第四章 優しさの選択Ⅶ 終幕・折れた刃/その一刀は確かに
「最後はこうなると思っていたぞ、鴻上梓」
律儀に梓の事を待っていたらしい王我最命が、絶対法の王権を肩に担ぎながらそんな事を言ってきた。真っ二つにされたハズの身体は、目を凝らしても全く分からないレベルで綺麗にくっつき治っている。
おそらくは、召喚した影獣を影断ちに食べさせたのだろう。
「……さっきの一撃、あえて僕を狙ったな」
「ほう、気づいていたか。その通りだ。真っ先に貴様を狙えば天羽茜は命を懸けて貴様を庇うと、そう思ったのだが……まさかあそこまで予想通りにことが進むとは思わなかった」
「そんな卑怯な手を使ってまで、最強でありたいか。王我最命」
「ふん、強さに貴賤などない。卑怯もまた強さの形だ。勝者こそが強者だと知れ、凡愚」
「御託はもう聞き飽きた。いい加減に決着をつけよう、僕の仇敵」
「オレは、最強を張り続けねばならんのだ。貴様にはここで敗北してもらう! 我が宿敵!」
開戦の狼煙は、少年が大地を蹴る足音と共に上がった。
『色香狂い』の切っ先を正面に、突きの構えのまま鴻上梓は王我最命へと最短距離で駆け抜ける。彼我の距離は五〇メートル。徒影の力で駆ければ、三秒とかからない距離だ。
が、王我の元へ向かう梓の前に立ち塞がる影があった。まるで蟻の大群のように群がるその全てが影獣だ。
獅子、豹、虎、狼、犬、犲、猫、狐、獏、狸、猿、熊猫、犀、樋熊、白熊、大鷲、鯱、鮫、河馬、馬、縞馬、鹿、馴鹿、麒麟、猪、鰐、蝙蝠、土竜、その他諸々。
おそらく千に届くであろう異形の化け物達が梓の道を塞ぐ。梓を食い殺さんとする連中の瞳から知性が消え失せているのは、おそらく『色香狂い』の能力、『蠱惑』の影響下にあるからだろう。この状態になると、王我の命令さえ無視して梓にのみ襲い掛かるようになる事は、その身をもって経験済みだ。
梓がさらに一歩踏み出すと同時、我先にと影獣が少年に飛び掛かって来て――
「――誘い、魅了しろ。『色香狂い』……!!」
妖しく妖艶な斬撃が、飛びかかる敵全てを平等に切り裂き、『魅了』する。
まるで石化したかのように硬直して動かない影獣を尻目に、梓はさらに前へ、そして次々と襲い掛かる影獣を片っ端から斬り裂き無力化していく。
正面の敵を斬り上げ、横から飛び掛かる獣を斬り払う。牙を避けて鉤爪の死線を潜り抜け、すれ違いざまに敵を切り裂き、薙ぎ払う。
遠く及ばないのは分かっている。それでも、脳裏に浮かぶのはとある徒影の少女の見せた乱舞。影獣を翻弄し、己が影断ちと奏でる舞踊。それを模倣し、形だけでも再現する。彼女の次元に追いつき、追いすがろうと足掻く。
あまり時間は掛けられない。『色香狂い』の能力、『魅了』は斬撃を受けるたびに耐性が付き硬直時間が徐々に短くなっていくという弱点がある。初撃の硬直時間はおよそ三〇秒。
(あと、一八秒以内に王我の元へ辿り着く……!)
チャンスは恐らく一度きり。
『魅了』の効果が切れ、影獣に囲まれてしまえば鴻上梓に勝ち目はない。
『色香狂い』が誘い、魅了する。走る剣閃は艶やかに、墨汁のような影が飛び散り、視界を黒く染め上げ、それに構うことなく次々と影獣達を切り伏せていく。
梓の走り抜けた道には、生きる屍と化したように硬直する影獣達が道しるべのように残っている。けれど梓は己の進んだ道を一切振り返る事無く、ただ懸命に走り続けた。
斬って、斬って、走って、斬って、己のすべてを賭したその先、影獣の弾幕が、ついに薄まる。王我最命への道が、拓かれる。
―――――。
声が、梓の脳内に直接語りかけてくる。
――大丈夫、やるべき事は分かっている。梓が徒影として未熟なのは承知の上、足りない分は、己が身を削ってでも補うだけだ。
梓の脚が大地を蹴って、ついにその間合いに踏み込む。影断ちに籠める力が増し、否応なしに緊張感が高まっていく。
ここまで既に二五秒。
だからこれが正真正銘の最後の一閃。
命を懸けて、全てを絞り出せ。
「王我ァァァああああああああああああッッ!!」
身体に残る僅かな影力を掻き集め、地面を蹴った。
爆発的な加速に身を包み、世界が流れるように後方へと遠ざかる。
己の身体を支配する感覚。疾走の最中左へ進むフェイクを入れ、身体にかかるGも無視して凄まじい速度で王我の右へと回り込む。慣性の法則に、そのまま横に流れそうになる身体を、足の裏が地面を削って強引に留まらせる。
体勢は、死んでいない。今なら、届く。
チャンスは一度。この一閃に、全てを懸ける!!
腹の底から絞り出すような叫びと共に放つのは、最大最後の一撃。
『色香狂い』が茜色を受けて煌めき、全身全霊を掛けて繰り出された王我最命の命を絶つ一閃は――
――ガキィン、と。甲高い金属音と共に、あっさりと阻まれた。
「あ、」
鴻上梓の振るう刃は、王我最命へは届かない。絶対を司る『影断ち』が、その悉くを阻み、希望全てを打ち払う。
梓の一撃を難なく受け止めた王我は、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
そのまま空中で絶望に目を見開く梓を、ハエを叩くような気軽さで絶対法の王権を軽く振るって大地に叩き付ける。
「ぐがッ、はァっ!?」
手加減された一撃に、しかし身体中が悲鳴をあげる。激痛に、吐血するように影を吐き出し、痺れた頭が思考を放棄しそうになる。
「ふん、あれだけ勇んで大口を叩いてこの程度か。……期待外れもここまで来ると呆れて物を言う気にもならん。鴻上梓、今のが最後のチャンスだったと、その自覚はあるか?」
喘ぐ梓は、王我の問いかけに答える気力も沸かず、手足を投げ出して仰向けになったまま、荒く息を吐いている。
返す言葉もなかった。
今の一撃が、正真正銘、鴻上梓の放てる全てだったのだ。
それを阻まれた。打つ手がない。事実上の詰み。
あれだけ憎かった王我の侮蔑の籠った言葉に抵抗する気力さえも沸かない。
もう、全てがどうでもいいとさえ思えた。
早く全てから解放されて、楽になりたい。
だって――
「もういい、目障りだ。貴様は消えるがいい――」
――だって。ここまで全てが鴻上梓の想定通りだったから。
「――具影召喚――」
にやりと、ボロボロの口元を不敵な笑みに変えて、梓は魔法の詞のその序章を囁いた。
その刹那、
鴻上梓の影力が、爆発的な勢いで膨張した。
「な……っ、貴様まさかっ、雛風情が、具影召喚だと……!?」
起きた現象を表現するならば、地面に張り付いていた鴻上梓の影がひとりでに起き上がった。とでも言うべきか。
梓の背後にのっぺらと平面の影が同期するように浮かび上がって、次の瞬間にはボッ! と、それが膨張するように楕円形状に広がった。
鴻上梓の背後に浮かぶ、平面的な厚みの一切ないぺらぺらな漆黒の鏡。
その闇の奥から、何者かの視線が注がれているような気がして――
「――くっ!?」
『具影召喚』は徒影の中でも一部の手練れしか扱う事の出来ない秘奥の技だ。それを『徒影』になりたての梓が扱える事に驚天動地する王我。
実際、梓に『具影召喚』を扱いきる力量など無い。だから、協力してもらったのだ。影断ちの中に潜む、彼女に、梓の残りの影の二五パーセントを献上する事を条件に。
そして、具影召喚を、『徒影』の秘技を完了させる為の言葉を、再び立ち上がった鴻上梓が勝利宣言のように告げる。
「――『籠中の鳥は傾国の太陽也』……!」
厚みの無い平面の漆黒の鏡の中から、漆黒のおどろおどろしい腕が一本飛び出した。
それと同時。不可視の引力にも似た力が王我最命を襲う。
「なっ、んだ、これは……!?」
ズザザザザザザザッ!! と、王我の身体がブラックホールに引き寄せられるかのように地面を滑る。
すべてを吸い込む力の発生点はあの黒い鏡……否。鴻上梓の『色香狂い』そのものだ。
王我の膂力をもってしても抗えないような圧倒的な強制力に、その身体が引き摺られる。
「……鴻上梓! これは、まさか、貴様、オレの絶対法の王権に……ッ!?」
堪らず手を放したそ王我のその判断は、正しかった。
己の影断ちを手放した瞬間、悪夢と疑いたくなるような圧倒的な引力による干渉がなくなる。代わりに、まるで磁石に引き寄せられる鉄のように『絶対法の王権』が梓の握る『色香狂い』目掛けてすっ飛んでいった。
梓は一直線に飛んできたそれを野球のボールを打ち返すような動作で弾いて、後方にある黒い鏡のような平面空間の闇の中へと、王我の『影断ち』が吸い込まれていく。
「僕の『籠中の鳥は傾国の太陽也』は、『色香狂い』で触れたことのある対象物を、距離、大きさ、質量に関係無く回避不能の力で強制的に『色香狂い』へと引き寄せる。丁度、今みたいに」
「……確かに強力な力ではある。『影断ち』を失ったのも痛手だ。だが揺るがんぞ、貴様を殺すだけならば、生身のままで何の問題もありはしない。……その力でこのオレに直接干渉できるのならば、また話は変わっただろう。だがな鴻上梓、貴様の刃は未だ一度たりともオレに届いてさえいない。具影召喚の力を活かし切れていない貴様では、絶対たるこのオレを殺すにはまだ足りん!」
「確かに、そうかもしれない」
梓は、王我の言葉を肯定するように静かに瞳を閉じた。
確かにこの戦いが始まってからというもの、鴻上梓の攻撃はその全てが王我最命に届かず、一撃たりともダメージを与える事が出来なかった。
復讐を誓い、仇を討つなどと宣っておきながら、何たる体たらくだろうと、自分でもそう思う。
「だけど、僕の刃は確かにお前に届いた。届いていたんだよ」
梓の言葉の意味が分からず、王我が訝し気に眉を潜めたその時。
梓の背後に浮かぶ漆黒の鏡面から、二本目の漆黒の腕が勢いよく飛び出した。
ドッッ! と。王我最命の身体が、またも不可視の引力に襲われたのもその瞬間だった。
王我の強靭な身体が、回避不能の力を前に、梓の握る色香狂いへと吸い寄せられる。
「な、ぜッ!? オレは、貴様の『色香狂い』には一度も触れてなど……ッ!?」
驚愕と共に吐き出す言葉の途中、王我の顔が何かに思い至ったようにハッと歪む。
それを見て、梓は不敵に笑った。
「そう、一度だけ僕の刃が届いた瞬間があった。瑞葉ねえを奪われたあの時振るったあの一撃は、傷一つ付けられずに半ばから刀身の折れた『影断ち」の刃は、確かに無力で無意味な物だったかも知れない。でも、無駄なんかじゃなかった。あの一撃は、確かにお前に届いていた……ッ!」
王我の顔に初めて、明確に恐怖の色が浮かんだ。
王我の足の裏が地面を上滑る。
抗い、どうにか引力に逆らおうとする王我に、鴻上梓が終わりを告げる。
「……たとえ君が、それを望まなくとも――瑞葉ねえの仇、取らせてもらう……!」
『色香狂い』の切っ先を突きつけ、梓が力強く一歩踏み出すと同時、不可視の力に負けた王我最命の身体が自ら『色香狂い』を迎え入れるように白刃の元へと飛び込んで来て――深々と肉を貫く生々しい感触が梓の手の中に返ってきた。
飛び散る黒と影。返り血のように墨汁のような影を一身に浴びながら、『色香狂い』の刀身が深々と王我最命の胸を貫き、抉っていた。
すべての力を出し尽くしたからか、それとも一矢報いた安堵からか、梓の身体から力が抜ける。『色香狂い』からもその手を離し、ぺたりとその場に尻もちをついてしまう。
「ぐ……ぉッ……!? がはぁッ!?」
胸に色香狂いを突き刺さったまま、たたらを踏むように王我が後ずさる。
吐血するように真っ黒な影をまき散らし、芯を失ったようにふらりとその身体が揺れる。
負った傷は間違いなく致命傷だ。普通の『徒影』ならば、確実にすべての影を喰いつくされているであろう決定的な一撃。だと言うのに――その足が地面を再び強く踏みしめた。
王我最命は倒れない。
隻腕の王を名乗る『徒影』は、その程度では死に絶えない。
「鴻上、梓……! 前言撤回だ。貴様は、強い。あぁ、認めよう。貴様は最強の挑戦者だ。だがな、この程度で死ねるようならば、この王我最命、『絶対』などと大それた名を名乗りはせぬわ!!」
握りしめた王我の拳に、『影断ち』を失ってなお見劣りしない凶悪な影力が宿る。
あの拳から放たれる一撃をまともにもらえば、梓の身体が吹き飛ぶのはまず間違いない。
荒い息を吐く王我が、拳を握りしめたまま梓の目前へゆっくりと迫る。
一歩、一歩と、進む度に身体をふらつかせる王我は、今にも倒れそうにも思える。
だがそれだけ。
王我最命は、勝利をその手に掴むまで絶対に倒れない。
冗談、だろ? という言葉さえも、恐怖に掻き消された。
絶対という名の絶望が、そこにあった。
自分の影さえも捧げた鴻上梓に余力など残っているはずもない。もう、全て出し尽くしたのだ。これ以上、梓に抗う術など、何一つとして残されていないのに――
「――貴様。何を、笑っている……?」
不意に立ち止まった王我が投げかけたのは、純粋な疑問だった。
何故なら絶体絶命の危機にあるハズの鴻上梓が、王我の言葉の通り、その顔に笑みを浮かべていたから。
「……ああ、そうさ。これで全部終わりだからさ。僕の影力はもうすっからかんだ。もう、僕に戦う力なんてありはしない。だから、あとは頼る事にしたよ」
梓の笑みと言葉の意図を図りかねている王我に代わって、鏡面から一気に飛び出した大量の腕が、その真意を告げていた。
「引き寄せるタイミングと順番は、僕の任意で決められる。――例えば、こんな風に……!」
言葉の直後、『色香狂い』を中心とした不可視の引力がまたも発生した。
梓が『色香狂い』で足止めしていた多量の影獣が、まるで砲弾の如きスピードで王我目掛けて殺到した。
莫大な運動エネルギーを叩き付けられ、衝撃に王我の身体が吹き飛び地面を跳ねる。
だがいまさらその程度のダメージで倒れる王我ではない。
ドス黒い液体を追加でまき散らしながらも立ち上がると、鬱陶しく苛立たしい攻撃に、額に青筋を浮かべて怒声をあげた。
「ぐッ!? き、さま。次から次へと悪あがきを……! この程度の攻撃でオレを殺せると本気で思って――!?」
が、次の瞬間。
ぐちゅり、という肉を抉る音と共に。苦痛と憤怒に歪んでいた王我の表情が、驚愕に塗り潰された。
だがそれも無理ない事だ。
己の力で召喚したはずの影獣達が、そのまま王我へ牙を剥き襲いかかり始めたのだから。
右腕に牙を突き立ててきた獅子を地面に叩き付け、跳びかかってくる樋熊や豹を蹴り飛ばしながら、王我は訳が分からないという顔で、
「こ、れは。鴻上梓、貴様、一体何を……!?」
「僕は、弱い。そして王我最命、お前は強い。僕一人じゃ、とてもじゃないけど、敵わない。だから、利用できるものは全て利用させてもらった」
『徒影』になってなお、鴻上梓は弱い。
天羽茜のような疾風怒濤の斬撃を繰り出す事も出来なければ、王我最命のように百戦錬磨な戦いをする事も不可能だ。
だから、自分にできる事は何かを考え、それを最大限利用する術を考えた。
『色香狂い』の真銘解放時の能力の一つ、『蠱惑』。
影獣の知性を打消し『色香狂い』へとその意識を引き付けるこの能力には、王我の命令をも上回る強制力が備わっている。
そして今現在、鴻上梓の影断ち、『色香狂い』は王我最命の胸に深く突き刺さっている。
それが意味するところは、つまり……。
「『最強の徒影』と、そんな『徒影』の放つ『具影召喚』。共食いしたらどっちが強いんだろうね。……強さに貴賤はないらしいし、まさか卑怯だなんて言わないよな?」
既に王我の周りには、彼をぐるりと取り囲むように三桁を軽く超える数の影獣が集まってきている。
いっそふてぶてしいその問いかけに、王我最命はこれまでと変わらず、一切ブレる事無く獰猛な笑みを――否、いままで一番の、心の底からの歓喜の笑みを弾けさせた。
「ふは、くくく……あっははっはははははははははははははははははは!!! そうか。そうか。オレ自身の手でオレに終止符を打つ。最後はこうなったか!! 喜べよ女! やはり絶対たるオレを殺せるのは、オレ以外にはお前しかおらなんだ! お前の正義を、オレはついに証明したぞ! ああ、実に愉快だ。実に最上だ。実に見事だ鴻上梓! 貴様は確かに貧弱だが、狂おしい程に卑しく強かだ! だが、その強さ。全てこの王我最命が肯定しよう! そして、しかとその目に焼き付けるがいい! このオレの戦いを。絶対たる王我最命の、全身全霊をッッ!!」
壮絶な死闘の幕開けを祝福するように、王我最命の絶叫が木霊した。
全ての影力を使い果たした梓は、だらんと全身を脱力させながら、その凄まじい戦いをずっと見つめていた。
その命果てるまで、ずっと。




