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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
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第29話

 更新が遅れてしまい申し訳ありません。当初はとあるイベントでしたが、続けざまに物貰いをうつされて療養しておりました。

 夜が明けて見張りの任を終えたドミトリーは、汚れが目立ってきたベッドロールで惰眠をむさぼっていた。


 昨晩の戦闘では少なからず消耗したため、回復のためにも睡眠は重要だったが、貯めこんでいたイライラを発散した事でドミトリーは久方ぶりの安らかな睡眠を手に入れていたのである。



「ドミトリー、そろそろ起きなよ。」



 そのため、ベックマンが起こしに来たときは割と残念な気分になったものの、昨晩に散々恰好つけた手前、無様は晒せなかった。

 


「おはよう。あれ、俺が最後か?」


 顔を洗って戻ってくると、身支度を整えた一同が朝食を始めていた。相変わらずの献立ではあったが、鹿肉の残りがあったため、今朝はまだ食べられるものに仕上がっている。テーブルをひっくり返したくなる程度には不味いそれも、気分が良ければ食べられない事もない。



「よく眠れたみたいね。ホント、あれだけ派手にやって全然疲労が見えないとか羨ましいわ。」



 エリサが眉を寄せてスープを口に運びながら話しかけてくる。


 

「これでも疲れてるぞ?目立たないだけで。」



 ドミトリーの反論にエリサは憮然とする。



「なら、昨日の夜みたいに術式を使うのが当たり前なの?」



 それでも納得の行かない様子のエリサに、ランナルが問いかける。



「それは無いぞ。少なくとも俺はあんな術式をボンボン打ち込む奴なんて怖くて近寄れない。異性なら尚の事な。」



「そうそう。」



  干し肉を噛みながらランナルの言はもっともであると頷くドミトリー。



「「「「「お前(あなた)がおかしいだけだ(よ)。」」」」」



 だが、元凶が同意などしても理解は得られなく、特に強さに一家言あるライサの目線が険しいものになる。一般的な面々による無言の圧力に屈し、ドミトリーは口をつぐんで肩をすくめた。



「それにしても、これからどうするの?現状だと見張り番だけでも結構な負担だけど。」


「別に全力で見張る必要なんてないさ。攻めて来たらすぐに知らせて迎え撃って、来ないなら少しでも楽を出来るようにする。」



 妙な空気を何事も無かったかのように流して問いかけてきたヘレンの疑問に答えながら、ドミトリーは脳内で自分が楽をする計画を立てる。


 勿論、自分だけが楽をすれば反感を一人で背負い込むため、出来るだけ目に見えた楽を周囲に提供せねばならない。

 防衛体制の見直し、食糧事情の改善。加えて、可能であるならば目に見えた成果を上げることが望ましい。負担が大きくても、それ相応の休息と達成感があれば不満は自ずと減じてゆく。

 ウラジミールが心を砕き、逆に砕かれかけるほどには困難な仕事ではあったが、ドミトリーにはそれらを達成する算段はあった。



「ま、そこら辺は他の班と打ち合わせて決めるよ。そもそも、俺らのやってる見張り番もそんなに沢山要らないしな。削る所は多いぞ。」



 昨晩の術式の大奮発の影響かその後は魔獣の襲撃などは一切無く、野営地は久しぶりの平穏な夜を迎えていた。


 落ち着いた夜を過ごした実習生たちからは鬱屈した空気は薄れ、野営地は当初の熱気を取り戻しつつある。相変わらずの食糧事情ではあったが、それでも心持ちが変わったことによる変化は大きい。



「このままじゃただのきつい野営だからな。どうせならもう一捻り入れないとやってられないだろ?」



 そう言ってドミトリーは残していた小麦粉スープを一気に飲み干した。






 朝食を済ませたドミトリーが一番初めに向かったのは引率者の元だった。



「拠点を建設すると?」


「はい。恒久的に使用が出来る拠点に整備し直そうと思います。」



 ゴロバノフは腕組みをして黙ったまま考えている。それを見て、オーケルマンが代わりに答えた。



「後に残すならば中途半端な事は出来ん。この地に住んでいたオーク達の意見も聞かねばなるまい。」


「では、確認していただけますか?この地に拠点が必要か否か。必要ないのであれば最終日に破却できるようにしますので。」



 実の所、ドミトリーは2人に対しても思う所が無い訳ではなかったが、流石にそれを理由に八つ当たりをするほどに幼稚では無い。大人は大人なりに悩んだ結果のあの騒ぎだったのだろうと割り切っていた。



「サムソノフ。何故今まで動かなかった?」



 瞑目していたゴロバノフが腕組みを解き、ドミトリーに問う。



「“彼ら”のやり方で上手くいくのであればそれが一番だと考えていたからです。その為に重い負担にも耐えてきましたが、あの騒ぎで頭に来たので見守るのを止めました。」



 そう言い切ったドミトリーの目には覚悟と自負がみなぎっている。表情には昨日までの鬱屈した色は無かった。



「...そうか。今後も使うかどうかは彼らに確認を取る。現状はそれ以外の事を進めるように。」


「わかりました。」



 ドミトリーが退出すると、オーケルマンはため息をついてゴロバノフを見た。



「やってしまいましたな...」



 パーヴェルの懸念が現実のものとなってしまった。


 ゴロバノフは入学前の話し合いで、パーヴェルから息子が普通とは異なる事、それによって周囲から孤立したり貴族から目を付けられることを懸念している旨を伝えられていた。

 現在でも西大陸では亜人種であるというだけで迫害の対象になる事あり、130年前の戦禍もそれが原因でもある。懸念というよりは確信に近いものだったが、ゴロバノフやオーケルマンもその身を持って経験している。


 理解していたが、結局その約束を守る事は叶わず、パーヴェルの息子は我が道を歩き始めてしまった。



「遅かれ早かれそうなってはいただろうが、不甲斐ないものだ。老いたな...お互いに」



 ゴロバノフはそう言ってドミトリーの去っていった方を悲しげに見つめ、オーケルマンも何も言えずにそれに倣う他なかった。






「ドミトリー、罠の確認に行ってくる。」


「わかった。ベックマンとエリサには用事があるからライサもついでに連れて行ってくれ。」



 ランナルの耳がヘタる。獣系亜人種は普通の人間種と異なり尻尾や耳も感情表現に使うため、こういう時は特に感情がはっきりと出やすい。



「そこで耳を寝せるな。...そんな苦手なのか?」


「いや...苦手というか、ペースが乱れるというか...」


「仲間はずれにする方がよほど問題だ。苦手ならヘレンにでも任せればいいだろう。」



 ライサとヘレンの付き合いは長い。任せても問題ないとドミトリーは考えていたが、ランナルは別の見解を持っていた。



「いや、ライサの隣に立つと引け目に感じるってさ...」

 

「何だそれ、2人揃って面倒くさいな。何がそんなに引っかかるんだ?」


「いや、俺は見たことはないけど、ライサって凄くスタイルが良いらしくてさ...ヘレンが...ほら...」



...察して欲しいとな。この軟弱者め。


 相変わらず許嫁が絡むと途端にヘタレと成り下がる理由が理解できないドミトリーだった。


 昔見たときは随分と大人びた体つきをしていると思ったものだが、6年間で周囲の同性に引け目を感じさせるほどに変貌していたらしい。ランナルは中身に、ヘレンは外見に思うところが出てくるらしい。

 だが、この場においては一切考慮すべき事象ではなく、ドミトリーの出す結論も変わらなかった。



「問答無用だ。絶対にライサも連れていけ。その方が安全だし、それができないお前じゃないだろう?」



 ドミトリーはそう言って努めてにこやかに採集組を送り出すと、ベックマンらと共に防護術式の打ち合わせのため、術式工学科のメンバーの元へと向かう事にした







「正直、防護術式の負担がキツくてもう限界なんだ。薬も無いから回復も追いつかない。」


「そう言えば、回復薬はもう使い切ったんだよな。」



 そういってドミトリーは腕を組んだ。顔をしかめて頷く彼らを責めることはできない。回復薬の融通が禁じられているため、彼らは自身の危険を冒して全体のためにその力を注いで来たからである。

 


「わかった。防護術式は一旦切ろう。」


「いいのか?下手をすればまた野営地が荒らされるぞ?」



 班長の一人であるエティエンヌがドミトリーに問いかける。


 彼らの自負を考えれば、おいそれと今までの努力を不意にするような提案はできない。ドミトリーは彼らの誇りを傷つけないようにその焦点を逸らす。



「どう考えても即席の防護術式だけで2週間じゃ負担が重すぎる。それに、どうせ移動しないなら一捻り入れたいと思わないか?」


「城でも作るのか?」


「石工や匠がいないと城は造れないさ。でも、砦くらいなら今の俺達でも出来ると思うぞ。」



 そう言ってドミトリーは木の棒で地面に図を描き始めた。



「理想は円形だが、この際五芒星や六芒星でも構わない。堀を深く広げて出た土を転用して高さ3ルストの壁を作る。」


「3ルスト...かなりの高さだができるのか?」


「土練術式はそこまで激しい消耗はしないはずだ。最終的にはネストル達に押し固めてもらって高さは3割くらいは低くなると見てる。」



 術式は何もないところに発動させるよりは何か元手があった方がはるかに効率が良い。効率の悪さならば結界を張る防護術式はその最たるもので、1週間も維持し続けられたのはむしろ賞賛に値するほどである。



「土壁か。そこまで当てに出来るのか?」


「厚さと堀で防御力を稼ぐ。それに防護術式をかければ壁としては十分だ。どのみち敵襲があれば出て行って全員で蹴散らすだけだからな。」



 見張りは夜目の利く亜人種が担当している。夜間の襲撃に気を付けていればそこまで脅威となる存在はこの森にはいないのである。加えて、多数相手ならばこの上ない破壊力を持つドミトリーも居る。



「わかった。だが、今の俺たちは出涸らしだ。作業に参加はできないぞ。」


「回復に努めてくれれば十分だ。もし余裕があったら固定防護用の構築式書いておいてくれると助かる。」



 ドミトリーの返答に皆が顔を見合わせて頷くと、エティエンヌが答える。



「わかった。そっちは任せてくれ。とにかく、防護が切れたらそっち頼みだぞ。」



 移民を受け入れてきた帝国では西大陸系の姓を持つものは多い。エティエンヌも西大陸から流れてきた一族の一人であり、その体には僅かながら亜人種の血が流れている。亜人種狩りの影響が各地に点在する中で、彼のような優秀な人物が国を追われている現状はドミトリーにとって不愉快なものだった。


 

「任せろ。竜は嘘をつかない。」



 政治家お得意のぼかし答弁はその限りではなかったが、確実に友人をなくすために使う気はない。責任から逃れても大切なものを失ってはドミトリーにとって意味が無いのだ。







「わかった。僕は君に任せると決めたからな。君が必要だと判断したことは躊躇いなく進めてくれ。」


「了解しました。しばらく周囲が騒がしくなると思いますが、夕方には終わる予定ですので。」



 ドミトリーは諸々の根回しを済ませ、ウラジミールに報告を行っていた。すでに野営地のはずれには手の空いた者たちが集まっている。


 ウラジミールも重い責任感から解放されたのか、一晩で目に見えて血色がよくなっていた。回復して余計なトラブルを起こされては堪らないため、ドミトリーは常にウラジミールに報告を行ってその行動を収拾可能な範囲に誘導するようにしている。手を抜いて事態を悪化させるのは御免だった。



「襲撃がなければこちらから言うことはないよ。良いようにやってくれ。」


「最善を尽くします。」



 幸いなことに、精神的な余裕を取り戻したウラジミールは大貴族の息子らしさも取り戻していた。当初の押しの強さも、今考えればプレッシャーによるものだったのではないかと思えるほどの落ち付き具合である。

ドミトリーはウラジミールと取り巻きたちに会釈をしてその場を後にした。



「公爵様の承諾は取れた?」


「全権委任。これで最後の障壁はなくなった。」



 人集めをしていたエリサと合流すると、ドミトリーは周囲から手の空いた者を集め早速土塁づくりを始めることにした。昼前ではあるが、ボヤボヤしていると時間ばかりが過ぎてしまう。



「さて...始めようか。」



 昼食の炊事の煙が立ち上がる野営地を、突如構築式の光が包み込んだ。



 昨晩仕込んだ簡易構築式が頂点となり、野営地全体を幾重もの円と芒星が取り囲む。昼間にもかかわらず構築式が眩いばかりに照らしあげてゆく。

 だが、その構築式は規模に比して極めて簡潔であり、浮かび上がった構築式にはこの世界にはない文字が刻まれていた。



「ホント出鱈目ね。というか、この文字は何?」


「我流だよ。古代文字とか属性とかいろいろ纏めて一文字にした。」



 厳密には前世の漢字の発想をそのまま古代文字に置き換えて実行しただけである。もっとも、見た目が梵字の如くなってしまい、密教のような何とも言えない仕上がりとはなっていたが。ただし、その効果は折り紙付きである。



「纏めるって...」



呆れたエリサのぼやきををさらりと流し、ドミトリーは集まった面々に矢継ぎ早に指示を出し始めた。



「構築式の最外周が堀の一番外側だ。」


「堀の深さは?」


「あまり拘らなくても良いぞ。仕上げは俺がやるから、大まかな形が整えばそれで十分だ。」



 だが、ドミトリーの予想よりも壁づくりは苦戦してしまう。3ルスト(約3.5メートル)の高さをクリアするには実習生たちの疲労が嵩みすぎていたらしい。



「ドミトリー、厚さ4ルストで高さ3ルストは流石に目標が高すぎるんじゃないか?」


「いや、最低でもそのくらいないと意味がないんだが。ここは奥の手を使うしかないか...」



 ベックマンの感想にそう答えてため息をつくと、ふとあるものを見つけたドミトリーは盛大な土いじりに興じる同期たちの元へと歩いていった。



「よし、女子はこの後の作業のために休憩がてら待機していてくれ。」


「良いの?全然進んでいないけど。」


「この後の作業の方が女子向きだと思うから、そっちの方に集中してもらうよ。」



 拠点に必要なのは壁だけではない。区分けや水回りなどは女子の意見も必要である。ドミトリーは女子たちを一旦作業からはずし、男子たちへと向き直って告げた。



「頭の中に気になるあの娘を思い浮かべろ。思い浮かべてこう念じるんだ。『寄せて上げたら豊かな起伏』と。」



 そういってドミトリーは、実習始まって以来の戦果を手に凱旋してきた亜人種班の方へと目を向けた。周囲がその視線の先を目を凝らすと、シカを背負う狼種2人の後ろでイノシシを背負うライサが目に入る。



「寄せて上げたら豊かな起伏...」



 誰かのつぶやきが風に乗って広がる。ライサは今まで身にまとっていた外套を脱ぎ、その外套でイノシシを包んで背負っていた。大きなイノシシを背負う足取りは重々しく、重心の変化によって体を大きく揺らしながらの帰還である。前屈みの姿勢であるにもかかわらずやたらと目立ち、なおかつよく揺れていた。

 

...確かに、あれでは僻むものが出ても仕方ないか。


 内心でヘレンに同情しつつも、ドミトリーは続けて呼びかける。



「より深く、より高く。皆にできないはずがない。掘って盛り上げるんじゃなくて寄せて上げるんだ。」


「あぁ...わかった...」



 牛種ではないかと思えるほど成長していたライサの胸の効果は絶大であり、男子たちの術式イメージは不動のものとなった。日頃、色気の欠片も無い彼女の秘密兵器による奇襲攻撃は、当人が知らぬ場所で比類なき効力を発揮した。


 精神的に去勢されていても煩悩自体は存在する。〝ヘタレペンダント”は非常に強力だが、決して万能ではないのだ。



 罠にかかったシカ2頭とライサが狩ったイノシシを携えてランナル達が帰還するのと前後して、野営地の建設、特に外周の土塁の建設は目を見張る速さで進む。


 構築式に沿って次々と分厚い土壁がせり上がり、それに比して堀が深く広くなってゆく。堀ができるとドミトリーが形を整え、ネストル達が術式で圧縮をかけて固め、ベックマンが土壁に固定術式をかける。


 途中、何度か休憩をはさみながらの作業ではあったが、怪気炎を上げて作業にまい進する男子たちを女子が遠巻きに眺めるという〝和やかな”空気が流れてゆく。


 ランナル達がシカの解体を終えるころには外壁は形になり、ドミトリーとベックマンが入り口の門を作って土塁は完成を見た。今後の増築や強化も考えてはいたものの、野営地の防護結界をほぼ包み込む形で築かれた分厚い土塁が、現状でも十分な防御力を持っていることは明らかだった。



「思っていたよりも早く出来たな。」


「やってみれば意外と簡単だったろ?一人では無理でも、何人かで力を合わせればこんなもんだ。」



 力の合わせ方こそ下品だったが、猥談でもなんでも生かせるものは生かすべきものでしかない。ドミトリーはネストルと言葉を交わしながら土塁を見上げる。


 あとはトイレや風呂などの衛生施設を作り直してしまえば、それは設備の整ったキャンプ場と変わらない。ただの野宿とは比較にならないほどの快適さが約束されるのである。



「よし、取りあえずはこんなもんだろう。みんな、ありがとな。」



 事前の打ち合わせで内装はエリサに任せる手筈になっている。ドミトリーとベックマンは自身の欲望を満たすべく、浴場の整備へと向かった。


 



 外壁があるという安心感か、野営地の中はそれとなく落ち着く。吹き曝しよりも壁があった方が安心するのはドミトリーに限ったことではないらしい。

 もっと早くに動けばよかったと内心後悔しながらの作業だったが、ベックマンの飲み込みが良かったためにその進みは順調この上無かった。


 ささやかなリビドーの発散を済ませた男子たちは役割を終えて各々の天幕へと戻り、代わってエリサが女子たちを纏め上げて班ごとの区分けや土壁によるパーソナルスペースの整備に当たっている。男女差別云々以前に、一番使う頻度の高い者の手による整備が一番面倒が少ないためである。


 一連の建設計画で唯一他人に任せられない水回りを、ドミトリーとベックマンはネストルと共に手掛けるのである。


 日の傾く前に完成した浴場は、術式で固められた土の上に沢で集めた丸石を隙間なく敷き詰めた清潔感あふれる仕様となっていた。


 板張りは術式での加工が面倒なために断念したが、水はけを考えて排水溝に向かって傾斜して築かれており、洗面台と蛇口こそなかったが懐かしの銭湯のような雰囲気が出ている。

 かまどに火を入れていないために井戸水のかけ流しという老人にやさしくない状態だったが、盛り土の上に小高く構えたために見晴らしの良好な露天風呂と化している。



「ドミトリー、これってどうやって使うんだ?」


「素っ裸になって洗うとこ洗ったら湯船につかって一杯。」


 勿論、一杯は別途調達だが。ネストルの疑問に対し、ドミトリーはそう答えて顔を緩める。


 湯沸しのためのかまどはドミトリーとベックマンの渾身の力作で、材料は砂と石という環境にやさしい仕様だが、その中身はこの世界においてはオーバーテクノロジーともいえる代物だった。昨晩の戦闘よりも遥かに多くの魔力をつぎ込んで作られた風呂釜は、作った本人でさえもその性能を持て余すほどの仕上がりとなっている。


 生前の知識を盛り込んだ水管式ボイラーの再現は非常に困難なものだったが、粘土細工に圧縮術式と固定術式を費用対効果無視で重ね掛けして強引に形にしている。このため、ベックマンは勿論、ドミトリーの魔力すらカツカツになってしまった。


 船舶や機関車を動かす動力源でもあるボイラーだが、その役割は単純であるが故に非常に奥が深い。少しでも多くの熱を効率よく水に伝えるためにその内部は外見からは想像もできないほどに複雑であり、同時に整備のし易さと耐久性を高い次元で纏め上げたその時代、その国家や文化の工業技術の結晶でもある。


 正直なところ風呂釜には過剰性能オーバースペック以外の何物でもないのだが、水が豊富に供給されている以上はかけ流しの湯船に浸かりたいというドミトリーの欲望と、気になりだすと止まらなくなるベックマンの凝り性の合わせ技が暴走した結果である。



 本来であれば個人用の簡易なドラム缶風呂的なものを考えていたのだが、真夏の2週間の野宿は予想以上にドミトリーの精神を蝕む不潔さを伴った。


 臭うのである。猛烈に。


 申し訳程度の香水も5日も過ぎたあたりには鳴りを潜め、気にしていない風を装っていてもドミトリーの心はハリネズミの如くささくれ立っていた。


 実のところ、昨晩の爆発の最大の原因はこの衛生問題だった。


 自分が不潔なのも許しがたいが、嫁入り前の娘たちがなけなしの香水でその尊厳を健気に守ろうとする姿など、とてもではないが見るに耐えるものではなかった。他ならぬ自分の精神がどうにかなりそうな状況から脱するため、ウラジミールに反旗を翻したと言っても過言ではなかったのである。


 だが、この状況で蒸し風呂などを用意すればその内部が猖獗しょうけつを極めることは想像に難くない。何よりドミトリーが耐えられない。

 代謝が遅く老廃物の類がそこまで多くない一部の長命な亜人種はともかく、実習生の大半が普通の人間種である。小手先の対策ではにおいの元が余りにも多すぎる。


 そこでドミトリーが考えたのが風呂だった。



 発想自体は以前、ベックマンが何処かから毛虱けじらみをうつされた時にさかのぼる。


 自他ともに認めるきれい好きのドミトリーがしきりに頭を掻く友人を見逃すはずが無く、その種族特性上天敵にも等しい毛虱をランナルが許すはずもなかった。


 とびきり強烈な煎じ薬を胃袋に流し込み、まだ煮だしたばかりの薬湯を頭からぶっかけられるという荒療治の際に放たれたベックマンの悲痛な叫びがきっかけで、皮膚病の治療の方法としての湯船という発想に至ったのである。

 転生してからごく自然に馴染んでいたが、思い出すと途端に入りたくなるものであり、早速試行錯誤が始まったのだが、ちまちまと鍋で湯を沸かしても効果は薄く、特に冬季の場合にはお湯は屋内であるにもかかわらず温めるそばから凍り始める始末だった。


 大学の宿舎の片隅に作られた土製の五右衛門風呂は、薪の保管庫となって久しい。

 

 その時はあきらめたが、もしかしたら必要になる時が来るかもしれないと密かに図面を書き起こしていたことが功を奏し、尋常ではないコストと引き換えに極めて短時間で風呂場の建設ができたのである。



「あのさ、女子に説明するの誰がやるんだ?」


「当の昔にエリサには説明済みだよ。使い方は彼女が説明する予定だ。それよりも早く火を入れるぞ。」



 そう言うとドミトリーは浴場を出て隅に設けられた半地下式の竈へと向かった。






 ゴロバノフがオークの若頭を筆頭とした開拓調査団を引き連れて野営地に帰還すると、朝までは存在しなかった大きな砦がそこにはあった。



「やられた...見切っていたな。」


「これはもう引き返せませんなぁ。」



 吹っ切れたオーケルマンが楽しそうにゴロバノフに声を掛ける。引率者だが責任者ではないオーケルマンにとって、教え子に悩む上司の苦悩は蜜の味でしかない。味わう是非はともかく、サムソノフのせがれが自重を止めた事は彼もよく理解しており、どこまでやるのか見当もつかず半ば楽しみでいた。


 蓋を開ければ半日で砦を作りあげてしまうという予想の斜め上を行くものだったが。


 日頃から術式を徹底的に道具としてしか扱わなかったドミトリーが作り上げたのは、徹頭徹尾術式を脇役にして築き上げたであろう砦だった。



「見たところ、かなり気合の入った造りをしていますな。どうですか?あの砦、拠点として使えそうですかね。」


「...。」



 法術をよく見知った教授陣が呆れるほどである。当然、おまじないや治癒術式の類しか知らない一般人には刺激の強すぎる光景であることは言うまでもない。

 かつて父祖たちが守ることを断念したはずの故郷に、いつの間にか強力極まりない拠点が出来ていたのである。



「...あの時あなた方がいたならば、我々は今頃違う暮らしをしていたかもしれませんね。」



 皮肉のつもりで若頭が言った言葉は、目の前の理不尽を前にしては宛てのない恨み言にしかならなかった。


 本人の自覚はともかく、砦の建設は完全にドミトリーのスタンドプレイだった。だが、これによって学外実習の方向性は完全に変わった。

 法術の力で困難に立ち向かうはずの実習は、法術の力を借りて困難を踏破する内容へと変貌を遂げたのである。



「問題は今とこれからをどうするかだな。」



 宰相府の許可なき村邑の建設や城塞の築城。後始末は面倒を極めることが決定的だった。いつの時代もどの世界でも事後承諾の独断専行はその事後処理が煩雑かつ困難であることに変わりはない。


 だが、異なる世界線を知らないゴロバノフにとっては何一つ慰めにならない上に、ドミトリーはそういった面倒を押し付ける伝家の宝刀〝子供のやんちゃ”を既に抜き放っていた。


 かくして、すべての責任は然るべき立場の元へと向かう。



「...どうするか、だ。」



 今年の実習が何一つうまく進んでいないゴロバノフの心労は高止まりのまま。下がる気配はなかった。



 ご意見、ご感想等お待ちしています。


12/02誤字修正しました。

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