10
市街地を抜けて山道を抜けて、もう一度市街地に入ってその外れでようやく休息を取る事にした。もうすっかり日暮れ前で、はずみちゃんは車から降りると直ぐにテントを設営し始める。
休息場所に決めた所はどうやらキャンプ場のようで、広がる広場の奥に川、その向こうに山々が広がっていて自然に囲まれ緑豊かな、これぞキャンプ場といった場所だった。普段なら都会の喧噪から離れてこの静かな緑に囲まれた場所でリラックスするのだろうが、もとよりまるで無音の街をずっと走り続けてみた俺達にとって違いは特に感じられなかった。
「京耶くーん! そこちょっと押さえてて!」
「ん! わかったー!」
手際良く準備をするはずみちゃんの手伝いは少し緊張する。あんまり使えない所を見せて呆れられたら最悪だ。俺はそれほど出番のない手伝いに全力を費やしていた。
ほとんどはずみちゃんの手によって準備された今晩のキャンプ地はアウトドア上級者を思わせるような出来映えで、少しだけレジャー感が出そうだったがやはり使用している物資が部隊用のモスグリーンや鉄剥き出しで統一されている為すぐ現実に戻される。洒落っ気と言うものは必要ないのだ。
「んじゃ夕飯作っちゃうから火だけ見といて!」
はずみちゃんは設置した台の上に食材と調理器具を広げて調理に取りかかる。俺は火から少し距離を開けた所で座って火とはずみちゃんの背中を交互に見ていた。
はずみちゃんの料理をしている姿がたとえ迷彩服を着ていても女性らしく感じるのは気のせいではないだろう。トントンと小気味良く鳴る包丁の音は手慣れている証拠だ。
「……はずみちゃんの手料理初めてだな」
さりげなくアピール。これは手料理を振る舞っているのだと意識させる為だ。雰囲気は自分から作らないと。
「んー。そう言えば親以外で誰かに料理を作るのは初めてかも」
「ってか料理するんだね」
「そりゃそうですよ。一人暮らしみたいなもんだもん。なめんなよー」
「なめてないなめてない。でも意外だな。こういう部隊の人達ってレーションだっけ? そういうのばっか食べてるんだと思ってた」
「うーん、それも間違ってないけどね。手軽だし。目的がレジャーじゃないからさ。でもやっぱりこうして作った方が美味しいからこんな時くらいはね」
はずみちゃんは一度も振り向かずに下ごしらえをしながら背中越しで会話をしていた。きっと優しさなんだろうな。こうしてレーションで済まさずに食事を作ってくれるのは。
「ありがとう。楽しみだなはずみちゃんの料理。何か手伝う?」
「んーん! 平気! 本気出すから火を見ながらお腹空かせてて!」
「空かせなくてももう腹ぺこだよ!」
「そっか! 私も!」
はずみちゃんは振り返って笑う。包丁片手で微笑むはずみちゃんの姿が一瞬、エプロン姿で映った気がした。ここはキャンプ場じゃなくてマンションの一室で俺は休日にテレビを見ながら晩飯が出来上がるのを待っている。そんな光景が脳裏に浮かんだ。
火の上に設置された鍋と飯盒を見ながら二人で並んで座る。料理は定番のカレーだった。
「京耶君。小さい頃カレーばっかり食べてたよね」
「うん。今でも大好物。多分一生。よく覚えてるね」
はは! とはずみちゃんは笑う。パチパチと燃える火の明かりがその顔に影を揺らした。
「そりゃあれだけカレーカレー言ってれば忘れらんないよ」
「そんな言ってたっけ?」
「言ってた!」
「そうかなぁ……」
あの頃は確かに何処に何を食べに行ってもカレーを食べたがってた気がするけど。夕飯何が良い? と聞かれればカレーと答えていた気がするけど。……うん。確かに言ってるな。
それでも良く覚えていたと思う。あの頃の俺にとっては友達と呼べるのははずみちゃんしかいなかったけど、はずみちゃんは持ち前の明るさでみんなから好かれていたし、今になって思えばタイキはきっとはずみちゃんの事が好きだったんじゃないかと思う。きっとあいつが興味持っていたのは俺じゃなくてはずみちゃんだったんだ。その証拠にはずみちゃんが引っ越してから何となくからかってくる事はなくなっていったから。
だからあれだけ人見知りで引っ込み思案だった俺にずっと構ってくれたはずみちゃんはある種の恩人なのだ。はずみちゃんはいつだって俺の側に居てくれて、誰かから誘いがあっても絶対に一人で行かずに俺を連れて行ってくれて、そこでやっぱりあぶれている俺の側にいるもんだから結局二人で何かしているような状態になってしまって。関わる人は沢山居たはずなのにこうして忘れずに居てくれているはずみちゃんの優しさに少し申し訳なくなる。
一人きりになって変わって行った俺は色んな事を忘れてしまったみたいだ。一体何を忘れたのかも分からないのだから始末に負えない。
「よーし。そろそろかな。うん! おっけー!」
はずみちゃんは鍋の中を確認すると飯盒も火から外して皿に盛りつける。広がるカレーの香りはこの非日常を少しだけ忘れさせてくれた。
「はい! どうぞ!」
ありがとう、と手渡されたカレー皿を受け取る。山盛りだ。
はずみちゃんも隣に座って二人とも両手を合わせて声を揃える。
「いただきます!」
ルーと白米の境目にスプーンを入れて口に運ぶ。熱々のカレーにハフハフと息を吐き出しながらその熱を冷ます。
「ん! 美味い!」
一口目を食べ終えてはずみちゃんに振り向くとはずみちゃんも一口食べて「うん! いい出来!」と笑って頷いた。
やや辛口のカレーは具沢山で一口サイズに切りそろえられた野菜達は食べやすいし、肉もなかなか柔らかい。しっかり下味もついているからまるで隙がない。
俺はそのままガツガツと一杯目を平らげた。
「おかわりありますけど?」
「いただきます!」
はずみちゃんは少し嬉しそうに二杯目をよそってくれた。そしてその嬉しそうな表情のまま自身も大盛りで二杯目をよそった。
ガツガツと食べている間は会話も無く、ただ時々目が合っては互いに笑ってまたカレーと向き合った。用意されたペットボトルの水はそんなに冷えてはいなかったけど熱々で辛口のカレーとの対比のおかげもあってか物凄く美味く感じた。
「ごちそうさまでした!」
空の食器を置いてはずみちゃんに頭を下げるとはずみちゃんもお辞儀を返してくる。
「いえいえ。お口に合ったようで良かったよ」
「いや、実際もろ好みの味だったよ。また食べたい」
「やった! それ最高の褒め言葉!」
はずみちゃんは勢い良く立ち上がり俺の食器を持ってテントの方へ行ってしまった。料理を作ってもらって洗い物までさせるわけにはいかない。俺は後を追いかけて食器を奪い取りはずみちゃんを戻らせた。また食べたいの返答を聞けていない事に気付いたのは洗い物が終わってからしばらくした頃だった。
満腹感に酔いしれながらパチパチと音を立てる火を眺める。辺りはすっかり暗くなっていて何処までも続いている暗闇に本当に電気が止まっているのだと感じたけど不思議と恐怖感はなかった。
「これでもかってくらい真っ暗闇だな。きっとこんな夜はこの先味わえないんじゃないか?」
「そうよね。少なくとも私たちが生きている間はきっとないよね。あ! そうだ!」
はずみちゃんは火に何本か薪をくべると、俺の手を取って立ち上がった。
「あっちの川の方へ行こ!」
「え? う……うん」
ずっと火を見ていたから暗闇に目が慣れない。はずみちゃんに手を引かれていなければ自分が何処に向かっているのかも分からなかっただろう。と言うより、はずみちゃんはどうしてこうもスタスタと歩けるのだろう。
少し歩いているとようやく目も慣れ始めて来る。足下はゴツゴツと石が並んでいたがはずみちゃんがライトで照らしてくれたので躓く事も無く進む事が出来た。
「ここらでいいかな。座ろ!」
丁度いい岩場を見つけて向かい合って座る。はずみちゃんの位置の方が少し高くて、約一メートルくらい離れた場所から俺ははずみちゃんを見上げる形になった。
「うっわ!」
思わず声を上げる。暗闇に慣れた目が捕らえたのは笑顔で俺を見るはずみちゃんの顔とその後ろに満天と輝く星空だった。
「やっぱり! これだけ暗いと夏でも星がかなり見えるね!」
はずみちゃんは足をパタパタと放りながら斜め上を見上げた。
絶景とは正にこの夜空を指す言葉だろう。本気でそう思った。光害って言葉は聞いた事があるけど地上が真っ暗だと空はこんなにも輝くものなのか。
俺はしばし、会話も忘れてただ空を見上げていた。
見渡す空。時折視界に入るはずみちゃんの姿はどんどんハッキリしていく。不意に俺は口を開いた。
「はずみちゃんってさ……何で俺をそんなに信じてくれるの? こんな何も出来ない俺を疑わずにいられるの?」
今更、聞く事ではないのかも知れない。聞いた所でどうしようもないし、下らない質問だ。
でも、何故だか聞かずにはいられなかった。きっと誰よりも自信がなかったから。
はずみちゃんは見上げていた顔を下ろして俺に目を向ける。
「そんなの……」
はずみちゃんはまた空を見上げた。
「そんなの決まってるじゃない。京耶君が約束守ってくれたからだよ」
前にも聞いた、約束。俺は何を約束したんだろう。どうして忘れてしまったんだろう。全く思い出せないのが歯がゆい。俺はいつどこでどんな約束を守ったのだろうか。
「京耶君ってさ。絶対に約束破らなかったじゃない? 破っちゃうのはいつも私の方。トンネルの時もそうだったでしょ? でも京耶君はいつだって笑って今度は自分から約束してくれるの。そして絶対に守ってくれた。だから私はずっと信じて待ってたんだと思う。例えおばあちゃんになっても待っていられたと思う」
はずみちゃんは空を見上げたまま語りかける。俺には何の事だかさっぱりわからない。だから何も返せなかった。
はずみちゃんはまた顔を下ろして俺に微笑む。そして岩から下りて俺に手を差し伸べた。
「そろそろ寝よっか。明日も早朝に出発しなきゃだし」
「う……うん」
手を取って俺も立ち上がる。帰り道、何も言わず、何も聞かずにはずみちゃんは黙って俺の手を引いて歩いた。俺が今でも思い出せていない事に気付いているのだろう。それが悲しいのか、寂しいのか、何とも思っていないのか。分からないけど、何も言わずに何も聞かずにいてくれたのは優しさの他ならない。でも、俺にはその優しさがとてつもなく痛かった。
いっその事聞いてしまおうかとも思ったけど、やっぱり聞けなかった。
俺は思い出せるのだろうか。思い出せないまま死にたくはないな。と漠然と思った。
早朝、片付けた荷物を積み込んで四駆は走り出す。あんな感情でもしっかり眠れるのだから自分の神経は割と太いのだろう。いや、寝袋で離れているとは言え二人一緒のテントで寝ている状況から目を逸らせたのが大きいか。
とにもかくにも俺達はしっかりと休息を取って一路、海子居村を目指して出発した。
快調に飛ばし続けた車は、はずみちゃんの言った通り昼前には海子居村に着く事が出来た。
「ここが海子居村か……確かに絶界樹は少し遠くに見えるね」
「うん。でもやっぱりライフラインは止まっているし。他の街との変化はあまり見られないけど……とりあえず情報収集よね。近くの避難所へ行ってみましょう」
村に入ってから車は一切の見落としがないようにノロノロと進んだ。車の外を眺める。日本列島に点在する絶界樹の死角と言うだけあって根は全く伸びていない。それでも、ギリギリの位置に絶界樹はあるのだから視界はしっかりと遮られている。
「何だか本当に普通の村って感じだね」
「うん……禁秘の理が何かに反応してくれたら分かりやすいんだけど。そんな素振りも見せないしなぁ」
ホルダーから取り出して剣の半身を確認するが、変わった所は一つもない。
「あ。そろそろ避難所に着くから気休めだけど一応、これ被ってて」
はずみちゃんから渡された野球帽を深々と被る。腰から下げた剣でばれそうな気もするが、バレた所でごまかす口裏合わせは済んでいる。まず真実がバレる事はないだろう。
「よし着いた」
はずみちゃんは広々とした地面のど真ん中に車を止めた。そこは校庭だった。
海子居村にある避難所は廃校になった小学校で、木造建築だから古くささはあるものの、今でもしっかりと残っているその姿からは丁寧で高度な建築技術が見られる。校庭は使用されていないせいか雑草も生えていて周りに緑が多かったけど、錆びたサッカーゴールやバスケットゴールは撤去されずにそのまま置いてあった。
はずみちゃんが事前に調べた情報によるとここは付近の町民もまとめて避難している場所なのだが、海子居村を始めまわりの町も過疎化が進んでおり、そこまで人が多くないらしい。だから情報収集はそこまで苦戦する事はないだろうと言う見解だった。
「きっと体育館に集まっているはずだから行ってみましょう」
車を降りて校庭を真正面から突っ切る。一応、イザと言う時の為に剣は鞘に閉まったまま布に包んで持って行った。何があるかも分からないし、一応ネームバリューを使わないと聞き出せない情報もあるだろうから。
校舎の裏手にまわって体育館を発見する。物静かなものだったが、入り口から一人の女性が出て来た。
「すみませーん!」
はずみちゃんが手を振ると女性がこちらに振り向く。はずみちゃんはそのまま走って女性のもとへ向かいポケットから取り出した何かを見せて女性と会話をしていた。
「こっちこっち!」
会話が終わると、はずみちゃんが離れて突っ立ていた俺に手招きをする。どうやら事情を説明していたみたいだ。
「この方は海子居村の隣町に済む荒川さん」
はずみちゃんに紹介された女性に頭を下げる。本当は帽子も取るべきなのだろうが仕方がない。
「わざわざ遠い所からご苦労様です。協力は惜しみませんので何でも行って下さいね。ではこちらへ」
女性は深々と頭を下げて体育館へと戻った。その後ろを着いていきながらはずみちゃんに耳打ちをする。
「一体、何て言ったの?」
「ただ自衛隊バージョンのカードを見せて、情報収集及び安全確認で全国に派遣された部隊の一つですって言っただけよ。そしてちょっと海子居村の人々に伺いたい事があるんですって」
ほら。とそのカードを見せびらかす。国家機密部隊は存在自体が国家機密だからこうして自衛隊としてのカモフラージュが必要らしい。
「今、村長さん呼んできますね」
体育館の扉を開けると荒川さんは足早に奥へと進んで行った。俺とはずみちゃんは体育館の中へは入らず、外で待つ事にした。
チラッと見えた中には当たり前だがそれなりに人がいて、やはりちょっと窮屈そうだった。きっと全国の避難所がそんな状態なのだろう。それでも暴動は疎か事件や事故、混乱を招かずに済んでいるのは国の尽力。そして勇者の存在があるからに他ならない。俺は万が一に備えて深呼吸をして気持ちを整えた。
ギィ。
体育館の扉が開いて荒川さんとその後ろから初老の男性が姿を現した。
「初めまして。遠い所からどうもどうも。私が海子居村の村長をしております。堂場健三と申します」
「初めまして。ご協力ありがとうございます。私は自衛隊から派遣された調査部隊の隊員。樫倉葉澄と申します」
「あ、相場一郎です」
相場一郎とは今回限りの偽名。今回の出発時にたまたま施設ですれ違った人の名前を拝借した。
「早速ですが海子居村で出土した文献についていくつかお伺いしたい事があります。出来れば村民の皆さん全員に伺えたらと思うのですが……」
「もちろんです。でしたら多目的室に集めましょう。あそこなら広いし椅子も机も十分にある。早速声をかけてきますので先に行っていて下さい」
堂場さんは体育館の中へ戻って行く。
「ご案内しますね」
荒川さんはそう言うと校舎に向かって歩き出した。
昇降口でスリッパに履き替えて一階の一番端にある教室に案内される。
「ここでお待ちください。直ぐに来ると思いますので」
去り際に扉から顔だけ出して微笑む荒川さんに二人で頭を下げる。言った通り、十分もしないうちに海子居村の住民は全て多目的室に揃った。
人数は五十人程度。若者や小さな子供は少なく、ほとんどが中年以上の男女だった。
はずみちゃんはみんなの前に立ち、文献や勇者の伝説にについて質問を始める。
俺は端に座ってその様子を伺いながら住民の話を注意深く聞いていた。
しかし、みんな勇者の伝説について知っているには知っているのだが、どれも誰もが知っている有名な部分ばかりで、俺達以上に詳しい人もおらず、新しい情報はまるで皆無だった。それでもここが初めの勇者の文献が出てきた町と言う事はみんな知っていたし、中にはここが初めの勇者の生まれた場所だなんて言う老人も居た。でもそれを掘り下げようと質問を返すとそれもやはりただの持論でしか無く、確証は何処にもない。ここから出てきたのだからここで生まれたんだろう。くらいの見解だった。
「ありがとうございました。引き続き何か分かりましたら何でも教えて下さい。安否確認もありますからしばらくここに居ますので」
結局、目新しい情報は得られないまま解散となった。村長と話して俺達も任務が終わるまでこの学校に泊まる事にした俺達はとりあえず宿直室に車の荷物を運ぶ事にした。
「これは雲行きが怪しくなってきたな」
「何言ってんのよ。まだまだこれから!」
はずみちゃんはちっとも気にしていないみたいだが、残された時間が気になる所だった。あればあるだけいいのだけど、果たしてここに留まって探すのが正解なのかも疑問だった。
「はいはい! そんな暗い顔しない! そうだ! 図書室に行ってみよう! 何か特別な資料があるかも!」
荷物を運び終えてはずみちゃんは宿直室を飛び出す。元気づけようとわざと明るく振る舞っているのだろうが、場所も分からないのに飛び出されても困る。
俺達はこの三階建ての校舎を一階から隈無く探検した。教室内に机と椅子が残っていて、はずみちゃんはいちいち座っては「うわー! 小さい! 低い!」と喜んでいた。俺も触発されて座ってみると、確かに窮屈で体の成長の凄さを実感した。
結局、色んな特別教室も見て(音楽室ではずみちゃんがピアノを弾きだしてかなり時間を食った)最終的に図書室は三階の一番端にあったから俺達は全ての教室を確認した事になる。
「ねぇねぇ何か見つかった?」
「いや……何も」
しらみつぶしに本棚を捜索したが、あるのはほんの少し残されていた児童書ばかりで資料も文献も無く本自体がほとんど残されていなかった。
「とりあえずこれで校舎内は全部見たなー」
椅子に座って大きく伸びをする。手がかり無し。
「あ! 見て! 夕日すっごい綺麗!」
気付けば教室内に西日が差し込んでいて、はずみちゃんは窓を開けて少し身を乗り出しながら空を見上げていた。
「おー。確かに。久々な感じ」
絶界樹が少し離れているだけで空は開けて感じた。狭まっていた空に慣れていた事に気付く。夕日も美味い具合に隙間に落ちて行っているのも良かった。
「あ! おーい! おーい!」
はずみちゃんは下に広がる校庭に向かって大きく手を振る。そこには一人の少年が父親らしき男とボールを使って遊んでいた。校庭の二人ははずみちゃんの声に気付き、少年は手を振り返して男の方は軽く頭を下げた。はずみちゃんの屈託のない笑顔につられてか二人とも笑顔でこちらを見上げていた。
「ねぇ! 何やってんのー?」
「サッカーだよ! お姉ちゃん達もやるー?」
「うん! やるー!」
少年と少女のような会話を交わすとはずみちゃんは俺の手を掴んで走り出した。
「本気で言ってんの?」
「あったりっまえ! 全然体動かしてないから鈍っちゃって鈍っちゃって!」
はずみちゃんは一気に階段を駆け下りて靴に履き替えると一目散に昇降口から校庭へ飛び出した。
「よっしゃー! 二対二ねー!」
「いいよ! 俺サッカー上手いから負けないよ!」
遅れて校庭に降り立つと少年とはずみちゃんは二対二と言いながら二人でボールを追いかけていた。
「あのー……すいません。家族水入らずの所を」
「いえいえ! 息子もちょっと退屈しかけていた所だったんで助かりました」
互いに頭を下げ合い、笑い合う。息子と娘を遊ばせている父親同士になった気分だった。
男性の名前は島田さんと言い、俺達はりながら軽く挨拶を交わすとそのまま朝礼台に寄り掛かってサッカーをしている二人を見守った。
「良いですか?」
「どうぞどうぞ」
島田さんは煙草と携帯灰皿を取り出して掲げた。俺が促すと反対に移動して少し距離を開けてから煙草に火を点けた。距離を空けて風下に立って吸う配慮に好感が持てた。
「これラスト一本なんです」
煙を風下に吐き出して島田さんは微笑む。目尻に浮いた皺が夕日によって影を作り何だか父親って感じの顔に思えた。
「いいんですか? 吸っちゃって」
「いいんですよ。むしろこういう何でもない時に吸うから良いんです。束の間の日常と言うか……って何言ってるんでしょうね」
島田さんはハハッと照れをごまかすように笑った。きっと夕日に染められていなくとも顔は真っ赤だった事だろう。何だか憎めないどころか親近感すら湧いてきた。
この人もまた非日常の今に言葉にならない感情を抱いているのだ。
「……のどかで良いですね」
ゆっくりと沈む夕日を眺めて呟く。島田さんは最後の一本の火を消して隣に戻ってきた。
「本当ですね。老後に住んでみたいなぁ」
「ははは。隣町に住んでいたらそんなに変わらないでしょう?」
島田さんは海子居村の住民の中には居なかった。と言う事は必然的に近隣の町に住んでいる事になる。車で通ってきた感じだと海子居村に入った瞬間にガラリと変わった気はしなかったんだが。
「いや。私はこっちの人間じゃないんですよ」
「え? どういう事ですか?」
「それがまた不思議な話なんですけど。この海子居村の墓地に妻の祖父の墓があって、妻は東京出身なんですけどね。でまぁご両親はもう他界していて、僕たちが結婚してからは僕も息子も一緒に毎年ここに来ていたんですよ。旅行気分で民宿に一泊してね。それで墓参りに来たらその祖父の墓で手を合わせている老人の方が居て。初めての事だったんでビックリして妻が話しかけたらどうやら祖父の友人だったみたいで妻はそこで少し立ち話をしていました。昔話に花が咲いているんだろうと僕は子供を連れて遊んでいたんですけど。まぁそのまま民宿に行ったら例の日本全域への避難警報ですよ。もう大慌てで急いで戻らないとって民宿を後にしようとしたら、さっきの老人が血相変えて飛び込んできて。ここに居ろって言うんです」
「え? どういう事ですか?」
全く同じ質問の言葉を繰り返してしまった俺に島田さんは頷いた。
「同じ事を僕も言いました。そしたらここは安全だからここの避難所に居なさいって言うんです。親友の孫達をみすみす死なせるわけにはいかないって。そりゃもうすごい血相で言うもんだから僕はビックリしちゃって。そしたら妻がここに居ようって言い出して。その場を収めるつもりで言ったんでしょうけどね。もう居るって言わなきゃどかないってくらいの勢いでしたから。でも期間はそんなに長くないし避難所に居る分には何処に居ても安全だろうと言う事で僕の両親に連絡してここに留まる事になりました」
まぁ不便もないですし休暇のつもりで滞在してるんですけどね、と島田さんは笑う。俺は笑顔を返しながら頭の中その話に驚愕していた。
恐らくその老人は何かを知っている。ここが被害の届かない場所になっている事は本部の人達でも絶界樹がほとんど生えきってようやく分かった事だ。それを警報が発令された時点で知っている何て絶対におかしい。やはりここには何か秘密が隠されている。そしてその老人はきっとその鍵を握っているに違いない。
「ちなみにその老人って……」
もしかして海子居村の住民を集めた会議では嘘をついていたのか? だとしたら何故?
島田さんは何かを思い出したようにパンと手を叩いた。
「そうだ。それともう一つ。この避難所にその人いないんですよ。僕たちも聞いてまわったんですけどどうやらその老人。何故か避難せずに今でも自宅にいるらしいんです。だから妻ともしかしてこれ本当なのかもねって話になったりして。こんな状況だし。そんな嘘みたいな出来事が起きてもおかしくないですから……なんて、今でも半信半疑ですけどね」
増々怪しい。島田さんは半信半疑どころかあんまり深く考えていないようだが、これだけの事実が重なれば俺には確信出来る。その人は絶対に何かを知っている。
「その老人の家ってわかりますか?」
「えーと……すいません。どこかの山奥だったはずなんですけど忘れちゃいました。でも確かここの村長さんが知ってましたよ」
「ありがとうございます! すいません! ちょっとあの子お願いします!」
俺は島田さんに頭を下げて体育館に向かって走った。島田さんは「え? あ、はい」と驚いていた。そりゃ意味も分からず突然走り出されたら驚くだろう。でも説明は出来ない。今、日本がピンチでその老人がキーマンかも知れないなんて話したらきっとパニックになってしまう。
体育館の扉を開けて村長のもとへ駆け寄る。名前も知らない老人の話だが、今でも自宅に住んでいる人と言ったら直ぐに思い出してくれた。やはり。覚えていたら自衛隊である俺達に直ぐに報告していたはずだ。でも、嫌な偶然が重なって事態は好転し出した。希望が見えてきた。
「ここはちょっと時間かかりそうね。京耶君、ちょっと無理してもらう事になるよ」
「無理でも無茶でもするさ。じゃなきゃ死んじゃうんだから」
「でも本当にギリギリ……これでダメならアウトかも知れないわね」
珍しくはずみちゃんの口から弱気な発言が出る。それほど事態は切迫しているのだろう。
老人の居場所を聞き出した俺達は宿直室で日の出を待っていた。場所的に夜の登山は危険と判断して早朝出発する事にしたのだ。
老人の名は天像労作と言い、ここから北に見える山の奥地に住んでいた。代々、そこに住んでいる家系らしいのだが労作は子宝に恵まれず妻とも死別していて今ではひっそりとそこで一人で暮らしているから村の人達とも接点がないらしい。だから労作についての情報はそれくらいで何か秘密に繋がるようなものはなかった。
「よし。行くわよ」
はずみちゃんがリュックを背負って立ち上がる。
「おう」
朝日が昇り始めた空はまだ薄暗い。静かな一日の始まり方だった。
俺達は校庭に止めてある車に乗り込む。無音の世界で車のエンジン音だけが響いた。
予定通り、車で麓に着く頃にはしっかり日が射していて視界も良好だった。
「こっからが正念場よ。しっかりついてきてね!」
「よっしゃ! まかせろ!」
車から降りて山の中へ入って行く。帽子は座席に置いて行った。きっと天像労作には俺が勇者である事を知らせないといけない気がした。
山道は進めば進む程、道の形を無くしていく。初めから舗装なんて期待していなかったけど道無き道になりかねない雰囲気に正直不安を感じていた。
「ちょっと休憩しようか」
はずみちゃんは少し息を弾ませて振り返る。頷く事しか出来ない俺は正に息も絶え絶えだった。
「……これって……老人が登れるような道じゃ……なくない?」
グッと水を喉に流し込む。体内に入れた瞬間に吸収されている気がした。
「慣れている人だったらきっと高齢者でも大丈夫だと思うよ? でも確かにちょっとキツめよね。裏道でもあるのかなぁ」
「あるんだったら是非通りたいね」
「聞いてみましょうよ。もしあれば帰りはそこを通りましょ」
つまり行きは通常ルートで行くしかないと言う事だな。確かに闇雲に近道を探している時間はない。でも、俺の休憩のせいで明け方に登り始めたのにもう正午が近かった。
「よし。次の休憩でお昼にしましょう」
「うし。行くかぁ」
膝をバンと叩いて立ち上がる。あとはもう気合いでしくしかない。
道中、はずみちゃんは俺の返答が無くても沢山話をしてきた。少しでも気が紛れたらという気遣いだろう。俺はその話に耳を傾けて引っ張られるように登って行く。小さい頃の話やブレイバー達との出会い。海堂さんの豪快な伝説等、身の上話に限らず話は多岐に渡っていた。でも、やはり喋っていると昔話にも限界があって段々とはずみちゃんの想像の話にシフトしていった。
普通の高校の制服を着てみたいという願望(はずみちゃんは部隊の施設で授業を受けているらしい)
長期の休みが欲しいという願望(今まで最長で三日間の休みしかなかったらしい)
もし、引っ越していなかったらというたられば話(はずみちゃん曰くきっと俺と同じ学校に通っていただろうとの事)
洋服を買っても着る機会が全然ないという愚痴(休みの日に買ったりはするらしいがほとんど袖を通せていないらしい)
あーでもないこーでもないと色んな事を口にするはずみちゃんは超人でもなんでもなく同い年の少女だった。置かれた環境は違えど望むものに方向の違いがあっても規模に大差はないし、考え方も違うようで違わないのだ。
俺達は何も変わらない。ただちょっと体力だけはどうしようもなかった。
「ごめん……はずみちゃんそろそろ……」
「あー! ごめん! 話に夢中になっちゃった! 休憩しましょう! あそこに座ろっか!」
ようやく腰を下ろしてまた水を流し込む。血液のように腹から全身に水分が届いていく感覚。
俺は満タンに入っていたペットボトルを空にして一息ついた。
昼食は残念ながらはずみちゃんの手料理ではなくレーション。のんびりしている時間はないのだ。
「あー。ここまで疲れてるとすごく美味く感じるわぁ」
「レーションもどんどん味が良くなってきてるからね!」
こんな状態で食わなかったらどう思うか分からないが、今は本当に至福の味だった。例え簡易的な食事でもこんなに絶品に感じられるのは一種の贅沢とも言えよう。
しかし、時刻はもう午後一時を過ぎている。ここでようやく三分の二。このペースで行くと着くのは夕方になるだろうとはずみちゃんは計算した。
日があるうちに着けば確かに大丈夫なのだが、そうなると帰りが難しい。どんなに頑張っても出発は明日の朝になってしまう。陽宮さんは出来るだけ時間を稼ぐと言っていたが果たして大丈夫なのだろうか。
「よし! ラストスパートよ!」
「おう! 行こう!」
可能性は低いと思うけど、もし有力な情報や隠されていた秘密がなかったらという一抹の不安も拭いきれないでいるのは確かだった。でも、そこからは意識的に目を逸らした。そんな事を考えていたら進めなくなってしまう。真実にも老人の家にも辿り着けなくなってしまう。
ゴールを定める事が気合いで登りきる為の絶対条件だった。
「あった! あれよきっと!」
はずみちゃんは前方を指差して振り向く。少し遠くにからぶき屋根の小さな家が見えた。
「よし! ゴールだな!」
空は赤く染まっていて日暮れのギリギリになっていたが何とか日が沈む前に辿り着く事が出来た。
家の目の前に立つ。
古い小屋と言う表現の方が正しいかも知れない。こじんまりとした平屋。古ぼけた木の色や所々見えている土壁が歴史を物語っていた。
「すいませーん! 自衛隊の者です。天像労作さんいらっしゃいますかー!」
はずみちゃんがドンドンと扉を叩く。引き戸になっている扉には鍵が付いているのかも怪しかったが人の家に勝手に入る訳にもいかない。
ノックをやめてしばらく反応を待ってみるが物音がしない。誰もいないのか?
「すいま……」
「あんたら……なにもんだ?」
「うわ!」
はずみちゃんがもう一度ノックをしようと手を挙げた所で背後から声を掛けられる。全く油断していた俺はおぼつかない足で急に振り返った反動で尻餅をついた。
「天像労作さんですね」
「いかにも。そちらは?」
「自衛隊の者です。樫倉葉澄と申します」
はずみちゃんは手を伸ばして天像にカードを見せる。それを確認すると天像は尻餅をついている俺に視線をずらした。
「彼は成上京耶。ご存知ないかも知れませんが禁秘の理を持つ勇者です」
「ほう……君が」
はずみちゃんの紹介に天像の目の色が変わる。やはり彼には俺が勇者であると知らせて良かったみたいだ。俺は立ち上がり頭を下げた。
「初めまして。成上京耶と言います。今日は天像労作さんにお話を伺いたくて参りました」
丁寧かつ勇者っぽい口調を心がけてみた。そこらへんに居るただの学生のイメージがついてしまったら聞き出す者も聞き出せなくなるかも知れない。不安材料は少しでも片付けておきたかった。
「……入りなさい」
天像は戸を開けて家に入る。やはり鍵はないらしい。俺達は「おじゃまします」と頭を下げて敷居を跨いだ。
一間しかない中は板張りで中央に囲炉裏があり鍋がぶら下がっていた。
「今、食事の準備をするから座って待ってなさい」
靴を脱いで上がると座布団が用意される。
「いや、あのすいません。俺達はあまり時間がなくて……」
「いいから待ってなさい」
「は、はい」
老人特有の有無を言わさない変な勢いに気圧されてしまい、俺は口をつぐんで囲炉裏の前に座った。四角い囲炉裏を囲むように引き戸側に俺。右側にはずみちゃんが座り、そして俺の正面に天像用であろう座布団が置かれていた。
天像は奥にある台所でカゴの中から山菜を取り出し切っては鍋に放り込んで最後に水や醤油、調味料等を入れて蓋をすると囲炉裏で火をおこした。
「さて、出来上がるまで時間があるな。お前さんらは私に聞きたい事があるんだろ?」
天像はドサッと座ると腕を組んで真っ直ぐ俺の目を見た。
「はい。偶然避難所であった島田さんに聞いたんですが。天像さん……あなたは何故ここが安全だと知っていたんですか?」
時間も惜しい。俺は率直に質問した。天像はチラリとはずみちゃんを見ると火箸を渡す。どうやら火を頼むと言う事らしい。はずみちゃんは了承し、受け取ってパチパチと音を立てる薪に手を付けた。
「そうか……偶然なのか。はたまた必然なのか……何にせよこうして勇者が私のもとへと辿り着いたのも縁なのかも知れんな」
天像は少し俯いて何かを考えているようだった。喋るべきかどうか思案しているのだろうか。ここまで来て思案する理由も良く分からないが、この雰囲気では急かす事も出来ない。しばし無言の空気が流れる中、はずみちゃんが手を付けた薪がパチッと音を立てると天像はゆっくりと顔を上げた。
「どうしても聞きたいか?」
「はい。お願いします。日本の未来がかかっているんです。時間がありません」
天像の顔が曇る。まだためらっているのか。
「お願いします! 教えて下さい! 天像さんはどうしてここの事を知っていたんですか!」
身を乗り出す俺に天像は手の平を向けた。
「わかった。話そう。話すから少し落ち着きなさい。そんな状態のお前さんには少し酷かも知れんがな」
「……どういう意味ですか?」
座り直して問いただす俺に天像は深い溜め息をついて、その重い口を開いた。
「残念だが……日本は助からん」
ピタッとはずみちゃんの手が止まる。俺は言葉の意味が理解出来なかった。
「勇者である君に言うのは酷だが……残念ながら絶界樹を倒す術はない」
「……詳しくお聞かせください」
天像の言葉がまるで飲み込めず固まっている俺の代わりにはずみちゃんが火箸を置いて天像に返答する。天像ははずみちゃんと目を合わせた後、鍋の蓋を開けて中を掻き混ぜながら絶望の真実を語り始めた。
「この天像家は代々ここに住む家系でな。それはもう古くからここにいるもんだからかなりの歴史を持っている家系なんだ。そして私たちには遥か昔から跡取りに代々受け継がれている秘密があるんだ」
「その秘密とは何なんですか?」
「勇者の伝説の真実だ」
立ちこめる湯気の向こうで淡々と天像は話を進める。勇者の伝説の真実。これが日本が助からない理由なのだろう。俺はいまだ何も飲み込めず混乱していた。しかし、天像の話はそんな俺を置いて更に進んでいく。
「勇者はこの海子居村出身のただの青年だった。剣を引き抜くまでは……な。私の遠い祖先が生きていた頃はこの海子居村にその剣が刺さっていたらしい。そしてその時から決して誰にも抜けない剣は海子居村を守る神の剣と崇められ村人の信仰の対象になっていた。しかし、青年はそれを引き抜いてしまう。いとも簡単に。するとどうなったと思う?」
「勇者の誕生ですよね? 神として崇められたとか?」
天像ははずみちゃんの答えに首を振る。
「逆だ。剣が引き抜かれると同時に遠方で大きな木が生え始めてその実から流れる液体で人々を襲った。村にこそ被害はなかったが遠くから逃げてきた者の話がどんどん伝わっていって青年は人々から非難を受ける事になる。剣を引き抜いたせいで眠っていた化け物の木が目を覚ましたとな」
「ひどい……そんなのって」
「突如として現れたバカでかい木の存在に恐怖してしまったんだろう。仕方がない事だ。そしてその木はこの世の全ての命を絶つ液体を流す事から絶界樹と名付けられる。これはそこいらの文献といっしょだろう? ただな結末が違うんだ」
鍋を掻き回していた天像の手が止まる。
「日本は絶滅した。この海子居村を残してな」
「うそ……! じゃあ何で文献には勇者が絶界樹を倒したって……? それならその青年はどうなったんですか?」
「死んだよ。詳しく言えば絶界樹を倒すと言って村を出て行ったきり戻って来なかった。この村から出て行って戻らなかったと言う事はそれはつまりどこかで液体を被ったんだろう。他の場所で生き残りは一人も居なかった。だが絶界樹は海子居村以外の全ての土地を絶滅させるとそのまま枯れていったようだ。閃光のような光を放ってな。そこでようやく村人達は正気を取り戻し、たった一人の青年に全ての罪をなすり付けた事を悔いて彼を英雄に称えた伝説を作った。悲しい真実を隠す為にな。そしてこの村から長い年月をかけて再び日本へ散らばっていき子孫にその伝説を残していった。それが今日までに至る所で発見された文献の正体だよ」
「それってつまり……」
「あぁ。伝説はその一つのみだ。他の物は全て派生した作り話や捏造されたもの。それ以降、絶界樹は現れていないし他に勇者は存在していない。もとより勇者なんて存在していないんだよ。一人の青年の悲しい結末と絶望の結果しか残らなかったんだ。だからこの真実を口外しない為に村人は伝説の剣に名前を付けた。禁秘の理。ひめごとのことわりとは、即ち秘密にした理由を決して忘れてはいけないという約束の言葉。つまりその剣は真実を知る物に対しての楔なのだよ」
俺はいつの間にか力強く握っていた手から力が抜けていく。手の平にはじっとりと汗が滲んでいた。そしてようやく口を開けた。
「と言う事は助かる方法は……」
「ない……と言うよりいまだにわからないと言った方が正しいか」
天像は深い溜め息を吐いて首を振る。
「まさかこうして剣を引き抜いた者が現れるとはな。真実を受け継ぐ者として選ばれ、この村から離れずに代々過ごしてきた天像家が私の代で絶えようとしていた時にまさかこんな形で受け継ぐ事が出来るとは。奇妙な縁もあるものだ。君たちはここに残りなさい。ここに居れば安全だ。悲しいかも知れないが、その青年のように君を死なせる訳にはいかない。さあ鍋も出来た。ここまで来たんだ腹も減っているだろう」
天像はお椀によそってはずみちゃんと俺に手渡し、気を使ったのか空気に絶えられなかったのか台所へと去って行った。受け取りはしたものの箸を付ける気にはなれない。今でも諦めずに戦っている人が居る。そしてその人達は俺を勇者だと信じて戦い続けている。なのにこんな結末ってアリか? あんまりだろこんなの。こんなの陽宮さんや海堂さん、ブレイバーのみんなに何て伝えればいいんだ。諦めろって言うのか。勇者の俺が。勇者の俺から。先頭に立って戦わなくてはいけない俺が後ろに振り返って無理だって言うのか?
お椀を持つ手がプルプルと震え出す。悔しくてたまらない。辿り着いた真実がこんなものだったなんて。これなら知らずに抗い続けていたほうがまだマシだったかも知れない。
「きょ……京耶君」
歯を食いしばる。堪えないと情けない事に涙がこぼれてしまいそうだった。
「ねぇ。京耶君」
「京耶君ってば!」
頭にとんでもない衝撃が響く。パーン! と気持ちいいくらいの炸裂音が響いて俺はようやく我に返った。どうやらはずみちゃんに思いっきり叩かれたようだ。気持ち脳が揺れている気がする。
「ねぇ聞いて。何か私わかんないんだけど」
「い、いや。俺も理解したくないよ。でもさ……」
「そうじゃな・く・て!」
「え?」
「だからそうじゃなくて。話を聞いてて言ってる事はわかったんだけど。一つ引っかかるのよ」
「何が引っかかるんだよ」
「青年は村を去って死んだのよね。液体を被って」
「みたいだね」
「じゃあ何でその剣は刺さってたの?」
「ん?」
「だってそうでしょ? 何処かで亡くなったのなら剣は埋まってたとか何処かに落ちてたとかなら分かるけど刺さってるっておかしくない? 絶界樹を倒すって言った人が途中で諦めてどこかに刺すとか考えられないし。って言うより岩に刺さらないでしょ普通」
はずみちゃんはお椀片手に俺の腰に着けられた剣を指差す。
俺は固まった。そして頭の中が高速で回転した。
確かにはずみちゃんの言う通り不自然かも知れない。実験施設で試した所、切れ味は良くなかったし岩に刺さるような剣ではない事は確かだ。
それにこの剣には不思議な力がある。意味もないような能力だけど、確かに俺にしか持てないのだ。昔の人はその事に気付かなかったのか? と言うより神の剣だからそんなの当たり前とか思っていたのか?
考えれば考える程不自然だ。いや、待てよ。もしかして!
「はずみちゃん。もしかしたらファインプレーかも!」
俺は立ち上がり点像のもとへ駆け寄る。
「すいません! その真実の方の文献とかって残ってないですか? 何でも良いんで」
天像は包丁を止めて頷いた。
「あ、あぁ。それなら裏の倉にあるはずだ。探してみよう」
「ありがとうございます! 手伝います!」
「あ! 私も私も!」
俺とはずみちゃんは天像に着いて倉へと向かった。単なる希望だけどまだ灯は消えていない。最後まで諦めずに抗うんだ。
「ここの中のどこかに残されているはずなんだが」
倉には電気が無く、扉を開けると中は外よりも真っ暗だった。日もすっかり落ちて夜になっていたとは言え外はまだ月明かりがある。でも倉には窓もない為、俺とはずみちゃんは天像と共に懐中電灯片手に倉の中を手分けして捜索した。
少しでもその時の事について書いてあるものがあったら貸してくれと二人に告げて俺も隈無く倉庫の中を探した。
「確かにここに残されていると伝わっていたんだが……」
天像は汗を拭って首を傾げる。三人で手分けしても見つからず、捜索は難航していた。
「もう全部探しちゃったよね……」
はずみちゃんも懐中電灯で辺りを照らしながら確認する。少し広めの倉だったが三人で手分けして随分長い事探した。それでも何一つとして出て来なかった。
「まいったな……他に文献がありそうな場所ってありますか?」
「いや。倉はここしかない。あとはあの母屋だけだ」
ここへ来て八方塞がりか。もう一度隈無く探すしかなさそうだな。
「あ、もう朝みたいだよ」
はずみちゃんが扉を開けると光が差し込んで来る。解放された入り口から入り込んだ光のおかげでさっきより探しやすくなった。
「ん? あれ? そこ何か継ぎ目無い?」
はずみちゃんは扉を開け放しながら俺の足下を指差す。
継ぎ目?
俺は足下に視線を落とす。積もりに積もった埃を足で擦り落とした。
「何だこれ? あ!」
継ぎ目は確かにあった。そしてそれをなぞるように埃を払っていくと正方形を描き、そして小さな窪みを見つけた。
「もしかして……!」
俺はその窪みに指を入れて引っ張る。床は継ぎ目の通りに外れて中には古ぼけた文献が保管してあった。
「天像さん!」
俺は天像さんに中を確かめるよう手招きして、天像さんは文献を手に取り中を確認する。
「うむ。真実が記された文献とは恐らくこれの事だろう」
「よし! はずみちゃん最高!」
「はは! やった!」
とは言え喜んでいる時間もない。俺は床を元に戻し、天像さんとはずみちゃんと共に倉を出て急いで母屋に戻った。そして天像さんが母屋の引き戸を開けた瞬間、地響きのような音が周辺に響き渡る。
山の高台にあるこの場所からはハッキリと見えた。絶界樹の根が海子居村に向かって伸びてきていた。
「そんなバカな……」
天像は信じられないと言った表情でその光景を凝視する。しかし、俺とってその光景は頭の中で立てた願望のような仮説が確証に近づいた瞬間だった。
「あ! いけない! レシーバー鳴ってる!」
はずみちゃんは荷物の中から響く音に気付き、立ち尽くす天像さんの隙間から中へ入った。
「すいません! おじゃまします!」
おれも断りを入れて中へ入ったが返答はなかった。しかし、今はもう構っていられない。俺は文献を広げて情報をかき集めながら立てた仮説にパズルのようにはめ込んでいく。
「すいません! ちょっと文献を探してまして……」
「樫倉君心配したんだぞ! 夜通しかけていたのにちっとも応答しないから! こっちは徐々に対処が追いつかなくなってきている。しかも文献に載っていない事が起こり始めてしまったもんだから本部もパニック状態だ! そっちは何か見つけたか?」
座りながら両手でレシーバーを持って交信しているはずみちゃんの横に俺は文献を持ったまま身を乗り出す。
「それってもしかして金色のつぼみじゃないですか?」
「なんでそれを! そうだその通りだ! 今、富士の絶界樹の天辺につぼみが出来て少しずつ開き始めている! もしかして成上君何か掴んだのか?」
「やっぱりそうか! でもマズい。陽宮さん! 時間がありません! 説明している時間も惜しいくらいです! とにかく急いで僕らを迎えにきて下さい!」
「な! 無茶だ! 今はもうギリギリの状態で対処しているんだぞ!」
「わかってますよ! でも本当に時間がないんです! 手遅れになったら日本は終わりです!」
つぼみは開き始めている。そして海子居村まで根が伸び始めている。状況はもうギリギリだ。どうしたらいい。どうしたらいい。
「状況はわかった。陽宮。行って来い」
はずみちゃんの持つレシーバー越しに海堂さんの声が聞こえる。どうやら陽宮さんの乗るヘリに通信しているようだ。
「盗み聞きは趣味じゃないんだがな。どっかの陽宮が俺と通信している途中で別の奴と交信し出すから聞こえちまったよ。ここは何とかする。だから陽宮急げ!」
「しかし!」
「ばーか! 相棒を信じろよ! そんなに長くは持たねーかも知れねーが絶対にお前が戻ってくるまでは凌いで見せるさ。俺が約束破った事あったか?」
「沢山ありすぎて守ってる時を思い出す方が難しいよ!」
「ははは! そうか! じゃあ今日から破らないようにしよう! いいからとっとと行け! 時間がねーんだろ!」
「わかったよ! 頼んだぞ海堂! 今からそちらへ向かうからレシーバーについている発信機のスイッチを入れておいてくれ!」
「はい! わかりました!」
交信はそこで終わってはずみちゃんは横に着いているピンスイッチを入れた。赤いランプが点灯してはずみちゃんは俺に顔を向ける。
「京耶君何かわかったの?」
「うん。仮説の域は出ないけど、この文献に書いてある事を当てはめたらやっぱりそれしか方法がなさそうだ」
はずみちゃんは俺の持つ文献を奪ってペラペラと捲る。
「京耶君……これ読めるの?」
「古文や古語はそれなりに勉強してるからね。と言うよりこの超学歴社会でこれくらい読めないようじゃはずみちゃん大学行けないよ……」
「ちょっと苦手なだけよ! いいよもう! じゃあこれから勉強教えてよね!」
文献を突き返してはずみちゃんは顔を真っ赤にする。
「それで? 京耶君。陽宮さん来るまで時間あるから私に説明してよ。その仮説」
「あぁうん。最初はもし青年が日本を救っていたとしたらっていう発想でしかなかったんだ」
俺は引き戸の前で立ち尽くして海子居村の安否を心配している天像さんを見て、またはずみちゃんに顔を向ける。
「海子居村は救われたと仮定したんだ。剣が突き刺さってたのは何故かって疑問を持っただろう? それは日本を救った証拠だと仮定して仮説を立てたんだ。でも情報が少なすぎてただの願望になってたからより確かな物にする為に詳しい情報を欲したんだけど。これを開く前に少し確証に近づけた。それがあの光景」
俺は母屋の外を指差す。
「海子居村の事?」
「そう。だって変じゃないか。真実では海子居村だけは助かっていたのに事実ここまで根が伸びている。矛盾しているだろう? だからつまり海子居村には絶界樹が伸びないんじゃなくて伸びるまでに時間がかかる場所なんだきっと。地熱の関係とか色々あるんだろうけどね。となると何故、海子居村は無事だったのか。答えは簡単だ。青年は守ったんだよ日本を。ギリギリで勝ったんだ。代償は大きかったけどね」
海子居村以外は全滅。でも日本全て全滅じゃない。そして今ではこうして再び日本中が息を吹き返している。ゼロにはさせなかった。例えたった一でも立派に守ったんだ。青年は。
「すごい……でも何でわかるの? それに書いてあるの?」
俺は首を振る。
「いや、書いてないよ。書いてあるのは旅立つ勇者の残した言葉さ」
「絶界樹を倒す。ってやつ?」
俺は文献を開いて指差す。
「実際はもう少し具体的だったみたい。ここには絶界樹に咲く黄金の花が開き切る前に蕾みに剣を突き刺さすんだ。と言って立ち去ったと書いてある」
「それ!」
「そう。そして青年が消息を絶った後、確かにこの村は助かっているんだ。これはもう日本を救う最大のヒントとしか思えない」
「でも、じゃあ何で作られた文献に載ってないのかしら? 真実として伝わる話にも金色の花の事なんて出て来なかったし」
「それはきっと蕾みが出来るのが全国に根を伸ばし、十分に養分を吸った後だからだろうね。そしてここからじゃ他の絶界樹が邪魔で富士の絶界樹は見えない。つまり、勇者が辿り着いた時には他の土地は絶滅していたんだよ。昔は今みたいに文明が発達していなかっただろうからね。それでも色々と抗った結果、実の対処の仕方はわかったんだろう。でも、今の技術を持ってしてもジリ貧なんだ。負けてしまうのも当然だし。それで村人達が日本は絶滅してしまったんだと勘違いするのも無理はないよ。だからきっと旅立つ時の青年の言葉は世迷い言のように気にも止められなかったんだろうね」
「じゃあ剣を花が咲き切る前に刺せれば」
「うん。多分……だけどね。確証はないから」
「結局、賭け……か」
ブロロロロロロと外で音が響く。陽宮さんが到着したみたいだ。俺とはずみちゃんは荷物を持って母屋を出た。天像さんは事態を飲み込めていなかったが俺は去り際に手を取って握手を交わした。
「少しだけ文献お借りします。上手くいけば日本は助かりますからどうか最後まで諦めないで下さい。ありがとうございました」
早く乗れー! と陽宮さんの声が届く。天像さんが小さく頷いたのを確認して俺はヘリに飛び乗った。
「そう言う事か……」
富士の絶界樹に向かう途中、陽宮さんに仮説の全てを説明すると陽宮さんはガシガシと頭を掻いた。
「だとするとマズいな。もうほとんど開きかかっていると情報が入っている。急がないとこのまま手遅れだ」
もう本当に瀬戸際だ。でもこれに賭けるしかない。
シートベルトを握る手に力が入った。
「あぁそれと海堂から伝言。これでまた失敗したらコロスってさ」
「ははは……そうですか」
冗談キツいな。失敗したらどのみち絶滅なのに。
「大丈夫だよ」
「ん? 何?」
顔を上げると目の前に座っているはずみちゃんは真っ直ぐ真剣な表情で俺の目を見ていた。
「大丈夫だよ。私は信じてるから。勇者とかじゃなくて京耶君を。絶対に上手くいくよ」
「うん。ありがとう」
俺が力強く頷くと、はずみちゃんは安心したように微笑む。
「成功したら新しい伝説の誕生だね!」
「偽りの勇者も誤解が解けて一石二鳥だ!」
最後の最後まで諦めない。希望を捨てない。例えこれが最後の会話になるかも知れなくても俺もはずみちゃんも作戦の成功だけを考えていた。
「よし! 見えたぞ!」
陽宮さんの声に視線を窓の外へ移す。俺の目が捕らえた光景は絶望的だった。
「おいおい……」
金色の花はほとんど開きかかっていた。
「くそ! これじゃ着陸してから登るんじゃ間に合わないどころかもう一分も持たないぞ」
陽宮さんは声を上げながら花の上空を旋回する。
「え? え? どーするの?」
はずみちゃんはキョロキョロと窓の外と陽宮さんの背中を交互に見て狼狽えている。
もうパラシュートも間に合わない。
……あーくそ!
俺はシートベルトを外して立ち上がり扉の取っ手に手をかける。
そしてホルダーを外して剣を抜いた。
「勇者行ってきます!」
もうどーにでもなれだ!
俺はヘリの扉を開けて静止する陽宮さんの声も無視して身を投げる。
「ちょ! 京耶君! 何してんの! 死んじゃう!」
「おい! ばか! 離せ! ちょっと!」
空へと投げたはずの俺の体は上半身だけ投げ出され下半身は見事にはずみちゃんに捕まっていた。
「ちょ! はずみちゃん! 危ない危ない!」
仰向けになって身を乗り出している俺には世界が逆さまに見えた。空が下にあるってこんなに恐いのか。
「落ち着いて! 京耶君!」
はずみちゃんの怪力でズルズルと引き戻される。さっき決めた覚悟はとうに失せて俺は早く引き戻してくれ! と声に鳴らない声で口をパクパクと動かしていた。
ほとんど抱きしめ合う形になってヘリの中に無事帰還した瞬間、大きくヘリが傾く。
「わ! わわ! わぁーーーーーーー!」
気流の乱れのせいか、大きく揺れたヘリから俺とはずみちゃんは滑るように空へと放り出された。
放り出される瞬間に陽宮さんの声が聞こえたが、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
「くっそー! もう! ちくしょう! はずみちゃんしっかり捕まっててよ!」
「わかってる! わかってるよ!」
胸に抱きつくはずみちゃんの腕に力が入っているのがわかる。アバラが痛い。でも、痛みのおかげで恐怖はどこかへいってしまい、頭の中はどんどんスッキリしていった。
そして徐々にさっきの覚悟が舞い戻って来る。
「よし! こうなったらもうやるっきゃないな! はずみちゃん安心してくれ! 何があっても絶対守ってみせるから!」
「え?」
真っ逆さまに落ちる俺ははずみちゃんと一瞬だけ目が合う。そして俺は真下に顔を向けて剣を両手で突き出した。
「いっけえぇぇぇぇーーー!!」
突き出した剣が金色の花に突き刺さった瞬間————。
俺達はまばゆい光に包まれた。
さっきまで真っ逆さまに落ちていたはずなのに今は光の中でフワフワと浮かんでいる感覚だった。
はずみちゃんと俺はお互いに顔を見合わせて辺りを見回す。
「……ありがとう……」
声が聞こえた。前方に人影が見える。
それはドンドン近づいてきて直ぐ近くで止まった。それは同い年くらいの男だった。
事態が飲み込めないまま固まっている俺とはずみちゃんに男は微笑む。
「よくやってくれた……そしてありがとう。勇者よ」
その青年はそれだけ言うとスッと消えていってしまった。
「い……今の何?」
はずみちゃんは俺にしがみついたまま顔を上げる。
「もしかして……最初の勇者? あれ?」
気付けば俺達は富士山の火口のあたりにいた。座っている地べたの感触は紛れもなく本物で、現実だった。
上空をヘリや戦闘機が飛び交っている。陽宮さんと海堂さんだろうか。
「どうやら……助かったみたいだな」
見上げた空の広さは元に戻っただけなのにえらい広く感じる。
「うん……京耶君。ありがとう」
「やめてよ。恥ずかしいな」
はずみちゃんは地上に下り立ったと言うのに俺の胸にしがみついたまま顔を埋めた。
「約束……やっぱり守ってくれたね」
「え、えーっと……」
「私の事守るって……本当に守ってくれた」
「……あ!」
堰を切ったように過去がフラッシュバックしてくる。
そうだ。あれははずみちゃんが引っ越す日の事だった。
母親同士が大人の話をしている中、俺ははずみちゃんと別れの挨拶を交わしていた。
いつもだったら俺が泣きじゃくっていてはずみちゃんが宥めているのに、はずみちゃんが最初からずっと大泣きしているもんだから俺は泣くに泣けなくて歯を食いしばって黙っていた。
「ごめんね。ごめんね。トンネルの約束破っちゃった。ごめんね」
はずみちゃんは何度も俺に謝った。子供ながらにもう会えない事を意識していたのかも知れない。破った約束の埋め合わせも出来ない事も知っていたのかも知れない。
俺は泣きながら何度も謝って来るはずみちゃんに何も言えないままただ目の前に立っているだけだった。
「きょうや君。今までありがとね。元気でね」
はずみちゃんのお母さんが悲しそうな笑顔で俺の頭を撫でてはずみちゃんの手を引いて止まっている車に歩き出した。はずみちゃんは母親に手を引かれながらずっとこっちを見ていた。
「はずみちゃん!」
自分でもビックリするくらいの大声だった。よっぽど力が入っていたんだろう。その声にはずみちゃんのお母さんも立ち止まり振り返る。
俺は渡そうと思っていたお別れの手紙をポケットに閉まってギュッと握った。
「僕……僕、強くなるから! はずみちゃんを守れるくらい強くなって伝説の剣を抜く勇者になって……すっごく強くなるから! だから待っててね! 強くなって絶対にはずみちゃんに会いに……守りに行くから! 約束!」
俺はポケットから手を出して小指を立てた。
「うん! 約束!」
真っ赤に晴らした目でニッコリ笑ったはずみちゃんも手を挙げて小指を立てた。はずみちゃんのお母さんが優しい顔で笑っていたのが嬉しいような恥ずかしいような感じだったけど最後にはずみちゃんが笑ってくれた事の方が自分に取っては大事だった。
去って行く車が見えなくなるまで手を振り合い、もう車の姿が見えなくなった道路をジッと見ていたら母さんがポンと俺の頭に手を置いた。
「約束。ちゃんと守るのよ」
「……うん」
母さんは振るのを止めた俺の手を取ってそれ以上は何も言わずに家へと帰った。
そうだ。あれから俺は内向的な自分の性格を直そうと社交的になっていったんだっけ。こうして今があるのははずみちゃんとの約束のおかげだったんだ。いつからか変われた自分に満足してしまって、何で変わろうとしたのかを忘れてしまっていた。
全部はずみちゃんとの約束を守る為だったんだ。
それではずみちゃんは久しぶりに会った時からあんなに喜んでいたのか。まさか本当に勇者になるなんてな。
「おーい! 成上ー! 樫倉ー! 無事かー!」
遠くから海堂さんの声が聞こえる。見回すと少し下の方からこちらに向かって登っている海堂さんと陽宮さん、そしてブレイバーのみんなの姿が見えた。
「はずみちゃん……」
「ん?」
顔を上げたはずみちゃんにニッコリ笑ってみせる。
「今度いつ会える?」
「え? えっと……」
「おらー! 日本守ったからって上官の前でいちゃついてんじゃねーぞー!」
海堂さんの声にはずみちゃんは慌てて離れて立ち上がり敬礼した。
「樫倉! 無事任務終了しました!」
おー! という雄叫びが上がる。全くいつだって豪快な人達だ。その中に陽宮さんも居て、海堂さんに肩を組まれながら笑っている姿が印象的だった。
任務は終了。つまりもう俺の側に居る事はないと言う事。
ならば今度は俺から動かないとな。
はずみちゃんは敬礼しながら俺に振り返ると嬉しそうに笑った。つられて俺も笑ってしまう。
「成上ー! よくやったー!」
一気に走って距離を詰めてきた海堂に抱きつかれてそれに多い被さるようにブレイバー達がのしかかる。
「ちょっと! 重い! おーもーいー! 助けてー!」
陽宮さんとはずみちゃんはブレイバーにもみくちゃにされる俺を見て笑っている。こっちは真剣に助けを求めていると言うのに。
日本を救ったのにこの仕打ちはヒドいだろ。全く。
……でも、ま、いっか。
今は、今くらいはこうして取り戻した日常に浸るとしよう。
勇者として国を救う事が出来たとは言え、被害がなかった訳ではない。
俺達はまた立ち上がらなくてはならない。
けどまぁ、大丈夫。みんないる。みんながいるんだ。きっとやれる。
後は……
俺にはまだ、解かなければならない謎が残されている。
絶界樹を倒した後の勇者の詳しい顛末や、禁秘の理についてもまだまだ謎だらけだ。
難題だけど、きっとこれは俺が解かなくてはならない。
だって俺は勇者なんだから。
きっとそれは俺に繋がっているはずなんだ。
あーあ、これからは歴史中心の勉強になりそうだなぁ。全然興味なかったのに。まったく。
なーんて、そんなに悪い気はしてないんだけどね。
もう伝説は嘘で固められる必要はない。
信じたくても信じきれなかった人々が讃えた偽りの勇者は本当に勇者だったのだから。
これから先、また絶界樹が復活したとしてももう大丈夫だろう。
これから語り継がれていく伝説は全て真実なのだ。
伝説はこれで終わりではない。ここからの復活劇こそが伝説なのだ。
そう、俺の……俺達の伝説はまだ始まったばかりなのだ。




