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元宰相の異世界物語(仮題)  作者: 徳兵衛
第1章
42/65

第30話(改訂版)

 怒りの主人公第二弾。

12/05 誤字修正しました

12/05 加筆修正しました

 野営地の外でゴロバノフが〝深刻な事態”に頭を抱えていた頃、完成したばかりの風呂場を見て実習生たちの間に静かな興奮が広がっていた。


 柔らかな湯気が肌を撫で、汗と垢、そして泥にまみれた実習生たちは目の前に突如現れた湯殿を見てもぞもぞと身じろぎを始める。

 好き好んで薄汚れた格好をする者はこの場にはいない。程度の違いこそあれ、この場にいる面々は帝国内でも極めて恵まれた境遇で育ったものばかりである。彼らもまた、身に纏わりつく汚れに頭を悩ませていた。


 ドミトリーの用意した風呂は、この世界ではごく一部の王侯貴族のみが利用するような湯船のある形式である。ウラジミール達はある程度慣れてはいたが、平民上がりの大多数にとっては未知の世界の湯殿以外の何物でもなかった。


 完成の知らせを天幕で受けたウラジミールは、完成した風呂場を眺めながら呆れた様子でドミトリーに声を掛ける。



「君は本当に器用だな。」


「光栄です。」



 ウラジミールの言葉に、ドミトリーも誇らしげに胸を張る。



「ですが、この陣地の完成は野営地の皆の協力があったからこそ。自分はその方向性を決めただけです。まずは彼らにねぎらいの言葉をかけていただければと思います。」



 ウラジミールの称賛をドミトリーはそのまま受け取ることはせず、土塁の建設や内部の区分けに尽力した同期へと受け流した。それを察したウラジミールが同期達を労って回る様子をドミトリーが見守っていると、アルチョムが声を掛けてきた。



「なんで湯を張った風呂なんだ?」


「今の状態で蒸し風呂なんかに入ったらどうなると思う?」


「あー...」



 彼の想像力は豊かだったらしく、アルチョムはそれに思い当たったのか露骨に眉をひそめる。



「てっきり貴族にでも憧れてんのかと思ったよ。」


「流石にそれは無いな。身の丈を超えた真似して身を亡ぼすのは御免だ。」



 ドミトリーが苦笑いを浮かべる。


 この世界では特にそうだが、貴族は成りたくて目指してもなれるものではない。流れる血に縛られて翻弄される彼らの生き様は、ドミトリーの目には哀れにも滑稽にも映るものだった。


...好き好んであんな雁字搦めの世界に飛び込むほどの魅力はないからな。


 家格こそ違うが、似たような悩みを持つ先輩が身近にいたことあり、ドミトリーは貴賤の区別そのものが不幸の根源に見えて仕方がなかった。



「汚れたままだと誰かが病気になるかもしれなかった。それは避けたかった。」


「...。」



 衛生と安全。どちらもこの世界では圧倒的に不足している。それがドミトリーにとっては歯痒かった。



「残り僅かの実習だけど、ここまでやればかなり楽になる。」



 自身の疲労もそうだったが、疲れ果てた同期達に少しでも休息を提供したい。そんな思いがドミトリーの心の中にあったのも事実だった。

 だが、そんな感傷はライサからの呼びかけで遮られてしまう。



「ドミトリー、学部長が呼んでる。」



 ついに来たかとため息を吐き出し、ドミトリーはゴロバノフの元へと向かった。





 井戸の傍に呼び出されたドミトリーが出頭すると、ゴロバノフが腕を組み仁王立ちしていた。傍らにオーケルマンが控え、周囲にはオーク達が戸惑いの表情を浮かべながら立っている。見慣れた2人のほかに、新顔が3人。うち1人はかなり身なりが整っている。

 


 罪人の如く引き立てられたような錯覚を覚えながらドミトリーがゴロバノフの正面に立つと、いつになく無表情なゴロバノフがドミトリーに問いかけた。



「拠点のことだ。整備は待てと言ったはずだが、なぜ待たなかった。」


「風を凌ぐ壁と体を癒す風呂を設けただけです。建設といえるほどのものではありません。」


...土と砂、申し訳程度の倒木で作ったあばら家に何の問題があるのか。


 その完成度に対する見解が異なってはいたが、今更ドミトリーは譲る気などない。土塁も風呂も、必要であり実現可能だから作り上げたに過ぎず、取り壊す指示が出てもいい加減な理由であればその指示を跳ね除ける覚悟だった。



「小鬼や大型の魔獣の襲撃に怯えるのではなく、待ち構えるくらいの気概を持たねばと考えた結果です。自分は、魔獣相手に主導権を握られては法術士の名折れであると考えます。」


「実習の目的を歪めてでもかね?」



 有象無象の不愉快が蓄積して沸点が低くなっていたドミトリーが、ついに恩師にも牙を剥く。



「正直言って法術士の無駄遣いです。法術士が求められる現場を知り、限られた条件の中で知恵を尽くし、己の成しえる限りの目標に邁進するならばまだ納得がいきますが、現状では魔獣相手の匪賊ごっこでしかありません。何があったのかは知りませんが、追い込むにしては中途半端。かといってその中で何かを目指すという目標もない。これで纏まれたら奇跡です。」



 思いのほか激しい論調に、オーク達が騒めく。不穏な空気が再び野営地に広がり始め、実習生たちも手を止めて何事かと集まってくる。

 ゴロバノフもまさか自身に対してここまで厳しい口調で言い返してくることは予想していなかったらしく、その表情は硬くなる。

 

 見かねたオーケルマンが割って入った。


「サムソノフ、気持ちはわかるが学部長殿に当たるな。」


「今年度に何らかのイレギュラーがあったのならば、原因は間違いなく公爵閣下絡み。思うような企画や運営が出来なかった。違いますか?」



「...。」



 教師と教え子の睨み合いの場を取り囲むようにギャラリーが厚くなる中で、ドミトリーはオーケルマンに対して畳みかけるように追及し始める。

 ドミトリーは核心を突く推察に言葉を失った教授たちに対し、畳みかける様に推論をぶつけ始めた。



「取りあえず実習だけはやらないと公爵閣下の顔を潰してしまう。かと言って、例年通りの内容では預かった嫡男が命を落とす可能性があった。だから実習内容は比較的楽な防衛戦に変えた。ですが、引き受けたのか押し付けられたのかは知りませんが、人手が足りないせいでどうにも手が回らず、結局実習はグダグダになった。」



 ドミトリーが目を細め、口角を上げる。父親とは似つかないドス黒い笑顔が大人たちの背筋を凍りつかせた。

 当のウラジミール達がギャラリーに混じっている事を気にする素振りも見せないドミトリーに、教授たちは勿論オーク達や他の実習生も金縛りにあったかの如く動けなくなってしまう。


 ドミトリーが醸し出す異様なまでの重圧が野営地に満ちてゆく。



「そうですね?」



 ゴロバノフは悟る。あの晩、教え子は魔王に転職していたと。


 内心の動揺を悟られまいと口ひげを弄りだしたゴロバノフを見て、オーケルマンは恩人が魔王に屈しつつあることを見抜く。引率者側の旗色が急激に悪化し、予想外の展開にオーク達が固唾をのんで見守る中、オーケルマンが苦しそうに告げる。



「否定はしない。」


「そうですか。それを聞いて安心しました。」



 身にまとう重圧はそのままに、声色は穏やかなままのドミトリーが続けて言う。



「何かしらの事情があったならば仕方ありません。ですが、今更です。」



 魔王の裁定が下される。勿論、被告は引率者である。



「我々はもう止まりません。自分たちの力で何ができるのか、行動し、試行錯誤し、その身に刻み続けます。自分がそうさせます。絶対に止めさせはしません。」


「何を言って...」


「ご存じのはずです。お高くとまった法術士の時代が終わりを告げつつあることを。自分は、今のままでは法術士が金食い虫の役立たずと成り下がる時はそう遠くないと考えています。ですが自分は、共に学んだ同期達が時代遅れに成り下がることを良しとはしません。」



 淡々と、ドミトリーは言葉を紡ぐ。


 同期達も自分たちの将来に関わるという言葉に、引き込まれるように耳を傾けた。自分たちのこれからを大きく変える何かが、すぐそこまで迫っている事など聞き捨てならない情報だった。



「だからこそ、法術に何ができるのか、法術士には何が求められるのか。大学を卒業する前に確かめたいのです。叶うならばこの実習で。」



 ドミトリーの言葉に託された意志の強さに、オーケルマンはすぐさま返す事が出来ずに詰まり、ゴロバノフは腕組みしたまま瞑目してドミトリーの言葉に耳を傾けている。



「この地はかつて村邑であったと聞きます。失われるのを防ぐことは出来ませんでしたが、復興させる手伝いならば我々にも出来ます。我々が去ったあと、この地に再び里を築き上げるための拠点を残すことができるのですよ。」


「言った筈だ。彼らに対して無責任なことは出来ない。」



 ゴロバノフの言葉がドミトリーの最後の自制を断ち切った。今まで断片的に集まっていた情報を整理しながら、ドミトリーは煮え切らない引率者の尻を蹴り上げることを決意した。



「無責任...無責任ですか。流石にこの村の窮状を130年も放置した国の公僕は言うことが違いますね。」


「っ!貴様!」



 唐突にゴロバノフの心の臓腑をえぐる口撃が放たれ、ゴロバノフは日頃の仮面を投げ捨ててドミトリーを怒鳴りつけた。言わせてはならない、言われたら耐えられない。そんな恐怖がゴロバノフの身を震わせる。



「無責任?笑止!国が防げなかった戦災で窮していた彼らに、救いの手を差し伸べる事こそが上に立つ者の、公僕の責任だろう!その責任から逃げ続けた後始末をしろと言っている!」



 突如陣地に轟いたドミトリーの罵声に、周りを取り囲んでいた実習生たちも弾かれたようにその背筋を伸ばす。

 圧倒的な〝威”がそこにはあった。



「今の今まで放置しておいてよくそのような事が言えたものです。あなた方も見殺しにした側にいる事を忘れているようですね。」


「それは内務省の職責だ!大学に、一介の教授である我々に何の関係がある!」



 もはや紳士然とした雰囲気をかなぐり捨ててゴロバノフが声を荒げる。彼にとって、聞き流すにはあまりにも耳が痛すぎる言葉だったからである。

 それはかつて、大切な何かを諦めて目を背け、耳をふさいで口をつぐんだ彼の過去に対する弾劾以外の何物でもなかった。



「確かにそうでしょう。しかし、あなたがどう思っていようがあなた方が国から金をもらって生きている以上は周囲はそう見てくれない。あなた方も、そして今の我々も、彼らにとっては国の側の存在でしかない。」



 ドミトリーの宣告がゴロバノフの心を突き刺し、傷口から溜め込んでいた猛烈な後悔と憤りが一気にあふれ出す。



「たとえ全てに届かなくても、与えられた状況下で最善を尽くす。この実習を始めるとき、教授はそうおっしゃいましたよね。同じですよ。仲間を決して見捨てない。必ず救いの手を差し伸べる。その枠が変わっただけだ。」



 そう言い切るとドミトリーはオーク達へと目を向ける。矛先が自分たちに向いた事に狼狽えて目を逸らす中、一人だけ目を逸らさずにドミトリーを見据えるオークがいた。

 彼らの筆頭なのか他と比べて身なりもよく、赤みがかったなめし皮の鎧を身に着け、土気色の肌をわずかに紅潮させている。



「いまさら何を言うかとお思いでしょう。ですが、もう少しだけ耐えていただきたい。」



 その代表らしきオークが無言で頷くのを見て、ドミトリーは再び教授たちを見据えて告げた。



「この地に来てこのまま何も為さずに帰るなど、絶対に許されないことは学部長ご自身が一番分かっている筈です。」


「ここで我々が中途半端なことをすれば、そのしわ寄せは彼らのもとに向かう!何も知らない子供が知った口をきくな!」



 古傷を抉る容赦のない口撃に耐えかねたオーケルマンがドミトリーを怒鳴りつけると、ドミトリーは更に気迫を強めて猛然と怒鳴り返した。



「知るか!知ってたまるか、そんなもの!ガキ相手に下らぬ大人の事情など通用すると思うな!そもそも、失われた彼らの里で山賊ごっこに興じるなど、無神経にも程がある!分別盛りが聞いてあきれるぞ!」


「なっ...!」



 200以上も年上の相手に、ドミトリーの説教爆弾が炸裂する。



「いい加減な憐憫で彼らを貶めるな!彼らが必要とするならばそれに応え、要らぬというなら全て片付けて去るまでの事だ。違うか?そもそも、大なり小なり彼らの力になればという配慮があったからここで魔獣の駆除に精を出していたのではないのか?この目に誤魔化しは通じないぞ!」



 もはや、18の青年の口調ではない。子供の皮を被った雷親父がそこにいた。

 焦土の中に竜が立つ。有らん限りの怒りの炎で遍く惰弱を焼き尽くし、紅蓮に染まった大地で吠える。



「我々を子供扱いするならば大人らしく振舞って見せろ!大人の気概を子供に見せたらどうだ!責任だ何だと言って逃げているのは誰だ?それとも、その顔に刻まれた皴は飾りか!?」



 こうなるともはや独断場である。日頃の落ち着いた雰囲気は何処へやら、烈火のごとく捲し立てるドミトリーの前に、ゴロバノフもオーケルマンも反撃の芽を悉く焼き払われてしまう。

 直接過去の事象に触れず、2人だけが過去の記憶によって傷つくという絶妙な言葉選びだった。



「実習を始める前に一言彼らに聞けばよかった。我々に出来ることはありますかと。それこそが一番必要な事だったのに、あなた方はそれを怠った。だから怒ってるんですよ。ここで異議を唱えねば我々も怠った者の同類に成り下がる。」


「...今から何ができるというのだ。我々に残された時間は少ない。」



 内心では思う所が多かったのか、口撃に屈したオーケルマンが力なくドミトリーに問いかける。



「簡単な事だ。答えはもう出ている。向き合って最善を尽くすか、〝また”目を背けて逃げ出すか。二つに一つだ。」



 渋る大人に選択を迫る子供。

 玩具屋で駄々をこねるのとは訳が違う。その子供が欲するのは決断そのものだった。向き合う覚悟と逃げない覚悟との抱き合わせで、子供は大人にそれを望んだのである。



「閣下はどう思われますか。我々の中で誰よりも公の側にある、我々の代表である貴方の言葉が聞きたい。」


「サムソノフ!」



 最終兵器、お偉方のご意見を代理召喚したドミトリーに、オーケルマンが狼狽える。



「彼は我々実習生の代表だ。誰よりも皆を纏めるのに心を砕いてきた。あなた方が出来なかった事を率先してやってきた実習生の代表だ。彼の意見無しに進めることは出来ない。」



 そういってドミトリーは周囲を見回すが、それに対して反論するものは誰もいない。


 結果的に挫折はしたが、彼が文字通りの尽力をしていたことを誰もが認めていた。全員が追い込まれはしたものの、今まで脱落者を出さなかった彼の事を認めない者はいなかった。

 あと少し何かが足りていたならば、彼は上手くいったかもしれない。支えきれなかったという後悔と罪悪感と共に、そんな惜しさを誰もが彼に抱いていた。

 だからこそ、実権を失ってもウラジミールは実習生の代表をから降ろされることはなかったのである。



「どのような立場に於いても僕の意見はただ一つ、〝成し得る最善を”だ。何を善しとすべきかには議論があるようだが、彼らの土地を間借りをしたからには相応の返礼をせねばならないだろう。加えて、どのような形であれ、彼らに対して何らかの救済が為されるべきだと僕は判断する。」



 同期や取り巻きたちと共に荒れ狂う竜を見守っていた彼は、穏やかにそう告げる。



「僕が参加したことが原因の一端があるならば、その責を負うべきは僕だ。オルロフの名に懸けて、僕は決して責任から逃げる事は無い。」



 もっとも、と苦笑いを浮かべながら彼は続けた。



「僕が果たすべき役割はこの実習の後にこそあるようだがね。」



 そう言うと、彼は身を正して声を張り上げて宣言する。



「我々はドミトリー・パブロヴィチ・サムソノフに対し、全幅の信頼を寄せている。この実習をより価値あるものとすべきとの彼の提言は、我々がこの実習に望むものと同義である!代表として宣言する!教授方は彼の言を聞き入られんことを望むものであると!」



 ウラジミールの宣言が野営地に響き渡るが、異議を唱えるものは誰もいなかった。

 皆がその目に意思を漲らせ、教授たちへと向ける。座っていた者は立ち上がり、立っていた者は身を正す。静かな熱気が野営地を満たしてゆく。



「僕は君の判断を信じるよ、サムソノフ。後始末の方向性が決まったら教えてくれ。父上を通して内務尚書に話を付けよう。」



 そう言うと彼は踵を返し、ドミトリーに背中越しに告げた。

 ウラジミール達の足音が遠ざかると残された面々の視線はドミトリーへと向かい、そして引率者たちへと注がれる。

 オーケルマンはあまりにも急な展開に顔色を失い、ゴロバノフも柔軟極まりないウラジミールの対応に、困惑を隠しきれずにドミトリーを見る。


...見事な役者だな。だが、おかげで手間が省けた。



「さぁ、彼の助力によって最大の障壁は攻略の目途が立ちました。あとは当事者の意思次第です。」



 そう言うとドミトリーはオーク達へと目線を向けた。その視線に促され、彼らの代表らしき1人がおもむろに口を開く。



「正直に言うならば、今更何をしに来たのか。我らをあざ笑いに来たのかと思ったことは1度や2度ではない。」



 その言葉にゴロバノフが顔を強張らせ、オーケルマンが沈痛な表情で瞑目する。



「戦災で里は焼け落ち、多くの同胞が里を守るために命を散らした。だが、残された者たちは女子供ばかりで里の再建は思うように進まず、助力を求めてもたついている間に我々は逆に里を失ってしまった。」



 西日を背負い、俯いたオークからから絞り出すような声が流れる。



「あの戦で痛手を受けたのは我々だけではない。それは分かっていても、悔しかった。オークだから、亜人種だから捨て置かれたのではないのかと何度も考えた。慣れない土地で、慣れない生き方で必死に繋ぎ、私は同胞たちと里を再建しようと固く誓って生きてきた。」



 彼の紡ぐ言葉に誰もが耳を傾ける。この場にはランナルをはじめとして、決して他人事ではない境遇の者がいる。そして、ゴロバノフとオーケルマンはまさにその当事者だった。



「もし叶うならば、我々は父祖の眠るこの地を取り戻したい...!どうか、あなた方の力を貸していただきたい!」 



 オークの代表が嗚咽をこらえながら頭を深く下げ、それに倣って他のオーク達も頭を下げる。



「「「「「どうか!」」」」」



 5人のオーク達の心からの叫びが野営地に響き渡り、大勢は決した。



「ね?言ってみるもんでしょう?」






 


 その晩、今までとは打って変わって賑やかになった野営地の片隅で、ドミトリーは久しぶりのシャシリクを味わっていた。

 実習への合流者は女子供も含めて総勢70名に上った。長命種であるオーク達は里を捨てた世代が大半を占め、奪還の希望を持っていた者が多かったらしい。集落の持てる全力を投じるというの決断に賛同した者たちが合流したことによって、野営地は手狭に感じるほどの活況を呈している。



「よぉドミトリー!血は足りてるか?」


「足りてるぞー」



 すっかりキレキャラとしての扱いが定着したドミトリーに、ネストル達が茶化しにかかる。


 ドミトリーとしては不本意ではあったが、実際問題として身分や職分を問わずに噛みついた実績は揺るがない。ウラジミールを矯正し、ゴロバノフとオーケルマンを完全に屈服させた手腕は実習生の誰もが認めるところだった。



「まーた何かおっかないこと考えてるのか?」


「いや、取り敢えずはスッキリしたから実習が終わるまでは大丈夫だぞ。」



 キレると周囲を焦土にしてしまう暴れ竜。それが現在のドミトリーに対する周囲の評価だった。物理的にも精神的にも焼き尽くすため、その破壊力は場所を問わないために余計に質が悪い。普段の穏やかな雰囲気と相まって、怒らせると大変な事になる危険人物という印象を強烈に植え付けていた。



「おぉ、怖い怖い。」


「ふははは!怖かろう!」



 それを本人がどう受け取るかが問題だったが、ドミトリーは大して気にしていなかった。


 ドミトリーにとって周囲の評価などは大した事柄ではなく、残された時間でどれほどの事が出来るのか、何を為すべきかの方がはるかに重要だったからである。



「でも意外だな。学部長に気に入られていたと思ったんだけど。」


「目を掛けて貰ったからこその諫言さ。実習前から急にらしくなくなってたから、何かあったとは思ってた。ま、あまりにも情けなかったから〝少し”奮起してもらおうと思ってな。」



 現在、〝激励”を受けた教授たちはオーク達に風呂の使い方などについて指導をしている。


 基本はドミトリーの知識の受け売りだったが、誰かに何かを教えるという行為は、一朝一夕に身につくものではない。相手の理解力に合わせた説明をするというのは生半可な技量では務まらないのである。

 餅は餅屋。ドミトリーは施設の利用方法などの説明を彼らに丸投げし、自身はウラジミールやオークの代表と共に区画の計画や里の復興に必要な措置などの検討を行っていた。


 ちなみに、代表扱いされていたオークは若頭かしらと呼ばれる地位とのことで、権威者である里長おさの名代として実務を取り仕切るのが役割らしい。

 幸いなことに誰にも悟られずに済んだが、どこかで聞いたような役名に頭が痛くなるという一幕を挟みつつ、ドミトリーはずっと動き回り続けた。

 

 班ごとの調整や竈の確認などを優先したために周囲よりも少し遅れて入浴を済ませたドミトリーは、ランナル達が狩ってきた鹿肉の残りを串焼きにしてもらい、それを遅めの夕餉としていたのである。



「あれで少しねぇ...」


「なんだ、足りなかったか?」


「それは無い。」



 ゴロバノフもオーケルマンも、教育者として学生たちから高い評価を受けている。


 圧倒的な権威を持つ2人に対し、一切の遠慮なく叱責するという前代未聞の振舞いをしたドミトリーに対して、実習生の評価は2分された。

 しかし、ドミトリーはそれらの評価を一顧だにせず、詰め寄る同期を相手に言い放った。



「敬愛すればこそ諫言は苦みを増す。元より非礼は承知の上だ。俺は先生方がその明晰さを取り戻すための後押しをしたに過ぎない。」



 眩いばかりの笑顔を浮かべ、ドスの利いた声で問いかける。



「文句があるなら言ってみろ。見ているだけで何もしなかったお前らに、自信を持って言えることが一つでも有るならな。」



 法術士としては規格外。おまけに弁論ではまず勝ち目がない。キレると無敵スター状態と化す魔王相手に正面切って挑む者は皆無だった。



「冗談だよ。意見ならいつでも歓迎だ。とにかく無事に実習を終わらせたい。どうか力を貸して欲しい。」



 最後にそう言って深く頭を下げたドミトリーに、詰め寄った同期達もその矛を収めざるを得なかったのである。



「お前ってホントに同年なのか怪しいよな。一体何者なんだ?」


「...どうにも暇そうだな。明日の予定をもう一度確認するか?ん?」



 そそくさとネストルが退散するのを見届け、ドミトリーは張りなおした自分の天幕へと足を向けた。










「ただいまー。」


「あ。お疲れ。」



 焚火の傍でぼんやりと火を眺めていたライサがドミトリーに声を掛ける。ドミトリーが焚火の傍に座り込むと、ライサが火にかけていた小鍋を傾けて中身をドミトリーのマグに注ぐ。



「はい。淹れたばかり」



 差し出されたマグには茶が満たされていた。北国の短い夏は夜ごとに冷え込みを増して行く。すっかり湯冷めしたドミトリーの手をマグが優しく温める。



「茶葉を分けてもらったのか。有難いな。」


「私は飲みなれない茶葉だから苦手だけど」



 そう言ってライサは眉を寄せながらマグを口に寄せる。手元に寄せたマグからは強烈なミント系の香りが立ち上り、目を刺激してくる。口に含むと突き抜けるような清涼感が走る。確かに、獣系亜人種には刺激が強すぎる一品だった。



「キツイな。だが、これはこれで悪くはない。」



 そう言ってドミトリーは目を細めながらマグを傾ける。その様子を見ていたライサがドミトリーに問いかけた。



「私は気付きもしなかった。」


「教授たちの事か?」



 ゴロバノフもオーケルマンも、どちらもそういった様子を表に出すことはなかった。


 彼らが押し付けられた理不尽をぐっと堪えて職務に励んでいたのは事実である。そもそも、ドミトリーが異変に気付いたのは実習が始まってから2、3日が経過してからである。実習の目的が妙に不鮮明で、迷走を始めてもそれを正すような動きが無く、2人ともずっと何処か別の何かに気を取られていた。


 それが何なのかがはっきりせず、ドミトリーは情報を集めて整理し続けていたが、昨晩の話し合いの際の教授たちの動きを見て、ようやく彼らの違和感の原因に当たりがついたのである。



「今回失敗しても教授たちには次回がある。だが、俺らには無い。後味の悪い思い出なんて作っても不快なだけだろう。」


「それは同意。」



 無理からぬ理由であることは明らかだったが、それを理由に滅茶苦茶にされる理由などない。故にドミトリーは敬愛する教授たちに物申したのである。

 その口調が極めて攻撃的で、実態が対話という名の叱責であったことを除けば、全く問題のない教師思いのよき学生と言えた。

 揺らめく焚火に照らされたライサは相変わらず薄汚れた外套をまとってはいたが、その顔には生気が戻り、髪もうるおいと艶を取り戻しつつある。目元のくまが痛々しいが、それもこれから薄れてゆくであろう事は想像に難くない。


 目線が合い、ライサがふっと息を漏らす。


 実習を通して、彼女の雰囲気が変わってきたことをドミトリーは好ましく思っている。

 



「そういえば、法術士の時代が終わるってどういう事?」


「西大陸の話だよ。弓よりも簡単で、より多くそろえられる武器が出た。遠からずこの国でも広まるはずだ。」



 ライサの問いに、ドミトリーは手元のマグに目を落としながら静かに答える。



「〝銃”と皆は呼んでる。」


「じゅう?」



 聞きなれない言葉に首をかしげるライサを見て、苦笑いしながらドミトリーは続ける。



「法術士のような才能も、弓兵のような訓練もなく、狙って引き金を引くと相手を殺せる。金さえあればいくらでも作れて、その気になれば子供でも扱える。」


「...。」


「実物を見る機会があったが、今はまだそんなに強い武器じゃない。しっかりと対策をとればそこまで恐れる必要はない。」



 でも、と続けてドミトリーが言う。



「ただ、この武器はこれから沢山出てくる。法術士よりもずっと安く簡単に数をそろえられるからな。」


「金食い虫って言うのもそういう事?」


「ああ。それに、法術士は術式を使い続ければ魔力切らして何もできなくなるが、銃はいくら使ってもそういう疲労はない。剣と同じで壊れたりしたら取り替えてしまえばいい。」


「それに、法術士には得意不得意がある。」


「そう。だから軍にとっては癖の強くて扱いづらい法術士よりも銃の方が魅力的に映るはずだ。」



 セルゲイが卒業間際に教えてくれた情報では、軍も銃という新兵器に非常に興味を持っている事は明らかだった。



「進路間違えたかな...。」



 将来の華々しい法術士の活躍を否定され、目に見えてライサが落ち込む。



「なんだ、従軍法術士志望なのか?」


「ううん。でも軍で法術士が要らないってなると他でも同じかなって...」


「安心しろ。それは無い。」



 そう言ってマグに残ったチャイを一気に飲み干すと、ドミトリーは立ち上がってライサを見下ろす。



「法術士だから出来る事が沢山あるはずだ。戦って殺したり殺されたりする以外のことが沢山な。この実習でそれを確かめる。」


「...うん。」



 何故かしっとりとした空気が流れる。いつもこういう時に限ってエリサもベックマンも寝ているのが釈然としない。



「茶、ありがとな。明日から忙しくなるから早く寝た方がいいぞ。」



 そう言ってドミトリーは自身の天幕へ向かう。天幕に入る直前、その背に小さくライサの声が掛かった。



「おやすみ。」


「あぁ、おやすみ。また明日な。」



 明日からが正念場である。天幕に入りベルトを緩めると、ドミトリーは雑念を振り払うように勢いよくベッドロールに倒れこんだ。

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