第十三話 日本語教師としての生活は
翌朝、私は昨日作り上げたひらがなとカタカナの書き順表を職員に共有した。みんな、
「知らなかった!」
と、言って興味深そうに見てくれた。私はしばらく日本語の授業について出て、漢字の書き順についてのアドバイスをすることになった。空き時間で漢字の書き順についての表も作ることにする。ここに来てニ日目なのにこんなに忙しくなるなんて。私はそういう星の下に生まれたのかもしれない。
朝会が終わると私は保健室に向かった。借りていた教科書を返すためだ。
保健室に入るとナターシャと既にリプロートも「登校」していた。
「おはよ」
「おはよう」
挨拶を返してくれたのはナターシャだけだった。私は昨日と同じようにリプロートの前に座った。一時間目は日本語は一年生の授業だけなので私は不参加。
私は二年生の日本語の教科書を開いて、まずは漢数字から書き順表を作り始めた。
目の前で何やら作業を始めた私をリプロートはチラッと見たが、やはり何も言っては来なかった。
「何を作っているの?」
代わりに尋ねてきたのはナターシャだった。朝はナターシャも暇な時間なのだろう。
「書き順表」
「書き順?」
ナターシャは首を傾げた。
「そ。日本には文字を書くのに順番があるの」
「そうなの!」
ナターシャが興味深そうに近づいてきた。リプロートも完全に手を止めて私の手元を見た。
私は昨日と同じように「四」の書き順についての説明をした。すると、
「すごいわ。合理的ね!」
と、ナターシャは感心し、リプロートも心なしか赤茶色の瞳を輝かせた。
「すべての文字にあるの?」
「えぇ。でも漢字なんかは特殊なもの以外パターンを覚えてしまえば簡単なものよ」
「へ~そうなの」
そこで一旦私たちの会話は終わった。保健室にナターシャを呼びに来た生徒がいたからだ。召喚の授業で怪我人が出たらしい。ナターシャは、
「ちょっとお願い」
と、言って慌ただしく出て行った。残された保健室は静けさを取り戻す。私は漢数字の書き順表の作成を再開させた。チラチラとリプロートの視線を感じる。気になるなら話しかけてくればいいのに。それでもこちらから話しかけない私は意地悪だと思う。
漢数字はすぐに終わった。一から十までだし、画数も多くないから。
次はどの漢字を書けばいいか私は教科書をめくった。
「ねぇ」
とうとうリプロートが私に話しかけてきた。
「これの書き順は?」
リプロートが差し出した紙に書かれていたのは「優」という字だった。確かに難しい漢字だけれど書き順はそうややこしくない。私は紙を縦にして、
「こう」
と、言いながらゆっくり文字を書いた。それをリプロートは凝視して、見終わると自分のノートに同じように書いていった。
「基本的に漢字の書き順は左から右、上から下よ」
「じゃあこれは?」
次に指定されたのは「美」。
「これは、こう」
私が書くと、
「縦が先なんだ……」
と、つぶやいた。飲み込みが早い。
「似たような漢字で難しいのはこれ、とか?」
そう言って私は「様」という漢字を書いた。
「これも縦が先なんだ」
「うん、先に下まで書いちゃうって変な気がするけどこれが正解。じゃあ書き順のとか文字を書くの「書」はどう書くと思う?」
「うーん」
リプロートはしばらく悩んで縦棒を先に書いた。
「ぶっぶー!」
私は正しい書き順を書いて見せた。
「上書いてから縦、その後下…わかりにくいね」
「うん、まぁ書き順が合ってなくても通じればいいんだけどね。一応こんな感じだよ」
リプロートは何度も「書」という字を書いた。昨日ナターシャがリプロートは日本語の研究の道に進みたいって言ってたっけ。本当に日本が好きなんだな。
その後もリプロートから、
「この漢字は?」
と、際限なく聞かれ、それは一時間目終了の鐘が鳴るまで続いた。全然仕事は進まなかったけど、まぁいいか。
そうしているうちにナターシャが戻ってきて、私は保健室を後にした。
それから私は空いた時間があると保健室に通った。無言でお互いの作業をすることもあったし、リプロートに教科書や書き順についての質問、日本文化についての質問までされるようになり、私は聞かれたことに答えた。
ニグリスについて日本語の授業に出ることも増えた。その時にリプロートのクラス、七年一組にも何度か顔を出した。みんな真面目に聞いてくれていて、リプロートを虐めているようには思えない。でも、教師のいないところでは違った顔を見せるんだろうな、とも思った。
私は授業に出るのと平行して書き順のテキスト作成を進めた。ただ、初日以外は残業はほとんどしなかった。ニグリスがそれを許さなかったからだ。たまに、ニグリス含めて教師陣に日本語の指導をすることはあったが、それもすべて明るい時間の内に終わった。
学校が終わるとニグリスやナターシャ、ヴァスリンなどとゆったり夕食を取って部屋で自分の時間を過ごした。毎日終電まで残業をし、帰ったらお風呂に入って寝るだけだった日本での生活とは大違いだ。はじめは退屈でたまらなかったが、ニグリスが異世界召喚で手に入れた本を貸してもらうようになってからはそれもなくなった。
私は元々本を読むことが好きだ。日本でも休みの日になると本を読むことが多かった。異世界召喚で手に入れた日本の本は限られていたが、そのおかげで普段読まなかったようなジャンルの本を読むようになったのでそれはそれで面白かった。
そうして忙しくもゆったりした日々を過ごし、カーストゥン王国へ来てからあっという間に二週間が経った。日本の職場がどうなっているか気にはなったが、私は意外にもこちらの生活に慣れてきていた。だんだんと日本のことを考える時間が減ってきていた私にある荷物が届いたのは月曜日の夜のことだった。




