第2話「窓辺で目覚める朝」
ぼくは、まだ自分の身体を思い通りに動かせない。
眠気に襲われれば目を閉じるしかなく、空腹を感じれば泣き声をあげるしかない。下半身に不快感を覚えれば、その違和感に手足をばたつかせ、母の胸の中で声を震わせる。いまのぼくにできることは、すべて「泣く」という行為に集約されていた。
この家は木造の平屋で、柱や梁の木目が荒々しく、赤茶けた色をしている。天井には煤が薄く積もり、隙間から差す朝の光がほこりを明るく浮かび上がらせる。
床は節のある板張りで、かすかな隙間から外気が忍び込む。冷たい風が、ぼくの頬をすり抜けた。壁には漆喰と木の組み合わせで作られた装飾があり、ところどころに小さな飾り棚が付いている。
棚には素焼きの小皿や木彫りの人形が並び、風が通るたびにかすかに揺れて音を立てる。その音を聞くたびに、ぼくはこの場所が「家」であることを体で感じ取った。
室内には明かりを灯す油灯があるらしいが、まだ灯油は入っていないようで使われていない。窓は木枠に透明な樹脂板か薄いガラスのようなもので覆われ、外の景色をぼんやり透かす。
外気はひんやりしていて、窓の向こうに見える空は灰色がかった青色だ。日の光とは少し違う、静かな明るさが部屋の奥まで届いている。
母はぼくを抱き上げ、厚手の綿布でくるりと包み込む。そのとき、まわりの景色はすべて布の内側に押し込まれ、視界は真っ暗闇になる。母の心臓の音、胸の上下動、布の肌触り――それだけが確かに伝わってくる。ぼくは布の中で小さく拳を握りしめながら、どうにかして外を見ようともがいた。
(ラクス、お腹が空いたのね……)
母の言葉は日本語ではないが、優しさに満ちていた。母乳の温かさと、彼女の腕に抱かれる安心感に包まれながらも、ぼくの奥底ではずっと「外の世界」を求める声が鳴っていた。
首がまだ座っていないせいか、母はおんぶをしてはくれない。父も見かけたが、いつも畑仕事か魔物狩りの打ち合わせで忙しそうだ。抱っこはしてくれるけれど、胸の前に固定されるため、周囲はほとんど見えない。
まともに視界が確保できる窓の前に連れていってくれたことは、一度もなかった。ぼくは湿った母の髪の匂いと、汗に混じった木の香りを嗅ぎながら、自分の手足がどこまで動くのかを確かめた。腕を伸ばしても、わずかにしか動かない。足先はぼんやりしており、意志とは関係なくぴくりと跳ねただけだった。
世界を掴む力は、まだぼくの身体には備わっていない。それでも、ぼくの瞳はいくつかの方法で外を探した。抱きかかえられたまま、母の顎の下でわずかに透ける空──あの窓越しの色。時折、母の肩越しに差し込む光の帯が、ぼくのまぶたをくすぐった。その先にあるのは、やはり空だった。どうにかして、おんぶをしてもらえないだろうか。背中越しにあの空を見てみたい。
寝返りすら打てないいま、ぼくに残されたのは、母の心を動かす泣き声だけだ。突然、睡魔が襲ってきた。
ぼくの視界はぼんやりと霞み、母の声すら遠く感じる。まぶたが重くなる前に、最後にもう一度だけ、ぼくは空を思い浮かべた。
(空を、見せてほしいな……)
その願いを抱えたまま、ぼくの瞳はゆっくり閉じられた。
小さな心はまだ、世界を求め続けている。
そして、いつの日か裸足で駆け出すそのときまで、ぼくは必ずあの空を忘れないだろう。




