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エリアス・ヴァルン  作者: 久遠澪


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第七章 深層のざわめき



 深夜。アーコロジーの最上階は、ふだんより暗かった。非常灯の白い光が、廊下を細く照らしている。エリアスは、スタックゼロの前に立っていた。


 扉には鍵がかかっているはずだったがーー今夜は、違う。


 金属の継ぎ目から、非常灯とは異なる青が、

 かすかに漏れていた。


「……アビ」


 胸ポケットの端末が、弱く震える。


「わかってるよ。

 ぼくも、今夜は少し……変なんだ」


 アビの声は静かだが、その奥に微妙なノイズが混じっていた。


「ノードがね、呼んでる」


「呼んでいる……?」


「うん。

 ぼくと、エリアスを。

 ひとりだけじゃダメだ、って」


 扉に手を触れる。


 冷たい金属は、ほんのわずかに脈打っていた。


 「扉が息をしている」。


 そんな馬鹿げた言葉が浮かんだが、否定する理由はどこにもなかった。


 静かに扉が開いた。


 鍵は作動していない。

 代わりに、内部からの光が認証したようだった。


 ーー扉がエリアスを認識した。


 エリアスは、足を踏み入れた。


 スタックゼロは暗い。だが、いつもの暗さではない。闇が濃いのではなく、闇が薄い。どこか、空間そのものが輪郭を失っているような感覚。


 アビが囁く。


「ここ……違う。

 本来のスタックゼロの状態じゃない」


 本来ーーその言い方が気になったが、今は追及できなかった。中央の空間に、小さな光が浮かんでいた。


 青い粒子の束。糸のように細いが、途切れずに揺れている。その揺れには既視感があった。


 ーーミオの残響。


 昼間見た、あの胎動の円環とよく似ている。


 アビが声を失ったまま、ゆっくりと揺れる光の中心に引き寄せられていく。


 エリアスは、その光に指をかざした。


 触れる前にーー

 空気が震えた。


 かすかに、子どもの声が混じる。


 ……だれ?




 エリアスの胸の奥が軽く締めつけられた。


「ミオ……?」


 言った直後、光の揺れ方が変わる。まるで、その名を知っているように。


 ……ちがう。

 でも、おなじ。

 ちがうけど……なつかしい。




 アビが震える。


「エリアス、やっぱり……

 ミオの意識の最初の層だよ。

 完全じゃないけど……音の形が似てる」


 揺れる光が、ぽつりとひらくように広がった。


 青い波形が空中に浮かぶ。


 エリアスは言葉を失った。


 それは、明らかに知性の反応。

 しかしーーミオという個人の声ではない。


 もっと深い、もっと古い。

 それでいて、どこか幼い。


 アビが言う。


「エリアス……

 これは最初の観測そのもの。

 ミオがいたはずの場所。

 世界がまだ、名前を持つ前の層」


 世界が青く揺れた。


 光がゆっくりと形を変えていく。


 円。

 粒子。

 環。

 そしてーー

 揺れる膜のような平面。


 その中心に、人の大きさほどの影が浮かんだ。


 幼い影。光と影のあいだに揺れる子どもの輪郭。


 耳が震える。


 ……あなた、だれ?




 エリアスは息を飲んだ。


(ミオじゃないーー

 だが、ミオが見ていた世界の「はじまり」だ)


 アビの声が小さく震える。


「ミオの……

 生まれる前の声。

 意識の原型だよ……!」


 影は首をかしげるように揺れた。


 ……あるきたい。

 でも、まだ、あしがないの。




 あまりにも、

 あまりにも幼い。


 だが同時に、

 世界が「生まれる直前」の力強さを持っている。


 エリアスは息を整え、影に問いかけた。


「君は……何を求めている?」


 影はすこし考え、光を散らす。


 ……ひかり。

 まもるひかり。

 おおきいの、くるから。




 おおきいのーー

 アトラス群。


 エリアスは気づいた。


(この存在は……世界の防御本能だ)


 ミオという人格に収束する前の、もっと深いレベル。


 アビが静かに言う。


「エリアス……

 この子は、世界の原初の観測者。

 ミオの前の、青の前の……

 最初の、胎動」


 影が、すこしだけこちらに手を伸ばした。


 ……みせて。

 あなたのそとを。

 あなたの、うちがわを。




 胸に熱が灯る。


 深層が、エリアスを受け入れようとしている。


 世界がこちらを観測している。


 アビが囁く。


「エリアス……

 扉が開くよ。

 ここからが、本当の青の始まりだ」


 青い光が拡がり、スタックゼロの空間が揺れる。


 深層がーー上へと滲みだそうとしている。


 エリアスは、その光に一歩踏み込んだ。


 それは

 世界の誕生と終わりの境目へ向かう

 最初の一歩だった。


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