第十七話 魔導技術保全局
フォーゲルからの使いが来たのは、午後だった。
地下室でルクスが十二頁目を書いていると、石段を降りてくる軽い足音がした。丸眼鏡の若い文官——魔法省のフリッツだった。
「宰相閣下から、お取次ぎを頼まれました。照会の結果が出たとのことで、お越しいただけますか」
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宰相府の応接室に通された。フォーゲルが待っていた。執務室ではなく、客を迎える部屋だ。卓の上に書状が一枚あり、外務省の紋章入りの封蝋が剥がされて横に置かれていた。
「外務省次官からの回答です。三年前の連合国視察団の記録を確認しました」
「何が分かりましたか」
フォーゲルは書状を開いた。視察団の構成員は八名で、うち一名が「外交顧問兼魔導技術監査官」の肩書を持っていた。名前はヘルマン・シュトラウス、四十二歳、連合国魔導技術保全局の所属だという。
「魔導技術保全局」
「知っていますか」
「名前だけは。北の連合国にある行政機関で、他国の魔導技術の収集と調査を業務としています。表向きは技術外交を担う部署ですが、工作活動を行うという指摘が過去にもあります」
フォーゲルが書状から顔を上げた。
「なぜその知識があるのですか」
「七十一通目の報告書に書きました。視察団が来た際に調べた内容です。私の報告書の三行目に書いてあります」
フォーゲルは視線を書状へ戻し、一拍置いてから言った。「読みました。三行目は、名称と概要だけでした」
「それだけ書けることが分かっていたからです。あの時点では確証がありませんでした」
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フォーゲルは書状を広げ直した。紙が乾いた音を立てた。シュトラウスの入国記録は三年前の秋が初回とされているが、外務省の次官は「実際の来歴は不明」という注記を個人的な見解として付け加えていた。偽名での入国記録がその前にある可能性は否定できない、とも書いてある。
「三年前より前から来ていた可能性がある、ということですか」
「次官の個人見解として、です。公式回答ではないと明記されています」
ルクスはその言い回しを聞いた。「公式回答ではない」——意図的に逃げ口を残した書き方だ。外務省の次官が、公式の場では答えられない何かを知っている。公式文書に書けない内容を、個人見解として滑り込ませた。そういう書き方を選ぶのは、それが安全な形だからだ。
「シュトラウスの現在の所在は」
「外務省の記録では国外退去となっています。三年前の秋、視察団と共に出国したことになっています。現在の所在は不明です」
「出国したことに、なっている」
「公式には、そうです」
フォーゲルが書状を畳んだ。「私が問い合わせを出した以上、外務省はこの件が宰相府の関心事だと把握しました。しばらくは動きが出るかもしれない。その点は念頭に置いてください」
「分かりました」
フォーゲルが立ち上がる前に、ルクスは一つ確認した。
「シュトラウスが視察団に紛れて入国した時期と、ヴェーバーが王都へ転任してきた時期の照合はできますか」
「外務省の記録と内務省の辞令記録を合わせれば出るはずです。次官には追加照会として伝えます」フォーゲルは短く言った。「ヴェーバーの転任が偶然でなければ、人事に干渉できる経路があったことになる。それは別の問題です」
「はい。ただ、どちらの問題も根が同じです」
フォーゲルはしばらくルクスを見た。「分かりました。照会します」
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宰相府の廊下を出ると、午後の光が庭の砂利に当たっていた。雲の切れ目が移動していて、影が砂利の上を横切っていく。ルクスは外套の前を合わせて、門へ向かった。
帰り道に、ゲオルクが宰相府の玄関で待っていた。
「所在不明の魔導師の件、別経路で当たりました」ゲオルクは言った。「名前はカール・ブレンナーといいます。十二年前に王国の魔法省研究員として在籍していた人間で、九年前に休職届を出して北の連合国へ渡りました。帰国届は出ていません」
「九年前」
ルクスは立ち止まった。ディートリヒが死んだのは十年前だ。ブレンナーが連合国へ渡ったのは、それから一年後になる。
「ブレンナーは人体への術式施行の資格を持っていましたか」
「確認中ですが、研究分野が支配術式の応用という記録があります。魔法省の内部資料に残っていました。当時の研究テーマは、被施術者の意思介入を最小化しながら術式を段階的に展開する技術——という内容です」
支配術式の段階的展開。ヴェーバーの手首に刻まれた焼印、第一段階から第三段階まで設計された術式——それを施した人間の専門分野と一致していた。ゲオルクの言葉がルクスの推定に重なった。
「ブレンナーが九年前に連合国へ渡った。その翌年に私が着任し、ディートリヒの死から一年後でもある。入国履歴と埋葬記録を照合すれば、王国に滞在していた期間が重なるはずです」
「現在地を追いますか」
「追えるなら、追ってください。ただ——シュトラウスとブレンナーは、おそらく同じ組織の人間です。保全局でしょう。一人を捕まえても、組織は動き続ける。保全局がなぜ王国の結界技術を必要としているのか、それを先に見定める必要があります」
ゲオルクが手帳に書き込んだ。石畳の上で立ったまま、日が西へ傾き始めていた。風が路地を抜けて、ルクスの外套の裾を揺らした。
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ゲオルクと別れ、市場の端を抜けながら官舎の方角へ歩いた。石畳の坂を下ると昼過ぎの通りに人影が薄く、店の日除け布が緩く揺れていた。路地の奥から、水を打つ音がした。ブレンナーの名前、シュトラウスの入国記録、外務省の次官が書いた「個人見解」——それを頭の中で並べながら、坂を降りた。
地下室に戻ると、手順書の十二頁目が待っていた。南の楔の点検記録を書き加え、古い干渉痕の項目を立て、先行工作員の存在を仮説として記録した。
書きながら、整理した。
ブレンナーが魔法省にいた十年前、南の楔に傷を刻んだ。ディートリヒの手から魔力を抜き、書庫の手記を調べて内容をシュトラウスに引き渡した。九年前に連合国へ戻り、シュトラウスが後を引き継いだ。三年前に視察団に紛れて再入国し、ヴェーバーを仕込んで手記を回収した。十年前から、今が設計されていた。
一人の人間の寿命を超えた計画ではない。二人の人間が役割を分けて、十年をかけた工作だ。最初の段階で必要なものを整え、後の段階で回収する。そういう構造で動く組織が、連合国の行政機関の中に存在している。
問題はブレンナーでもシュトラウスでもない、とルクスは思った。二人を動かした設計そのものだ。設計者が誰で、結界技術の何を必要としているのか。その答えが見えるまで、調査を続ける必要がある。
他国の結界を再現したいのか。解除する方法を探しているのか。あるいは——結界技術を使って、別の何かを作ろうとしているのか。ペンの先がインク壺の縁に当たり、小さな音がした。どれが正しいかは今の情報では判断できない。フォーゲルへの追加照会の結果が出れば、絞れる可能性がある。
ルクスはペンを置いた。手順書の余白に、一行書き足した。
『この手順書は次の魔導師のために書かれている。引き継ぐ人間が読んでいる時、この調査は終わっているかもしれないし、まだ続いているかもしれない。どちらにせよ、楔の手順はここに全て記録した。事件の記録は別に残す』
書いた後で、ルクスはその行を一度読んだ。「まだ続いているかもしれない」という文字が、自分で書いた文字だった。ペンを置いて、十三頁目を開いた。




