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悪魔の証明

 人間のネーミングセンスというやつがよくわからない。そのセンスたるや、彼らの文化に照らし合わせれば、対価に応じてどんな願いだって叶えてあげる優しい僕らは神仏の仲間に分類されるだろうに、やれ悪辣だ、やれ悪徳だと謂れのない中傷を浴びせ、その願いを叶えた結果、どれだけ大きな被害を靡かせたとしてもそれはその大きな被害を、或いはその被害を引き起こす何かを願った欲深い人間に依るものだということから目を逸らし、僕らに悪魔と名付けるほどである。


「そのあたりを踏まえて、そういう態度はどうなのかな、お嬢さん?」


 尋ねると、白磁のように滑らかな肌をした金髪の令嬢は、如何にも私は気が強いですと主張して憚らない目にキッと力を込めて僕を睨めつけた。

 モゴモゴと口を動かし、そこに巻きついた布を外そうとする。


「これは、配慮が足りなかったね。人間ってのはそこを塞がれると喋ることもままならないのか」


 僕はひょいとその後ろに回り、髪の上で結われた結び目を解いてやった。ぷはっ、と唾液まみれの布の塊を吐き出して、彼女はけほけほと息を整える。その目尻の端にはじんわりと涙が浮かび、けれどそれで泣きじゃくる様子はまるでなかった。


「せめてその言葉が、それが誰かは知らないけれど、主人の命令を忠実にこなし、私を攫ってみせたやつのものでなければ、一考の余地もあったかもしれないわね」


「へぇ」


 僕は思いもよらぬそんな台詞に、感嘆の息を漏らす。たぶん彼女は、僕を召喚した今のご主人なんかより、ずっと気位が高く、そしてそれに見合った矜恃もあるのだろう。

 長く人に奉仕していれば、そういう品格の違いというのは良く見えた。これでも一国の王をその玉座につかせたことだってあるのだ。そいつは下劣で、高慢で、けれど民の半分を僕にくれた気前の良い奴だった。


「ねえ、あなた。私に鞍替えしない?」


 フロイラインが言う。それはあまりに無謀な提案だろう。悪魔が契約を乗り換えるというのは、まず無いことだ。

 契約そのものに物理的な制約はないけれど、だから可不可で言えばできるのだけれど、その事が人間に知られると僕らの需要はぐんと減る。だから僕らはこと契約に忠実であるという点に於いては、この数千年の間ずっと歌がれないように過ごしている。

 彼女はまだ幼く、その事を知らないのだろう。もちろんそれは、僕らが実際には裏切れるという真実の事ではなくて、魔術師たちが信じるところの契約魔法の有用性という面においてだけれど。


「何を差し出せるのかな?」


 とはいえ、今の僕に下された命令は彼女の監視だ。それさえ果たせれば他は何をするなとも言われていない。それならこれは、暇を明かす種としては中々に面白い仮定に思う。

 何も持たず、手も足も椅子に縛り付けられた彼女が、如何にして悪魔を誑そうと言うのだろうか。


「私の命を」


「ノン」


 深呼吸を整えて、意を決した彼女に首を振る。確かにその程度しか物はないのだろうけれど、僕が今回の契約に際して貰う予定のものは、清らかな男女を二組である。それでは到底釣り合わない。


「じゃあ逆にあなたは何が欲しいの?」


「そこで僕に労力を使わせるのかい?」


 令嬢はそれで黙った。ムッツリとした。何かを考え込んでいるようだったけれど、人間の考えはわからなかった。件の国王なんかは、僕がサービス精神を発揮して彼の血族を全員殺せば酷く怒ったものだ。

 これでは暇は潰せなくて、僕はソファに倒れ込むと目を瞑る。僕はその程度で令嬢の様子を察せなくなるほど無能ではないし、そもそも彼女は現状をどうこうできる程の力はなかった。


「なら悪魔さん。私を解放してくださるなら、悪魔さんを神にしてあげましょう」


 片目をパチリと開いて彼女を見遣る。彼女は聖書を諳んじた。それからニコリと笑った。


「これでも宗教には詳しいんです。神さまになれば、今よりずっと良い報酬がもらえるのでなくて?いいえ、どころか、向こうから勝手にお供え物をしてくれますわよ!」


 僕が反応したのに気を良くしたのか、彼女は語るうちにその語彙を強くして、縛り付けられた椅子の上で無い胸を張る。

 なんとも滑稽で、けれど興味が湧いたのも確かであった。


「それ、本当にできるのかい?」


 自信満々に頷くのは、その強気な目がありありと示す性格ゆえか。僕は悩んだ。悪魔という名前に不平を垂れたのは、別に本当に不平があったからではなかったけれど、こうやって頭を悩ます結果になったことを思えば僕にもそういった凡俗な考えがあったことの証左に思えてならなかった。

 なんだか面倒になって、彼女を殺してしまいたくなったけれど、それをすると報酬はお預けになってしまうので、それは御免だ。


「ど、どうでしょう?」


 上目遣いに尋ねる令嬢に、僕は唸った。

 なるほど、神さまにするという提案は上々だ。僕がなかなか頷かないからと捲し立てていた方法論も、一見筋は通っていそうに思う。賭けてみる価値はあるのだろうか。

 失敗すれば、つまりこの場合は裏切ったことが他の悪魔や魔術師共に露見すれば、僕は彼らからリンチに遭う。僕だって、僕以外の悪魔がそんなことをすればそうするはずだ。だからこれは確約される。

 それから、今回の報酬を食いっぱぐれる。とはいえこちらはそれほど痛くはない。僕らは命令に忠実だけれど、報酬以上のことをすることは滅多にないし、どうしてもやりたくない事なら契約を破棄する。それはそう珍しいことでもない。だから魔術師は僕らの機嫌を上手く取ろうとする。

 その点で僕は優秀だった。美食家であることが知られているので、他の、たとえばレルゲンなんかの乱暴者と違って、人間の、あるいはなにか珍しい動物のモツを使った料理を与えてくれるなら、とりあえずは話くらいは聞いてあげる寛容さが評価されている。

 だから僕がこの程度の命令で報酬を無碍にするというのはちょっとした事件だけれど、悪魔という単位で見るならなんてことない光景のはずだ。


「あなた、どうせ攫った人の名前も覚えていないでしょう」


 僕がそうやってウンウンと思考を巡らせていると、令嬢は最後の補足をした。


「聖王国ジュベールが教皇の娘、シュミラ=ジュベール。こう見えて聖女なんですよ?」


 それで腹は決まった。まぁ、元より決めてはいたのだが。ただ最後のピースがカチリとハマった。


「失敗したらあんたを食う。それまで純血でいてくれよ」


「あら、それなら問題ありません。言ったでしょう?私は聖女なのです」


 さぁ、早く解け、そう目で促す彼女に、僕はやれやれと歩み寄り、その身を縛る縄に手をやった。それを椅子ごとぐいっと引き寄せ、その金糸の如き髪の隙間から覗く、小さな耳に口を近づける。


「まぁ、良い余興だったよ」


 彼女は嘆き、僕は命令を全うした。

 元よりこれは、ただの暇つぶしなのだ。

 彼女に僕を変える権利など、なにもなかった。

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