第十三話 同志
感情を吐き出すことで、深みに陥っていた心が少しずつ落ち着きを取り戻してきた。鏡に映るセシリアの姿を眺めながら、ジェリドは小さく息を吐く。
コン、コン――。部屋に静寂が漂う中、扉の外から不躾なノック音が響いた。
「セシリアさま、入りますよ」
扉がすぐに開く。ジェリドが振り返ると、アイラがいつになく真剣な表情で立っていた。その表情は訓練場での一瞬を思い起こさせる。
「アイちゃん、ノックしてそのまま入るんじゃなくて、返事を待つのがマナーよ。それで、何か用?」
セシリアの口調を真似て言葉を返すと、アイラの眉がわずかに動く。だがそのまま、真っ直ぐな視線をこちらに向けた。
「セシリアさま、わたし、ずっと側仕えとして一緒に居たから分かるのです。今朝から……セシリアさまが変なのです」
その瞳が、じわりと潤むのが分かる。
「少し調子が悪いだけだよ」
「いえ、違うのです。本当のセシリアさまはどこに居るのですか?」
アイラの言葉に、ジェリドは一瞬言葉を失った。その沈黙を追い詰めるように、アイラが短剣を引き抜く。その動きは素早く、ジェリドは咄嗟に水魔法を発動し、部屋の湿気を氷に変えて盾を作った。
カラーン……短剣が床に転がる音が響く。
「セシリアさまは、そんな魔法、使いませんっ! お話の仕方も、仕草も、歩く音も全然違うのです!」
アイラの叫びに、ジェリドは眉を寄せる。その小さな体が震え、こみ上げる感情を抑えきれない様子だ。
「……セシリアさまが、どこにもいないなんて、絶対に嫌なのです! 返してください! セシリアさまをっ!」
「オレだって、アイツがどこにいるのか知りてーよ!」
ジェリドの声が荒ぶる。アイラの肩がびくりと跳ねると、次の瞬間、しゃがみ込んで大粒の涙を流し始めた。
「うわぁぁぁーーん! セシリアさまを返してぇぇーぇえ!」
「ちょっ……アイラ、落ち着け! な?」
ジェリドは慌ててしゃがみ込み、アイラを宥めようとするが、まったく効果がない。左右を見渡し、どうしたものかと困惑する。
「ほら、な?」とぎこちなく頭を撫でると、アイラは胸に顔を押しつけるように泣きじゃくる。
ポカポカと温かい香りに包まれながら、ジェリドはふっと小さく笑った。
「おい、セシリアはこんな小さい子を泣かせてどうするんだよ……な?」
アイラの肩を優しく抱きしめながら、ジェリドは心の中で再び決意を新たにする。この小さな体が、必死にセシリアを求めて泣いている。オレが、アイツを見捨てるわけにはいかねぇ。
ひっく、ひっく……ぐすん。ぅう。――アイラが泣き止み、両手でオレの胸を、ぐっと押し退ける。
「やめて下さい。……セシリアさまの匂いや温もりまで真似しないで欲しいのです」
「あ、あぁ、すまねーな。だが、ひとつ約束してくれ。この体は間違いなくセシリアのものなんだ。なんとしてでもセシリアに戻さなきゃならない。だから、――どうかこの体を傷つけないでいてやって欲しい」
寂しげに俯くアイラの姿を見ていると、不思議とセシリアの小さかった頃の姿が浮かぶ。
似ているわけじゃない。だが、この不器用な優しさと、どこか放っておけないところが――。そして、小さいセシリアにアイツの姿が重なる。
「もう……お前に理不尽な目には遭わせたくないんだよ……」
誰に言うでもなく漏れ出した言葉が、自分の胸に返ってくる。
しばらく俯いていたアイラが顔をあげる。泣き腫らした大きな目。その視線は真っ直ぐにオレを突き刺した。
「…………なんだか、ジェリドさまみたいなのです」
そう呟くアイラの言葉に、オレの鼓動が跳ね上がる。
返す言葉が咄嗟には出てこない。
「なっ! なにを言いやがる……」
「話す言葉や話し方。この瞳にその眼差しも……それは、うぅ……。でも、もうジェリドさまは……ジェリドさまは」
泣き止んでいたアイラの顔。再び目尻に涙が溜まり込む。溢れそうなそれを必死で堪えようと閉じた唇は震え、表情がゆがむ。
「ま、まて……」
そう口にしたオレは、一度、言葉を引っ込めた。そして、静かに息を吸い込み、覚悟を決めてアイラに向き直った。
「アイラ……オレはジェリドだ」
彼女の瞳が大きく見開かれる。その紫色の瞳には驚きと戸惑い、そしてわずかな期待が浮かんでいる。
「ジェリド……さま……?」
彼女の声は小さく、震えていた。
「ああ、そうだ。オレは死んだ――はずだった。けど、なんでか今こうしてセシリアの体に入ってる。それがいつまで続くのかも、どうすりゃ戻れるのかも分かんねえ」
アイラはオレの言葉をじっと聞きながら、少しずつ涙を浮かべた目が潤んでいく。
「でもな……だからこそ、オレはアイツを絶対に連れ戻す。それがオレにできる唯一の償いなんだ」
オレの声は真っ直ぐ彼女に届いたのだろうか、それを聞いたアイラの瞳に一瞬の光が宿る。
「……本当に、セシリアさまを連れ戻してくれるのですね?」
その声は小さいが、確かな願いが込められていた。
「ああ、絶対だ」
オレが力強く答えると、アイラは一歩前に出て、彼の手をぎゅっと握りしめた。
「絶対、絶対の絶対なのですよ! もし嘘だったら……絶対に許さないのです!」
彼女の小さな手には驚くほどの力が込められている。その真剣な瞳にジェリドはしばし言葉を失ったが、すぐにその手を握り返した。
「わかった。オメーと約束だ、アイラ」
そう言いながら、オレは自分自身にもう一度言い聞かせるように、心の中で呟く。
――セシリアを連れ戻す。オレにできることは全部やる。たとえどんなことがあっても、絶対に諦めねぇ。
アイラの小さな手を握るその温かさが、オレの胸に深く染み込んでいく。それはまるで魔法の様に、どんな困難があっても立ち向かう力を与えてくれるようだった。
「アイラ、オメーも準備しとけ。セシリアを連れ戻すその日まで、オメーがセシリアの側仕えとして何ができるか考えるんだ。オレだけじゃなく、アイツだってオメーを頼りにしてるはずだからな」
「はい! わたしもセシリアさまのために、何でもするのです!」
アイラの真っ直ぐな返事に、思わず笑みがこぼれる。しっかりとした返事は頼もしいが――。
「……まぁ、張り切りすぎてまた空回りしないようにな」
「空回りなんてしないのです! セシリアさまをお守りするため、完璧にお役目を果たすのです!」
「はいはい、わかったよ。……あんまり突っ走るなよ」
「大丈夫なのです! ジェリドさまこそ、頑張りすぎて転ばないでくださいね!」
「転ぶかよ! 誰に向かって言ってんだ」
「えへへ、それじゃ、わたしも行って準備をするのです!」
「あ、待てコラ! オレの準備は……」
アイラが張り切った声を上げると、オレの言葉が終わる前に、少しだけ赤くなった目元を拭って、小さな足音を鳴らして部屋を出ていく。
どーすんだよ、このまんまの格好のセシリアで行かせんのかよ。それに、今からどーすんのか、まだ何も言ってねーだろーが。――ったく。
――あの勢いで暴走しないように見張るのがまたひと手間だな。
オレはため息をつきながらも、どこか口元が緩むのを感じた。この小さな騎士見習いが見せる勇気と情熱が、こんなにもオレに力を与えるとはな。
「……まぁ、いいか。セシリアを連れ戻す。それがオレにできる最後の役目だ――、アイツの勢いにも負けてらんねーしな」
微笑みを浮かべながら、オレは心の中でセシリアに語りかけた。




