の厚み。すべてが、記憶の奥を刺激する。
そうだ、前世――ぼくは、魔法を使えるはずだった。飛ぶための魔法。空を駆けるための力。それがあれば、落ちることなんてなかった。あのとき、魔法は使えなかったけれど……本当に使えなかったのだろうか。
なぜ、転生だと分かるのか。誰にも教わっていないのに。わかる、ぼくは前世から続いている。この身体は新しくても、意識はかすかに継がれている。
そして、なぜだか知っている。空にいる時間が長かったこと。風と対話していたこと。空の上で部下に指示を出していたこと。その瞬間の記憶は朧げで、形を持たない。けれど、胸の奥に確かにある。ぼくは、空を駆けていた。それはただの夢じゃない。魔法航空師団――そんな名前すら、ぼくの頭に浮かぶ。なぜそれを知っているのか分からない。でも、響きが鮮明に脳内を過った。
この世界に魔法があるかは分からない。使っているところをまだ見ていない。でも、あってほしい。願いというより、そうでなければ何のためにここに来たのか分からなくなる。
空が、ぼくを呼んでいる。
ぼくの名前は、ラクスだという。生まれる前から決まっていたらしい。名前の意味なんて分からない。だけど、言葉にならない音で「ラクス」と呼ばれるたび、ぼくは心の奥が震えた。
父と母は泣いていた。何度も何度も顔を見ては頬を撫でていた。父の手は土で荒れていて、ごつごつしていた。母は、何度も「ありがとう」と言っていた気がする。それも日本語ではなかったけれど、ぼくには通じた。
この世界は温かい。窓から風が入ってくるたび、外の空気が胸に刺さる。あの空へ――まだ届かない。今のぼくは何も持っていない。言葉も、歩く力も。でも、必ずいつか空へ還る。
飛ぶことは、命を失うことじゃない。今度こそ、生きたまま空を手に入れる。
それが、ラクスとして生きるぼくの始まりだった。