プロローグ
本日より毎日21:10より投稿を開始します。
この話しはプロローグの為、第一話までが本日の投稿になります。
よろしくお願いします。
この世には、紛れもなく天才は存在する。サッカーの天才や野球の天才も居れば、将棋や囲碁の天才とその分野には様々な時代で、活躍する天才は居る。
でも、その分野で歴代1位と言われれば必ずと言って良いほど口論になるのは間違いが無い。
そこに比べる相手が居ないのだからそれは当然の事と言える。
その年代を生きて来た人からしたら、その時に活躍していた人物が自分に取っては一番なのだ。
だが、そんな思い出も圧倒的な記録を持つ者が現れたら認めるしか無いだろう。
天才と言われる人が現れても、またそれを上回る天才と言うのは次々とやって来る。
だが、それでも真の天才と言う者は存在している。
それは天才を凌駕した者で、群を抜いた記録保持者や栄冠、タイトル保持者などになり、そしてその者達はやがて天才ではなく怪物や化物と言われる。
ごくたまに現れる圧倒的な存在。
そして、その分野の天才であり、怪物であり、化物であると認められた者こそ、1番凄いのは誰かと言われたら皆が口を揃えてその名前を出す様な存在となり伝説となる。
そして私は、その天才や怪物、化物と言われる存在だった。
私ほど、人々に感動を与えた人間は居ないと自信を持って言える程だ。
世界中の人間が、私を見て、喜び、怒り、悲しみ、笑った。
それこそ老若男女問わずが私が演じた数々の作品に釘付けだ。
そう、私は、演技の天才だった。
私が業界に入ったのは、3歳の頃だった。
両親共に、俳優だった為に自然と道は決まっていたのかもしれないし、自分でも俳優になるんだと息巻いていたらしい。
両親は人気俳優であったので、その仕事は多忙を極め、母親は私を産んでも直ぐに次の仕事があり、赤ちゃんであった私の世話をする暇が無いぐらいに仕事ばかりをしていた。
その為に私の世話は、全てベビーシッターに任せていた。
ベビーシッターは、私を両親の居ない寂しさから紛らわせる為に、いつも両親が出演している映画やドラマを見せて解説してくれた。
解説には熱が入るぐらいにベビーシッターは両親の熱狂的なファンだったらしく、それは繊細に教えてくれたみたいだ。
この時の演技が〜とかこの時の監督が〜とか映画評論家並みに教えてくれたみたいだが赤ちゃんである私にはどこまで理解していたか分からない。
だが映画やドラマを見せたら泣き止み、ジッと映像を見ているのだから、ベビーシッターからしたら楽になって自分も楽しめるのだから使わない手は無かったと当時を思い出したベビーシッターから何度か聞いた事がある。
そうして生活していく中で、3歳の誕生日の時だった。
両親が知り合いに招待され、演劇を見にいく事になったので、私もお祝いにと一緒に連れて行ってくれた。
ひさしぶりの両親とのお出かけでテンションが上がりまくっておかしくなっていたのは覚えている。
演劇は、愛憎入り混じった恋愛物だったので、そんな物を3歳の娘に見せるのもどうなんだろうかと今となっては思うが、その頃には色々な映画を見ていた為か、他の3歳児よりも遥かにませていた私は、しっかりと演劇を楽しむ事が出来た。
演劇を見た後は帰り道でずっと両親にどの演技が良かったとかあの人の演技が上手かったとか感想をずっと言っていた。
その為だろうか家に着くと母親に、
「どのシーンが良かったの??」
と聞かれて、私はそのシーンを演じた。
「天才…」
両親からポロッと呟いた言葉が落ちていく。
だが私はと言うと好きなシーンを演じることの高揚と、両親がちゃんと私を見てくれていると言う興奮で、どんどん演技に熱が入る。
あぁ凄く気持ちが良い。
これをやる為に私は生まれて来たんだと、僅か3歳で自分の人生を費やすものが今日決まったのだ。
私の演技が終わると両親は私を見て感動していた。しばらく私の演技の余韻浸っていたが我に帰ると私を抱きしめ、あなたは今すぐにデビューしなさいと言われ、そこからトントン拍子だった。
まずは、両親のコネもあり(半ば強引だったらしいのだが)、CMに出演。
シチューを食べるシーンを撮った物だがそれが国内で大ヒットし、一躍有名人になり、そこからは天才子役を欲しいままに映画にドラマと引っ張り凧だった。
そのまま国内では止まらずに海外への進出、その頃には私は、天才と言われる中でも怪物と称される事も少なく無かった。
世界中の人から注目されながらも、演技の完成度はどんどん深みを増して行った。
だが栄光は長くは続かなかった、私が24歳の頃に人殺し役で演劇をやった時だった。
初公演の日に私の演技により、98人が死亡した。
死因は心臓麻痺16人、残り82人が刺し傷による死亡という判定が出た。
一夜にして私は大量殺人犯として世界中のメディアに取り上げられその日私は、天才や怪物と付いていた代名詞が化物になった。
私の演技にのめり込んだ観客が恐怖による心臓麻痺と、私に刺されたと認知してしまった人間が実際に刺されたかのような刺し傷が身体に現れて死んでしまったのだ。
裁判所での初公判に日に、弁護士からは殺意は無く事故に片付けると言われて居たのだが、私はそれを許さなかった。
殺意が無かった??あるに決まっている、私は殺人犯を演じて居たのだ。殺意の無い殺人犯なんて認める訳にはいかなかった。
裁判官から殺意があったか聞かれた時に私はもちろんありましたと答えた。
そこからは、私の栄光とイメージは奈落の底へと突き落とされた。
幸いにも殺意があろうがなかろうが、史上稀に見る殺人事件の為に殺害方法が終点となり、やれ薬物の使用により観客は催眠状態だったとか、観客の誰かが夢中になっている観客を殺したのだとか言われたが答えは想像力による死亡だ。
私に罪状を付ける事が難しかったのだ。
そんな中で私は事務所の社長に今回の事件で反省して後悔している人物を演じろと言われた。
あの社長は長い付き合いだからだろう、私のことを良くわかっている。
それに、私は社長の言う事には何故か逆らう事が出来なかった。
小さい頃から社長にはお世話になったのもあるだろう。
社長の言う事を聞いていれば何とかなって来たと言う事実もありそれは後押しされて社長と演じるキャラの設定を話し合った。
そしてそこからはその設定された人物の演技にのめり込んだ、ただ一つ社長の誤算があったとしたら演出家や監督と言うブレーキが居なかった事だろう。
演技に深くのめり込んだ私は、私が殺した人々とこれから先の私の人生に深く絶望して首を吊って自殺をしたのだ。
演じた人物の性格を考えたらこれが正解で、演技せずにはいられなくなったのだ。
だがそこに私の後悔は存在しなかった。
演技に人生を捧げて来た。
演技に命を賭けて来た。
だから私が感じる事と言えばこれだけだ。
あぁなんて最高の人生だったのだろうか、演技により人生は彩られ、演技しながら死ぬ事が出来たのだから。
興奮と高揚の中、私は絶命したのだった。
この物語は異世界の話しでありパラレルワールドの話しです。
名称などの実在の地名、企業名、人名、商品名、団体名などとは関係ありません。




