19話 下
足踏みはここまで。次回からテンポ上げます。
折角人目を忍んで蒸し風呂と言う密室で行った面談だったが、次の瞬間には無駄足に終わる結果となった。下手人のランナルはそれを惜しいと思う様子は全く見せず、ドミトリーのベッドで尻尾の毛づくろいを始める始末である。よほどベックマンの父親の振る舞いに腹を据えかねたのだろう。良くも悪くも獣種は感情が行動に現れやすいが、ランナルは特にそれが顕著だった。
どうしても下級生が上級生の部屋に行くのは周囲の目を引くものがあり、ベックマンたちの部屋は人通りが多い廊下に面している。消去法で自分の部屋が選ばれたことに不満は無いのだが、この3人は人の部屋で実に好き勝手に過ごしている。部屋の主としては些か気になる所である。
「で、ベックマン家の家族問題が出てきたと。」
セルゲイにとってもベックマン一家の迷走は不愉快なものだった。他所の家の事をとやかく言う資格が無いのは百も承知だが、ベックマン家のそれ度を越したものであることは疑いようが無かった。ドミトリーがマイルドに翻訳し直しながら説明したが、ランナルの脚注が悉くエグみとアクを飽和させてしまう。聞き手も話し手も己の精神力を大いにすり減らし、やっと話を終えた頃には当事者は物言わぬミイラの如く部屋の隅で膝を抱いていた。既に彼の顔から生気が失われて久しい。見ているだけなら面白みもあるが、自室でこれをされると面倒である。
「情報が不足しているので見落としている点はあると思いますが、大筋はそんなところですね。」
「なんだかなぁ...俺が言えた義理じゃないが、これは酷いな。」
ミイラは相変わらず膝を抱いている。
元皇太子に身内の恥をバラされた上にこの酷評である。生真面目な彼にとって耐えられるものでは無い。かと言ってドミトリーには慰める気は全くないが。
悪いのは彼の父親なのだから開き直っても構わないのだが、どうにも人の良さが自分の首を絞めている様にしか見えない。自身を縛る枷になるほど几帳面なのも面倒である。
「妾に関しては貴族も王家も言えた口ではないなぁ。ドワーフ達の伝統ある遺族救済の手段であることは解ったけど、今じゃ代替手段は用意しようと思えば簡単にできるから理由にするには弱いね。彼らに血の繋がった世継ぎにそこまでこだわるような文化があるのか?」
「自分には何とも。オーケルマン教授ならば何かしらの見解があるとは思いますが...」
当のミイラは相変わらず部屋の隅である。わだかまっていたモノを吐いたは良いが、自分が吐いたモノの毒気と周囲からの目線で13歳の少年は心に深い傷を負っていた。理解も共感もできるのだが、同情するほどお人よしではないドミトリーにとっては面倒なこと極まりない。
「教授を巻き込めば騒ぎに油を注ぐだけだろ。ここにいる面子で情報を共有するだけでも十分じゃないか?」
ランナルがベッドの上に散らばった自分の抜け毛を集めながら告げた見解に、ドミトリーも頷いて同意を示した。きちんと片付ける細やかさを毛づくろいする前に発揮してほしかったが。
「確かにそうだな。順調に進めばあと5年、兵役込みで8年は家から距離を取り続けられるか。その間に将来の進路をハッキリと固めるしか無いだろうなぁ。おーい、聞いてるかー?」
「サムソノフ!在室なら返事をしなさい!」
問いかけをぶった切る呼びかけがドアの外から轟いた。
「手紙...ですか?わざわざありがとうございます。」
ドアを開けるとヴァシリーサが立っていた。その手に手帳の様な紙束が収め、部屋の中の面子を一瞥する。
「オルストラエ出身者に手紙が届いてたわ...そこで萎びているベックマンにもね。何をしているかは訊かないけど、あまりやり過ぎない事ね。“ここで”トラブル起こしたら...解ってるわね?。」
「はい。気を付けます。」
声は低いし目つきはキツいし、何よりふくよかに過ぎるこの管理人は学生から恐れられている。あと30キロほど体重が落ちれば印象も変わるのだろうが、この国の妙齢の女性はやたらと劣化が早いように思えてならない。
余談だが、歳を取ったら母や姉たちもそうなってしまうのではないかと、密かににドミトリーは恐れていた。食事バランスは決して悪くないと思うのだが、どうしてああも見るも無残になってしまうのか。ヴァシリーサにしても実のところ、ややキツいが目鼻立ちが整っているだけに教授陣も勿体ないと感じていた。誰もがそれを言わずに胸に秘めているあたり、彼女の日頃の行いがどう受け取られているのかが良く判る。
「あんたたちの事を気にかけている先生方は多いわ。成績が良くてもそれ以外が不出来ならこの大学から叩き出される。先生方の期待とご両親の信頼を裏切る真似はしない事ね。」
そう言うと、ヴァシリーサは踵を返して階段を下りて行った。ドミトリーは部屋に戻ってドアを閉め、廊下に響く足音が遠くなるまで部屋は沈黙に包まれた。
雰囲気と態度以外は普通にいい人なのだが、中々どうして世の中報われない人はいるものである。
「それ全部手紙か?随分と多いな。」
「消印は...遅配で溜まってたわけではないみたいですね。」
やたらと嵩張る紙束に周囲も息子も引き気味である。ベックマン宛の手紙が厳重に封印された一通であるのに比べればその量は常軌を逸している。だが、ドミトリー達には何故かベックマン宛の一通の方が禍々しく見えた。
寮監の来訪で急速覚醒したベックマンが封を切って一気に読み終えると、ランナルがすかさず尋ねかけた。
「どうだった?」
「...家の方は相変わらずみたいだよ。相変わらず親父は手を焼いてるそうだ。」
その答えにランナルは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで何も言わなかった。ここでベックマンに何を言っても無駄だと彼も理解しているのだ。元凶は遠くオルストラエの屋敷でいがみ合う家族に手を焼いている以上、この場で何を言っても一族の代理人であるベックマンへの誹謗中傷になる。
感情が表に出てしまう彼だが、そう言う所は一線を引いているためにドミトリーは彼を高く評価している。
「そんなもんだろ。これはまずいと気づいた時には手遅れなのが普通だし、すぐに何とかできる人間なんてそうはいない。運が良ければ何とかなる時もあるけど、大抵はダメな上に更に悪化してどうしようもなくなるからなぁ...」
ベックマンを労わる口調だったが、その眼はどこか遠くを見ていた。セルゲイ自身も方向性は違えど親の方針と周囲に振り回され、ベックマンを見て思う所が多々あるのだろう。
金も権力も必ずしも幸せになることを保証しない。無ければ間違いなく不幸だが有れば有ったで悩みの種は尽きない。
折角世界を超えて新たな人生を謳歌しようとしていたドミトリーだが、身につまされる教訓は世界を超えても不変のものだった。例え魔法があり神がいて亜人種が息づいて居ようとも、スパイスに違いこそあれど世界は相も変わらず弱き者に優しくない。
「ベックマン、俺は親父さんが何を思って奥さんを沢山囲ったのかは知らない。知っても多分理解できない。でもな、お前がそれを理由に思い詰めるのはおかしいと思う。」
不思議な事だが、ランナルは機嫌が悪くなった時など、口数が少なくなればなるほど説明能力が向上すると言う特徴がある。爆発的に湧き上がる言いたい事が詰まり、それらを推敲し簡潔にしてから吐き出す。普段は一言余計だったり言葉足らずだったりするのだが、ここぞという時にビシリと決めてみんな持って行ってしまうのである。
割と顰蹙を買いやすい彼だが、本質をハッキリと見抜くその眼と過不足なく表現する能力は、紛れもなく天賦の才と言える。オブラートに包むことを覚えたならば政治家も務まる才能である。
「少なくとも責任を問われるべきではないし、問う資格がある人間はいない。君に責任を問うであろう輩はそう叫ぶ事で己の欲を満たしたいだけさ。碌でも無いが彼らも必至だ。なにせ、君の親父さんが連中の欲を満たせるだけのモノを持っているんだからね。身内に隙を見せないのは前提だし、家族の周囲を信じれば簡単に足を掬われる。もう、家ではなく敵地と捉えた方が良いだろうな。」
セルゲイは口ぶりとは裏腹に一言一言が厳しい。彼は彼で悩ましい家族関係を持っていたから当然ではあるが、15歳になる少年にとっては情け容赦のない干渉がどれほどの苦痛を強いて来たのか。普段の飄々とした振る舞いの影に暗い過去が姿をチラつかせる。
「いっそのこと絶縁すると言う手もある。法術大学の卒業生と言うだけでも縁組は捗るからな。故郷から離れて実家と無関係な家に養子入りすれば、ある程度の身の安全には繋がるかも知れない。なんにせよだ。」
セルゲイのアイコンタクトに答えてドミトリーが続ける。
「それらを決めるまでにはまだ時間がある。焦って機を逃しては元も子もないし、時間がある時にじっくり腰を据えて向き合えばいいさ。勉強なら俺達でも力になれる。抱え込むなよ。」
常日頃、お互いに隙を見せれば容赦なく弄り倒す3人だが、その結束は固い。亜人種も廃嫡の皇太子も、腹に抱える警戒心は似た様なものである。ランナルは元流民の獣系亜人種として、ベックマンはドワーフの御曹司として。セルゲイは言うまでもない。そしてドミトリー『加護』を授かった転生者として。
事情を知る者からは腫物のように扱われることも少なくなく、子供ながらに周囲の目線を気にする事が当たり前。ドミトリーは幸いにしてそう言った経験はほとんどなかったが、過去の記憶をはっきりと認識して以来、やはり周囲に気を配って生きて来た。そんな面々がこうして出会い、腹を割って話ができる間柄になれたのは幸運以外の何物でもないのだ。
「お前が一生懸命頑張って大学に入って、折角出来た繋がりなんだ。後生大事に取って置くより積極的に使っていいんだ。使って減るようなもんじゃないからな。」
「そうそう。家族の悩み事ぐらいで見限るほど、薄情な奴なんてここには居ない。俺が保証するぞ。」
「1人で無理なら2人で、2人でダメなら3人で、それでもダメならもっと集めればいい。何でも1人で出来る奴なんて神様にもいない。」
ダメ押しになるランナルの言葉が放たれ、遂にベックマンはボロボロと涙を溢し始めた。小さな背中を振るわせて、声を押し殺して泣く彼に友人達は情け容赦なく温かい言葉を浴びせかける。普段なら決して言わないであろう言葉だが、こういう時こそ用いる価値があるのだ。
「血を分けてもらった家族の事だから、負い目に感じるのは仕方ないかもしれないけどな。それが他の人から見てどうなのか、自分の受け止め方を見つめ直すだけでも大きな前進だよ。」
「こいつら簡単に言うけどなぁ、ホントこういうお人よしはまずお目にかかれないぞ。有難く世話になっとけ。」
しっかり泣かせてしまったなぁ...これもいじめと見られるのだろうか...
セルゲイの言葉を受け流しながら、ドミトリーはえぐついて涙の止まらないベックマンを見て、これはさすがにやり過ぎたかもしれないと内心尻込みしていた。もっとも、いまさら部外者の風を装っても、誰がどう見たところで主犯はドミトリーであるが。
いつの間にか日は傾き、西日が部屋に差し込んでいた。階下から夕食を待ちわびた学生たちの喧騒が響いている。
床にあぐらをかいて座り込んだベックマンの頬には、堪え切れずに溢してしまった涙の痕がはっきり残っている。
ドミトリーもランナルも何も言わずに待ってる。セルゲイもそんな後輩たちを見守っている。窓辺の椅子に腰かけたセルゲイの影が、屋根裏部屋の床に伸び始めてきた。
おもむろにベックマンが口を開いた。
「...セルゲイ先輩、ドミトリー、ランナル。本当にありがとう。」
まだ声には若干の湿り気はあるが、この様子であれば食堂に行っても怪しまれることは無いだろう。試験後の彼の表情に浮かんでいた影はすっかり消えていた。
「皆さんに自分の名前をお預けします。ここまで相談を聞いてもらって他人面はしたくありません。」
「いいのかい? 将来苦労するんじゃないか?」
セルゲイの疑問はもっともである。他の種族とは異なり、ドワーフにとって己の名前は非常に重い価値がある。彼らの文化は非常に血の繋がりを大切にしており、日頃呼ぶ名前はあくまで姓であって名前は家族などの本当に親しい間でしか呼ぶことは無い。
似た様な風習はかつて多くの亜人種にも存在していたが、時代が下るとともにそれらの風習は失われつつあり、今も厳格に守っているのはドワーフ達ぐらいのものである。
まさにそのドワーフである彼が、古い支族に連なる彼が、同族達の名前に寄せる想いを知らないはずがない。ドミトリーやランナルにとっていまいち実感は無いが、セルゲイは彼の決心からその思う所を見抜いていた。
「大丈夫です。苦労ならばとうの昔に慣れていますから。これから自分は“そう”ありたいと決めたんです。」
決心の固いベックマンを見て、セルゲイは何かを言いかけたがそれを飲み込んだ。
「そうかい。ならば預かろうか。」
「預かる。」
「預からせてもらうよ。」
三者三様の返事だったが、意図するところは変わらない。これからは彼をヨアキムと言う名で呼ぶことが出来るのようになる。
当然ながら人前でみだりに呼ぶことは避けるべきでものはあるが。
『我、至誠を以て精霊の秤に約す。件、我セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・エルマコフ、汝ヨアキム・ベックマンの名、邪に扱わざる者たらん。』
「セルゲイ先輩!?」
突然、宣誓詠唱を始めたセルゲイにドミトリーが慌てて声をかけた。
『至誠を以て』文字通り、この上なき誠実さで向き合うという宣言である。この世界における相手に対する最大限の礼儀表現であり、古くから裁判や騎士宣誓で用いられた言葉でもある。王族らしい古風な言い回しと言えるのだが、『精霊の天秤に約す』と付くとその意味合いは変わる。こう続くと精霊による誓約術式となってしまう。宣誓を解除するまで『誓約』を守らなければならず、破れば誓約内容に応じた制裁が下る。
わかりやすく言い換えれば、指切りげんまんして嘘をついたら本気で針千本飲まされるのである。
「そんな...精霊宣誓は制裁が...!」
ランナルも不意を突かれて呆気に取られている。
精霊による制裁の執行が伴うために、成人してからでなければならないと法によって定められている。略式とは言え安易に宣誓すれば、制裁で自身の命を危険に晒す事があるのである。
「これでも一応王族だからな。“至誠には至誠を以て向き合うべし”だ。それに今更宣誓が増えたところで大して変わらないぞ。それに立場が立場だ。お前達同士では不要でも俺は必要だな。」
そう言い切るとセルゲイは“部屋に戻るよ”と言って部屋を出て行った。早くもベックマンは心配そうにしている。もう少し説明をしておけば良いのものを、横着してさぼるという心臓に悪い癖がある。
「心配するな。俺は精霊宣誓しない。宣誓せずとも約束は守る。」
「ちょっと予想外だったけどな。でも、王族にはそう言う配慮とかも必要なんだろうね。」
その後、暫くしてヨアキムは手紙の返事を書くと言って部屋に戻り、それに合わせてランナルも部屋を去っていった。ドミトリーも届いた手紙にまだほとんど目を通していなかったため、ベッドに腰かけて故郷からの手紙を読み始めた。些か限度を超えた量ではあったが、ドミトリーが離れてほぼ1年の間に書き溜められたものだった。
冒頭にオルストラエはいつもと変わらない旨が書かれたパーヴェルからの一文があり、“ジーマ”という愛称で久しぶりに呼ばれたドミトリーは、思わず目頭が熱くなった。
あっという間の1年。あと5年で卒業と兵役、そして社会に出る。今は何をしたいと言う夢は定まっていないが、ベックマンに倣って考えねばならない。寮監ヴァシリーサ女史の言葉は全く正しいのだ。
夕飯を済ませ、部屋に戻って再び手紙の続きを読んでいたドミトリーは、ドアのノックでその手を止めた。セルゲイの声が入っていいかと問う。
「どうぞ。」
ドアを開けるといつぞやの小さな酒樽を片手にセルゲイが立っていた。にっと笑うとそのまま階下から延びる煙突のそばにどっかと腰を下ろした。ドミトリーの部屋に暖炉は無い。だが、この煙突の配管のお蔭で冬も暑いくらいに室温が上がる。人間種にとっては居心地が良いのだ。
「何だかんだでうまくまとまったみたいで良かった。」
「宣誓術式まで出されたら、そりゃ皆腰を抜かしますよ。」
苦笑いするドミトリーに酒の注がれたマグが差し出される。受け取るとセルゲイの目線に合わせて
マグを軽くぶつけ合った。
「友の新たな門出に。」
「友の新たな門出に。」
酒に弱い狼種はともかく、ドワーフは成人まで酒はご法度であるため、現時点でセルゲイの相手を出来るのはドミトリーだけだった。
「本当に良かったんですか?適当に使って痛い目に遭ったという話をよく聞きますけど。」
「“者たらん”だからな。扱う時にそう言う心がけをしてればそこまで厳しい制裁にはならないよ...破ってもせいぜい三日三晩腹を下すぐらいだし。」
言葉に妙に実感がこもっているあたり、かつて破って制裁を下された経験があるらしい。以前とは少し味が異なる酒だが、相変わらず度数は高い。
「仕込んだ年で味が変わるそうだ。不思議だよな。作り方も材料も、変わらないはずなのに。」
「確かに不思議ですね。」
そう言うとお互い何も言わず暫くの間酒を進めたが、おもむろにセルゲイが切り出した。
「最近、西大陸がキナ臭くなってきてる。こっちにとばっちりが来るかもしれない。」
「また諸国連合の大遠征が来ると?」
セルゲイはそれには答えず、マグに目を落としながら続ける。
「アルケブスという武器を使った傭兵団が西大陸の各地で暴れている。よく判らんが下手な法術士を完封するほど強い飛び道具だそうだ。」
「それは...法術士を目指している者にとっては面白くありませんね。」
アルケブス...やはり火縄銃だろうか。既に火薬が発明されていて、必要な物資の量産もある程度進んでいると見るべきか。
「確かにな。だが、かの傭兵どもが挙げている武勲は尋常ではない。諸国の軍は引き抜きに躍起になっているそうだ。」
そう言って笑うセルゲイを見ながら、ドミトリーは内心残念な気持ちに包まれていた。折角の剣と魔法のお伽噺の世界は世知辛く容赦のない時代に進みつつある。このままでは自分が法術士として世に出る前に、時代遅れになってしまうのではないか。まだ勉強が始まってもいないドミトリーだが、不安と不満を感じるには十分すぎるモノがあった。
「その新しい武器が東大陸の魔獣相手には通用するとは思えませんが。」
「それは同感だ。ま、あちらは魔獣なんて遺跡ぐらいにしかいないから問題ないんだろうさ。で、どう思う?」
東大陸固有の問題として、人口密度が低く未開拓の原生林や湿原など、人の手の入らない土地が多いために、そこに棲息する魔獣の被害が他国とは比べ物にならないほど多い。
大規模な魔獣の発生時には各都市の警備隊だけではなく、軍もその討伐に投入されるが、その際にアルケブスがどの程度役に立つのかどうかはドミトリーには判らなかった。
人には十分に威力を発揮する武器が、同じように魔獣に通用するとは限らない。魔力を付加しやすい剣や弓などが現在も主力なのにはちゃんとした理由があるのだ。
セルゲイは、皇太子の地位から降りても情報の収集を欠かしていない。周辺国や国内情勢について可能な限り最新の情報を仕入れている。ドミトリーも時折それらの情報を分けてもらったりしているが、今回の情報は今まで聞いてきた中で一番不穏なものだった。
「もしかしたら、騎士が戦場から叩き出される時代が来るかもしれませんね。」
「...本気か?」
肩をすくめながら答えたドミトリーに、セルゲイが疑わしそうに目を向ける。
「半ばその日暮らしである傭兵が扱うアルケブスに、騎士たち程の素養と日々弛まぬ鍛錬が必要であるとは思えません。」
銃は素養が無くても、日々の厳しい鍛錬が無くとも扱える。向ける相手が人間ならば威力も十分である。
魔獣の相手でなければ、常日頃から金のかかり続ける騎士に比べてはるかに安上がりである。
「ならば命令する言葉の理解できる流民でも十分に兵になりうると言う訳か。」
「寄せ集めが戦場で役立つかどうかは判りませんが。」
それにしても本当に皇太子から廃されたのが惜しまれる聡明さだ。即位すれば非凡な君主となっただろうに。
ドミトリーの内心はともかく、既に火縄銃が登場しているとするならばあまり悠長に構えてはいられない。前世ではこれらの火薬兵器の登場と発展によって、それまでの中世的な封建的な社会は急速に崩壊していった。
何だかんだで悪くはない、むしろ気に入っているこの日常が失われてしまうかもしれない。“今まで”がこれから続かなくなるかもしれない。歴史上のダイナミックな社会変化や大きな出来事は読み手に底知れぬロマンを抱かせるが、激動の時代の当事者になるなど冗談では無かった。
「現段階ではあくまで自分の予想です。実物を見てみない事には何とも言えませんね。」
「確かにどのような武器なのかよくわからないな。実物が手に入るのが何時になるかはわからんが、手に入ったら付き合ってもらうぞ。」
王への道を外れたセルゲイだが、その道の途上で学んだことは無駄にはなっておらず、むしろそれを最大限に活用していると言える。
「お気持ちは嬉しいですが、唾付けるの早すぎませんか?まだ1年次ですよ。」
「竜種は義理堅いからな。早いうちから誼を結ぶに越したことは無いのさ。」
セルゲイの笑い声に意図せず己の目線が生暖かくなるのを自覚しつつ、ドミトリーはマグに残った酒を一気に呷った。ベックマンだけでは無い。自分もこれからの事を考えていかねばならない。どうにも自分が思っていた以上に悠々自適な生き方は遠いようである。
その晩遅くまで、ドミトリーの部屋は明かりが灯ったままだった。
ご意見、ご感想等よろしくお願いします。
9/25 誤字修正しました。




