第一話 持田
駅や街中などで一度は目にしたことがある全国チェーンのカット専門店。そのショッピングセンター内にある店舗で働く、いつも目の下に隈がある持田(35)、仕事ができる人間を排除したい木宮(29)、人見知りの小山(21)、呑気で人が良い店長(年齢不詳)それぞれが問題を抱え、壊れる寸前であることに気付かないまま働き続ける4人の前に、新しくパートで入ってきた主婦の相田(45)をきっかけにギリギリの状態で保たれていた均衡は徐々に崩れていくー。
「また嘘つかれたんですよ!しかもめっっちゃしょうもないやつ」
職場の後輩、木宮が朝から店内に響き渡る大きな声で怒りを露わにしている。その表情と口ぶりは何年か前にブレイクし、その後テレビでパタリと見なくなった舞妓の格好で乱舞し自虐ネタを披露していたお笑い芸人のようだった。
少なくとも私にはそう見えて笑いを堪える。
「あぁ、相田さん?」
『あぁ』の部分が少し震えてしまったので咳払いをして自分の顔面を後輩の話を親身になって聞く先輩の面になるよう、それぞれのパーツを定位置に移動させる。
それにしても(またか)と思った。
(またか)と思いながら聞く話ほど無駄な話は無い。
『うんざり』とゆう言葉はこうゆう時に使うため用意されているのだろうと思いながら、心の中で『うんざり』にリズムをつけて頭の中で繰り返す。
そうでもしていないと、この油断しきっているお笑い芸人もどきの顎にアッパーをかましてしまいそうだ。
本当は早く営業前の準備を終わらせて朝、コンビニで買ってきたアイスが食べたい。よりにもよってこの日は棒付きのアイスを買ってきてしまった。
木宮は話したくてウズウズしていたのだろう、話し相手ができて興奮している。
まるで餌を待っている犬だ。
「待て」と言ったら、そのうち涎が垂れてくるのではなかろうか。まぁ、木宮が利口な犬のように『待て』ができるとは到底思えないが。
「あの人なんなんです?良い加減にしてほしいんですけど。すぐバレるような嘘ばっかり吐くんですよ」
この場に相田さんはいないのにわざと小声で喋るのがどうも癪に触る。
そういった配慮はできるのに、もうすぐ営業が始まるくそ忙しい時間に面倒くさい話をしたら迷惑とゆうことは分からないらしい。
「声、小さくしなくていいから。相田さんいないんだし」
相田さんは最近パートで入ってきた新人さんで年齢はおそらく40代くらいの主婦だ。
研修後、配属店舗での初出勤の日、子育てで一時的に業界から離れブランクがあるにも関わらず客への対応や技術のスピード、仕上がりも申し分無く、その日出勤していたスタッフたちは相田さんを絶賛し、瞬く間に「相田さんは優秀」とゆう噂が広がっていった。
「昨日、相田さんと小山ちゃんの3人のシフトだったんですよ」
小山ちゃんは去年新卒で入社した正社員で木宮の後輩にあたる。
なるほど。昨日は木宮がリーダーだったか。
さぞ小山ちゃんも大変だったろうな、と昨日の営業風景を想像したら吐き気と笑いが込み上げ急いで口元を手でおさえる。
「で、休憩回し俺だったんですけど、10分休憩の時にあの人10分もオーバーして帰ってきたんですよ。で、問い詰めたらお腹が痛くて医務室に薬をもらいに行ってたと、だけどあとで医務室に確認しに行ったら相田さんは来てないって言うんですよ!やばくないですか?!」
この頃には小声で話すことなど忘れているのだろう、最初の不快な大声に戻っていた。
(あぁ、アイス溶けちゃうし食べる時間なくなる)
木宮が求めている答えを返してさっさとこの会話を終わらせよう。
「なるほどね、そりゃやばいわ。エリアマネージャーに報告しとくよ」
「お願いしますよ!マジで!」
私の予想通り木宮は欲しい答えに満足したようでそそくさと自分の持ち場に戻っていった。
私はコンビニの袋をあさってアイスを取り出す。
(あ〜ぁ、溶けちゃったじゃん)
今朝買ってきた棒付きのアイスは袋の中でドロドロになっていた。
心の中で舌打ちをして、それをゴミ箱にそのまま捨てた。
少しして落ち着かなくなり、もう一度そのアイスをゴミ箱から拾って封を開け、中身をシンクに流した。
液体状になったアイスだったものがゆっくり落ちていく様を見たら、だんだん心は落ち着いてきて袋を水ですすぎ、それをゴミ箱に捨てた。
鼻から大きく息を吸って、このフロアにいる人に聞こえるくらい大きめの、だけどわざとらしくないため息を口から出す。
それでやっと私の心のざわつきは少しだけ収まる。
ペラペラのカーテンのみで仕切られたシンクと冷蔵庫と小さなテーブルと椅子が置いてあるだけの簡易的な狭い休憩室からは木宮の姿は見えない。
きっと木宮にはこのため息など聞こえていないのだろう。
私が木宮に向けて吐いたため息は虚しくも虚空で行き場を失いやがて消えていった。
✳︎
「昨日大変だったでしょ?」
「え?!な、なんのことですか?!」
小山ちゃんは私のことを変質者か犯罪者かのどちらかだと思っていて話しかける度、全身に警戒アラートが鳴り一気に鉄壁に覆われる、ような気がする。
私にだけこうゆう態度なのかと思って観察してみたところ、みんなに平等に怯えていた。
ただ私に対してだけ異常に怯えているような気がするのは気のせいではない気がしている。
最初は失礼な奴だなと思っていたが最近はその怯えようが面白おかしくなってきて、なにもすることのない暇な時に用もないのに小山ちゃんに話しかけてリアクションを見ては腹の中で笑っている。
「いや、そんな警戒しないでよ(笑)」
「え!!す、すいません!!警戒なんて、そんなこと、してないです!!・・・すいません」
この子はいつも何にこんなに怯え、何に対して謝罪しているのだろう。
「昨日、相田さんと木宮とシフト一緒だったでしょ。大変だったんじゃないかなって。木宮、ちゃんと休憩回しできてた?」
「え・・・は、はい。できてたと思います・・・」
「本当?」
「え!!ほ、本当です!!」
小山ちゃんの表情からは『怯え』しか捉えられなかった。
思わず鼻から息が漏れた。
✳︎
「はい、特に問題ないです」
店長と3ヶ月に一回の個別面談。
昔はこんな仰々しいイベントは滅多になかったのにコンプラがあーだこーだで去年の中途半端な時期から急に始まった。
それは良いとして営業が終わった後にやらないでほしい。
私は早く帰ってテンプラが食べたいのに。
「そう・・・じゃ最後に、スタッフ同士はどう?仲良くやってる?」
「はい、とても」
「・・・えーと、」
「あの、もういいですか?家に帰って食事の支度とかしなくちゃいけなくて、彼が待っているので」
「あ、あぁ、ごめんね、こんなに遅くなっちゃって。今日しか面談の時間取れなくてさ」
そもそも業務時間外にやることこそがコンプラ違反ではないのか、とゆう問題提起が喉元まで出かかっていたがそのことでまた議論が始まると考えたら口が全く動こうとしなかった。
とにかく早くこの空間から解放されたい。
営業後の店の空気はとにかく気持ちが悪い。多くの人間が行き来した残り香が呼吸をするたび私の体内に入ってきていると思うと息を止めたくなるし、やろうと思えば今日昼に食べた蕎麦を吐ける。
ショッピングセンターの最奥にあるうちの店舗には外窓が無く空気の入れ替えが出来ず、現在の天気さえも分からない。
いつも明るすぎる人工的な白色の光に照らされ続けている。
店長と目を合わせていたことに疲れて床に視線を落とすと壁と床の繋ぎ目に黒い塊がうじゃうじゃと動いているのが目に入った。
瞼をぎゅっと瞑ってもう一度見たら、そこには掃き残された客たちの髪の毛が集まっているだけだった。
*
「小山ちゃん、相田さんと飯行ったってまじ?」
木宮がまた朝からでかい声で騒いでいる。
「え!?行ってません!」
「うっそ、でもこの前相田さんとシフト被った時言ってたんだよ〜。小山ちゃんと居酒屋に飲みに行ったって」
「えぇ・・・でも私まだ相田さんに一度もお会いしたことないです」
「マジで?!じゃまた嘘ついてんじゃん!何でこんな嘘つくんだろう・・ねぇ?」
その『ねぇ?』には私にも同調を促すようなニュアンスが含まれている気がした。
「わ、分かりません・・・」
小山ちゃんは終始落ち着かない様子で髪の毛をずっと触っている。
私はその癖が嫌いだった。
「はい、じゃ朝の朝礼するよ〜」
この不快な空間に耐えきれず少し早めに朝礼を始める。
「昨日お客さんからうちの店舗の接客態度が悪かったと本部にクレームの電話が入ったみたいです。昨日二人とも出勤してたよね?心当たりある人いますか?」
「俺じゃありませーん」
語尾の伸ばし方に腹が立つ。こいつはいちいち私の癇に障る。
「小山ちゃんは?」
「わ、分かりません。でも、わ、私なんでしょうか?!ど、どうしよう・・・」
「それは分からない。ただ態度が悪かったとだけ言って電話が切れちゃったらしくて個人への言及はなかったみたい」
小山ちゃんは先程よりさらに落ち着きがなくなり目線を泳がせている。
その忙しなく動くダークブラウンの瞳に足を8本生やして蛸を泳がせてみた。
そんな遊びをしていたら今日のお昼ご飯はフードコートにあるたこ焼きにしようと思いつく。
木宮はさっきから他人事のような顔をして向かいのお店の準備をしているスタッフをつまらなそうに眺めていた。
「まぁ昨日は店長が急な欠勤だったから二人営業とゆうのもあって接客が疎かになっていたのかもね。クレームが上がると本社の人が抜き打ちで見回りに来たりするから接客態度は今以上に気をつけて。じゃ今日はこんくらいで、今日もよろしくお願いします」
朝礼を早く始めた分、営業開始まで少し時間があったので鏡の前で髪を整えていると「なに笑ってんすか?」と木宮が鏡越しに話しかけてきて鏡の中の自分と目線を合わすと確かに私の口は笑っていた。
「別に」
そう言って顔面の筋肉の全ての力を抜いた。
先ほどのクレームの話が作り話とバレないように。
10時になりモールの開店を知らせるアナウンスが流れる。
しばらくすると朝一の客が一気に5人ほど店に入ってくると先頭の客が券売機でチケットを買うのに手こずっていたので私が近寄ろうとした瞬間、木宮が「お客様、こちらの値段でのご利用は65歳以上の方のみですよ。身分証明書ありますか?」
「あぁ?あんだってぇ?」
耳が遠いようで木宮の言っていることが聞き取れないようだった。
(あーぁ、これで5分のロスタイム確定)
後ろに並ぶ客達の遠慮の無い苛立ちと目線が空気と一緒に伝わってくる。
「えっとー、う、ん、て、ん、め、ん、きょ、しょ、ありますかあ?」
木宮がわざとらしく大声を出し、俺は今この客に困ってますとゆうアピールをしている。
私はこの客がうちの店の常連で高齢者料金で利用できることを知っていた。
月に2回も来るので顔を覚えている。
しばらく木宮とその客のやり取りをぼんやりと眺めていた。
最初から私が対応していたらスムーズに事が進んでいたのに木宮が出しゃばってきて今の状況がつくられた。
そんなことを頭で考えていたら身体が急にダルくなり脳が思考することを拒み、気が遠くなって、だんだん目の焦点が合わなくなっていった。
ここ最近こうゆうことがよく起こる。
ふと、ぼんやりする頭で部屋の左端にゆらゆら動く黒い影が視界に入る。
その物体は何をするでもなくでも何かしないと、とゆうのが目や手や足の落ち着きの無さから現れていて、そのうち目の焦点が戻り、それが小山ちゃんだと思い至る。
急に体内でザワめくものを感じて急いで券売機に手こずる老人の対応に入る。
「お客様、お財布の中にうちの高齢者カードありますよね?あ、これですこれです。じゃこちらの値段で大丈夫です。はい、じゃ私がボタン押しちゃいますねー、ありがとうございます。じゃ木宮さんお願いします」
木宮は呆気に取られたような表情を浮かべ先ほどから眉間に寄っていた皺をさらに深く寄せ私に何か訴えているようだったが後に続く客の列を一瞥し、大人しく客を席まで案内し接客し始めた。
今のロスタイムでさらに客が溜まってしまっていた。
「どうにかなんないのこのシステム」「急いでんだけど」と想像した通りの文句が飛び交う。
「申し訳ございません。上の者に伝えておきます」「すみません。なるべく急いで仕上げさせていただきますので」と、私は悪いことなど一つもしていないのに謝罪の言葉を繰り返す。
「申し訳ございません」「すみません」「申し訳ございません」
暫くして朝一の客がはけていき少し余裕ができた頃にはもう昼休憩の時間を回っていた。
丁度手が空きそうな小山ちゃんに休憩の合図を送る。
小山ちゃんは怯えながら並んでいる客に詫びを入れ「1番失礼します」と私たちに言って休憩に入った。
昼休憩は昼食も兼ねて1時間与えられている。しかし小山ちゃんはいつも10分前には上がってきてしまう。そのことを指摘すると「木宮さんに忙しい時は10分前に上がってくるように言われたので」と言っていた。
そんなことしなくて良いと言っても小山ちゃんは忙しくても暇な時でも10分前に上がってくる。
小山ちゃんが休憩から戻ってきたタイミングでちょうど私の手が空いたので昼休憩に入る。
朝、小山ちゃんの目の中で泳がせていた蛸のことを思い出して、たこ焼きを食べにフードコートに行ったら思いのほか混んでいた。家族連れや学生がやけに多いなと思ったら今日は祝日だと思い至る。
そう思ったら今から列に並び店員に注文し、たこ焼きを受け取り、それを食べるためモールで働く人たち共有の広い休憩室に行って他店舗のスタッフに挨拶し、たまにいるお節介なスタッフの世間話に付き合うところまで想像したら全てがとてつもなく億劫になり私はフードコートから足早に自分の店に戻ると休憩時間は残り45分になっていた。
残り時間をカーテンだけで仕切られたバックルームで狭いテーブルに突っ伏して仮眠を取ることにした。
アラームを残りの休憩時間のギリギリにセットする。
フロアからは髪を切る鋏の音、客と会話する木宮の大きな声、怯えながら接客する小山ちゃんの震える声。
そのもっと奥から聞こえてくるたくさんの人の声が重なり合った音、子供がけたたましく泣き叫ぶ声、地面を走る音、歩く音、物と物がぶつかる音・・・それらを聞いていると何となく心が落ち着いてくるような気がして耳を澄ます。
目の前の何もない白い壁の一点を見つめたまま。
スマホの振動がテーブルから腕に伝って休憩終了を知らせる。
一瞬で外の音が消え不快な振動音が私の耳を支配する。それがたまらなく嫌でスマホを乱暴にタップする。
不快感が消え外の音が蘇る。
すっかりおとなしくなったスマホで時間を確認すると14時を過ぎていた。
カーテンを開けてフロアに出ると客がまた5人ほど溜まっていた。
ちょうど木宮の接客が終わりそうだったので目を合わせ人差し指を立て1の形をつくり昼休憩の合図を送る。
「お待たせしました」
先頭の客をお通して要望を聞く。
「1ヶ月分、周り6ミリで」
無表情の男は目も合わさずそれだけ言うと瞼を閉じた。
「かしこまりました」
シャキシャキと1ヶ月分の髪の毛を切っていく。
その40代くらいの男の髪の毛はたった今、私が切りおとしパラパラと重力に引き寄せられ地面に落ちていき掃き残った髪の毛たちと交ざり合い、もうどれがこの男のものなのかは分からない。
ふと自分の靴を見ると今日切った老若男女の細かな毛たちが乗っかっていることに気が付く。
たった今切った毛がその上に乗っかり山ができた。
そのままその毛が落ちないよう意識して動いてみることにした。
暫くその毛は私の靴から落ちようとはしなかった。
ふと鏡を見た時私は笑っていた。
「お待たせしました。次の方どうぞ」
先ほど私が休憩の合図を出したはずの木宮が次の客の接客に入った。
その顔を鏡越しから確認すると満面の笑みを浮かべていた。
(きっしょ)
その日の営業後、券売機の釣り銭を数えていると木宮が「今日忙しかったな〜」と宣う。
「客が溜まってて昼休憩時間ずらしたから腹減り過ぎて死ぬかと思った〜」
無視したって良いのだが勝手に口が動いてしまう。
「木宮のおかげでお客さん待たせずに済んだよ。ありがとう」
木宮が欲しい言葉を言ってやる。
「いやいや〜、同然のことですよ」
「小山ちゃんもありがとね。休憩時間早く上がってもらっちゃって」
小山ちゃんは私を一瞬見てすぐ下を向き床を掃きながら
「い、いえ、全然・・・大丈夫です・・・」
と、消え入りそうな声で答えた。
木宮は休憩をずらした後しっかり1時間ギリギリまで休憩を取っていた。
その時客は5人程溜まっていた。
「今日は忙しかったし締め作業しながら軽く終礼して終わろうかな。えーと、明日は小山ちゃんと私と店長か。木宮はヘルプだよね?」
「そうなんですよーしかも相田さんと一緒とかマジで嫌だ」
木宮がどんな顔をして言っているのか興味があったので表情を確認しようと木宮に目線を合わせて「相田さんは、相変わらず?」と聞く。
「はい、しかもだんだんエスカレートしてて。明日もまた嘘に付き合わされると思うと萎えますよ」
たいして面白くもない表情をしていたので一気に興味がなくなる。
「あぁ、ドンマイ。小山ちゃんは、何かある?」
「え、えと・・・いえ、大丈夫です・・・」
「そう・・・じゃ後はやっておくから2人は先に上がっていいよ。明日もよろしくね」
木宮は早々に店を出た後、小山ちゃんが何か言いたそうにしていたが、わざと気づかないふりをしていたらそのうち帰っていった。
営業が終了した。
今日も無事に。
フロアにある壁掛けの時計は午後8時を回っている。
誰もいない店内では今まで聞こえなかった時計の針のチクタクとゆう音が急に響きわたる。
ふと床を見ると先ほど小山ちゃんが掃除機で吸い取ったはずなのに細かい毛が無数に残っているのを見つけたのと同時に自分の靴の上にどっさりと髪の毛が乗っていることに気づく。
靴を脱ぐと靴下にも細かい毛がたくさん刺さっていてそれも脱いで、靴と一緒にゴミ箱に捨てる。
外を眺めると他の店舗の人たちも忙しなく閉め作業をしているのが見えて少し安心し帰る支度を始めようと椅子から立ち上がり足元に違和感を感じる。
「・・・靴捨てたら帰れないじゃん」
独り言ちて一度捨てた靴を拾い、毛を払うが完全に取りきることは不可能なので仕方なくそれを履く。
自宅には通勤用に履き替えるためのきれいな靴があるが今履いているのとは別にもう一足持ち歩くことがとても億劫で、結局汚れている靴を履き続けている。
「あ、そろそろ半額シール貼られたかな」
スマホで時間を確認すると21時を過ぎていた。
いつも夕食はモール内にある24時間営業をしているスーパーを利用している。
そのスーパーでは21時を過ぎると惣菜や弁当に半額シールが貼られるのでそれで済ましている。
今日は弁当を3つ、惣菜を3つ、ビール6本を買って家路を急ぐ。
自宅は3年前に、この店舗に移動になったのをきっかけに引っ越し、自転車で10分の場所にある。
「ただいま〜、遅くなってごめんね〜」
テレビの音がする。
「惣菜買ってきたから食べよー・・・え、食べちゃった?そかそか、じゃ申し訳ないけど私だけ食べるね。お酒買ってきたけど飲む?」
テレビはお笑い番組をやっているようで笑い声がこだましている。
「てかさ聞いてよ〜。今日後輩2人とのシフトだったから私が責任者だったんだけど、その後輩2人ともー」
ポケットに入っているスマホが震える。
画面の名前表示を見ると『要注意①』と表示されていた。
一気に最悪な気分になる。
一度大きく息を吸って止め、一気に吐き出してから電話に出る。
「はい」
「あ、やっと繋がったー!今日仕事だった?」
「そうだよ」
「あ、てか今電話大丈夫?」
「うん」
「この前言ってたやつ参加できそう?」
「・・・ごめん、なんだっけ?」
「もう!忘れてると思った〜!樹くん主催のイベントだよ〜」
「あぁ、いつだっけ?」
「来週の金曜!」
「ごめん。金曜仕事だ」
「仕事終わった後でも大丈夫だよ。夜遅くまでやってるみたいだし、来てよ〜。あずさ一人で寂しいぃ」
「・・・分かった。行けたら行くよ」
「オッケー!会費5000円で先払いなの〜あずさ幹事だから、決済アプリに送金よろ〜」
そう言って一方的に電話は切られた。
数秒後に『要注意①』からたくさんのハートの絵文字に囲まれた『支払い期限は今日まで』とゆう借金の取り立てみたいなチャットが届いた。
それを見て一旦その画面を消してアドレス帳を開き『要注意①』の名前を『詐欺師』に変更した。
少し考えて行くことのないイベントの支払いを済ませると詐欺師が好きなキャラクターが楽しみと言っているスタンプだけが送られてきた。
缶酎ハイでお腹がいっぱいになり、一口だけ食べた惣菜の残りと一緒にスマホもゴミ箱に捨てた。
その後、歯磨きだけして、風呂にも入らず「おやすみ」と言って寝室に行き電気は付けずにそのままベットに倒れ込む。
眠りたいのに眠れない。しばらくの間、瞼は開いたまま暗闇の一点を見つめていた。
ボヤッとした意識の中で少し遠くから何かが振動する音が聞こえる。
カーテンの隙間からギラギラとした日の光が入り絶望で覚醒する。
(朝だ・・・)
音は一定数鳴ると止み、また鳴ると止む。
この規則正しい音が不愉快で私は被っていた掛け布団を足で勢いよく退けてその音の鳴る方にドカドカと足音をたて苛立ちを足の裏から放出するようにして向かう。
台所のゴミ箱からそれが聞こえてきたので開けて確認するとスマホのアラームが鳴っていたのだとそこでようやく気がつく。
ゴミ箱から拾い上げ、水で洗おうとして一旦手を止め台所にあった一番綺麗そうな布巾で拭く。
普段料理はしないので生ゴミの匂いはしないが、やはりゴミ箱から出る不快な匂いがスマホに染み付いていて取れない。
テレビは朝のニュースが流れていた。
スマホをテレビに向かって投げようと振りかぶったがその後の処理のことが瞬時に脳裏によぎり思いとどまる。
テレビを睨みつけて声は出さず「うっせぇな」と虚空に放った。




