不幸のデート(1)
「アメリア! 観光に行こっ!」
シェアハウスにて。
寝室から出てきた寝起きのアメリアの手を取って、沙希は華やいだ声をあげる。
アメリアは目をしばたかせて、
「えっ?」
と声をあげた。
「観光! 行こう! せっかくのオフだよ。こんな辛気臭いところに居たら損だよ! ヘァウィゴー!!」
「あの、まっ……ちょ! 行く! 行くから待って! 着替えさせてぇえええええっ!?」
かくして。
二人は基地と街の直通軍用バスに身を置いた。
「乗ってから何だけど、私たちつい昨日ジョシュアさんから油断を叱られたばっかりよ? 街なんかに出ちゃっていいの?」
「いいでしょ、オフなんだし。基地と街の直通便が設けられてるのにダメなはずなくない?」
人もまばらなミニバスに揺られて、スキニーデニムにブルゾンを羽織った沙希は笑う。
バスは他に何もない山道を下っている。
ロングスカートに長いカーディガンを羽織るアメリアはいまさら遅いと思ったのか、肩をすくめて首を傾げた。
「てっきり他の二人も誘ってると思ったんだけど……私たちだけ?」
「うん。誘ったんだけど、ロザリーには秒で断られて、ジゼルはおじいちゃんとPC通話するんだって」
「納得したわ」
「ね。おじいちゃんっ子で可愛いよね」
笑い合う二人は、まさにその時、ジゼルとおじいちゃんがFPS戦争ゲームでスクワッドを組んで異常なキルレートを叩きだしチート疑惑でBANされたことを知らない。
「で、街に行くのはいいんだけど、なにするの?」
生活に必要なものもそうでないものも、当地の土産物でさえも基地内の物販で手に入る。わざわざ街に降りる必要性はほぼない。
沙希は髪をポニーテールに結い上げてキャップの口から引き出しながら「へへっ」と笑った。
「私海外旅行初めてでさ! 街並みとか見てみたかったんだー」
「旅行ちゃうんですけど……」
げんなりするアメリア。
沙希は近づいてくる街に目を向ける。
「ま、とりあえず歩いてみようよ!」
アドリア海を介して東欧とイタリアをつなぐ、スフェールという小さな国はイスラム圏とキリスト圏、近代文化と中世からの歴史ある街並み、それらが活況を持って混在する。
南イタリアふうの赤い屋根の家が街の主流を成していて、都市機能の洒脱さと牧歌的な小ヨーロッパの街並みが渾然一体となって成立していた。
「可愛い石造りの家の隣に、コンクリート打ちっぱなしのマンションがあるのは渋いね」
「ドイツも教会建築が中世以来の時代をたどっていて素敵な街は多いけれど……こういう新しい貪欲さまでは足りないわね」
近代的なコンクリートの豆腐建築を見上げて、ドイツ娘アメリア・バウムガルトは苦笑した。
「なんだかんだ、私も町まで出るのは初めてだし。こうしてみると新鮮ね」
沙希は道路に目を向けて行きかう車に目を留める。
「セダンもステップワゴンも微妙に角ばってて……こう……野暮ったいデザインだねぇ」
中古車市場が活発なこの地域では、一世代古い車が現役で活躍することになる。
主要な海路から離れたスフェールでは、残念ながら日本の中古車は一般市民から遠い存在のようだった。
「ドイツは都心で車を見かけることも減ったのよね。ガソリンも高いし」
排ガス規制のため自動車税の高い環境立国ドイツに生まれたアメリアは、違う感慨に目を輝かせた。
ひとしきり異国の風景にうなって、沙希は主幹道路に面した商店街でアメリアを振り返る。
「どこを見て回ろうか。私は地元のパンとパンケーキとチョリソーとスイーツかな」
「食べてばっかりじゃない。もうちょっと他も見ましょうよ」
「なにか見所ってあるの?」
「教会くらいしか知らない……」
東欧は山がちなこともあり、重厚なカトリック系の修道院が多い。しかし修行の場である修道院は海沿いの首都にあるはずもない。
かわりに徒歩圏内にカトリック教会、セルビア正教会、ムスリムのモスクがそろっている姿を見物して回って、沙希は足を止めた。信仰を誇るような教会建築の屋根を見上げる。
「……同じ神様に祈ってるんだから、戦争なんてやめればいいのにね」
「今だけよ。いつか終わるわ、きっと」
アメリアの言葉に沙希は苦笑する。気持ちを切り替えるように手を打って振り返った。
「さて! 次はどこに行こうか」
***
「観光名所みたいな、面白そうなところあったかしら」
「わからないねー。観光案内所があるのかどうかすら謎」
チョリソーをバクバク食べながら沙希は肩をすくめる。
「この肉まっじ柔らかくてやばいおいしー」
「蒸してるのね。香ばしくて美味しいわ」
もぐもぐ。二人そろってヨーロッパ風の石畳の広場をお行儀悪く観光していると、
ふいに現れた男たちが沙希の前に立ちふさがった。
前だけじゃない。左右、後ろにも。
囲まれた。
それぞれ不景気な顔で、つまらなそうに沙希たちを見下ろしている。
この広い空間であえて逃げ道を塞ぐように四方を閉ざす意味。沙希は不穏な空気に目をすがめて、アメリアと手をつなぐ。
黙りこくる男に声をかけた。
「どなた?」
男は暗い目を沙希に向ける。
「……アメリカ人だな?」
「違う。日本人とドイツ人だよ」
「だがアメリカ軍の基地にいる……うわっ!?」
沙希はチョリソーの包み紙を男の顔に投げつけた。
「アメリア走れっ!」
同時にアメリアの手を引いて駆けだす。
右側の男が伸ばした手を沙希は即座に肘打ちで叩き落す。ちぎるように包囲を脱した。
二人は石畳を駆ける。日々積み重ねた訓練が二人を健脚に育て上げていた。
広場を出て道路を一直線に突っ切る。急ブレーキとクラクションを背に、交差点を曲がって逃れていく。
男たちはばらばらに散って沙希たちを追う。