第41話 その後のお話(そして、僕は……)
気がついたら、津田沼駅の北口のベンチに座っていた。
朝の早い時間だろうか。
太陽が朝靄をきらきらと輝せていて、コンクリートのビル群にはオレンジ色の光が鋭角に差し込んでいる。
「夢……?」
僕はつぶやく。
その声は、女の子の声じゃなくて、男の声だった。
「あ、あ、あ」
たしかにそうだ。特に面白みもない平凡な男の声だ。
僕は胸を触ってみる。真っ平らだ。おっぱいなんてない。股間にもちゃんと男の大事なものがついているみたいだ。背中に翼もないし、尻尾もない。
今まで身体にあったいろいろが剥ぎ取られて、むしろ恥ずかしいような気もしてくる。
僕は女じゃなくて男で、魔族じゃなくて人間で、ここは魔界じゃなくて、人間の世界だ。
まだ頭がぼーっとして、夢と現実のはざまにいるみたいな感じがする。
酔っ払って変な夢でも見てたんだろうか。それにしては、あまりにもリアルすぎたし、長すぎた。
――レズビアのメイドになって、尻尾引っ張られたり、乳揉まれたり、ほかにもなんかいろいろされたり、カーミラとスウィングと一緒にデパートではしゃいだり、おっぱいにデッドボール当てられたり、大富豪のようで大富豪じゃないゲームに負けて裸にされたり、舞踏会で着飾って踊ったり、そのあとおなかを刺されたりもしたけれど、あの一切合切が夢だったなんて信じたくない。
レズビアもカーミラもスウィングもみんな僕の脳が作りあげた幻だなんてことはない。あれは現実だったんだ。
僕は今度は頭を触ってみる。やっぱり角はない。
ただ、何かが手に引っかかった。
それを外してみる。
ヘアピンだった。レズビアが買ってくれた、リボンのついたやつ。
ああ、夢じゃなかったんだ!
レズビアもカーミラもスウィングもちゃんと実在しているんだ。元気にやってくれてたらいいな。
レズビア、僕がいなくて大丈夫かな。まあ、僕たいしてメイドの仕事してなかったけど。駄メイドのままでごめん、レズビア。
僕はジャケットの右のポケットに、そのヘアピンを大事にしまった。
そして、ジャケットの反対側のポケットからスマートフォンを取り出して見てみた。僕が召喚された時から、二十時間くらいが経ったいた。
えっと、今日はたしかコンビニのバイトがある日だ。でも、行く気力がない。
僕はメイドであって、コンビニ店員じゃないって感じ。ああ、すっかりレズビアに「調教」されちゃってるな。
僕はバイト先に電話する。
「もしもし、山田です」
店長が出て、
「おう、どうした」
「あの、しばらく休みます」
「おい、どういうこった。いきなり休まれても困るんだよ」
「身体がなんか変なんです。自分のものじゃないみたいな感じで」
「何わけわかんねーこと言ってんだよ! そんなん理由になんねーかんな。絶対に来いよ。いいか、わかったな」
僕は店長との電話を切った。
そして、違うところに電話をかける。
「もしもし、母さん?」
「たかし?」
「うん」
「どうしたの、急に」
「これからそっちに帰るよ」
「え? どうしてまた」
「休みが取れたからさ、しばらく会ってなかったし」
「わかった。じゃあ、待ってるから」
電話越しに母さんの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「うん。じゃあ」
僕は電話を切って、スマホの電源を落とした。
もうアルコールは抜けているはずなのに、立ち上がるとあまりの身体の違いにふらっとする。
おっぱいの重さは感じないし、歩いてもまったく揺れることはない。ないものは揺れないんだ。
チンピラとぶつかりそうになり、慌ててよけたため、しりもちをつく。痛ぇ。
彼は僕を見下ろし、バカにしたように笑って去っていった。
そうだ、おっぱいの大きさを考慮しなくていいから、あんなにおおげさによける必要もなかったんだ。
僕は駅の窓口に行って、新幹線の切符を買った。
※ ※ ※
実家に帰ると、母さんは涙を流して喜んでいた。
そして夕飯にはカレーを食べた。やっぱり母さんのカレーがいちばんだ。触手入りのやつなんてもう食わないからな。
その夜、父さんと母さんと長い長い話をした。
僕が女の子になったこと、魔界に行ったこと、レズビアとあったこと……は、とてもじゃないけど話せなかった。本当はそのこともいっぱい話したかったんだけど。
それから二日後に千葉に帰った。
※ ※ ※
自宅に戻って、ネットを見る。すごく懐かしいものを見たような気がしてくる。
そして、部屋の中にあったアダルトビデオやエロ本を全部まとめて、中古屋に売りに行った。買取できないものは全部処分してもらった。
それからその足でバイト先のコンビニに行った。
「おい、今までどこ行ってたんだよ!」
事務所で店長が言う。
「実家に帰ってました」
「お前のこのこと現れやがって。クビだ!と告げたいところだが、明日からちゃんと働けよ。人手がいないんだ」
「いいえ、僕は辞めます」
「なに冗談言ってんだよ」
「僕にはやっぱり向いてないなって思ったんです」
「コンビニのバイトに向いてるも向いてないもあるか」
「いろいろ考えたんです」
「ダメだからな。こないだなんて、中国人とベトナム人とスリランカ人とネパール人が面接に来たんだが、やつら日本語がまったくダメで、もうこりゃどうしろっていうんだよ。オーナーはお客さんは外国人なら大目に見てくれるから雇えって。バカじゃねーのって。そんなわきゃねーだろって。そもそもどうやって教えんだよ。お前がいなきゃ困んだって、なあ」
「ごめんなさい」
「わかった。とりあえず今日は帰っていいが、絶対明日また来いよ」
「いいえ。今までありがとうございました」
と、言って僕は事務所を辞した。
「電話すっかんな」
背後から店長の声が聞こえてきた。
コンビニの店内では、また鈴木がお客さんと揉めていた。
「俺が出したのは二千円札だ。何で千円ってレジに打ってんだよ」
「てか二千円札ってなんすか。これ偽札ですか。警察呼びますよ」
「警察呼びてーのはこっちのほうだよ! 偽札なんかじゃねーよ。なにバカなこと言ってんだよ!」
彼の隣のレジでは、中国人の女の子が、
「ケタイ代の支払い……? やてない」
「いやいや、そんなことないでしょ。やってるでしょ」
「やてない」
店長が慌てふためきながら事務所から出てきた。
「劉さん、やってるから。ケータイ代支払えるから。鈴木、まさか二千円札知らねーのかよ。勘弁してくれ……」
僕はそれを横目に見つつ、店から出る。
そして、コンビニの喫煙所でたばこを吸うことにした。いつぶりだろうか。魔界にいるときも実家に帰ったときも吸いたいとは特に思わなかった。
「先輩!」
と、黒沢さんが僕のところに来た。最近入ってきた女子高生だ。
「なんか店大変そうだけど、いいの?」
「今は休憩中です。休憩中は一切働かないって決めてるんです」
「そうなんだ」
そういえば、メイドの仕事に休憩とか特になかったな。あ、給料もらいそびれた。まあ、もらってもどうしようもないけど。
「先輩ってたばこ吸うんですね」
「たまにね」
僕はジャケットのポケットからたばこを取り出し、口にくわえて火をつけた。優柔不断そうな煙がゆらゆらと上がる。
「あれ、先輩、何か落ちましたよ」
と、黒沢さんが拾い上げる。
それはレズビアが買ってくれたヘアピンだった。
「ああ、それ大事なものなんだ。危ない、なくすとこだったよ」
黒沢さんはヘアピンをじっと見つめ、
「これ、この世界のものじゃないですよね?」
「え……? どうして……?」
僕はわけがわからなくなって、呆然とする。
たばこの灰が服に落ちたけれど、構わず立ち尽くして黒沢さんを見る。
「私、こういうの仕入れて売ってたりしてたからわかるんです。裏側のところに紋章が刻まれてます。気休め程度ですけど、魔力を高めてくれるんです」
「その効果は初めて知ったけど」
「先輩は何者なんですか? 魔界から来たスパイですか? いや~この世界もそろそろ危ないかもですね~」
「僕はただのフリーターだけど。黒沢さんこそ……」
そのとき、ひとつの考えがはっと浮かんだ。
「リリア……?」
黒沢さんは雷に打たれたかのような表情をして、
「ど、どうして、知ってるんですか……!?」
「女の勘ってやつ」
「先輩は男じゃないですか」
それから僕はレズビアによって魔界に召喚されて、さらにリリスという淫魔族の少女の姿にされて、おまけにメイドにもされて、それからいろいろなことがあったということを全部話した。おっぱいめっちゃでっかかったってことも。
「そうですか。レズビアが……。元気そうでなによりです」
「ずいぶんと偉そうな性格になったけどね」
「あの子、純粋で騙されやすい子ですから、先輩がずっとついていてあげてればよかったのに」
「自信なかったんだよ。魔界で生活するのも、女の子の姿でいるのも。それに、両親にも会いたかったし」
「私だって大変でしたよ。ここでうまくやっていくのなんて。今でも慣れないことはいっぱいあります」
「ずいぶんと慣れてる気がするけど」
「先輩の女の子姿見てみたいな~」
「リリアとおんなじような顔だけど」
「いえいえ、レズビアの思い出補正が入っているはずです」
黒沢さんはそう言うと、僕の胸をがしっとつかんできた。
「痛っ! ちょ、何すんの!?」
「先輩のおっぱい揉んでみたいな~」
「それはもうこりごりだよ」
と、僕は言った。でも、なんか寂しい気がする。ちょっとこの身体じゃ物足りない、そんな感じ。
「先輩、セックスしましたか?」
「バカ、やるわけないだろ。男とそんなことするなんて、気持ち悪い」
「私がバイトあがったら、ホテル行きます? 元淫魔仲間どうしの特別サービスで、只にしてあげます。元淫魔ですから、気持ちよくさせてあげますよ~」
「遠慮しとく」
と、僕は言った。
「そうそう、リリアはどうしてここに来たわけ?」
「魔王の城には、盗みに入ったんです。それでレズビアから情報を得て、彼女の部屋に行こうとしたんです。レズビアの部屋だったら、もし盗もうとしたのが見つかっても『レズビアちゃんに会いに来たんだよ~』って言えばなんとかなりそうですし」
「なかなかの悪女だね」
「貧しかったですし。まあ、今でもアルバイトとその他の仕事で生計立ててますけどね。先輩こそ悪女だったんじゃないですか」
黒沢さんがジト目で見てくる。
「そ、そんなことないよ」
と、言ったけれど、いろんなひとの心をもてあそんでしまった感はある。
「で、レズビアの隣の部屋に行ったんです。そしたら床がばーっと光って、気づいたらなんかこの世界にいて、JKになってたわけです。わけわかんないですよね」
「大変だったろうね」
「そりゃもういろいろやりましたよ。私のあの手この手の手練手管、詳しく聞きたいですか?」
「遠慮しとく」
「先輩、魔界にいればよかったのに」
「そうだね」
僕は魔界でのことを思い出した。
レズビア……。
また、会いたいな。
※ ※ ※
その夜、僕はバーに行って、そうとうな量のウイスキーを飲んだ。
そして、べろべろになりながら、津田沼の漫画喫茶に泊まった。
※ ※ ※
起きて漫喫から出たら、もう昼ごろだった。頭も痛いし、腰も痛い。
太陽がまぶしい。
ちょ、まぶしすぎるって。
うおっ、まぶしっ!
………
……
…
「あのさ、感動のお別れからまだ三日くらいしか経ってないよね?」
僕はすっかり大きく膨らんでしまった胸を見る。
このリリスの姿、慣れてしまったというか、なじんでしまったというか、いちばんしっくりきてしまっている。
「バカ、もう一ヶ月くらい経っているぞ」
レズビアが涙を流しながら言う。
「この一ヶ月、リリスをもう一度呼び出すための研究をずっとしてたんだからな」
「レズビアってほんとに勝手だよね」
「リリスは私のメイドだ。逃げることは許さん」
レズビアは手で涙をぬぐう。
「はぁ、さいですか」
せめてその奴隷的な扱いはやめてほしいんですが。
「早くこれを着るんだ」
レズビアがメイド服一式を手渡してくる。
僕はいそいそとメイド服を着て、メイドさんになる。
あー、しっくりきちゃってるなー。
レズビアは僕の尻尾をつかんで、
「さあ、今から学校に行くぞ」
「ちょっと待って。今、朝なの? 学校ってちょっと急すぎるでしょ」
「ほら、早く行くぞ」
レズビアの髪についているヘアピンがきらりと光った。
「うん、わかったよ。行こう」
僕とレズビアは魔界学園に向かった。ふたりで手をつなぎながら。
僕のこの魔界での生活は続くんだろう。
これからも、ずっと――




