魔法少女は実質娼婦だって話
当時は、自分が常識に疎いという自覚もなかったように思う。或いはそれは今もまだ健在で、自分が常識だと思っていることが非常識に当たり、自分が新発見と思ったことが誰もが知る常識で、またとんでもない失敗をするのではないかとも、考えてしまう。
それでもやはり、以前ほどではないだろう。少なくとも今の私には、過去の私の過ちがわかっている。
それは中学2年生のときの話だった。私の家での居場所は押し入れの中で、半分を折り畳んだ布団が占拠し、残りの半分に新聞紙を敷き、その上で膝を折って座るのが私の1日の半分の時間の使い道だった。小学生の頃は、下校中に友達の家に立ち寄って、出してもらったお菓子をバクバクと食べることで飢えを凌いでいたけれど、それが続くと誰も家に上げてくれなくなって、また母にもこの話が伝わったのだろう、学校が終われば寄り道なく家に帰ることが義務付けられた。だから当時の私の勉強以外の知識の殆どは、小学生の時から少しも変わってはいなかった。
それをみたのは全くの偶然だった。母はいつも昼間に出かけて朝方に帰ってくることが多いけれど、唐突にそのサイクルを外れることも多く、だから私はテレビをつけたことがなかった。もしも、突然帰ってきた母に私がリビングにいるところを見られたらと思うと、とてもそんな危険は冒せなかった。それなのに、私は押し入れへ向かう途中、床に落ちていたリモコンを踏んづけて、テレビをつけてしまった。
液晶の中を流れる映像にパニックになって、とにかく早く消さなくてはとボタンを出鱈目に押せば、いくつものチャンネルが切り替わり、声が大きくなったり小さくなったりを繰り返した。そんな一幕の中で、美麗なドレスを纏い、悪い怪人をやっつける魔法少女の姿が脳を焼いた。
「お母さん」
誕生日が近かったのも悪かったのだろう。まだ私が友達の家に招待されていた頃、お誕生日会というものがあったのを覚えていた。そこでは誰もがプレゼントを持ち寄ってその家の子に贈るのだけれど、私は高価なものなんて用意できず、きれいな花を摘んでよく渡した。そのときに、みんな大きなくまのぬいぐるみだとか、ゲーム機のカセットだとか、そういう、子どもじゃ絶対に手の届かないそれらを両親にねだり、買ってもらうのが普通らしいと知っていた。
だから私もまたそれに倣った。朝、押し入れの中でもしゃもしゃと学校から持ち帰ったパンの残りを食べると、隙間からそっと外を覗く。そうすると正面に大きな化粧台があって、母はだいたいこの時間にはそこに座っていることが多かった。その予想はやはりあたっていて、何もなければ鏡が見えるその場所に、長い髪を靡かせる背中があった。
それを確認して外に出た私は、押し入れの戸をスライドする音に反応してゆっくりと顔を向けようとするその背中に声を掛けた。誕生日にものを強請るのは初めてで、声は少し掠れていた。
「私、魔法少女になりたいの。だから、えっと、魔法のスティックがほしくて。ほら、私ってその、もうすぐ誕生日でしょ?」
母は目を細めて詮索するようにじっと私を見ると、やがて興味を失ったのか指で挟んでいた煙草を口に咥えた。
「無理でしょ。あんたブスじゃない」
それで私の抱いた淡い夢は一晩だけの幻になるはずだった。母はしかし、それからも鏡に向き直ることはせず、肺いっぱいに吸い込んだ甘ったるい煙を吐き出すと、でも、と切り出した。
「そういえば、あんたくらいの年齢が好きって客がいたのよね。ほんと、若いって得だわぁ」
私が首を傾げていると、母は珍しく私に向かって笑みを浮かべた。いつも家に連れ込む男の人たちにしているような顔は、今まで向けられたことのない種類のものだ。
「実は、私は魔法少女なのよ」
それは衝撃の告白だった。
私が目を白黒させているうちに、母はのっそりと立ち上がり、くるりとその場でポーズを取った。
「ほら、いつも綺麗なドレスを着ているでしょう?これで男の人を、えーと。まぁとにかく、私の言うことを聞きなさい。そしたらこういう服を着せてあげるってこと」
私は興奮して母に抱きついた。お腹を蹴られて、蹲っていると、母は携帯で誰かに連絡を取ったようだった。それは2回あって、ひとつはまるでわからなかったけれど、もうひとつは学校へのもののようだった。
「はい、どうも調子が悪いようで。本日はお休みさせていただければと。はい、はい、ご迷惑をおかけします」
母はそれで準備は整ったと、私を連れて家を出た。連れて行かれたのは半分地下にあるような、地面に半ばまで埋もれたお店だった。細い路地を通って、細い階段を降りた先にあった。
そこで私は着替えを済ませた。初めて着るような豪華な服で、フリフリがいっぱいついているので、本当に自分が昨日テレビで見たまんまの魔法少女になったのだと思いワクワクした。
「サイズは、ちょっとぶかぶかだけどこれより小さいやつうちにはないわよ?この子、本当に18歳?」
「ええ、どうせ形式でしょ。ちゃんと18歳よ。」
母は店員さんとの会話を終えると私にいくつかの決まり事を教えた。それはこの後に来る男の人について行くことだとか、男の人の言うことを全部聞くだとか、どこをどうすれば男の人の悪いものが吸い出せて、魔法少女としての役目を果たせるかだとか、そういうものだった。
「でも、キスって好きな人とやるんでしょ?」
「知らないわよ、そんなの。それとも何?魔法少女のくせに男の人が悪い怪人に操られたままでも良いっておもってるの?」
私が俯くと、母は「しっかりやりなさいね」と言い残し、家に帰った。それから暫く、来たのはまるで操られているようには見えないおじさんだった。おじさんは店員さんにいくつか話をして、店員さんがこちらを指さすとすぐに向かってきた。
「君が飛鳥ちゃんか。かわいいね。もう好きな子とかいるの?」
私は困って店員さんに助けを求めたけれど、その手が差し伸べられることはなく、代わりにおじさんの手が私の腰をそっと抱いて、そのまま部屋を出ると来たときとは別の扉を通って、店を出た。そこには一台の車があって、私は助手席に乗せられて、それから車を走らせるおじさんの言葉にときに頷きときに首を振って過ごした。信号で止まるたびにおじさんは私の体をまさぐり、それがなんだかこしょばくて、妙だった。やがて辿りついたのは、母と私が暮らすアパートなんかよりも、ずっと背の高いマンションの、その最上階にほど近い部屋だった。
「ケーキを用意してあるんだ」
玄関の先にもまだ部屋がいくつも並んでいて、通された居間はとても整然としていた。物がないわけではないけれど、脱ぎっぱなしの服や、煙草が山を作った灰皿がそこかしこに転がっているということがない、清潔な部屋だった。そして、おじさんの示すとおり、整頓された机の上には白い箱が置かれていて、おじさんはそこからいちごのショートケーキと、それからチョコケーキを取り出した。
「ごめんね、何が好きか聞いたんだけど、知らないって言われてね。2つ買ったから、好きな方を食べて良いよ。」
私はおじさんの顔色をうかがいながら、それでもその顔に張り付いたような笑顔がまるで変わらないことを認めると、ショートケーキを選ぶことにした。その後、結局はおじさんが自分の分も私にくれて、殆どを一人で食べることになった。それは私の記憶の中で、きっと2番目に幸せな時間だった。もしかしたらおじさんは悪い怪人に操られた可哀想な人じゃなくて、ただの優しいおじさんなのかもしれないと、そう思った。
「それじゃ、そろそろ始めようか」
それが合図で、おじさんは人が変わってしまい、私は自分の思い違いを恥じた。母は正しく魔法少女だったのだ。なぜなら、いつもこんな男の人たちを相手に戦っている。私はなすすべなんて何もなくて、ただ好きなように弄ばれた。
「それじゃ、さようなら」
シャワーを浴びて、柔らかなベッドで眠り、朝になるとおじさんは私を店の前で下ろしてまた車を走らせた。店から家までの道のりを、覚束ない足取りで帰ると、それは母がいつも帰ってくるのと同じような時間であることに気付いた。だから、母が後ろにいて、扉の前に立った私を押しやり、鍵を開けて中に入っていったのは何もおかしなことじゃなくて、いつもならそれで母酷い人だと思ったものだけれど、今の私にはその決然とした姿に惹かれるものがあった。
「お母さん、私、頑張るよ」
きょとんとした母に、私は一方的に宣言を果たし、そして今でも私はおじさんと会っている。私はまだまだ母ほど凄い魔法少女ではないけれど、おじさんや、他のおじさんたちや、お兄さんたち。そういう怪人に操られた人たちを救う、立派な魔法少女になるために。




