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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第34話

 寒い!


1/17 誤字修正しました。

 卒業式は前世のそれと比べて極めて簡素なものだった。


 来賓と言えるのは学芸尚書の代理人で参加した役人1人だけで、式典自体も30分もかからずに終わる青少年に優しい式典である。


 帝国軍旗の掲揚こそあったが、国家斉唱も在校生や卒業生の挨拶もなく事務的な布告が出されるのみで、その後は卒業証明の銀製ロケットがウラジミールに手渡されただけだった。


 もはや優しいを通り越して冷たい気がしてくるほどのお手軽さである。


 式典が終わると、学生一人一人に担当した教授がロケットを掛けてゆくという作業的な光景が広がった。もはや有難みの欠片もない。


 質実剛健と言えば聞こえは良いが、割と雑なところ、この国らしいと言えばらしいのかも知れない。当然ながら国が雑ならそれを構成する人々がどこか雑ではないはずもなく、渡す者も雑ならば受け取る者も雑である。


 せっかく掛けて貰ったロケットを手にとってしげしげと眺めたり、さっさと外してしまったりと好き放題に扱っている。勿論、大切にしているのには変わりない。銀のロケットは法術士としての証明なのだ。


 式典としての纏まりはまるで見られない、素朴な集会がそこにはあった。


「諸君らが、次代の帝国の礎となることを期待するや切である!」



 ゴロバノフの気合の入った喝で締めくくられたものの、どうにも肩透かし感が拭えないドミトリーだった。







 大講堂前のエントランスが使用人たちでごった返す中、次々と馬車が来ては荷物を載せて去ってゆく。



「俺たちで最後だな。」



 裕福でもなければ貴種でもないドミトリー達は、自分たちで荷物を纏めて積み込んでいた。


 すでにネストルも大学を離れて故郷へと向かっている。綺麗に晴れ渡った空の下、卒業生たちは目的地に向けて次々と旅立って行った。



「そう言えば、この国に学芸尚書っていたんだな。知らなかった。」


「そもそも、尚書って何人いるんだ?」



 式典の後からずっと静かに何かを考えていたランナルが、ベックマンの荷物を馬車に運びながらドミトリー問いかける。


 日常生活に絡むのは内務尚書と宰相くらいのもので、あとは何をしているのか知っても縁の無い存在である。生前で言う所の大臣なのだが、そもそも民衆に政治参加の機会など無いこの国では政治を想像する事も無い。どこか知らない世界の話なのだ。



「いや、知らない。」



 言うまでもなくドミトリーは庶民である。


 貴族の貴の字も恐れ多い由緒正しい平民にとって、縁も所縁ゆかりもない存在に考えを巡らせていられるほど日々の生活には余裕はない。まして、ドミトリーもこれからそんな余裕は失うのは確定しているのだ。


 正直なところ政治に一家言あるどころではないのだが、それ故に無関係でいたいという願望が無いと言えば嘘になる。最後の最後に逆恨みで殺された記憶は薄れはしても拭い去ることは出来ない。


 現在のドミトリーの政治に対する態度は、出来る人物が相応に頑張れば良いという投げやりなものだった。


 

「だよな。ベックマン、これで最後だぞ。」



 気のない返事で最後のトランクを馬車に押し込むと、ランナルは御者との打ち合わせをしていたベックマンに声を掛けた。



「2人ともありがとう。」



 御者台から飛び降りて2人に礼を言うと、ベックマンは肩にかけた鞄から小さなリングを取り出した。



「お守りだよ。ドワーフ謹製の。伝書鳥メーラー用だけどね。」



 6年の学生生活で心身共に逞しくなったベックマン。もう少ししたら髭を伸ばすつもりだとのたまう男からの贈り物である。


 どうせなら麗しい乙女から授かりたいところだが、少なくとも役に立ちそうであったため2人とも受け取ることにした。

 在学中に関わりのあった女子よりも、ずっとまめな性格という事実に何とも言えない気持ちなるが。



「ありがとう。」


「伝書鳥飼う予定は今のところないけど、うん。ありがとな。」



 配達ギルド自体は存在するが、主に小包なのど配達を担うものであって機密性の高い文章や高価なものは自弁行うのが普通である。

 貴族や商会、中には使い魔として契約した鳥を伝書鳥とする法術士もおり、この世界の空はドミトリーの想像以上に有効活用されている。


 ちなみに伝書鳥の主流は訓練された大型のワタリガラスである。鳩を伝書目的で使うにはこの世界は優しさが足りていない。

 


「じゃぁ、そろそろ行くよ。ふたりとも体に気を付けてね。皆にもよろしく。」


「あぁ。」



 別れの言葉もそこそこに、ベックマンは御者台に飛び乗るとオルストラエへと出発した。


 ドミトリーが軍への招聘を受けたことでベックマンも身の振り方を考え直したらしく、オルストラエで家族と向き合う事になった。

 どう考えても地獄への快速急行にしか思えなかったが、遅かれ早かれ向き合うならば自分で納得できるタイミングの方がマシとも言える。


 お人よしのベックマンが相続やら何やらで擦れてしまわないか心配な2人だったが、いつものベックマンの笑顔を信じて見送るほかなかった。



「行っちまったな。」


「だな。」



 ゴトゴトと鈍い音を立てて遠くへ去ってゆく馬車を見ながら、ランナルは寂しそうにつぶやく。



「今生の別れでもないんだ。生きてりゃそのうち会う機会もあるさ。」



 問題はランナルの寿命がドミトリーやベックマンよりも短い点である。


 エルフやドワーフはともかく、獣系亜人種である竜種が長命なのがいまいち腑に落ちないドミトリーではあったが、現実としてパーヴェルが252歳、マーシャが248歳なので何とも言えなくなる。

 他の亜人種が一般的な人間種と同程度の寿命であるため、どれほど夫婦仲が良くても短命な側に先立たれる。加えて種族が異なると子供が授かりにくい。


 長命な種族と短命な種族の婚姻が少ないのもそれが大きな理由だった。


 老化が遅い事は良い事もあれば悪い事もある。パッと見て麗しの乙女も蓋を開ければ200歳を超えていたという笑い話もある。



「生きてればね...。」



 勿論、皆が皆寿命を全うできる訳ではない。


 時折流行する病などで命を落としたり、怪我や戦乱、魔獣に匪賊など、命を落とす理由に事欠かないこの世界においては死は平等である。死神の執行猶予が長いか短いかだけの違いとも言えるだろう。だが、基本的に長命な種族は短命な種族から見れば化け物じみた長寿なのだ。



「別にそう悲観することもないさ。長生きできる世の中にしてしまえばいい。」


「遠い未来になりそうだな...」



 末長いお付き合いを実現する計画は今からでも遅くは無い。それを理解していたからこそ、ドミトリーはパーヴェルをローストしたのだ。3年という明確な時間ではなく、いつ終わるとも知れない招聘などもってのほかである。そもそも、‟軍からの”という時点で察するところ余りある。


 激しく嫌な予感がして仕方がない。


 ドミトリーがやりたいのは殺したり殺されたりではなく、生み出したり育てる方。強いて言うならば民間から人々の生活水準を向上させる事である。

 その為、探検団の再建を通してそれが出来るかもしれないと希望を抱いていたところにパーヴェルが行った仕打ちは、ドミトリーにとって耐えがたい憤激を抱かせるものだった。


 要約すると、〝意地でもやりたくない事を後出しで指示されたので怒って黒焼きにした”になる。


 惜しむらくは加減をし過ぎたために生焼けにもならなかった事か。


 

「取り敢えずはベックマンの旅の無事を祈ろう。凍え死ななければ良いんだが。」

 


 帝国の冬は寒い。一晩で雪だるまが氷だるまになる程度には気温が下がる。


 親友の道中の無事を祈りながら、ドミトリー達はその姿が見えなくなるまで見送り続けた。







「そう言えば、ヘレンは元気にしてるのか?」



 教科書に群がる後輩たちを見ながらドミトリーがランナルに問いかけると、ランナルは苦笑いを浮かべる。



「元気だよ。...凄く。」


「そりゃよかった。元気が一番だからな。」



 最後の食堂でのひとときは後輩に教科書を譲り渡しながらの騒がしいものとなった。


 ランナルやベックマンはともかく、ドミトリーはとにもかくにも教科書にびっしりと書き込むタイプである。当然、試験への持ち込み不可となったが、頭に叩き込めれば十分という割り切って実践し続けた。それが結果的に後輩たちの間での資料的価値の暴騰を引き起こしたのである。


 売り歩いた写しと原本では内容が微妙に異なるため、授業に悩む彼らが藁にも縋る思いでドミトリーの教科書をせがんできたのだ。


 将来、どうせ見返すこともないだろうと快く承諾したのがつい昨日。


 おかげでドミトリーはトランク一つに手荷物を減らすことに成功したのだった。



「グイグイ来るからどうすればいいのか分からなくてさ...あいつの親父さんもいい人なんだけど。」



 随分と幸せな悩みを抱える親友である。流石のドミトリーもささやかな嫉妬心を抱かずにはいられない。


 許嫁という選択の余地のない墓場だが、この世界では墓にすら手に届かない者は多い。農家の次男坊や三男坊が嫁を探して失敗する笑い話も、聞き手によっては他人事ではないのだ。

 かくいうドミトリーもただでさえ同族の人口が少ない現状では、嫁探しの旅は長いものになることは想像に難くない。


 もっとも、今ならばパーヴェルが縁談を持ち込んでも笑顔で断る自信がある。今世では色々な意味で墓は自分で選ぶくらいの我が儘はしたいのだ。


 ちなみに、前世では子供に恵まれなかったことで幾度となく滅茶苦茶にされたが、自身には過ぎた伴侶だったと今でも思っている。

 

 それでも、長い人生を早々に墓場とする気はないが。



「押しが強いのは見てるだけでもわかるよ。彼女とよく話してみると良いと思うぞ。何か抱えてるかもしれない。」


「話すって、何を?」



 いまいち飲み込みの悪いランナルに苦笑いしながらドミトリーが諭す。



「彼女も彼女で何か抱えてるかもしれないってことだよ。娶るんだったらしっかりと確認しとけ。洗いざらい吐き出させるんだ。」


「え...あぁ。うん。そうだな。」



 苦笑いを張り付けておきながらガチ過ぎる目に、ランナルが若干引き気味で答えた。


 知らなければ後で後悔する。知れば知ったで悩みも出てくるだろうが、すべてが後の祭りになってしまうよりは遥かにマシである。


 そう思えばこそのドミトリーのアドバイスなのだ。



「ま、浮気さえしなけりゃ何とかなりそうだけどな。」


「するかよ。流石に抵抗があり過ぎる。...そんな器用には立ち回れない。」



 統計は無いが、狼種の貞操観念には定評がある。ランナルにしても合同授業や合宿中は非常に気を遣っていたことをドミトリーは知っていた。

 女子とそれとなく距離を取ったり口数を減らすなど、異性との関わりに飢えているにも関わらず涙ぐましい努力をしていたのである。


 合宿では異性との接触をどの程度に留めるか悩んでいた矢先の許嫁発覚で、結果的に扱いが雑になりヘレンのおまけ程度になってしまった事が悔やまれる。



「なら、なおさら話し合うべきだ。竜種みたいに拳で語り合う訳じゃないんだろ?」


「うん。確かにそうだ。今度話し合ってみるよ。」



 同意し易い例えを出したつもりだったが、言ってから比較対象の酷さに気づく。竜種とは他の亜人種を含む一般的な人々にとっては呂布のようなものであるとドミトリーは割と最近、もとい合宿を通して痛感した。

 幼いころはそういうものだと思っていたが、どうやら今まで自分が家族に感じていた違和感はおかしいものではなかったらしい。


 やはりインテリの皮を被っても竜種は竜種である。


 なお、その〝呂布のようなもの”に自分が含まれているのが最近のドミトリーの悩みの種だったりする。


  

「よし、教科書も捌けたし、そろそろ出ますかね。」


「おう。」



 後輩たちの教科書争奪戦が終わったのを見てドミトリーが立ち上がって告げると、傍らに置いていたトランクを片手にランナルも同じく立ち上がる。



「先輩、ありがとうございます!お気を付けて!」



 後輩のひとりが声を張り上げると、周囲にいた者たちも同じようにドミトリー達に声を掛ける。


 ちなみに、ドミトリー達の後輩受けは可もなく不可もなくと言った程度だった。この場に不在のベックマンを加えた亜人種三人衆として日頃行動していたため、後輩たちと積極的に絡むことは少なかったからである。


 伝統的に後輩との関わりが薄いのがこの大学の特徴であるため、それでもかなり良好な側にはなるが。


 参考書制作委員会もすでに引継ぎを終えており、現在は目を掛けていた後輩たちが問題なく最新版の作成に邁進している。

 聞けば女子の方でも同様な組織が結成されたらしく、自主的な学習活動の輪は広がり続けていた。



「じゃあな。みんな体に気を付けて。」


「うまくやれよ。」



 何をうまくやるかは言うまでもなかったが、ドミトリー達は片手で持てる程度に荷物を纏め上げ、後輩たちが見送る中、食堂を後にした。


 





「そう言えば、寮監はあんな笑顔する人だったんだな。」


「それ俺も思った。」



 中心街にほど近い軍の司令部へと歩きながらドミトリーがつぶやくと、ランナルもそれに同意する。


 というのも、日頃ドミトリーの比ではない沸点の低さで知られていた寮監のヴァシリーサが、2人を見送る際に慈母のような表情を見せたからである。

 最後の最後にとびきりの雷を落とされるのかと腹をくくったが、話を聞けば慈母としての模範解答が返ってきた。



「貴方たちは不器用だからね。気を付けるんだよ。」


「あ、はい。どうも。」


「人間種だけど、これでもたくさんの若者を見て来たから。あんた達が何をするのか楽しみにしてるのよ。あのドワーフの子にも伝えて。見守ってるってね。」



 過分な期待に恐縮しつつ大学を後にした2人だったが、いつの間にか目を掛けて貰っていた事実になぜか目頭が熱くなる。

 放っておくと乾く前に凍傷になるためさっさと拭わなければならないのだが、なかなか凍傷の危機は去ってくれなかった。


 ここ最近ままならない事も多く、ついつい心の内に溜め込んでいた何かを優しく除いてくれたような気分になった2人だった。



「有難いよな。ほんと。」


「だな。」



 惜しむらくはベックマンともその感動を分かち合うことが出来なかった事だろうか。


 かくしてやっと節目らしい出来事を噛みしめる事が出来た訳だが、その余韻を味わう時間も殆ど無いままに別れの時が来てしまった。



「軍の司令部はここを左に曲がって真っすぐ進んで突き当りにある。」


「ありがとう。じゃぁ、気を付けてな。また会おう。」



 そう言葉を交わすと、ドミトリーもランナルも互いに振り向かず、足を止める事もなくそれぞれの道を歩き始めた。

 ドミトリーは東へ、ランナルは西へ。そしてこの場にはいないベックマンは北へ。自分が選んだ道を。







「おう、何だまたお前か。懲りないな。」



 道端の雪山に頭から叩き込み、右腕をひねりあげる。手には財布が握られているが、締めあげてもなかなか離そうとしない。



 格好をつけて友人と別れたドミトリーだったが、素直に司令部に足を向けずに寄り道をしていた。


 自分で選んだとはいっても自分が望んだ道でもない。拒否不可能な選択肢を突き付けられての結果であるため、少しぐらいは傷心を癒やしたいという気持ちもあったからである。


 串焼き(シャシリク)くらい食べたところで誰にも文句を言われる筋合いはないのだ。


 

「ぐ...はな...せ...!」


「まずは俺の財布から手を離せ。」



 文句を言われるどころか財布を狙われる必要もない。



「貴様ら!何をしている!」



 そもそも官憲に咎められる理由がないのだ。何故か毎回致命的にタイミングが悪い事を除けば。



「何の騒ぎだ。」


「スリです。暴行する意思は無かったようですが刃物を持っていたので止む無く取り押さえたとの事です。」


「ん?君は...。」



 懐かしい顔を見る機会に恵まれた以上に、何も悪い事をしていないはずなのに面倒事が付いて回る自分の体質が忌々しい。



「...はい。お久しぶりです。」



 今回は盾が居ないのだ。







 いつぞやにスリを仕掛けて来た娘は相変わらず貧相ながらもしっかり成長していた。何だかんだで元気にしていたことでドミトリーも心のどこかで安心したのだが、それはそれ、これはこれである。


 とは言ってもやってることに変わりは無かった上、またしても自分がターゲットになったのが腹立たしい。串焼きを買おうとすることはそれほどまでに罪深いのかと自問せずにはいられないドミトリーである。


 彼女だけではなく、貧民たち全体が冬場で食料や暖を取るのに苦労しているらしいと聞いたため、ドミトリーは重い処罰を望まない旨を伝えていた。

 見逃しても意味は無いが、厳罰を与えたところでさらに無意味である。根本的な救済策を政府が取らなければ何をしても良い結果には結びつかない。

 口には出さなかったが、政府の関心が民に向けられていない気がしてつい不安になる。



「卒業したばかりでこの騒ぎ、君も大変だな。」



 今回も周囲に目撃者もいた上、取り押さえも穏便なもの(前回比)だったことが功を奏してドミトリーはチャイ片手に友人の父親と談笑する機会に恵まれたのだった。



「ご迷惑をおかけしてしまいました。本当にすみません。」



 正当防衛であるため口ではこう言っているドミトリーだが、反省はしていない。また同じ目に遭えば容赦なくはたき倒すなり締め落とすなりするつもりである。



「...オーク達の手助けをしたそうだね。」


「はい。」


「ランナルから話は聞いているよ。教授相手に啖呵を切ったそうじゃないか。」



 親友が何をどのように書いたのかは知る由もないが、いろいろと脚色したのは想像に難くない。実際啖呵を切った上に叱り飛ばしたので事実ではあるが、実績にそぐわない評判など害悪でしかないためにドミトリーは訂正を試みた。



「ですが、先生方がそれを受け入れて下さり、同期の皆が力を合わせた結果です。自分はそのきっかけに過ぎません。」



 実態は起爆剤どころの話ではない強烈なものだったが、ドミトリーは何食わぬ顔で答える。



「私が身に着けている鎧も、オーク達が仕留めた二角獣バイコーンの皮が使われている。縁がないと言えば嘘になる。私も彼らの境遇も気にはなっていた。何とかできないものかとね。」



 エドヴァルドはそう言って茶を口に運ぶと、静かにドミトリーを見据えた。



「...。」


「敏いな。今、帝都では君たちの行動が波紋を広げている。」



 話の流れでよからぬものを察したドミトリー。同時に自分が軍に招聘された理由にもアタリが付いた。



「今日君を襲った彼女も、西部から流れて来た流民だ。知っての通り今の西部は荒れている。彼らがオーク達のような救済を求めても誰が責められるかな?」


「責められませんね。ですが、オークの件に関してはたまたまそれが出来るだけの人員がそこに揃ったからです。偶然をつかむだけの力が彼らに有ったとも言えますが。」



 この冬は彼らにとって正念場である。今頃あの森の中で厳しい冬の試練に耐えているのだろうとか思うと、若頭や族長たちの顔が脳裏に浮かぶ。


...無事だと良いが。


 だが、そんな感傷に浸ることを許さない一言がエドヴァルドから告げられる。



「だが、その事情を知らずにただ羨ましいと思う者が増えている。」



 そう言うと、エドヴァルドは目を閉じて深い溜息を吐き出した。知らぬ間に警備隊の負担はかなりのモノになっていたらしい。

 何一つ後ろ指を指されることをしていないはずだが、どうにも肩身が狭い。





「政府も無為無策ではない。街道の警備の強化や税の軽減など救済策を施しているのだが...」


「...足りていないのでしょうね。」



 焼け石に水の救済では流民たちの不満は解消されない。それどころか根本的な改善を図るための国力すらすり減らすことになる。

 本当に貧者に施すべきは金ではなく金を得るすべなのだ。ただでさえ帝国は何かと試される大地である。飢え、寒さ、疫病に野獣。


 これでどうして国家としてここまで続いているのかが不思議な水準にある。



「流民は増える一方だ。救済策が機能しているかも怪しいな。同僚を疑いたくはないが...」



 何より不満を募らせる流民たちの面倒を見ているのはエドヴァルドら警備隊である。情勢には自然と詳しくなる。



「今の帝都の治安は決して良いとは言えないし、良くなる見込みもない。くれぐれも気を付けてくれ。」



 諸悪の根源は政府に力が不足している点だが、ドミトリーはそれを何とかできる立場ではないし、何とかする気もない。当事者たちが自覚しているかは定かではないが、それは政治に携わる者の責務なのだ。


 初期状態のウラジミールが貴族のスタンダードならば、この国の未来は決して明るいとは言えない。社会に出て早々にドミトリーは発作的に祖国を見限りたくなる。


 もっとも、見限ったところで逃げる先などありはしないのだが。



「分かりました。ご忠告感謝します。」


「うむ。」



 悩みの尽きない現場で働くからこそ、その忠言は重い。


 重苦しい空気にドミトリーが口を噤むとエドヴァルドが表情を崩してドミトリーに問いかけた。



「そう言えば、君から見てランナルはどうだ?」


「最高の友人の一人です。」



 ドミトリーが自信をもって答えると、エドヴァルドは何処か影のある笑みを見せた。



「あれにはあまり構ってやれなくてな。正直、今も距離を測りかねている。」


「なら、これから測ればいいでしょう。正面から話すのが恥ずかしいなら何かもっともらしい理由を付けて。」



 別に竜種のような流血沙汰にせずとも‟親子のコミュニケーション”は成立する。別に術式で焼いたり凍らせたり吹き飛ばしたりせずとも、親子の絆を確かめることは出来るのだ。



「そうは言うが、あれとの話題が思い浮かばん...」


「...とっかかりに都合の良さそうなネタがありますけど、要ります?」



 そして、親子水入らずの交流には部外者の干渉は無粋である。


 せいぜい背を押す程度の思いやりで、ドミトリーは親友の悩みをスッパ抜いてその親に垂れ込んだ。






「なるほどな...情報、感謝する。上手く行くかはわからんが話し合ってみよう。」



 息子との距離感に頭を悩ませる父親は解決の糸口を見つけ、息子の親友は親友の悩みの解決を‟それとなく”促すことに成功した。

 肝心の当事者が不在ではあったが、情報提供者はこの上ない善意によって行動したのである。


 ドミトリーが体よく秘密を吐き出してスッキリしたところで、エドヴァルドの元に来訪者の知らせが届いた。



「何?軍が?」


「はい、今すぐ引き渡せと...。」



 困惑した様子の衛兵がエドヴァルドに小声で耳打ちすると、エドヴァルドもまた困惑した様子でドミトリーを見た。


 ドミトリーは自身に向けられた目が割と長い腕を持っていることを悟る。逃げ出すのは難しい事も。



「多分、自分の身柄を引き取りに来たのだと思います。」


「...そうか。こちらも引き留めて悪かったな。」



 エドヴァルドの憐れむような目線が心に沁みて仕方がない。だが、このまま居座る訳にも行かないため、ドミトリーは早々に詰所を出る事にした。








「やぁ!相変わらずトラブルに好かれているようだが、元気そうで何よりだ!」



 詰所を出たところで出迎えたのは懐かしい先輩だった。薬指と小指が欠けた右手で軍の紋章の付いた馬車から手を振る姿に、ドミトリーは自然と笑みがこぼれた。



「おかげ様で元気ですよ。ところで、ここに来たという事は先輩が諸悪の根源という事でいいですか?」


「人聞きの悪い事言うなぁ。ま、取り敢えず乗ってくれ。寒いから。」



 相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべ、セルゲイが手招きする。



「では、お言葉に甘えて。」



 ドミトリーが乗り込むと馬車にはセルゲイのほかに先客がいた。



「紹介する。こちらはヴァシリー皇太子殿下だ。」



 セルゲイの紹介でドミトリーは思い出す。この先輩は平民の肝を震え上がらせる天賦てんぷの才を持っていることを。

 予測可能だが回避できないタイプの出会いを、ドミトリーは再び経験する事となった。



「兄さん、だからこういう紹介は良くないって...」


「この方が手っ取り早いじゃないか。」



 セルゲイによく似た赤みがかった金髪と碧眼、だがセルゲイよりも大分穏やかな印象の青年。ヴァシリー・エルマコフはこの年16になる帝国の次期皇帝である。



「先輩...悪いんですがホント心臓に悪いんでやめてください。」



 冗談ではなく、本気でセルゲイに頼み込むドミトリーだった。


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