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第四章 優しさの選択Ⅴ 反撃の一閃

「――ォォォォおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 激突の余波が、しっかりと手入れの行き届いた天然芝のグラウンドの緑を削り取り、根こそぎ剥ぎ取ってゆく。

 鍔迫り合いに激しい火花が散り、鎬を削る両者が至近から互いの顔を睨み付ける。

 王我最命は零れんばかりの凄惨な笑みで、

 鴻上梓は鬼気迫った表情で。

 どちらに分があるかは一目瞭然だった。


 膠着状態はそう長くは続かない。分かっている。鴻上梓と王我最命では、その肉体的スペックにも徒影としての実力にも大きな差があるのだから。

 ずるずると、靴底が芝生の上を滑る。全身の筋繊維が痛み、今にも千切れそうだと悲鳴を上げているのが分かる。

 限界を捻りだしても、そのなお数段上を王我最命が行くのを実感する。


(やっぱり、強い。どれだけこっちが全力で押してもビクともしない。まるで、岩山そのものを相手にしてるみたいな……ッッ!)


 梓は、勝ち目のない鍔迫り合いに見切りをつけるようにワザと相手に押される形で一度間合いを取る。

その以外にも冷静な判断に、王我が意外そうに眉を寄せるのを見た。


(侮っていればいいさ、王我最命! それこそが、僕の勝機になるのだから……!)


 僅かに開いた空間を最大限活用した、力強い踏込みから繰り出すのは、頭上からの振り下ろす唐竹割りの一撃――と見せかけ、斬撃の軌道を斜め下に軌道修正し、そこから手首を返して改めて放つ逆袈裟斬り。

 カタカナのムの字にも似た軌道を描く斬撃は、しかし王我の『影断ち』にあっさりと阻まれ弾かれた。

衝撃に勢いよく腕が跳ね上がり胸がお留守に。そこを絶対法の王権(アブソリュート・ロウ)の石突で痛烈にド突かれた。


 心の臓を揺さぶられる衝撃に呼吸が詰まり、堪え切れずに真っ黒な影の血反吐を吐く。

 追い打ちを掛けるように繰り出された上段蹴りが顔面に突き刺さり、壊れた人形のように梓の身体が地面を踊り跳ねる。

 全身に込めた力が霧散し、今にも崩れ落ちそうになる……が、耐える。

 歯を食いしばって立ち上がり、無理やりにでも『影力』を再び身体中に循環させる。

 何度地を転がろうとも。何度敗北の鉄の味を感じようとも。諦めない。喰らい付く。

 すぐさま『色香狂い』を構え直し、王我へと斬りかかっていく。


 実力差がある事など承知のうえ。様子見で手加減されている事も分かっている。 

 端から剣技で打ち勝てるなどと思い上がってはいない。梓はあくまで梓にできる事を実行するのみだ。


 例えば、そう。

 鴻上梓が王我最命の注意を引きつける事によって、天羽茜が一撃を入れる事ができるような隙を作る――とか。


「――らぁッ!」


 裂帛の気合と共に鋭い斬撃が走ったのは、打ち負けた梓の身体が『色香狂い』ごと王我に弾き飛ばされたのとほぼ同時だった。

 入れ替わるようなタイミングで、素早さを活かし死角へ回り込んでいた天羽茜の奇襲攻撃が、王我の斜め後ろから急所である首筋を狙って容赦なく放たれる。

 が、


「うそ……」

「……王の首を狙う不埒な輩への警戒は万全でな。不意を打ったつもりかもしれんが、狙う場所さえ把握できていれば後出しでも問題なく対処できる。故にこれは想定内だ」


 『影断ち』の中でもトップクラスの切れ味を誇る『猫剥ぎ』の刃が、王我の首筋に僅かに食い込んだきりぴくりとも動かない。あとたった数センチ動かせば、それだけで致命的な傷を与える事が出来るというのに、まるでダイヤモンドを斬り裂こうとしているかのような頑強な手応えが茜の手に返ってくる。


 王我は茜が狙うであろう箇所に当たりを付けて、身体中の『影力』全てを首筋一点に集中させ致死の斬撃を防いで見せたのだ。

 もしも己の勘が外れていれば死は免れないであろう、とんでもない大博打に躊躇なく打って出る豪胆さ。そしてそのいっそ無謀な賭けに勝利してしまう勝負強さ。

 王我最命を王我最命足らしめている何かが働いているとしか思えないような、そんなふざけた結果に、茜の思考を僅かな時間空白が支配して。


「思考を放棄するなよ天羽茜、死ぬぞ?」


 返す刀で振り返り様に振るわれた、斬撃と呼ぶより殴打に近い乱雑な薙ぎ払いの一撃を茜は舌打ちしつつ左の剣で受ける。接触の瞬間に絶対法の王権(アブソリュート・ロウ)の刀身表面上で『猫剥ぎ』の切っ先を突き立てるように僅かに動かし滑らせ、一体どういう風にベクトルを変えたのか、相手の力を利用してそのまま曲芸師のように王我の頭上に跳ねた。

 その勢いに身を任せ空中で風車のように己の身体を縦回転させると、脳天目掛けて勢いよく右の踵を振り下ろす。


 走り抜ける衝撃は、しかし不発。

 王我が右肘でその一撃を難なく受け止めたのを見るや、茜は王我の肘を足場に反動を付け空中で身体を捻り、次いで左足の回し蹴りをその顔面目掛けて叩き込もうとする。

 が、その攻撃を読んでいたのか、躊躇なく『影断ちを』手放した王我の大きな右の掌が、回し蹴りが直撃する寸前に茜の細いガラス細工のような足首を掴む。

 そのまま右足を軸に自分ごと回転して勢いをつけて、ハンマー投げの如く茜の身体を投げ飛ばす。


「茜!」


 気が付けば、身体が動いていた。

 砲弾の如き勢いで射出された茜が客席とグラウンドとを隔てる壁目掛けて突き進む中、軌道上に飛び出した梓がどうにか茜の小柄な身体を受け止める。

 まるで巨人の拳に殴られたような衝撃に胃の中身がひっくり返りそうになるが、ここ数日何も食べていないのが幸いして大事には至らない。


 飛んできた茜の勢いに押し負けてずざざざざっ!! と、足の裏が芝生の地面を削り上滑って、十メートル以上の長大な擦過痕を作り、梓の背中が壁に衝突してようやくその勢いが止まった。

 身体の色々な所が痛むが、どうやら二人とも無事のようだ。


「っ、てて……茜、大丈――」


 言いながら梓が目を開けると、僅か数センチ先、息が掛かるような距離に茜の顔があった。

 言葉の途中で一時停止のように固まる梓。

 互いに向かい合って抱きしめ合うような格好で茜を受け止めていた事にようやく認識が追いつくも、頭は依然として回らない。 


 どこか間の抜けたような顔でぽかんと口を開けた梓と、目を点にして驚く茜の視線が交錯して、時間が止まったかのような錯覚に陥る。 

 柔らかい、肌に感じる女の子の感触。甘く優しい匂いが広がる。でも、そんな事を意識できないくらいに、心地のいい安堵するような暖かさに包まれている。

 そのどこか懐かしい感覚に、何故か涙が出そうになった。

 無言で見つめ合う時間は、実際のところ数秒にも満たなかったかもしれない。けれど梓には、それが永遠のようにさえ感じられた。

 いつまで経っても視線を逸らそうとしない梓に、熟したトマトみたいに真っ赤になった茜が真っ先に視線を逸らすと、そっぽを向きながらどこか拗ねたような口調でボソリと呟いた。


「梓、手……痛い」


 自分がどれだけ力強く茜の事を抱きしめていたか、言われてようやく気が付いた。


「わっ、ご、ごごごめんっ!」


 茜の小柄な身体を締め付けるように背中に回していた腕を慌てて離し、飛びずさるように距離を取ろうとして、背後の壁に後頭部を打ちつける。激痛に悶え、後頭部を手で押さえてさする姿は我ながら情けなさすぎる。


 そんな梓を見て茜は僅かに頬を紅潮させながら呆れたように笑った。

 そして何かが吹っ切れたのか、先ほどまでの羞恥など微塵も感じさせない余裕さえ感じられる挙作で立ち上がり、梓に手を差し伸べる。

 されるがままに手を取って立ち上がると、茜は視線を王我最命へと戻して、でも心は梓に向けたまま、こんな事を言った。


「心配してくれてありがとね、梓。でも大丈夫。アタシはアンタを置いてどこかへ行ったりはしないから。アタシは、アンタの横に並び立っていられる。だってアタシはアンタと同じ『徒影』だもの」


 その言葉が何を意味しているのか、梓には茜の言いたい事が何となく分かった気がした。

 梓が無意識の内に茜を必要以上に強く抱きしめていたのも、きっと、そういう事だ。


 ――目の前で大切な人を二度も亡くした。

 心の奥深くに焼き付いたその傷を、梓の無意識の恐れを、茜は気が付いていた。

 だからこそ、自分は梓を置いてどこにも行ったりしないと、茜はそう言ったのだ。

 お人好しの少女は、どれだけ本人が否定したところで本当にどこまで行ってもお人好しで、思いやりに溢れていて、梓を気にかける言葉の一つ一つが無性に嬉しかった。

 一方、戦闘中にも関わらずにそんな思いを浮かべる梓とは裏腹に、茜は張り詰めたような緊張感を維持したまま、静かにその機を伺っていた。


「……梓、アレをやるわよ」


 だから茜の下した決断を聞いた時、茜がその言葉をどうしてこのタイミングで放ったのかをようやく理解した。


「あ、茜!? でも、あれは……」

「リスクなら覚悟してるわ。って言うか、危ないのはアンタも一緒でしょ? 何を他人事みたいにアタシの心配してんのよ、このヒヨッコが。どっちにしても、王我の攻撃は一撃一撃がモロに喰らえば致命的なダメージ必須の反則技よ。だったら、『影力』に余裕もあって、王我の攻撃に対応しきれている今しかないじゃない」


 王我との戦いに挑む前、鴻上家で茜が語っていた王我最命を殺しきれるかもしれない唯一の方法。

 茜はそれを今実行すると言っているのだ。

 成功すれば確かに有効な一打となることは間違いない。だが、あまりにも背負うリスクが高すぎる。

 茜も梓の言いたいことは理解しているのか、梓に反論をさせないような言葉を選び並び立てているようにも思えた。

 茜の言っている事は正しい。反論の材料は、すべて事前に叩き落とされてしまっている。

 いや……一つある。絶対に無視できないあまりにも大きな反対材料が。


(それは、『徒影』として未熟な僕の存在……)


 この方法には鴻上梓の協力が必要不可欠であり、もし梓が失敗すれば全てが水の泡となるという、勝算として計算するには余りにも度し難い不確定要素があるのだから。 


「確かに茜の言ってることは正しいよ……。でも、僕が失敗したら、それで全部終わりだ。例え茜が全て完璧にできるのだとしても、全部ご破算になる。正直言って僕にその役目をやり遂げるだけの力があるとは思えない……」


 そんな鴻上梓の弱気な発言に茜は呆れたように息を吐いた。茜は梓を叱咤するように、


「……あのね。アンタ、王我に勝つんでしょ? ならこれくらいで弱音吐かないでよ、情けない。……ったく、しっかりしなさいよね。心に迷いがあって成功するほど、簡単なモノじゃないわよ」

それこそ全て茜の言う通りであった。


 鴻上梓は選択したのだ。自分自身で、自分自身の心の自由を。瀬戸瑞葉の仇を打つと、そう誓ったのだ。

 王我最命を打倒し勝利を、正義を掴んでみせると。


 ならばここは決断の時だ。

 迷い、躊躇えば心は負ける。負けた心では、最強たる王我には届かない。

 自分を信じろだなんて言わない。

 でも、鴻上梓を信じた天羽茜を信じる事なら、きっとできる。

 彼女の信頼に応える事は、間違いなく彼女の為の行動だ。本当に彼女の為を思った行いであるハズだ。


 だから梓は覚悟を決める。

 自分が失敗して茜が傷つく、そんな未来に自分の心が傷つく事を恐れるのではなく。

 自らの心が傷つく事を厭わずに、茜をも巻き込んだ危険な賭けへと自らその身を投げ出すことを決意する。


「分かったよ。茜、僕を……信じてくれ」

「ええ。アタシの弟子ですもの。言われなくとも」


 覚悟は決まった。


「それじゃあ、」


 己のやるべきことも分かっている。


「ええ」


 あとは、


「「――手筈の通りに」」


 死力を尽くして成功させるのみ。

 二人の言葉が重なりあって、空に溶ける。

 語る言葉はもはや不要。

 あとは各々が全力を尽くし、祈り、勝利を手にするだけだ。

 影断ち『色香狂い』を手にした少年、鴻上梓が一歩前に踏み出す。

 その堂に入った立ち姿と、闘志溢れる眼差しを見て、今まで黙って二人の様子を眺めていた王我が問いかける。


「作戦会議は終わったのか?」

「ああ、お前を倒す為のとっておきが」

「そうか。ならわざわざ待ったかいがあったと言う物だ。天羽茜。そして、鴻上梓。貴様らの全身全霊を踏みつぶさねば意味がないのだからな!」

「行くぞ、王我最命!!」


 様々な思いを胸に抱き、叫びと共に地面を蹴った。

 己が得物を中段に構え、強く握った『色香狂い』からの『影力』の供給を意識的に増大させる。全身にくまなく影力が漲る感覚に、より強く大地を蹴って、鴻上梓は天羽茜を置き去りに、王我最命目がけて一直線に突き進む。 


 それは戦術も作戦も何ない、単純明快、誰の目にも明らかな、至極シンプルで稚拙で幼稚な戦法であった。

 しいて言うならばそれは――突撃。 

 王我最命という徒影の王へ真正面から何の策も講じずに一直線に挑みかかるという暴挙。

 哀れなほどに愚直。怒りさえ覚えるほどに無謀な愚策。 

 相手を舐め腐っているとしか思えないその行動は、最強の座に君臨する王を愚弄するのと何ら変わらない。

 しかし王我は、懸命に地を蹴り空気を裂いて走り続ける不敬者を見て、楽しげに笑っていた。


「ふん、この期に及んでただの捨て身の突撃――の訳があるまい。その顔は何か策を巡らせ、勝機を感じている者の顔だ。……だがいいだろう、貴様の誘いに乗ってやる。いかな智謀奇策知略を尽くそうとも、その悉くを絶対的な力で捻じ伏せてこそ王だ。それでこそ絶対強者(オレ)だ」


 例えどんな策があろうと真正面から全力で叩き潰す、と。ぎらつく瞳が何よりも雄弁に語っている。

 王我は右手を。正確にはその手が握る『絶対法の王権(アブソリュート・ロウ)』の切っ先を高々と天に掲げて、


「――『王権執行(アブソリュート・ロウ)影臨(アヴァタール)』」


 告げると同時。王我の『影断ち』にて長大な西洋剣、黄金の刀身を持ったツヴァイヘンダーが、周囲の――裏影界に満ちる『影力』を無差別的に喰らい始めた。


 生じるのはその黄金の刀身を中心に周囲の空間が陽炎のように歪む幻影のような光景。

 まるで風呂場の栓が抜かれたかのように、裏影界に満ちる影力が『絶対法の王権(アブソリュート・ロウ)』という巨大な孔を目掛けて吸い込まれていく。


 強欲にて暴食な獣の本性が暴走する。目につく全てを喰らい、吸い込み、呑み込んで、己が血肉とする。そんな圧倒的な捕食者としての性質が開放される。

 解き放たれた外来生物が元あった自然環境を容赦なく破壊し尽すように、解き放たれたその凄まじい食欲は、裏影界のバランスを物理的に喰い乱す。 

 捕食者は無限に影力をその刀身に溜め込み続け、『影断ち』から流れる莫大な影力がその主である王我をさらに規格外の化け物へと変貌させる。


 バヂィ! バヂィ! と、雷が弾けるように黒い火花が散る。王我最命という巨大な器からあふれ出た影力が、行き場を求めて暴走しているのだ。


 空間が歪む。

 その身から放つ影力の密度に、世界が耐えきれずに拒否反応を起こしている。

 それはまさに、『降臨』の名に相応しい光景であった。

 強引に周囲から圧搾しその身に降ろした影力、まさに神の降臨にも等しい莫大なエネルギーが、『絶対法の王権(アブソリュート・ロウ)』と王我最命に宿る。

 まごう事なき絶対となった王我最命は己のすぐ目前に、妖艶な美しさを持つ『影断ち』を振りかぶる矮小な少年の姿をとらえて、照準。


「散れ、『最終影臨(ラストアヴァタール)』ッッ!!」


 視覚化される程に注ぎ込まれた莫大な『影力』。

 ある種神格化し赤黒い稲妻となって世界に顕現した『影力』を刀身に迸らせ、限界まで力を溜め込んだ『絶対法の王権(アブソリュート・ロウ)』のその切っ先が、ちっぽけな少年に向けて無慈悲に振るわれていた。


 轟ッッ!!

 音が消えるほどの轟音が震え、世界の音をまっさらに塗りつぶした。

 それは、斬撃という名前の漆黒の破壊の嵐だった。

 一切の躊躇なく、触れた者すべてを無に帰す最大攻撃が鴻上梓へと殺到する。その正体は、超高密度高純度の『影力』の放出。

 躱す術などなかった。

 跳ね返そうにも、あれと拮抗する一撃などこの世に存在するハズがない。

 黒いペンキで全てを塗りつぶすような、漆黒の極光が波動となって押し寄せる。

 所詮は人の身を抜け出せない『徒影』ごときでは抗いようのない文字通りの最終攻撃。

 まさに神の如き一撃が、鴻上梓の身体をこの世界から塵一つ残さず消し去るその刹那。


「「――影歩」」


 二つの言葉が異なる口からシンクロしたかのように同時に発せられて、鴻上梓の身体が瞬時に掻き消え――超破壊の斬撃の先。

 まるで入れ替わるかのように、鴻上梓に成り代わって天羽茜が立っていた。


「――!?」


 今日一番の驚愕に王我が目を見開く。

 変身能力? それとも幻覚? 否、どちらも違う。

 起きた現象それ自体は予測が付く。鴻上梓と天羽茜が発動させたのはおそらくは『(えい)(しゅん)』と呼ばれる『影歩』の超高等応用技術だ。


 互いが互いの影を『影歩』の目的地として設定し、完全にタイミングをシンクロさせて『影歩』を発動した場合にのみ発動する疑似転移。

 発動時の互いの位置に、寸分違わず入れ替わるように超高速移動するという技。 

 その特性から比較的近距離でないとまず成功せず、しかも少しでもタイミングがずれれば失敗し、影歩の途中で互いに正面衝突してしまうという超絶高度な割に使いどころが難しい技術……だったハズ。


 それをこのタイミングで、一体何故?

 困惑する王我。

 己を身代わりに鴻上梓を庇ったのか? いや、そんな馬鹿な事があるか!?

 意図が読めない。

 狙いが分からない。

 だが、振り下ろされた必殺の一撃は、もう止められない。

 何か仕掛けてくると分かっていてなお、王我最命にはどう対処する事もできなかった。


 大地――否、下手をすれば星さえも砕きかねないその一撃によって少女の小柄な身体が塵も残さず消滅するその寸前、少女の口が目にも止まらなぬ速さで動き、囁くような声で言葉を紡いだ。

 何と言ったのか。己の影断ちの放つ一撃の轟音にかき消されて、王我には聞き取る事ができない。

だけれど、もし王我がそれを聞き取る事が出来ていたならば、きっとこう聞こえていた事だろう。


「――()(えい)召喚(しょうかん)――『(おん)(びょう)四肢(しし)死装束(ししょうぞく)(かげ)(つね)』!!」

 と。


 次の瞬間。


 天羽茜の影力が、爆発的に膨張した。

 茜の影が、水面のように揺らぎ、そして決壊する。

 自身の影に呑み込まれるのはほんの一瞬。

 すぐに影との抱擁を終え、天羽茜がその姿を影の中から現す。

 自身の写し鏡と一体になった茜の両手には、握られていたハズの双剣『猫剥ぎ』は見当たらない。

 しかしそんなことは問題にならないくらいに、天羽茜には確かな変化があった。


 ――右腕の手首から先が、鋭い爪の生えそろった猫科猛獣のソレへと変貌している。

 ――左腕の手首から先もまた同様。それは、インドの武器虎の爪(バグ・ナウ)や忍びの暗器鉄(てつ)(こう)(かぎ)にも似た――むしろその原型となった野生の凶器そのものである。ただし影によって生成された影猫の前脚だ。

 そして変化はそれだけには収まらない。

 ――左脚。

 そして、

 ――右脚。

 茜の膝から下が逞しくも美しい、猫科動物特有のしなやかな後ろ脚へと変貌していた。

 都合四本。猫のように変貌した影の四肢。

 まさに『四肢を包み込む死を呼ぶ怨猫の装束(怨猫四肢死装束影経)』。それこそが、天羽茜の持つ『猫剥ぎ』の切り札。具影召喚により発揮される、最終最強形態。


 ここまで一瞬、瞬き一つを一〇〇に分割した中の一つ分にさえ満たないような、そんな僅かな時間。

 そして天羽茜による『具影召喚』が完了されるのとほぼ同時、王我最命の放った『最終影臨(ラストアヴァタール)』が天羽茜に触れた。


 漆黒が迸り――爆発。

 音が消え、世界が死んだ。全てが黒に塗りつぶされ、光が届かない世界が完成した。

 ――何も見えない。

 無だ。

 五感が死んだかのように、世界から黒以外の全てが消滅した。

 何も感じないとは死に等しい、すべてを奪われ塗りつぶされた世界に、生の実感は存在しない。

 冗談でもなんでもなく、世界に終焉を巻き起こせるだけの力を秘めた一撃だった。


 正面から飲み込まれれば致命傷はおろか、消滅は必須。

 だから、

 五感が戻り、視界のピントが合い始め、ようやくまともな像を網膜に結び始めた梓の視線の先。

 まるで隕石でも落ちてきたかのように周囲の地形が変わり果て、スタジアムの半分が跡形もなく吹き飛んでいるような、そんな破壊の余韻が巻き上げた砂埃が晴れた視界の先に、その人影があるのは前提からして狂っている。

 狂っているのに、それがどうしようもなく鴻上梓は嬉しかった。


「……今回は四つ(、、)、ね。ま、あの影経のアホ(気紛れ猫)をやる気にさせる為にそれなりの代償を払ったんだもの。当然よね。……初っ端から三つになっちゃったけど」


 やけに滲む視界の中、跡形もなく消滅していなければおかしいはずの天羽茜が不敵な笑みを広げていた。

 王我最命の一撃は、確かに天羽茜を捉えていた。 

 だがこの徒影の少女は、接触までの刹那的時間に爆発的な反応と速度で破壊の軌道上から逃れると、影猫の前脚と化した左の甲で影力の奔流の横っ腹を叩いて起動を逸らし、王我の秘技を完全に受け流してみせたのだ。


 茜の左腕は、『最終影臨(ラストアヴァタール)』の奔流に触れた結果、その威力と衝撃とで跡形も無く消し飛んでいた。

 だが生き残った。

 隻腕の王が絶対の自信を持って放ったであろう必殺最強の一撃を、確かに見切って躱し、凌いで耐えきってみせた。


「天羽茜、貴様……そうか、攻撃の瞬間に『影瞬』で鴻上梓から小柄な貴様に入れ替われば、オレの『最終影臨(ラストアヴァタール)』の照準も僅かにズレると踏んで……!」


 驚愕と感心の籠った言葉が戦場に響く。

 『影瞬』を使って位置を入れ替えたのは目くらまし、直前まで鴻上梓をぶつける事で王我の油断を少しでも誘う為でもあった。

 そして狙う獲物の大きさが変われば、自ずと照準も僅かに狂う。

 さらに、『具影召喚』発動時の茜は影猫の四肢をその身に纏う事によって、身体能力を二~四倍にまで高める事が可能。本来完全ランダム――『猫剥ぎ』の中の馬鹿猫の気分次第――な倍率を、しかし茜は己の影を捧げる事で無理やりに前脚と後ろ脚の計四つ――つまり最高の四倍にまで高めていた。


 その驚異的な回避速度と反射神経。そして腕一本を犠牲にすれば、照準の甘くなった王我の一撃をギリギリで回避する事も可能となる。 

 ここまで全て、天羽茜の読み通り。

 溜めこんだ影力の殆どを放出し尽した王我は、大技の反動で動けない。

 天羽茜は、その結果をさして誇ることもなく、当たり前のことであるかのように告げて。


「で、アタシはアンタの攻撃を凌ぎきった訳だけど……」


 そして、天羽茜の影断ち『猫剥ぎ』の真銘開放時の能力は――『恨み猫』。

 敵からの攻撃を受けた直後に放つ斬撃の鋭さ、威力、射程、速度をそれぞれ強化すると言う、至ってシンプルでありふれた代物だ。

 ――相手の攻撃の威力に比例してその倍率が強化される、という凶悪な特性を除けば。


「猫の恨みは恐ろしいって話、聞いた事ないかしら?」


 場違いに笑って、直後。

 超至近距離。少女の右の鉤爪から最大最凶の反撃の一閃(カウンター)が放たれて、

 あれだけ絶対に思えた『隻腕の王』、王我最命の身体が、あっさりと真っ二つに裂けた。


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