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追放された宮廷魔導師、実は王国の防衛結界を一人で維持していた  作者: やんやんつけバー


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第二十八話 返書

 封蝋の匂いが、紙を開く前から指に残った。


 書簡が戻ってきた——発送から九日目。早馬の片道三日に判断の日数を加えて、想定の最短より二日遅い。ルクスはその二日の意味を、封を切る前に考えていた。


 返書を運んできた騎馬の外套には北の土埃が付着していた。連合国の街道を走った馬の蹄鉄は、王都のものより溝が一つ深い。ゲオルクがそれを確認して報告したのが、書簡が執務室に届く十分前のことだった。


「封蝋の紋章は連合国外務府です。王宮直轄ではなく、外務府経由の返書ということになります」


 ゲオルクは壁際に立ったまま言った。手帳は開いていない。この報告には記録が要らないと判断したのだろう。


 ルクスはペーパーナイフの刃を封蝋と紙の間に差し込んだ。蝋が割れる音が石壁に跳ねた。


 二つ折りの羊皮紙を広げると、インクの匂いが立ち上がった。北方連合国で主流の鉄インクだ。王都で使う没食子インクより色が青く、乾きが遅い。書き上げてから封をするまでに時間をかけた証拠が、文字の滲みの均一さに出ていた。


---


 返書の本文は、予想通り否認から始まっていた。


 ルクスは机に紙を広げ、右手の人差し指で行を追いながら読んだ。


 第一段。貴国よりの書簡を受領したとの形式的な冒頭。第二段。「貴国が懸念を示された事象について、我が連合国はいかなる関与も認識していない」。否認だが、「関与がない」とは書いていない。「認識していない」という語の選択は、将来の撤回を可能にするための布石だった。

 (認識していない——知らないとは言っていない)


 第三段に入ると、口調が変わった。「一方的な疑念の表明は、両国間の信頼関係を損なうものである」。警告だ。ルクスが書簡で匂わせた破壊工作の存在に対する反発が、ここに凝縮されている。だが警告の度合いが中途半端だった。本気で怒っているなら、「遺憾」の一語で外交関係の再考を示唆する。この返書にはそれがない。


 第四段。ルクスの指が止まった——文字の傾きが変わっていた。第三段までの筆跡と、第四段からの筆跡が微かに違う。書記官が途中で交代したか、あるいは第四段だけ別の起草者がいる。


「シュトラウスの名前が出ています」


 ゲオルクが壁際から一歩だけ近づいた。ルクスが指で押さえている行を、肩越しに読んだのだろう。


「『貴国にて拘束されている当該人物の身柄について、人道的観点から協議に応じる用意がある』」


 ルクスはその一文を二度読み直した。否認しながら、シュトラウスの身柄協議には応じる。矛盾だった。関与を認めていないのなら、拘束されている人物の身柄を引き取る理由がない。「人道的観点」という建前は、その矛盾を覆い隠すには薄すぎた。


「ゲオルク。この返書は、何人が書いたと思いますか」


「第四段が違います」

 ゲオルクは一行ずつ筆圧を確かめるように目を動かした。

「少なくとも二人です」


「三人です」


 ルクスは羊皮紙を回転させて光に当てた。紙の表面にペンの筆圧の痕が残っている。第一段と第二段は均等な圧で、官僚の定型文。第三段は圧が強く、抗議の感情が乗っている。第四段は圧が弱く、だが一字ごとの間隔が正確だった。推敲を重ねた文面を、慎重に清書した筆跡だ。


「第一段と第二段は外務府の書記官。第三段は連合国の外交責任者。第四段は——おそらく保全局側の人間です」


「保全局が外交返書に文面を差し込んだ、と」


「差し込まざるを得なかった、と読むべきです」


 ルクスは椅子の背に体を預けた。返書の全体像が見えてきた。

 (一通の返書に、三つの思惑が透けている)


 連合国の外務府は、保全局の工作を公式には認められない。認めれば国家の責任になる。だが保全局の側には、拘束されたシュトラウスを回収する必要がある。シュトラウスが王国で尋問に応じれば、保全局の活動が詳細に暴かれる。


 二つの省庁が、一通の返書の中で引き合っている。否認は外務府の建前で、身柄協議は保全局の本音だ。


「局長の独断か、国策か。あなたはどちらだと判断しますか」


 ゲオルクの問いに、ルクスは黙って返書を机に置いてから答えた。


「国策に近い。だが局長の行動を制御できなくなっている」


「根拠は」


「返書の文面構成です。保全局の文面が第四段に差し込まれているのは、外務府が最終段階まで把握していなかったことを示しています。国策であれば、最初から統一された文面になる。局長の暴走であれば、返書に保全局の文面は入らない。この中間——国策として始まったが、現場が制御を離れている」


 ゲオルクの革手袋が、手帳を胸元の内ポケットに押し込んだ。書く代わりに、頷いた。


---


 ルクスがフォーゲルへの報告を整理している間に、それは起きた。


 左手の薬指の先端が、痺れるように熱くなった。


 痛みではない。検知術式が拾った反応だ。結界核のある地下三層への通路——ルクスが七日前に楔の周囲に仕掛けた術式が、何かを捉えた。


 ルクスは机の上のペンを置き、左手を開いた。五本の指の先端で、薬指だけがわずかに色が変わっている。青白い魔力の線が、薬指の第一関節まで赤みを帯びていた。検知術式が捕捉する対象の距離と方向を、術者の身体に返す仕組みだ。


「ゲオルク」


「はい」


「地下三層への通路で、検知術式に反応がありました」


 ゲオルクの靴が石の床を擦った。壁際から机の横に移動する、戦闘態勢への切り替え。


「いつからです」


「今です。反応の強さから推定して、通路の入口付近。まだ結界核の部屋には入っていない」


「人数は」


「一人。術式の反応パターンから、魔力を持つ人間です。一般の騎士や文官ではない」


 ゲオルクの手が腰の剣の柄に触れた。触れただけで、抜いてはいない。


「向かいますか」


「いいえ」


 ルクスの返答に、ゲオルクの指が柄から離れた。ただし完全には下ろしていない。


「泳がせます」


「理由を聞いても」


「今この時点で捕らえれば、通路に入ろうとした人間が一人分かるだけです。目的が分からない。指示系統が分からない。使節団との関係が分からない。泳がせて、何をしようとしているのかを確認します」


 左手の薬指の赤みが、微かに動いた。侵入者が通路の中を進んでいる。結界核に向かっているのか、別の目的があるのかは、もう少し観察すれば判断できる。


「結界核に触れさせるわけにはいかないのでは」


「術式は三重に仕掛けてあります。通路の入口、中間点、そして結界核の部屋の手前。三つ目に触れた時点で遮断できます。今は一つ目に反応しただけです」


 ゲオルクは頷いた。靴音はもう動いていない。剣の柄に添えた指だけが、紙一枚の距離を保ったまま残っていた。


 ルクスは左手を膝の上に下ろし、薬指の感覚に意識を向けたまま、返書の羊皮紙に目を戻した。二つの脅威が同時に動いている。紙の上の脅威と、地下の脅威。そしてその二つが繋がっている可能性を、ルクスは返書の第四段を見ながら計算していた。


 使節団の到着は明後日だ。その先遣として、誰かが結界核の偵察に来た。返書の到着と同じ日に、通路への接近が起きたのは偶然ではないだろう。

 (返書と侵入者——繋がっていない方が不自然だ)


「ゲオルク。通路の入口に常駐の見張りは出せますか。ただし、姿を見せないこと。音を立てないこと」


「第三中隊から二名出します。隠密行動ができる者を選びます」


「検知術式の反応を、あなたの手帳に転写できる符丁を作ります。左手の感覚を言葉に直す手間が省けます」


 ゲオルクが手帳を引き出した。新しい頁を開き、ルクスの言葉を待っている。薬指の赤みが微かに動いている。三重の術式のうち、二つ目にはまだ触れていない。侵入者は慎重に動いている。


---


 二十分が経った。その間、ルクスは返書の第四段を三度読み直し、ゲオルクは壁際で一度も姿勢を変えず、薬指の赤みだけが微かに揺れ続けていた。


 検知術式の反応が消えた。侵入者は通路の中間点に達する前に引き返した。偵察だった。

 (次は、偵察では終わらない)


 ルクスは薬指の赤みが消えたのを確認し、左手を握って開いた。五本の指すべてが正常に動く。三ヶ月前にはこの手で結界の修復に全力を注ぎ、感覚を失い、一本ずつ取り戻した。今はその同じ手が、侵入者を検知する道具になっている。

 口には出さなかったが、薬指に残る冷たさはあの夜の結界核と同じ種類のものだった。


 机の上に並んでいるものが変わった。返書が加わり、文書は四つになった。返書の羊皮紙。百二十一通目の報告書の控え。手順書の十六頁目。そして検知術式の反応を記録するための新しい紙。


 ルクスは百二十一通目の控えを引き寄せた。フォーゲルが書式を整備し、大臣会議への提出経路を確保した草稿だ。だがこの九日間で、状況は動いた。


 ブレンナーの経歴。返書の分析。検知術式への反応。どれも草稿を書き上げた時点では存在しなかった情報だ。百二十一通目は草稿のまま出すわけにはいかない。フォーゲルの推敲と、ブレンナー関連の調査結果と、今日の返書の分析を統合した決定版が要る。


 大臣会議まで残り二日。使節団到着も同じく二日後。返書を手にしたことで、報告書に書ける事実が三つ増えた。保全局が外交ルートに介入していること。連合国内部で省庁間の制御が乱れていること。そしてシュトラウスの身柄が交渉材料になり得ること。


 ルクスは新しい紙を一枚取り出し、報告書の構成を組み直し始めた。


 右手がペンを走らせる間、左手は膝の上で薬指の感覚を確かめていた。次に赤みが灯った時、侵入者は二つ目の術式に到達する。その時にルクスが何を選ぶかは、使節団が何を持ってくるかによって変わる。


「まだ続けますか」


 ゲオルクの声に、ルクスは頷いた。インクが紙に吸われていく音が、石壁の執務室に小さく満ちた。百二十一通目の報告書は、草稿では終わらない。

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