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「————その後、程なくして陽宮は転属願いを出し、二度と部隊に戻っては来なくなったんだ」

 海堂さんはカップのコーヒーを見つめてそれを一気に喉へ流し込んだ。

「でもそれって陽宮さん悪くないですよね?」

 俺は空になったカップを持て余しながら海堂さんに視線を向ける。海堂さんは俺からカップを取ってゴミ箱へ投げ入れた。

「良い悪いじゃないんだよ。あいつは親しい人間が側で死んで心が折れちまったんだ。だから新たに知り合う人間とは一定の距離を置くし、お前にも敬語なのはそういう事だよ。なんだか臆病になっちまったんだよ。俺だってあの日の出来事を聞き出すのに数年かかったんだから。まぁほとんどは当時のカウンセリングの先生から無理矢理聞き出したんだけどな」

 さらっと恐ろしいことを言う海堂さんに俺は一つの疑問を投げる。

「俺ってそのケンタローって人と顔が似てるんですか? 話を聞いてると性格が似ているようには思えないんですけど……」

 海堂さんはクスッと笑って隣に座り直す。

「そうだな。確かにお前はあいつみたいに信念も無ければ根性も無い。でも顔も全く似てない」

「……じゃあ何が似てるんですか」

「雰囲気。が一番近い表現かな。何となく思い出しちまうんだ、お前を見ているとあいつをな。だからきっと陽宮の奴も必要以上に肩を入れちまうんだよ」

「でも。敬語ですよ? 俺に」

「ばーか。そういう事じゃねーんだよ。長い付き合いだからわかんだよ。おっと長話しちまったな。もう行かねーと」

 海堂さんと共に訓練場を後にする。閉まった扉の前で別れ際に海堂さんが人差し指を立てた。

「この話。誰にもすんなよ?」

「わかってますけど……何で俺には話したんですか?」

 海堂さんは目を丸くして手を下ろし微笑んだ。

「俺もお前に肩を入れちまってるんだろうな」

 手を振って去っていく。俺は呆然とそこに立ち尽くして出撃に向かう海堂さんを見送った。

 陽宮さんの話はかなり衝撃的だった。しかし、全てを知った今なら、彼に抱いていた数々の疑問が納得いく。

 部屋に戻ってベッドに横になるが、なかなか寝付けない。俺には関係ない話なのに何故か海堂さんの話が頭から離れなかった。それに、このまま陽宮さんが隊に復帰しなかったら一週間も待たずに日本は終わってしまう。海堂さんは出撃からもう戻って来ないだろう。だとしたら俺が何とかするしかない。もし、本当に陽宮さんが俺に佐々木健太郎の面影を見ているのなら俺にしか出来ない事がある筈だ。海堂さんはきっと俺に託したんだ。だから全てを話したんだ。

 俺はベッドから起き上がり、机に向かった。引き出しに備え付けてあったペンとノートを取り出して作戦を練る。これでも学校では勉強出来る方だったんだ。絶対に陽宮さんを復帰させられる作戦を考え出してやる。今、俺に出来る事はこれしかない。

 作戦は朝方にはずみちゃんが朝食の誘いが来るまで綿密に練られ続けた。描いたシナリオを何度も読み直し、チェックする。万が一にも失敗は許されない。失敗イコール死なのだから万全を期さないといけない。幾度となく修正を加えられた作戦はほとんど完成間近だった。

「何かヒドい顔してるけど寝てないの?」

「いや、ちょっと考え事しててね……そうだ。はずみちゃんちょっとこの後いいかな?」

「え? うん。何でも付き合うけど。何?」

「よーし! これで完璧だ!」

「だから何なのよ」

「後で説明するよ! それより早く食べちゃおう!」

 俺は朝食を一気にかき込む。はずみちゃんは首を傾げて何か考えていたが、それ以上は何も聞かず、食事に戻った。

 早急に食事を終わらせ、食堂を出た俺達は俺の部屋で作戦の打ち合わせを開始する。

「……つまりはこういう事なんだ」

 俺が作戦の概要を簡単に説明するとはずみちゃんはやはり首を傾げた。

「作戦内容はわかったけど、なんで陽宮さんをそこに連れて行くの?」

「それは……うーん。かなりプライベートな事情が絡んで来るから言えないんだ。ごめん。でも、この作戦が上手くいけば絶対に状況は変わる。それは絶対だ」

「それなら……まぁそれ以上は聞かないけどさ」

 陽宮さんの過去を話すのは思いとどまったため、はずみちゃんは作戦の内容は理解したが、そこに至る理由を何も知らないまま俺に手伝わされるハメになった。申し訳ないとも思うが、これが上手く言ったら後々判明してくる事もあるだろう。陽宮さんが実は先輩だったなんて知ったらはずみちゃんはどんな顔するだろう。ちょっと楽しみだ。

 とは言え、この作戦を成功させなければそれどころか日本が危ない。気合い入れて行かないと。

「よし! じゃあ早速作戦実行だ!」

 俺は陽宮さんを誘いに本部へ、はずみちゃんは作戦通りヘリポートへ移動した。本部は変わらず、慌ただしく人が動いている。陽宮さんも例に漏れず、何やら資料を捲りながら端末を操作していた。

 人の合間を縫ってそっと近づき神妙な顔を作って声をかける。

「陽宮さん……ちょっと」

 肩を叩いて、振り向いた陽宮さんを手招きして扉を指す。陽宮さんは資料を捲っていた手を止めて頷くと、俺と共に扉の外へ出た。

「成上君。どうしました」

 ポリポリと頭を掻きながらジッと俺の目を見つめる。俺は作戦を悟られないように少し目を伏せて口を開く。

「実は……ちょっと着いて来て欲しい所があって」

 陽宮さんは溜め息をついて俺の肩に手を置いた。

「申し訳ないのですが、今ちょっと手が離せない状況で。樫倉さんにお願いしてもらっても良いですか?」

「はずみちゃんじゃダメなんです」

「ん? 何故?」

 俺は顔を上げて陽宮さんと視線を合わせる。第一の勝負所だ。

「実は夢に禁秘の理が出て来たんです。そして陽宮さんとある場所へ行けと言われて……」

「私と……ですか? 一体何故?」

「俺にも分かりません。ただの夢かも知れないし……でも、確かに言ってたんです。陽宮さんの姿が浮かんで、二人で行けって。だから何かあるんじゃないかって思って」

 陽宮さんは俺の肩から手を外して顎を撫でる。目は少し上を向いていて何か考えているようだ。

 変に勘ぐられても禁秘の理を理由にすれば何が起こっても不思議ではない。何も解明されていないこの剣を使えば理由なんて説明出来なくても押し切れる。そういう算段だった。

「……わかりました。同行しましょう。何故、私なのかはわかりませんが禁秘の理関係の出来事はやはり無視出来ない」

 ビンゴ!

 第一段階突破。陽宮さんは本部の人達に少し抜ける旨を伝えに戻った。変に期待を持たせる訳にも行かないからきっと禁秘の理の事で進展があったとは言わないだろう。禁秘の理と勇者は失敗を重ねて一度みんなを疑心暗鬼にさせた過去を持っているのだから。陽宮さんはそこもしっかり踏まえて上手くごまかして外出の説明している筈だ。それも計算通り。

「お待たせしました。行きましょう」

 扉から出て来た陽宮さんをはずみちゃんが待つヘリポートへ案内する。もちろん扉は陽宮さんに開けてもらい、既にスタンバイしていた最後の一機のヘリに飛び乗った。運転士は全て出払っていたが、はずみちゃんもブレイバーの一人。操縦はお手の物だ。

「はずみちゃん。よろしく」

 俺が声をかけるとはずみちゃんは親指を立てて頷き、ヘリを上昇させた。陽宮さんと俺は向かい合うように座って互いに窓の外へ視線を移す。

 外に出たヘリはグングン上昇していくが、辺りはまるで様変わりしていて、絶界樹が並ぶ空は数日前より大分狭かった。

「成上君。場所はもう分かっているんですか?」

「はい。朝方、はずみちゃんと一緒に探そうと特徴を説明していたら、偶然はずみちゃんが知っている場所でした」

 笑顔で返す俺に陽宮さんは頭を掻きながら、そうですか、と相槌を打ってまた外に視線を戻した。きっと移動している途中で気付かれるだろうが、大丈夫。陽宮さんの中では俺は何も知らない事になっているのだから何も知らないフリして自然にしていればまずバレない。後は俺の想像力次第だ。ここが一番の鍵。俺は外に目を向けながら頭の中で台本を反復した。

「ここは……」

 程なくして陽宮さんが気付き出す。俺は何も知らないフリして答えた。

「もしかしてご存知でした? 俺が指示された場所はどうやら国家機密部隊の演習場らしいです。はずみちゃんは直ぐにピンと来たみたいで助かりました。確かに俺が夢で見た場所そのまんまですね」

 外に視線を向けたまま、あっけらかんと答えると陽宮さんは何も答えず頭を掻くだけだった。何より幸いだったのが、絶界樹の根もそこまで張り巡らされていない事。若干、埋もれつつはあるがまだまだ無事な方だった。ダメならダメで別の強行作戦を用意していたが、そうなると成功の可能性も低い。でも、これならプランを変更せずに続行出来る。風は追い風だ。

 ヘリが演習場の真ん中に着いて、俺と陽宮さんはヘリから降りる。はずみちゃんはそこで待機してもらい、有事の際にはいつでも駆けつけてもらえるようにトランシーバーを貸してもらった。

 ヘリから降りると、陽宮さんは何とも居心地悪そうにキョロキョロと視線を泳がしている。人のトラウマを掘り返すのも胸が痛むが、そうでもしなければ長年かけて固まった殻は壊せない。俺は意を決してその背中に問いかける。

「陽宮さん。ここら辺の山でどこか夕日が見える開けた場所があるらしいんです。禁秘の理が言うには陽宮さんなら知っていると。そして、そこに一緒に行けって言われたんですけど」

 陽宮さんは振り返る。その顔は見た事も無いくらいに目を見開いて驚いていた。普段から無表情な人だから大げさに見えるくらい。

「知っていますか?」

 陽宮さんは口を開かずに、小さく頷いた。その姿にまた心が痛むが、引き返す事は出来ない。

「禁秘の理はそこで夕日が落ちるのを待つんだって言ってました。何が起こるのかは分かりませんが、とにかく急ぎましょう。自慢じゃないっすけど俺、山登りには自信ないっすよ」

 陽宮さんは動かない。俺は畳み掛ける。

「早く。急がないと夕日に間に合わないっすから」

 俺は踵を返して陽宮さんとは反対の方向へと走り出す。

「そっちじゃない!」

 背中に掛けられた声に俺は立ち止まり拳を握った。

 第二段階突破。

 振り返ると陽宮さんは左の山を指差した。

「……その場所はあっちの山です」


 陽宮さんに先導してもらいながら山道をひたすら進む。その道は海堂さんの話から俺が想像していた道とは少し違っていた。かなり楽で傾斜もそれほどって言っていたのに実際登ってみたらかなりキツい。もともとの基準が違う事を頭に入れていなかった。

「すいません! ちょっと休憩してもらってもいいっすか?」

 息を切らしながら手を挙げる。登っている最中に会話も無い中、ようやく放った一言目がこれだ。我ながら情けないがまぁ結果オーライだろう。

「なら。あそこに座って休みましょう」

 俺に振り返り陽宮さんが指差した場所を見て俺は気力を振り絞る。序盤で体力はほとんど使い果たしていた。

休んでいる時も俺達に会話は無い。俺はもう喋る力すら惜しかったし、陽宮さんはずっと黙って何かを考えているようだった。大体検討はついているがもちろんその話題には触れない。たっぷり溜め込んでもらわないと爆発力が足りなくなってしまう。

「オッケーっす。行きましょう」

 俺が立ち上がると陽宮さんはようやくこっちの世界に戻って来る。ハッとして頷くとまた黙って俺を先導してくれた。ここまでは思惑通り。後はちゃんと辿り着けるかどうかだ。俺が。

 最初の休憩から、陽宮さんは俺が申し出る前に細かく休憩を挟んでくれるようになった。おかげで随分助かったのだが、心配事も出来た。

「あと、どれくらいっすか? これ。夕日間に合いますかね?」

「うん。もう三分の二は進みましたね。日暮れまでかなり時間があるし、恐らく大丈夫だと思います。時期が冬とかだったら間に合わなかったかもしれませんけどね」

「良かった。夏に感謝っすね」

 陽宮さんはこちらを見て眉を上げた。少し気付いて来たかな。でも大丈夫。今日は晴れているからきっとシチュエーションが味方してくれる。

 ラスト三分の一。足はもう鉛のように重たかったが、気力で持ち上げる。一つ思う事は、俺が国家機密部隊に入る可能性は無いと言う事。

 山を登っているうちに、ここが上手い事こうして絶界樹の隙間になっている事がまるで運命のように感じてきた。自分でついた嘘なのに俺も禁秘の理がそう指示したように感じてしまうから面白い。俺ももう気持ちを作っておかないと。この作戦のハイライトももうすぐだ。

「……ここがそうです」

「やった……着いたんすね」

 尻餅をつくように座り込む。そこは確かに不思議と視界が開けていて、海堂さんの言う通り大げさではなくまるで映画のスクリーンのようだった。

「陽宮さん。これ」

「ん? ……これは」

 俺がポケットから取り出したビーフジャーキーを受け取って陽宮さんはピクンと眉を動かす。効果はてきめんみたいだ。

 そう。これは、はずみちゃんから譲ってもらった国家機密部隊の保存食である特製ビーフジャーキーだ。恐らく海堂さん達と食べたのはこれに違いないと踏んで用意しておいてもらい、ヘリから降りる際に素早く受け取っておいた大事な小道具だ。

「夕日まで時間ありそうっすからこれ食って待ちましょうよ」

 座って座って、と陽宮さんを隣に座らせて封を切るように促す。コンビニとかで売っているものより量がかなり多いから、これは夕日までもちそうだ。

 陽宮さんから一つ受け取って同時に口に入れる。塩気がかなり効いていて疲れた体にえらく響いた。咀嚼しながら横目で陽宮さんの顔を伺うと、彼はビーフジャーキーを加えたまま少し俯いていてゆっくりゆっくりと噛み締めながら味わっているようだった。

「おいしいっすね。これ」

 陽宮さんがビックリした顔で振り向く。俺は驚いたフリして目を見開くと、陽宮さんは目をぱちくりさせて目の前の景色に視線を移した。

「……そうですね」

 雰囲気はもう完璧だ。これで八割がた作戦は進んだ。後は最後の一押しを加えてやるだけだ。頼むぞ夕日。俺の考え通りの景色を映してくれ。

 黙ってビーフジャーキーを食べながら夕日を待つ。心臓の鼓動は徐々に強さを増して行って俺は緊張感から少し固まった体を解すように何度か立ち上がり、屈伸をした。陽宮さんはぼーっと目の前を見ているだけだったが、ビーフジャーキーを食べる手が止まる事はなかったので精神的に限界なんて事はまずないだろう。俺は同じように目の前の空を見据える。

 空が徐々に色を変えて行く。

 青とオレンジの間に水色が少しだけ見えたグラデーションは、少しずつバランスを崩して行って濃淡は消えて行った。

 空が燃えるような赤に変わって、ようやく俺から口を開く。

「夕日……見れませんね」

「……あぁ。そうだな」

 隣で座る陽宮さんの顔を盗み見る。空の色より少し薄い赤に染められた顔は目の前の何を見ているのだろう。

 ここに着いた時から分かっていた。視界はひらけているのにそこには距離を置いて絶界樹が立ち並び、空を削っていた。でも、陽宮さんは何も言わなかった。だから俺も何も言わずに夕方を待った。一応、隙間は空いているのでそこから夕日が見えたらどうしようかと思っていたが、狙い通り夕日は絶界樹に遮られ、赤く染まった空は一体何処から染められているのか分からないような微妙な風景が広がってくれた。

「ねぇ陽宮さん……ネタバラししていいっすか?」

「いいよ」

「ごめんなさい。禁秘の理の話……あれ嘘です」

「そう」

「陽宮さん。実は気付いてましたよね?」

「……うん」

「……やっぱり。いつから気付いてました?」

 陽宮さんはビーフジャーキーを加えたまま頭をポリポリと掻く。視線は相変わらず目の前に向けられていた。

「……君の口調が変わった辺りから……まぁ、なんとなく気付いたかな」

「……それって割と序盤ですね。もう少しいけてたと思ったんですけど。だとしたら何でここまで来てくれたんですか?」

 ケンタロー口調はおしまい。もう必要ない。ここからは俺の言葉で伝えなくてはいけない。

「どうしてだろうね……海堂に聞いたのかい?」

「……はい。すいません」

 不意にこちらに振り向いた陽宮さんは初めて表情を和らげた。

「謝る事無いよ。むしろお礼を言いたい」

「え?」

「君のおかげでこうして最後にここに来れたんだ。あのまま……もしずっと来れなかったら、あいつとの約束を守れないままだった。ありがとう」

 陽宮さんの顔はまるで憑き物が落ちたみたいにスッキリとしていた。そして優しく微笑んでいた。

 ……すごく腹が立った。

「陽宮さん。俺、ケンタローじゃないよ」

「ん?」

「だから。俺ケンタローじゃないって」

 陽宮さんは少しだけ顔を曇らせる。本当ならもう少しナチュラルに、諭すように説得するつもりだったけど今の言葉は聞き捨てならない。

「……最後って何だよ」

 俺はギュッと拳を作って立ち上がり陽宮さんを見下ろす。

「最後って何だよ! あんたもう諦めたってのか?」

 陽宮さんは俺を見上げて固まっている。その目は真ん丸に見開いていて、急に豹変した俺の姿に驚いてしまっているようだ。

「まだ海堂さんは……ブレイバーは……国家機密部隊は戦ってんだぞ! あんたのかつての同僚達が後輩達が諦めずに今でも抗ってるんだよ! それなのにあんたはもう諦めちゃったのかよ!」

 陽宮さんは顔を背けてまた目の前の空に視線を戻した。

「諦めてなんかないさ……最後まで戦うつもりだ」

「戦ってない!」

「っな!」

「あんた逃げてるじゃないか! 過去に怯えたままずっと逃げ続けてるじゃないか!」

「成上君! ……それは」

「何で陽宮さんが逃げちゃうんだよ! 佐々木健太郎が憧れた陽宮先輩ってのはそんな背中を後輩に見せて来たのか? 佐々木健太郎の目は節穴だったのか? 佐々木健太郎が信じたものは一体なんだったんだよ!」

 陽宮さんは言葉に詰まってしまったのか、何も言わず俯き出した。俺は当初の予定なんか完全に無視して心の底から吹き出した感情を全て吐き出す。

「自分から約束破ってりゃ世話ねーよ! 死んじゃった後輩のささやかな願いも反古にしてとっとと一人で逃げ出しやがって。佐々木健太郎もバカだね。そんな臆病者に憧れてたから戦場で命を落とすようなヘマするんだ! 落ちこぼれに憧れた落ちこぼれの哀れな末路だよ!」

「……! お前!」

 陽宮さんが立ち上がり、俺の胸ぐらをガッと掴み上げる。

「……それ以上言ったら容赦しないぞ」

「そんな事言ったって……! ぜんっぜん恐くねーよ!」

 ぐぐっと首を締め付ける力が増した。でもそれくらいじゃ俺は怯まない。こっちはもう怒りの臨界点を越えているんだ。

「そうやって……ケンタローの事でまだ立ち上がれるんなら……」

 俺の胸ぐらを掴む手をギュッと握りしめる。

「ケンタローが信じた男は間違ってなかったって証明してみせろよ!」

 ここでいくらすごんで見たってちっとも凄くねーよ!

 こんな風に立ち上がれるんなら何で海堂さんからお願いされた時に立ち上がらなかったんだ!

ここへだって俺が言わなきゃ来れなかったくせに乗り越えた気になってんじゃねーよ!

 何勝手に全部終わらせてんだよ! まだ何にもしてねーだろ!

 責任感じてんだか何だか知らねーけど、責任の取り方ちげーんじゃねーのか?

 また仲間見殺しにする気かよ! 何でまた同じ過ち繰り返そうとしてんだよ!

 立ち上がるしかねーんだよ! もう二度と仲間を死なせない為には!

 あんたが何とかするしかねーんだよ! あんたじゃなきゃ出来ねーんだよ!

 やれよ! 出来る事があるんならやれよ! 逃げんなよ!

 そんな姿ケンタローに見せんじゃねーよ!


 俺は目の前にいる陽宮さんに向かって感情そのままに捲し立てた。気付けば胸ぐらを掴んでいた陽宮さんの手からは力が抜けていて、俺はそれを振りほどいて横に広がる暮れゆく光景を指差した。

「……それに。あんたはまだ約束守ってない」

 陽宮さんは俺が指差す空に目を向ける。

「あんたはまだ夕日を見てない。ケンタローと見た夕焼けはこれじゃない。こんな絶界樹に阻まれた狭い空じゃないはずだ。違うか?」

 陽宮さんは沈みゆく太陽の位置さえ分からない風景を凝視する。

「陽宮さん。佐々木健太郎が死んでしまった今ではもう約束を守れるのは陽宮さんしかいないんです。取り戻しましょうよ。あの日見た景色を。そしてまた。今度は自分の意志でここに来ましょうよ。きっと今でも佐々木健太郎は待っている筈です。また四人で夕焼けが見れるまでずっとずっと待っている筈です……海堂さんから聞いた話でしか知りませんが、多分そういう人なんでしょう?」

「……あぁ……根性だけは……誰にも……誰にも負けない奴だ」

「だったら陽宮さんも根性見せて下さい。じゃないと先輩としてしめしがつかないでしょう? ケンタローが憧れた陽宮先輩に戻って今度こそ! ……約束を守って下さい。お願いします」

 俺が言えるのはここまで。随分予定とは違ってしまったけど伝えたい事は伝えられたし、もしかしたら当初の予定より良い形で作戦を遂げられたかも知れない。でも、それでも成功率はそんなに高いものではないだろう。トラウマを持たない俺にとって陽宮さんのトラウマがどれだけのものなのかは分からないし、ここまで失敗を繰り返した身だとやっぱり自信は持てない。それでも考えられる中で一番の方法を試したつもりだ。だから、後は信じるだけだ。

 俺の言葉は陽宮さんの心の内側に届いていると。きっと陽宮さんも今のような状態を望んでいないと。

 ……無言のまま、風がそよいで葉が音を立てる。俺は陽宮さんを、陽宮さんは空を見つめていた。

  風が凪いで葉の擦れる音が止んだ時、陽宮さんの細めた目から一筋の涙が頬を伝った。

「……ごめんな。ずいぶん……待たせちゃったな」

 その後に呟いた言葉は本当に消え入りそうなくらい小さなものだったが、静寂に包まれたこの場所ではハッキリと聞こえた。

(あと、もう少しだけ待っててくれ)

 陽宮さんと共に下山してヘリに戻ると、はずみちゃんはヘリを飛ばす前に耳打ちして来た。

「何か……陽宮さん雰囲気変わった?」

 成功? 失敗? と心配そうに聞いて来るが、俺もあれから言葉を交わしていないので確証はなかった。

「多分……成功だと思うんだけど」

「多分って……」

 訝しげな表情で俺を見るはずみちゃんの背中に声がかけられる。

「行こう。随分時間を食ってしまった」

「は、はい!」

 陽宮さんの声に振り向いてはずみちゃんは慌てて敬礼をしてヘリを飛ばした。

 日暮れの空を飛び行くヘリの中で向かいに座る陽宮さんの顔を何度も盗んだ。

 確かに雰囲気が違う。何て言うか、少し張りつめるような空気を纏っていていつもの少し気が抜けているような雰囲気がまるでない。隔てていた壁が無くなったような気もするんだけれど、そこを軽々しく踏み入れられないオーラがあって結局、距離感はあまり変わらなかった。

 最後のあの言葉はきっとこの作戦の成功を意味していると思うのだけど、あれだけ捲し立てた後でしかもこの雰囲気の陽宮さんに対して改めて『出撃するんですよね?』なんて聞ける勇気はなかった。

 施設に戻り、ヘリを降りると陽宮さんは颯爽と下りてまだベルトを外せていない俺に振り向いた。

「先に本部に戻ります。ありがとう」

「あ、はい!」

 背筋がピンと張ってしまう。何だか学校に一人はいる厳格な先生と話している感覚だった。

 陽宮さんははずみちゃんにもお辞儀をしてそのまま去って行ってしまった。二人してポカンとその背中を見送り、ドアが閉まってようやく張りつめていた空気が解けた。

「ねぇ。やっぱり雰囲気違うよね?」

 ベルトを外して俺はウンウンと頷き、ヘリを降りた。はずみちゃんは陽宮さんが去って行ったドアを見つめて呟く。

「なんか……カッコいいかも」

「え?」

 はずみちゃんのタイプってあんな感じなの? 振り向いた俺の視線にも気付かずボーッとドアの方を見つめているはずみちゃんの姿に、えも言われぬ危機感を覚えて何とか顔をこっちに向けさせる。

「はずみちゃん! ご飯食べようよ! もう俺腹ぺこでさ! ね! ね!」

「あ、あぁそうね。んじゃこのまま食堂に行こっか!」

 俺に振り返り、ようやく我に返ったはずみちゃんに一安心する。やはり彼女にとって食欲は強い。

 食堂を目指し、歩きながら心に決めた。

 しばらく陽宮さんは近づけないようにしよう。


 食堂にはもちろん陽宮さんの姿は無く、海堂さんも戻っていないようだった。と言うよりブレイバーの誰一人も見当たらなかった。前までは交代制で戻って来ていたから誰かしらは居たんだけど、もしかしたらもう施設にまで戻ってくるような時間さえ取れなくなっているのかも知れない。

「何だか人少ないね」

 はずみちゃんは並べられている料理を皿に盛る。いつも通り大盛りで乗せている音がやけに響いた。

 それだけ静かなのだ。

 会話している人達もいない訳ではないのに、その誰もが小声でボソボソと話していてほとんど聞こえて来ない。いつもなら色んな会話が飛び交っていて喧噪とまでは言わずとも賑やかだったのに。

 そんな静けさに合わせて静かに話しているみんなの雰囲気は何だか寂しさを助長させていて、まるで別の食堂みたいだった。

「ちょっと。はずみちゃん食い過ぎじゃない?」

「何よ急に。いつも通りでしょ?」

「まぁ、そうなんだけどさ……」

 本当ならここで海堂さんの豪快な笑い声が響いてくる筈なんだけど、会話はそこで終わって俺達は席に着いて食事を始めた。

 いつもと違う食堂で、いつも通りの食事を終えた俺達は俺の部屋の前で別れる。

「ねぇ。これでもし陽宮さんが出撃しなかったらどうしよっか?」

「そうだな……あまり考えたくはないけど。もし失敗したらの作戦も考えておかないとね。とにかく明日もいつも通りの時間に集合で」

「うん。わかった。じゃあおやすみ」

 はずみちゃんに手を振って俺は部屋に入る。一日の疲れがどっと押し寄せてきて、ベッドに横たわり目を閉じた。

 もし、陽宮さんが出撃しなかったら……その答えは何となく分かっていた。

 恐らくはずみちゃんに招集がかかるのだろう。日本の明日がかかっているのだから、こんな状態の勇者をサポートするより重要な任務だ。はずみちゃんは嫌がるかも知れないけど。いや、嫌がってくれるかな? 嫌がって欲しいな。

 今日の手応えはあった。でも確証はない。本当だったらこんな状態じゃ寝れないのに、登山の疲れが響いたのか俺はいつの間にか思考を止めて暗闇に落ちて行った。

「成上君。申し訳ないがちょっと来てくれ」

 意識の底の暗闇から引きずり出される。ゆっくり開けた瞼に映ったのは陽宮さんの姿だった。

「陽宮さん……? どうしたんですか急に」

「早朝に申し訳ない。しかし、時間があまりないんだ」

 早朝? ふと時計を見る。意識を失って数分しか経っていないはずが七時間も経っていた。

「成上君。急いで」

「はい! はい!」

 無理矢理布団から体を引きはがして立ち上がる。陽宮さんはそのまま部屋を出て行ってしまったので急いでその後を追いかけた。

 陽宮さんの後ろ姿を見て、ようやく意識がハッキリして行く。陽宮さんはいつものスーツ姿ではなくブレイバー達と同じ迷彩服を着ていた。これはもしかして作戦の成功を意味しているのだろうか。ほとんど確信に近かったが、実際に陽宮さんが出撃を口にするまでは油断出来ない。速まる鼓動を落ち着かせながら、予期せぬ状況に対処出来るよう様々なシチュエーションをイメージして備えた。

「待たせたね。申し訳ない」

「い、いえ」

 陽宮さんが俺を連れて入ったのは作戦会議室。ドアが開くと陽宮さんは中にいたはずみちゃんに声をかけ、はずみちゃんは直ぐさま立ち上がり敬礼をした。陽宮さんは俺をはずみちゃんの隣に座るよう促すと、テーブルを挟んで真正面に陣取り資料と地図を広げる。

「時間がないから手短に話すよ。数ある資料を色んな角度から見て来たけど、今まで何も掴めなかったが。今の絶界樹の分布を照らし合わせてみたら、些細な事だが不思議な繋がりを見つける事が出来たんだ。可能性は限りなく低いが何かあるかも知れない。君たち二人は今からここへ行ってみてくれ」

 陽宮さんが指した場所は本土の北側の日本海沿いに位置する、ある村だった。俺はその指された場所を見て陽宮さんに問いかける。

「ここって……確か海子居村かいねいむらですよね? 今更ここに一体何が?」

「良く知っているね。ここは……」

「一番古い文献。つまり最初の勇者と絶界樹の資料が発見された場所……」

 陽宮さんの言葉を遮って俺が答える。ついこの前に散々調べたのだから忘れる訳がない。でも、だから何だと言うのだ。

「流石によく調べているみたいだな。そしたら今度はこれを見てくれ」

 次に陽宮さんは更にもう一枚の地図を広げる。広げたのは日本地図。そこにはバツ印と赤で丸が何個も書かれていた。

「このバツは絶界樹が生えている場所。そして赤で囲んである場所がそこに生える絶界樹の液体によって無に帰す範囲だ。もうほとんど生えきっていると言うのにここを見てくれ」

 陽宮さんが指した場所は本土の北側海沿い。

「ここは……」

「海子居村だ」

 まさか。陽宮さんが指した場所は日本で唯一赤丸で囲まれていない小さな隙間だった。ほとんどの場所は重なる丸で囲まれてしまっているのに、上手い具合にそこだけまるで死角のように空いていた。

「ただの偶然かも知れない。でも、何か引っかかるんだ。何の確証もないし手がかりと呼ぶには頼りないただの勘に近いものだが、それでもこのギリギリのタイミングで見つかった小さな可能性が日本を救う糸口になるかも知れない。だから成上君。君が行って確かめて来てくれ」

 陽宮さんは俺の目をじっと見つめる。その目には今までになかった意志の力がこれでもかと言うくらいに感じられた。

 俺はギュッと拳を握って頷く。

「行きます。どんなに可能性が低くてもこのまま何も出来ないよりよっぽどマシです。俺達が確かめてきます」

 はずみちゃんと顔を合わせて頷き合う。陽宮さんは地図から指を離すとポケットから紙を取り出し、はずみちゃんに渡した。

「残念ながらここに残された最後のヘリはこれから俺が使ってしまう。国内にあるヘリ、戦闘機は全て使用中だ。だから君たちは陸路で海子居村を目指してもらう事になる。これが絶界樹の根を避けて通る道のりだ。少し遠回りだが、時間は俺やブレイバーそして絶界樹対策に当たる全部隊が少しでも長く稼いでみせる。二人とも頼んだぞ」

 はずみちゃんは陽宮さんから紙を受け取ると開いてルートを確認する。陸路って事は恐らくはずみちゃんが何かを運転すると言う事なんだろう。って言うよりあれ?

「今……ヘリは俺が使うって」

 陽宮さんは俺に微笑んだ。

「あぁ。まだ心の中は何も整理出来ていないけどな。でもだからこそこのまま死ぬわけにはいかない。必ず生き延びてケリをつけなきゃな」

 陽宮さんはそう言うとドアの方へ歩いて行った。そして開いたドアの前で振り向き、最後に……と前置きして俺に何かを投げた。

「俺も海堂も樫倉も、そしてここにいるみんなも。日本国民全員が今でも君を勇者だと信じている。だから最後まで諦めるなよ? 君が諦めなければきっと活路は開く。なんたって勇者なんだからな」

 何か分かったらそれで連絡してくれと言い残し、陽宮さんは去って行った。

 渡されたのは少し大きめなトランシーバーのようだった。

「これ、緊急用のレシーバーね。これなら国内何処でもどんな時でも繋がるわ」

 はずみちゃんは俺の肩にそっと手を置く。

「陽宮さんの言った事は本当よ。私も京耶君が勇者だって思ってる。さぁ急ぎましょ。準備もしなきゃいけないし、このルートだと結構時間がかかりそうだから」

 はずみちゃんは俺の手を引いて作戦会議室を飛び出す。残された時間はあと僅か。恐らくこの海子居村の手がかりがラストチャンスだろう。何も見つからなければそこで終わりだ。

 でも、陽宮さんが……本部のスタッフが死にものぐるいで見つけてくれた僅かな可能性。

 最後に賭けるには相応しい希望だ。


 荷物の積み込みを終えた俺達はそのまま車に乗り込む。用意されたのは武骨で大きなブレイバー専用の四駆だった。

 俺は助手席でシートベルトを締め、部屋から持って来た文献や資料にもう一度目を通した。

「一応、安全運転でいくけど人も居ないし飛ばす事もあるから酔わないようにね」

「え? いやそれって……うわっ!」

 はずみちゃんの口にした矛盾につっこむ間もなくグンと車は飛び出して背もたれに体が密着する。

 安全運転で飛ばす。

 とりあえずこの運転に慣れるまでは資料をしまって前を向いている事にした。

 山道を抜けて市街地に入るとまるで映画で見たゴーストタウンのような光景が飛び込んで来る。不気味な静けさ、ついさっきまで人が居たかのようにそのまま残っている建物。電気やガス、水道は止めているから音も光も自然のものしか入って来ない。時々、遠くから聞こえる爆撃音は実を撃墜している音だろうか。

 窓を開けて空を見上げてみると戦闘機が一機通過して行った。

「戦闘機の音って結構響くんだね」

 ジャンボジェットのような低音ではなく、空を切り裂くような高音が街に届いた。

「街の音が無いからよ。いつもだったら気にならないくらいだと思うよ」

「そんなに気にしてなかったんだけど、街の音ってあるんだな」

「無くなると気付けるよね。音の安心感」

 ブロロロロと四駆の音だけが響くゴーストタウン。車は市街地に入ってから少しスピードを緩めていた。

 一応。避難は済んでいるはずなのだが、逃げ遅れの人が居ない可能性もゼロではない。それを探す程でもないが万が一に見逃すような事がないようにスピードは抑えていた。この静けさなら車の音に気付くだろうし、このくらいのスピードならもし飛び出して来ても停止は容易だ。少し遠くても大声を出せば必ず聞こえるだろうし。

 と、まぁ言ってみたものの可能性はゼロに等しい。俺はそこに神経を集中する事も無く、休み休み資料や文献に目を通していた。

「なぁ。はずみちゃん。このまま行けば海子居村までどの位で着くの?」

「うーん。このペースだったら明日の朝。遅くても昼には着けると思う」

「明日か。ちなみに一応聞くけど流石に夜は何処かで仮眠と言うか休息は取るんだよね?」

「当たり前でしょ。一日中ぶっつづけで運転するなんて能率が悪いだけじゃない。こまめに休息は必要よ」

「そうか。そうだよね」

 安心した。はずみちゃんの体力なら一日中でも運転しかねないと思ったけど、それはないようだ。

 しかし、理由が能率と言う事は体力的には出来ない事も無いと言う事だよな。全く恐ろしい。

「でも不思議。こうして京耶君と二人で車で移動なんて」

 はずみちゃんは真っ直ぐ前から目を離さず、ハンドルを握ったまま腕をグーッと伸ばした。

「うん。こんな形は不本意だけどね」

「そう? 私はそうでもないけど」

「……そっか」

 はずみちゃんの頭の中はわからないけど俺にとっては、このシチュエーションって無しだと思う。

 日本絶滅の危機に、こんな武骨な車で、走っている所はゴーストタウン、向かう場所は二人に何の縁もない人里離れた村、目的は日本を救う可能性を求めて。

 そして何より運転しているのは、はずみちゃんだ。

 こんなのダメだろう。

 と言うよりもっとダメな事に気付く。

「……そう言えばさ」

「ん? どうしたの?」

「はずみちゃんって免許持ってないよね?」

 はずみちゃんは同い年。高校二年生の歳だ。何で運転しているんだ。しかも平然と。

「あー。私、一応海外で免許取ってるの。って言っても今は非常時だから特別なんだけどね。普段は公道走る事ないよ」

「へ……へー……」

 どんだけ超人なんだこの人は。俺は絶望して諦めのような呆れのような口調ではずみちゃんに問いかける。

「はずみちゃん……彼氏居た事ないでしょ?」

「は! ばっ! ばか! 何て事言うのよ急に! ……そっそりゃ居た事ないけど……それは……だから……その……きょっ京耶君が……やく……」

「ちょっと前! 前! まえーーー!」

「わ! わわ! わあー!」

 はずみちゃんは顔を上げて急ハンドルを切る。車は急な方向転換で助手席側がふわりと浮いて俺は一瞬、息を呑んだ。

 しかし、はずみちゃんの見事過ぎるハンドルさばきで車は横転する事無くドスンと一回バウンドして四肢を地面に着けると、何事もなかったかのようにそのまま走り続けた。何とか無事に切り抜けられたが危うくT字路にノーブレーキで突っ込む所だった。

「いやーごめんごめん!」

「ちょっとちゃんと前見てよ! 死ぬかと思ったじゃないか!」

「な! 元はと言えば京耶君が変な事言い出すからでしょ!」

 ばかばかばか、と俺に向かって言い続けるはずみちゃんに、だから前を向いてくれと前方を指差す。顔は前を向いても呪文のように「京耶のバカ」を繰り返しているはずみちゃんに溜め息が出そうになるが、また変な空気になりそうなので深呼吸でごまかした。

 あんな状態でも止まらずに走り続けたはずみちゃんの度胸は俺にとってもはや恐怖の域に達している。こんな超人、いくら可愛くても男としてどこも勝てる所がないのだから告白なんて出来る訳がない。恐れ多過ぎる。告白されても無理だ。見ているだけで劣等感が湧いて来てしまうのだから。こんな女生と釣り合う男は果たしてこの世に居るのだろうか。

 恐らく俺じゃ釣り合わない。海堂さんや陽宮さんレベルじゃないと無理じゃないか?

 でも、それも許せない。何とも言えない矛盾が心にある。俺じゃ釣り合わないと思いながらも俺はどこかはずみちゃんに期待している部分があるのかも知れない。



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