第12話 第2波
ヒューン、ヒューン。全くの暗闇から何かが飛来した。それは岩に阻まれて、カツーンと音を立てて散らかった。新王軍が放った矢だった。
遠くの方で兵の声が聞こえる。
「王子に当てるなよ。燃える石の場所を聞き出すまではな。だが裏切り者の占い師は始末しろ」
新王の兵が、ヤタのことを裏切り者と呼んでいる。そういえば門を脱出する時に、あの側近がそんなことを叫んでいた。
ヤタはクスッと笑って、
「わたし、小遣い稼ぎに街の情報を兵隊に流していたの。新王に対する不穏な動きがないかどうかを定時報告してたのよ。怪しい石を持っていても捕まらなかった本当の理由は、兵隊たちはわたしを仲間だと思っていたからなの」
「あの、欲深い新王の兵隊が、ヤタを尋問しないなんておかしいと思ったよ。ヤタは本当にたくましいね」
アルターはいささか驚いたようすだったが、しかしその声は場違いなほどのんきに聞こえた。おれから見ればこの二人は本当にたくましい。おれだけが、異様な緊張を持って固くなっていた。ここに居てはいずれやられる。脱出しなければ、だがヤタの左足は動きそうもない。
「つかまって」
おれはヤタに手を貸し、体勢を整えて言った。
「行きましょう王子」
おれの言葉にアルターは少し険しい表情をしたが、岩場を捨てて歩きだした。再び、崖沿いの道を行く。
新王軍の兵力はどれくらいだろう。それさえわかれば作戦が立てられる。逃げてばかりでは勝ち目がない。それに朝になって明るくなってしまったら、こちらが不利だ。だが、アルターの父である前王だって、兵隊を出して王子を探しているはずだ。その兵と合流すれば逃げ切れる。まだ希望はある。
おれたちが再び夜陰に紛れたので、敵は燈火を灯した。一つ、二つ、20本ほどの明かりが揺れている。その燈火が散らばりだし、おれたちの前方と後方にも回り込んだ。
「いたぞ!」
前方からの声で、その囲みが急速に縮まった。先頭を行く王子は立ち止まった。おれの肩につかまっていたヤタは、心の声で、
〝下ろして〟
と言った。おれと王子は、その場にしゃがみ込んで矢の的にならないように小さくなった。
おれたちの後方で、
「うわー」
と、叫ぶ声が聞こえた。敵兵の誰かが、足を滑らせて崖から落ちたようだ。
ガラーン、ガシャーン。
意外にも近い位置でその音は止まった。だが、崖下に落ちた兵の声は止まってしまった。
ヤタが心の声でおれたちに話しかけてきた。
〝最後の最後、いつも最後のときに本当の目的を思い出す。人のために生きる。わたしとヤヒト、宇宙時代に過ごした宇宙船の中で言ったよね。
あなたは、『人のため』の頭文字を取ってヒト。地球での、太陽の神を現すヤをつけてヤヒト。わたしは『他のために』の頭文字を取ってタ。それにヤをつけてヤタ。これだけは何があっても忘れっこしないと笑いあったよね。
地球って、なんて悲しい星なんでしょう。やっと思い出したのに、次はまたすべてを忘れて生まれ直すなんて。やっと人間に生まれかわってあなたのそばにいるのに、またやり直すなんて。何万回も同じことを繰り返している。
すべての人間が記憶喪失のまま、ただただ動物として、生き死にを繰り返している。
シッダー・アルター王子、あなたは全人類の希望の光。全宇宙の希望の光。あなたはこの人生で必ず悲しみの連鎖を断ち切り、光に満ちた世界を、地球と宇宙に創り出すでしょう。だから・・・
生きて!〟
ヤタは心で叫んで、動く右足で、王子を崖下に蹴飛ばした。
王子は、
「うっ」
と、声を発し、崖の下、闇に消えた。
おれはヤタを見た。ヤタはすべてを受け入れ、すべてをゆるしたかのような、安らかな表情で微笑をたたえていた。
敵兵は、じりじりとこちらに迫っているようだ。敵兵もこちらの戦力を知っているし、王子に矢が当たってしまうことを恐れて、うかつに襲撃してこなかった。王子が崖下に落ちたことを知られたら、敵は遠慮無く矢を放ってくるだろう。
ヤタはおれを見てニコッと微笑し、
〝ヤヒトも感じたでしょう。王子は今、崖をよじ登ってこっちに来ようとしている。ダメダメ。わかってないなー〟
ヤタは、心で言い、意外にもヒョイっと立ち上がり、兵のいる方を向いた。
〝あの熱血王子は一人じゃ危ないよね。行ってらっしゃい、無事に東の国に着くことを祈っているわ〟
おれの方に向き直ったヤタの顔は、先ほどの安らかな顔と違い、紅潮し、ピンク色に輝いていた。その瞳はトゲのような鋭さを秘めていたが、それらすべてが恐ろしいほどに美しく、精霊、その言葉がぴったりだと思った。
ヤタの目は、戦闘力を高めたウヤータの目に戻っていた。
そして、おれに向き直って右足を高く上げて、
「ニヤついて太ももを触ったバツだ!」
と、笑いながらおれに蹴りを入れた。
胸を強打され尻もちをついたおれは、そのひょうしでそのまま後ろに転がった。フッっと地面がなくなる感覚がした。崖から落ちる! そう思った時にはかなりのスピードで落下していた。
落下途中に背中に何かがぶつかり、王子の、
「って!」
という声がした。王子はまた崖下に逆戻りだ。
おれは、
〝ヤタ!〟
と心で叫んだ。
ヤタの声が心に聞こえる。
〝街から逃げて最初に休んだ岩陰にいたとき、心の声で『ウヤータが好きだっ!』って叫んでくれたよね。あれ、本当は聞こえてたんだ。すっごく嬉しかったよ。
わたしは、好きな人を助けるために死ぬことができる。こんなこと宇宙じゃ絶対体験できないよね。ありがとうヤヒト、そしてさようなら。次も絶対わたしを見つけてね〟
おれはもう一度、
〝ヤタ!〟
と心で叫んだが、それには返事がなかった。